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第67話 「あんたの方がよっぽどいいわ」
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「気持ちいいことなら好きです。私はされるよりはする方が好きですけどね」
「……あんた」
やや位置が変わったらしい。相棒の表情がシラの目にもぼんやり見えてくる。金色の目がじっと自分を見ているのが判る。
「何ですか?」
「……あ、……あたしは、ただ……」
「ただ、何ですか?」
にやり、とナギは笑っている。ほんの微かに月の光を映した金色の目は、獲物を見つけた猫のようだった。シラはぞくりとする。
「……だから…… もしも、そういう……すぐに結婚とかそういうんじゃなかったら、……好きな人と好きに生きてくことができるんだったら、何か……」
ああ何を言ってるんだろ。いつもなら考えがくるくると回って、行くべき方向を見つけだしてくれるのに、変だ。くるくるくるくる回って、だけど止まる方向を見つけられない。
この目のせいだ、とシラは自分に言い聞かせる。こんな目で、見られたことがないから。
「つまり、こうですか? それが慣習であることが全て間違ってる」
「そのことだけじゃなくて」
「この国にある慣習自体が間違ってる?」
「……そうよ!」
くすくす。相手の笑い声が聞こえたような気がした。
「なるほど」
「……何がおかしいのよ…… だってそうじゃない。うちだってロクな連中じゃないことだってことくらい、あんたにも判るでしょ?」
「そうですね。男爵は変態ですし」
「ああそうなの」
「父上のことをそう言われても御令嬢は怒らないし」
「……あんたに手を出してたなら変態でしょ。娘くらいの女の子で遊ぶあのひとの神経が知れないわ」
「別にそんなことはそのうちに入りませんけどね…… で? あなたは怒らない。どうして?」
「だってそれは本当のことだもん。母様は結婚しても幸せじゃなかったのよ。それだけは判るわ。だってあの人の日記にはいつも後悔の言葉しか載っていないもの。そういうのって、すごく変よ。どうしてわざわざため息ばかりつくよーな生活さなくちゃならないのよ」
「運が悪かった?」
「それで片付けられてしまうのが嫌なのよ。いくら降りかかってきた運が悪かったとしても、自分で何とかして動けば、何とかできるかもしれないじゃない。でも何か、それができないように、できないように、何か回りが、そうなるようになるように、しむけてる。あたしはすごいそれが嫌よ。いらいらいらいらすんのよ。だけどずっと我慢してきたわ」
「どうして?」
「上手く切り抜けなくちゃいけないからよ。ここには味方がいないわ。味方につけたいと思えるような子が誰もいなかったわ」
「見つけられなかっただけじゃないですか?」
「そうかもしれない」
案外素直にシラはうなづく。
「だけど、誰もあんたのような雑誌の見方はしなかったわ。盗聴器の存在を感じもしなかったわ。社交界が実際は何のためにあるのかとか、そこでひらひらひらひらお話ばっかりしていても、結局あたし達女は、令夫人だろうが令嬢だろうが、皇女さまだってこの国じゃあ何もできないのよ」
「私は、それじゃどうだったっていうんですか?」
「あんたは綺麗よ」
「答えになってませんけど?」
「あんたはすごく変よ。あたしの習った常識の中じゃあね。だってそうじゃない。あんたお父様の『人形』なのに娘のあたしに持ち主の悪口をきちんというじゃない。変わった雑誌の見方するじゃない。それよりまずあたしを持ち主の娘だなんて考えてもいないじゃない」
「そうですね」
「髪だってそうだわ。そんな頭してる子なんて何処にもいないわ。だけどあたしあんたのこと綺麗だって思ったもの」
「それは物騒」
「……物騒?」
「……ま、それはそれとして。明日からの襲撃にはどう備えましょうかね?」
ナギは話をそらした。
シラは口ごもる。確かにそれも問題だった。黙って何もしなかったら、あの上級生の「妹」とやらにされてしまう。それはごめんこうむる。
だがそうかと言って、やって来た相手に真っ向から楯突くというのも。それはリスクが大きい、とシラは思った。
だとしたら。
「……もし、襲撃した場で既に相手が決まった子が何やらしていたら、むこうさん、どうするかしら?」
「……まあ、そりゃ……一応引き上げるんじゃないですかね」
「じゃ決まり」
ぴ、とシラは人差し指をナギの前に立てる。
「あんた、あたしと組もう」
「は?」
さすがにそう言われるとはナギも思っていなかったようだ、とシラは思った。何となくこの相棒にこういう顔をさせたのは小気味いいものがある。
「聞こえなかった? あたしとあんたがそういう相手同士だったら、お互いあの連中に狙われなくってすむんじゃない?」
「……まあそうですね」
「嫌?」
「嫌じゃあないですけど?」
「じゃいいじゃない」
「だけどあなた、向こうは向こうで慣れてますからね、お芝居じゃごまかせませんよ、それでも?」
ナギの言おうとしたことは判った。それにうなづいてしまったら、つまりは。
だけど。
「それでも」
シラはきっぱりと言った。
「あんたの方がよっぽどいいわ」
「そうですか」
ナギはあっさりと言う。
「じゃあ私が何しても文句言いません?」
「気持ちよくなかったら言うわよ」
「上等」
その選択は決して間違ってはいなかった。
「……あんた」
やや位置が変わったらしい。相棒の表情がシラの目にもぼんやり見えてくる。金色の目がじっと自分を見ているのが判る。
「何ですか?」
「……あ、……あたしは、ただ……」
「ただ、何ですか?」
にやり、とナギは笑っている。ほんの微かに月の光を映した金色の目は、獲物を見つけた猫のようだった。シラはぞくりとする。
「……だから…… もしも、そういう……すぐに結婚とかそういうんじゃなかったら、……好きな人と好きに生きてくことができるんだったら、何か……」
ああ何を言ってるんだろ。いつもなら考えがくるくると回って、行くべき方向を見つけだしてくれるのに、変だ。くるくるくるくる回って、だけど止まる方向を見つけられない。
この目のせいだ、とシラは自分に言い聞かせる。こんな目で、見られたことがないから。
「つまり、こうですか? それが慣習であることが全て間違ってる」
「そのことだけじゃなくて」
「この国にある慣習自体が間違ってる?」
「……そうよ!」
くすくす。相手の笑い声が聞こえたような気がした。
「なるほど」
「……何がおかしいのよ…… だってそうじゃない。うちだってロクな連中じゃないことだってことくらい、あんたにも判るでしょ?」
「そうですね。男爵は変態ですし」
「ああそうなの」
「父上のことをそう言われても御令嬢は怒らないし」
「……あんたに手を出してたなら変態でしょ。娘くらいの女の子で遊ぶあのひとの神経が知れないわ」
「別にそんなことはそのうちに入りませんけどね…… で? あなたは怒らない。どうして?」
「だってそれは本当のことだもん。母様は結婚しても幸せじゃなかったのよ。それだけは判るわ。だってあの人の日記にはいつも後悔の言葉しか載っていないもの。そういうのって、すごく変よ。どうしてわざわざため息ばかりつくよーな生活さなくちゃならないのよ」
「運が悪かった?」
「それで片付けられてしまうのが嫌なのよ。いくら降りかかってきた運が悪かったとしても、自分で何とかして動けば、何とかできるかもしれないじゃない。でも何か、それができないように、できないように、何か回りが、そうなるようになるように、しむけてる。あたしはすごいそれが嫌よ。いらいらいらいらすんのよ。だけどずっと我慢してきたわ」
「どうして?」
「上手く切り抜けなくちゃいけないからよ。ここには味方がいないわ。味方につけたいと思えるような子が誰もいなかったわ」
「見つけられなかっただけじゃないですか?」
「そうかもしれない」
案外素直にシラはうなづく。
「だけど、誰もあんたのような雑誌の見方はしなかったわ。盗聴器の存在を感じもしなかったわ。社交界が実際は何のためにあるのかとか、そこでひらひらひらひらお話ばっかりしていても、結局あたし達女は、令夫人だろうが令嬢だろうが、皇女さまだってこの国じゃあ何もできないのよ」
「私は、それじゃどうだったっていうんですか?」
「あんたは綺麗よ」
「答えになってませんけど?」
「あんたはすごく変よ。あたしの習った常識の中じゃあね。だってそうじゃない。あんたお父様の『人形』なのに娘のあたしに持ち主の悪口をきちんというじゃない。変わった雑誌の見方するじゃない。それよりまずあたしを持ち主の娘だなんて考えてもいないじゃない」
「そうですね」
「髪だってそうだわ。そんな頭してる子なんて何処にもいないわ。だけどあたしあんたのこと綺麗だって思ったもの」
「それは物騒」
「……物騒?」
「……ま、それはそれとして。明日からの襲撃にはどう備えましょうかね?」
ナギは話をそらした。
シラは口ごもる。確かにそれも問題だった。黙って何もしなかったら、あの上級生の「妹」とやらにされてしまう。それはごめんこうむる。
だがそうかと言って、やって来た相手に真っ向から楯突くというのも。それはリスクが大きい、とシラは思った。
だとしたら。
「……もし、襲撃した場で既に相手が決まった子が何やらしていたら、むこうさん、どうするかしら?」
「……まあ、そりゃ……一応引き上げるんじゃないですかね」
「じゃ決まり」
ぴ、とシラは人差し指をナギの前に立てる。
「あんた、あたしと組もう」
「は?」
さすがにそう言われるとはナギも思っていなかったようだ、とシラは思った。何となくこの相棒にこういう顔をさせたのは小気味いいものがある。
「聞こえなかった? あたしとあんたがそういう相手同士だったら、お互いあの連中に狙われなくってすむんじゃない?」
「……まあそうですね」
「嫌?」
「嫌じゃあないですけど?」
「じゃいいじゃない」
「だけどあなた、向こうは向こうで慣れてますからね、お芝居じゃごまかせませんよ、それでも?」
ナギの言おうとしたことは判った。それにうなづいてしまったら、つまりは。
だけど。
「それでも」
シラはきっぱりと言った。
「あんたの方がよっぽどいいわ」
「そうですか」
ナギはあっさりと言う。
「じゃあ私が何しても文句言いません?」
「気持ちよくなかったら言うわよ」
「上等」
その選択は決して間違ってはいなかった。
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