七代目は「帝国」最後の皇后

江戸川ばた散歩

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第26話 「楽しい時代が始まるんだ」

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「……何?」
「これは副産物。何か知らないけれど、私の言葉は時々こういう力を出す。便利だ」
「君、昨夜も使っていなかった?」
「ああ、そうかもな」
「そうかもなって」
「割とあの時は無意識に使っているかもな。私もあまり嫌なことはしたくないし。使える力は使わなくては損だ」

 飲物が運ばれてくる。ナギは手を離そうとした。だが彼は離そうとしない。

「もう大丈夫だ、離してくれ」

 離そうか、と彼は思っていた。だが。

「嫌だ」

 両手が彼女の手を止めていた。

「止めてくれ。結構うっとうしい光景に私には見える」

 だが彼は離さなかった。ウェイターはそのうっとうしい光景には見て見ぬ振りをして、ジャム入り紅茶のティーセットとミルクコーヒーのカップを置いていく。

「どういうつもりだ?」

 彼女は露骨に不快気な表情をする。

「一つ聞きたいんだ、ナギ」
「何?」
「もし東海が開いたら、君はどうしたいんだ?」
「私か?」

 ナギは手を引き抜いた。

「デカダとの独占通商権は大きいな」
「欲しいと思うか?」
「私は要らん」
「君……」
「私自身にはどうだっていいことだ。私はこの身一つがあればどうにでもなる。だが」
「だけど?」
「欲しいと言えば欲しい。彼女には必要だ」
「シラ嬢?」
「ええ。シルベスタ、一体何をお父上は言ってこられたんです?」

 ふう、と彼はテーブルに両肘をつく。

「『この件は自分には判断ができない。お前が決めろ』」
「決めればいいじゃないですか」
「君ねえ」
「それとも、それが原因で、デカダの中で、のっぴきならない位置に置かれてしまうのが怖いんじゃないですか?」

 彼は瞬間、酸っぱいものを口に含んだような顔になる。

「図星でしょう?」

 困った、と彼は思った。切実に思った。
 それは、自分の中でも触れないでおきたい部分だったのだ。
 確かに歴史は好きである。寝食忘れる程好きであるのは事実である。たかが高等学校の頃に、デカダの会長たる父親を説得しようなんて考えつくくらいに好きではある。
 だが、彼は父親が当時言わずに、彼の進路に口を出さなかった理由が一つ推測できたのだ。
 親父は、俺が進路を口に出した時に、俺を帝国専門のエキスパートに仕立て上げようとしていたのではないか?
 その可能性はあった。
 帝国史、ひいては帝国文化史に精通する者は全国でも少ない。さして利益がある分野と考えられていなかったからである。帝国と連合の関係が良好で、交易を始めた頃とさほど認識が変わらなくとも大丈夫であったからとも言える。
 だけど一つ決定的な何かが起これば。
 彼はぞくり、とする。
 向こうで起きた出来事の因果関係は、連合の歴史だけの常識では解明できないことが多い。
 その際に、帝国史や帝国文化史に精通している者が求められる。
 無論そういう人物が求められない時代ならそれはそれでいい。
 その時は、そのはみだし者を飼い殺しにしておけばいいのだ。買い殺される人物もそれに満足して一生を終えるだろう。だが。
 父親の資料の最後の一文はこう綴られていた。

「なお、商談が成立したならば、その件に関する一部門を新たに設置し、シルベスタ・アンクシエ・デカダをその長とすること」

 東海が開かなければそれはそれでよし。その部門は凍結されたままで、シルベスタも動く必要はない。だが、東海が開いた時には、彼が筆頭になって帝国の、ホロベシ社団との通商を行え、ということなのだ。
 デカダ通運自体はいずれにせよ、損はしない。何故なら、東海が開かないなら、初めから何もなかったと同じである。開いたなら、その情報を察知し、何処よりも早く動けるから、これは利益となりうる。
 シルベスタは、基本的には捨て駒である。五人もいる子供の中になら、一人くらいそういう変数がいるべきなのだ。

「どういうことか私には判らないが」

 ナギは茶にたっぷりとジャムを入れながら言う。

「どんなものごとであれ、本当に嫌なら抵抗すればいいさ。だけどそうでなければ、踏み込んでみる、という手もある」
「踏み込んでみる?」
「考えようによっては、あなたはこれまでより面白い歴史が見られるかもしれない」

 にっとナギは笑った。

「面白い歴史?」
「傍観者で居るもいいさ。カナーシュ先生、彼はそうだ。彼は完全に傍観者体質だ。あなたなどよりずっと、そのあたりは徹底している。彼は私が求める対象だと判ったら、きっとそれまでの交流も全部無視して私を研究対象としか見なくなるだろう。それはそれでいいさ。それが彼で、そういう人だから、ああいう研究が残せた。まともな市民感覚を持ってたら、あんな本は出せない」
「そういうものか?」
「普通の市民感覚を持ってる奴が、出版社やその他、自分と直接関係ない者まで第二級、第三級の不敬罪に処されるの知っていて、わざわざそうするか? それが多少でも自分と人間的つきあいをしている相手だったらどうだ? 多少人情があれば、研究より自分や他人の安全を願うのが普通じゃないか? だけど彼はそうじゃない。彼は、それさえできれば他のことはどうだっていいんだ」

 シルベスタは肩をすくめた。

「だけどシルベスタ、あなたはそうではない。あなたは傍観者であろうとしているけど、違うよ」
「ナギ」
「それに過去の歴史は、カナーシュ先生が調べ尽くしている。これから作る部分は彼にはどうだっていいことだろう。だから帝国に置きみやげをして、連合へ亡命しようとしている。あとは彼にとっては余生だ。ご老体には余生。いいじゃないか。だけどあなたはそうじゃないだろう?」
「もしかして、それは、物騒なことに誘っている?」

 ナギは面白そうにうなづいた。

「楽しい時代が始まるんだ」

 ああ、そうか。
 シルベスタはうなづいた。
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