1 / 125
第1話 発端・辺境の来訪者
しおりを挟む
時間だ。
窓を開けてもいいか、と彼女は同行者に訊ねた。
構わん、と相手の男は答えた。
がたん、と音をさせて彼女はやや立て付けの悪い窓を開ける。途端、やや砂混じりの風が大きく吹き込む。
男はその砂がおでこに張り付くような感触を嫌い、顔をしかめる。
吹き込んだ風が逆戻りして、彼女の嫌いな強い整髪料のにおいが漂ってくる。
もういいだろうさっさと閉めろ、と男は彼女に強い口調で命じる。それも彼女の嫌いな部分だ。
彼女は何を思ったか、服の大きな水兵襟から白い大きなタイを外した。そして窓の外へふっと飛ばす。
何をする、と男は腰を浮かせた。
彼女は口の中で何やらつぶやくと、すっとかがんだ。
窓の外から一瞬鋭い光が走った。
―――約束の時間だ。
大きなピアノを、演奏中の舞台から勢い良く突き落としたような音が響いた。
大きな襟で彼女は風とともに吹き込む窓ガラスの破片を避ける。
―――そして彼女の前の男の額から血が噴き出した。
*
「ふう」
ひでえほこりだ、と彼はつぶやく。
ホテルのロビーに入る前に、帽子を取ってぱたぱたと砂を払う。
本当は帽子どころか、髪にも服にも、舌にさえ絡みついていそうで、全身一気に音を立ててはたきたいところだったが、さすがにそれは思いとどまった。
―――確かにこの街じゃそうだろうな。
おそらくスーツの内ポケットあたりまで、砂は入り込んでいるだろう。彼は思う。
部屋を取ったら思いきりぱたぱたと服を振り回してやろう、と秘かにもくろみはじめる、
つい二十分前に彼が足を踏み入れた、ここフラビウム市は、「偉大なる国境地帯」と呼ばれる大砂漠に面した都市である。
とはいえ、「都市」と言っても名ばかりのもので、これ以下の規模になると、連合の州設法では「市」と認められない。
逆かもしれない。この辺境地区に唯一それらしく人が集まるこの街を「都市」としておきたいがため、州設法もここを基準にしているのかもしれない。
さてその辺境都市「唯一の」ホテルは、年代物の五階建ての建物である。
彼はさほど建築関係には詳しくはないが、様式の形から少なくとも百年は経っているだろうとは思われた。
彼を待っていたのは、旧式な回転扉だった。案外軽く回るのに彼は驚く。
中に入ると、いきなり柔らかな光に自分が包まれるのが判った。
吹き抜けのロビーの、高いガラス張りの天井から光が降り注いでいる。寝不足の目にはやや痛い。
彼はややぼんやりとその様子を眺めていたが、やがて自分に注がれる視線に気がついた。フロント嬢が何の用か、と言いたげにじっと彼を見ている。
さて。
彼はフロントへ向かう。急なことだったので、ホテルに予約の高速通信一つ入れていない。とすれば、返ってくる返事は予想がつく。
「部屋はあるかな?」
「あいすみません、本日は満室でございます」
実にていねい、かつ慇懃にフロント嬢は言った。
ほう、と彼は片方の眉を上げて見せる。実に人を外見で判断するいい教育をされているなあ。
もちろん彼は知っている。こういう対応は常識である。
そしてこんな辺境のホテルに満室などある訳がないというのも常識である。体のいいお断りである。
―――そんな格式ばったところかよ、おい。
安い値段で泊まれる部屋もなくはない。だがそんな客ばかりが陣取ると、この「唯一の」ホテルには赤字が出かねない。いい客を沢山、もしくは長く泊めたい、というのがどんな宿でも本音だろうから。
確かに彼は「市内唯一のホテル」言い換えれば、「第一のホテル」にはふさわしい恰好ではなかった。
確かに一応スーツに帽子、とそれらしい姿はしている。
だがその仕立てが決して上等のものではないことは、少し客商売している者なら簡単に判断がつく。
しかも彼の柔らかそうな薄茶の髪は、連合における成人男子の常識的な「紳士」な方々よりは結構長く、しかも無造作に後ろでくくられている。
靴ときたら、磨いてもいず――― というより、それは明らかに運動靴だった。砂ぼこりに汚れたそれは、ぱたぱたとはたけば、ずいぶんと色を変えるであろうことは見た誰にでも予想がつくだろう。
―――ま、気持ちは判るけどね。
彼はためいきをつく。
「満室ねえ? 金なら出すけど?」
「現金即払いです」
「ふーん……」
すると彼は、スーツの内ポケットに手を突っ込んだ。なけなしの金の勘定をするために財布を出すのだろう、とフロント嬢は思った。
だが。
「あー…… これじゃまずい?」
「え?」
銀色のカード。
フロント嬢は目をむいた。
連合でも有数の財団・デカダ通運の特権カードが彼女の目の前にあった。
窓を開けてもいいか、と彼女は同行者に訊ねた。
構わん、と相手の男は答えた。
がたん、と音をさせて彼女はやや立て付けの悪い窓を開ける。途端、やや砂混じりの風が大きく吹き込む。
男はその砂がおでこに張り付くような感触を嫌い、顔をしかめる。
吹き込んだ風が逆戻りして、彼女の嫌いな強い整髪料のにおいが漂ってくる。
もういいだろうさっさと閉めろ、と男は彼女に強い口調で命じる。それも彼女の嫌いな部分だ。
彼女は何を思ったか、服の大きな水兵襟から白い大きなタイを外した。そして窓の外へふっと飛ばす。
何をする、と男は腰を浮かせた。
彼女は口の中で何やらつぶやくと、すっとかがんだ。
窓の外から一瞬鋭い光が走った。
―――約束の時間だ。
大きなピアノを、演奏中の舞台から勢い良く突き落としたような音が響いた。
大きな襟で彼女は風とともに吹き込む窓ガラスの破片を避ける。
―――そして彼女の前の男の額から血が噴き出した。
*
「ふう」
ひでえほこりだ、と彼はつぶやく。
ホテルのロビーに入る前に、帽子を取ってぱたぱたと砂を払う。
本当は帽子どころか、髪にも服にも、舌にさえ絡みついていそうで、全身一気に音を立ててはたきたいところだったが、さすがにそれは思いとどまった。
―――確かにこの街じゃそうだろうな。
おそらくスーツの内ポケットあたりまで、砂は入り込んでいるだろう。彼は思う。
部屋を取ったら思いきりぱたぱたと服を振り回してやろう、と秘かにもくろみはじめる、
つい二十分前に彼が足を踏み入れた、ここフラビウム市は、「偉大なる国境地帯」と呼ばれる大砂漠に面した都市である。
とはいえ、「都市」と言っても名ばかりのもので、これ以下の規模になると、連合の州設法では「市」と認められない。
逆かもしれない。この辺境地区に唯一それらしく人が集まるこの街を「都市」としておきたいがため、州設法もここを基準にしているのかもしれない。
さてその辺境都市「唯一の」ホテルは、年代物の五階建ての建物である。
彼はさほど建築関係には詳しくはないが、様式の形から少なくとも百年は経っているだろうとは思われた。
彼を待っていたのは、旧式な回転扉だった。案外軽く回るのに彼は驚く。
中に入ると、いきなり柔らかな光に自分が包まれるのが判った。
吹き抜けのロビーの、高いガラス張りの天井から光が降り注いでいる。寝不足の目にはやや痛い。
彼はややぼんやりとその様子を眺めていたが、やがて自分に注がれる視線に気がついた。フロント嬢が何の用か、と言いたげにじっと彼を見ている。
さて。
彼はフロントへ向かう。急なことだったので、ホテルに予約の高速通信一つ入れていない。とすれば、返ってくる返事は予想がつく。
「部屋はあるかな?」
「あいすみません、本日は満室でございます」
実にていねい、かつ慇懃にフロント嬢は言った。
ほう、と彼は片方の眉を上げて見せる。実に人を外見で判断するいい教育をされているなあ。
もちろん彼は知っている。こういう対応は常識である。
そしてこんな辺境のホテルに満室などある訳がないというのも常識である。体のいいお断りである。
―――そんな格式ばったところかよ、おい。
安い値段で泊まれる部屋もなくはない。だがそんな客ばかりが陣取ると、この「唯一の」ホテルには赤字が出かねない。いい客を沢山、もしくは長く泊めたい、というのがどんな宿でも本音だろうから。
確かに彼は「市内唯一のホテル」言い換えれば、「第一のホテル」にはふさわしい恰好ではなかった。
確かに一応スーツに帽子、とそれらしい姿はしている。
だがその仕立てが決して上等のものではないことは、少し客商売している者なら簡単に判断がつく。
しかも彼の柔らかそうな薄茶の髪は、連合における成人男子の常識的な「紳士」な方々よりは結構長く、しかも無造作に後ろでくくられている。
靴ときたら、磨いてもいず――― というより、それは明らかに運動靴だった。砂ぼこりに汚れたそれは、ぱたぱたとはたけば、ずいぶんと色を変えるであろうことは見た誰にでも予想がつくだろう。
―――ま、気持ちは判るけどね。
彼はためいきをつく。
「満室ねえ? 金なら出すけど?」
「現金即払いです」
「ふーん……」
すると彼は、スーツの内ポケットに手を突っ込んだ。なけなしの金の勘定をするために財布を出すのだろう、とフロント嬢は思った。
だが。
「あー…… これじゃまずい?」
「え?」
銀色のカード。
フロント嬢は目をむいた。
連合でも有数の財団・デカダ通運の特権カードが彼女の目の前にあった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
汚部屋女神に無茶振りされたアラサー清掃員、チートな浄化スキルで魔境ダンジョンを快適ソロライフ聖域に変えます!
虹湖🌈
ファンタジー
女神様、さては…汚部屋の住人ですね? もう足の踏み場がありませーん><
面倒な人間関係はゼロ! 掃除で稼いで推し活に生きる! そんな快適ソロライフを夢見るオタク清掃員が、ダメ女神に振り回されながらも、世界一汚いダンジョンを自分だけの楽園に作り変えていく、異世界お掃除ファンタジー。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
現代にダンジョンが現れたので、異世界人とパーティ組んでみた
立風館幻夢/夜野一海
ファンタジー
世界を研究する「普通」の女子大学院生、「猪飼瑠璃(いかいるり)」、彼女は異世界人と友達になることを夢見て、日々研究に勤しんでいた。
ある日、いつものように大学院に向かっている最中、大地震に巻き込まれる。
……揺れが収まり、辺りを見ると、得体のしれないモンスターと猫獣人が現れた!?
あたふたしているうちに、瑠璃はダンジョンの中へと迷い込んでしまう。
その中で、エルフの少女、吸血鬼の少女、サキュバスの女性、ドワーフの男性と出会い、彼らとパーティを組むことになり……。
※男性キャラも数人登場しますが、主人公及びヒロインに恋愛感情はありません。
※小説家になろう、カクヨムでも更新中
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
ファンタジー
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる