七代目は「帝国」最後の皇后

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
37 / 125

第37話 黒夫人

しおりを挟む
「ナギちゃん市内通信ですよ」

 コルシカ夫人が、昼近くになって呼びに来た。何処からか、と訊ねたら、夫人はやや大げさに手を広げた。

「ミナセイ侯爵家の方ですってさ。ナギちゃんをご指名だって言うんだけど」
「……何かしら」

 ご指名、ね。
 久しぶりに聞いたその言葉に、ナギは昨夜のことを思い返す。その言葉は、流れ流れている時にはよく聞いた。娼館では毎日、一日に何度も耳にしていた。
 昨夜あれから、コレファレスに勝負を挑んだが、それは勝算があったからした訳である。夜の夜中の、寝台の上で、果てた方が負け、という実に単純明快な勝負だったが、ナギは無用に負けが判っている勝負は挑まない。
 結果として彼は本日は風邪だなんだと理由をつけて、寝込んでいる。もちろん風邪などではない。
 でもあの見かけは嘘だ、とナギは思う。
 あれは明らかに「四十代初めのやり手の執事」を演じていた。歳をごまかすため、多少はメイクも入っている。実際はその見た目より十歳は若いだろう。
 正直言って、そのあたりを見極めたかったから、その方法を取ったのだ。
 良かれ悪しかれ、好き嫌いあれども、長い間やってきた生きてくための仕事というのは、人をその道のプロにする。本当の年齢などそれなりに見抜ける。
 コレファレスはどうやら、学位を取って卒業してすぐにこの家に入ったのだろう。それが何故かは判らない。だが歳をごまかさなくてはならない理由はあったろう。サートゥン・コレファレスという名とて果たして本当かどうか。
 勝負は延々数時間に及んだ。
 その間に何度も何度も彼女は相手の声を聞いた。
 自分ではない。こういうのもなかなか楽しいかもな、とナギは思った。
 何と言っても相手も自分も生理的欲求に急かされている訳ではない。如何に相手を急かすか、というのも勝負の一部となる。まあ腕試しのようなものか、とナギは思う。
 ここのところずっと女の子を楽しませることは存分にしてきたが、野郎はずいぶんご無沙汰していた。しかも「仕事」の時にはそういう努力とは無縁だった。
 ナギはしようと思えば幾らでも相手を楽しませることはできるのだ。経験値という奴である。
 何はともあれキャリアは長い。かつての友人アワフェ・アージェンからキスのテクニックを教えてもらったように、流れ流れてきた様々なところで、少しづづ技術を会得してきたのだ。
 そう、技術である。それ以上ではない。如何にして自分はいかずに、相手をいかせ続けるか、そのための技術である。そうすることによって、自分の身体のダメージも減るし、相手からの受けがいい。娼館では、むげに商品である女達の身体を傷つけたくはないから、技術を教え込むのだ。
 尤もナギは身体については何の心配もしていなかった。だから技術を使う面倒を避けた。まあ向こうの好きなように、と身体を投げ出すのが普通だった。
 そして客は、大抵は綺麗な彼女を抱いたという事実だけで満足する。
 技術を駆使するのが「努力でない」と感じられる場合や、明らかにそれをした方が有利だ、という時には、存分にそれは発揮される。あまりそういうことはなかったが。まあナギは最近では、専らシラをいかせる時にそうしている。かなり手加減はしてはいるが。

「一体……」

 訝しげに首をひねる様をコルシカ夫人に見せながら、ナギは通信機の前に座った。保留にしてある画像と音声を通わせる。夫人はじゃあまた、とその場から去った。
 復活した画像には、くっきりした顔立ちの女性が映っていた。

「こんにちは」
『イラ・ナギマエナさん?』

 画面の中の女性はあでやかに微笑む。
 真っ黒なややきついウェーヴのかかった髪を耳の下で切り揃えている。
 その下にはくっきりと、ややつり上がった黒い眉、さらにその下には大きな黒い瞳、そしてやや茶系の、それでも深みのある赤の唇。極めつけは、ナギよりもさらにやや低い、それでいて甘い、アルトの声。ヘッドフォンごしにも、耳の何処かをくすぐるかのようだった。

「ええそうですが…… ミナセイ侯爵家の方ですか」
『ええそうよ。私はミナセイの家内、ラキ・セイカよ。イラ・ナギ、お目にかかれて嬉しいわ』

 別にナギは嬉しくも何ともない。その本当の名でこの人に呼ばれるというのも何やら耳障りである。
 愛想笑いを返すのがしゃくだったが、まあ回線の向こう側である。とりあえずはにこやかな表情を作る。

「そちらにうちのお嬢様がお世話になっているということで、ありがとうございます」
『ふふふ。彼女はとても元気よ。心配しているならご無用』

 どうやら向こう側の通信機は、やや広めのコンソールデスクが取ってあるようである。
 向こう側の彼女は、やや身を乗り出して話している。コンソールデスクに乗せている腕を包む袖もまた黒く、たっぷりとしている。もちろんその腕の先、上半身をくるむのも黒だ。ナギは服飾関係には全く興味はないが、どうやら最新モードの形ではあるらしい。何となくゆったりしたラインは、ウエストが低く取っているのを伺わせる。

「ええそれを聞いてとても安心しました」
『彼女、可愛らしい人よね』
「ええ全く。……でも申し訳ないのですが、お嬢さんはすぐにでも返していただけませんか?こちらも葬儀の関係とかございますし」
『ああら、喪主は他に居るのではないの?』
「いいえ、喪主はシラさんです」
『……やけに断言するのね』
「いえ、本当のことですから」

 ここで「いけませんか?」などとケンカを売らなかっただけでも立派だ、とナギは思う。
 何しろ相手が相手だ。黒髪黒目、全身黒の衣装のこの女が黒夫人でなくて一体誰だというのだ。その黒夫人が自分を名指しで通信してきた。気は抜けない。

「こちらの家人一同、なるべく早急に葬儀をしたいと思っているのです。そちらには申し訳ございませんが……」

 語尾をぼかす。そろそろ下手に出る耐久力が切れそうだ。

『嫌、と言ったら?』
「お嫌なのですか?」

 そこで初めて黒夫人は顔の笑みを消した。もちろんそれまでも、目は決して笑ってはいなかった。

『嫌』

 彼女は断言する。唐突にナギは、胸に熱い、細い棒を打ち込まれたような衝撃を感じた。それもただの熱さではない。鉄を鍛える炉のような物に突っ込まれ、白金色に光るその熱さである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

汚部屋女神に無茶振りされたアラサー清掃員、チートな浄化スキルで魔境ダンジョンを快適ソロライフ聖域に変えます!

虹湖🌈
ファンタジー
女神様、さては…汚部屋の住人ですね? もう足の踏み場がありませーん>< 面倒な人間関係はゼロ! 掃除で稼いで推し活に生きる! そんな快適ソロライフを夢見るオタク清掃員が、ダメ女神に振り回されながらも、世界一汚いダンジョンを自分だけの楽園に作り変えていく、異世界お掃除ファンタジー。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

現代にダンジョンが現れたので、異世界人とパーティ組んでみた

立風館幻夢/夜野一海
ファンタジー
世界を研究する「普通」の女子大学院生、「猪飼瑠璃(いかいるり)」、彼女は異世界人と友達になることを夢見て、日々研究に勤しんでいた。 ある日、いつものように大学院に向かっている最中、大地震に巻き込まれる。 ……揺れが収まり、辺りを見ると、得体のしれないモンスターと猫獣人が現れた!? あたふたしているうちに、瑠璃はダンジョンの中へと迷い込んでしまう。 その中で、エルフの少女、吸血鬼の少女、サキュバスの女性、ドワーフの男性と出会い、彼らとパーティを組むことになり……。 ※男性キャラも数人登場しますが、主人公及びヒロインに恋愛感情はありません。 ※小説家になろう、カクヨムでも更新中

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
ファンタジー
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

処理中です...