92 / 125
落ちてきた場所を探して(帝国を終わらせるために)
第93話 かつてはあそこにあったもの
しおりを挟む
自分の考えにまとまりが無くなってきつつあるのを彼は感じていた。
それが初めて口をつけた酒のせいでもあることには、気付いていなかったが。案外口当たりの良いこの飲み物に、ついつい彼は、少しづつだが、杯の中身を空けつつあったのである。
「そのことか。それで、わざわざここに」
「こればかりは、地元の人々に聞かないと、判りません。地元の人々に直接聞いた方が早く、確実だと思いましたから。何せ学都でもこの話は一度も聞いたことは無かった訳ですから」
「それは当然であろう。イラ・ナギ。我々もそれを書き記すことは無い。書き記し残すことが危険となることもあり得る。いや、実際に、遠い昔において、我々の先祖は、それで多くの者が命を落とした。三代の陛下の代において、それはひどく激しく、そして、徹底していた」
「それも、学校という中では隠された歴史ですね」
ナギは苦笑する。
「それ故我々は、移動する民となった。かつてはあの男も、我々の部族とひどく近しい所から出たというのに、皇帝という地位についたことで、それまでの自分を消そうとしたのか、それとも、自分が皇帝となった経緯を消そうとでもするのか」
記憶とも歴史ともつかない口調で族長は言う。ナギはそれに黙ってうなづいた。
「単刀直入に言ってしまうのなら、イラ・ナギ、この辺りにはそなたの探している『落ちてきた場所』は既に無い」
「だろうと思っていました」
腕を組み、重々しく答える族長の声に、ナギは乳茶を口にしながら答える。
「あの平地を見た時、そうであるとは思っていました。そう、かつてはあそこにあったのでしょう?」
「かつては。我々の世代がこの地に戻った時には、既にその姿は無かった」
「ではいつ頃消えてしまったのでしょう」
「イラ・ナギ、そなたこの地に鉄道が通り、駅舎が出来たのはいつの時代と思う?」
「六代の方の頃でしょう。ですから、せいぜいがところ、百年かそこらでは」
「そう。それまでは、確かにそこに居ったのだ」
居った。
その言葉はユカリの中でぼんやりと響いた。それはまるで、何かしら生きたものに対してつかう言葉ではないか。
「我々もずっとここに居る訳ではなく、時々思い出した様に、この祖先の地に引き返す、という習慣であったから、正確な時は判らないが。先々代の族長が、まだ若い頃であったか。子供の頃はあったはずだった『それ』が、長じて後戻ってみると、あの平地を残して跡形も無かったことに衝撃を受けた、という話は聞いておる」
「……」
ナギは黙って杯を床に置いた。
「あんなものが、どう移動したのか、など我々には想像もできないのだ」
「なるほど」
「しかしイラ・ナギ、今その存在を確かめて、あの方は一体何をなさろうとするのだ? そなたは聞いているのか?」
「聞いてはいます」
彼女は目を伏せた。
「しかし、それをどうするか、は私の判断に委ねられたのです。それを現在その身体でもって探すのも意志を確かめるのも、今となっては、私とあの方しかできないことなのです。本当は私の様な者を使うよりは、ご自分で探したかったのでしょう、あの方は」
ちょっと待て、とユカリは思わずナギの方を向いた。だがその言葉は、族長の側に控える青年の鋭い視線によって遮られた。そしてその男は、穏やかに笑みを浮かべると、彼の半ば空になっている杯を見ると、つぼを取り、近づいた。
「おや、もう無くなっているではないですか」
「いや、私は……」
「そうは言わずに」
青年はユカリの手に杯を取らせると、その中に馬乳酒をなみなみと注ぎ込んだ。
「今年は、結構な草の地が多かったせいか、馬の乳も濃いものが採れたことですし」
だからと言って。ユカリは再びゆっくりと口をつける。次第に身体が暖かくなって来るのが判るのだが、何故なのか彼にはさっぱり判らない。
「無くなった訳では、ないだろう。何処かには居るはずだ。イラ・ナギ、探すのかね?」
「仕方ないでしょう」
彼女は本当に仕方なさそうに答える。
「それを何とかしないことには、私は私を待つ人の所へは戻れないのですから」
「それは、あのカラ・ハンの人々の所かね?」
カラ・ハン?
ユカリはかなりぼんやりとしてきた頭で、それでも記憶をひっくり返す。確かそれは、かなり国境も近い草原に住む部族だ。やはりこのホノヘツ同様、草原を遊牧によって移動し、生活する部族の一つだった。
「いえ」
彼女は首を横に振る。
「あれはもう、昔のこと。それにあそこでは、私は私ではないでしょう。私は、私を私としてだけ見てくれるひとの所へ帰りたいだけです」
「そういう人が、居るのかね?」
低い声で、族長は訊ねた。ナギはうなづいた。
「ごくたまには、居るのですね。信じてはなかったけど」
あ、と杯を置いて、ユカリは思わず目を見張っていた。ひどく穏やかな表情が、そう言うナギの顔の上にはあった。
「だからさっさと私はこの『お願い』を片付けなくてはならないのです」
「と言うことは、結末を、そなたは知っているのだな?」
「……」
ナギは何も言わず、目を伏せた。族長はまあいいだろう、とつぶやいた。
「どんな道をこの帝国が進もうと、それはいつかそうなるべきものなのだ。そなたが何を選び、何をするか、我々には判らぬが、我々に出来ることは、その時その時の風を読み、空を読み、星を読み、それで生きていくことのみ。そなたがどんな道を選ぼうと、この時の中で生きていくのみの我々が何も言う筋合いはあるまい」
「ありがとうございます」
「それにしても。何故にそなたたった一人に、そんな役を天は負わせるのであろうな」
「さて」
ナギは口元を上げた。
「それもまた、世界の面白きということ」
「なるほどな」
はっはっは、と声を立てて、族長は笑った。
しかしその声も既に、ユカリの耳には遠かった。杯は置いていたが、既に回った酒のせいで、ひどい眠気が迫っていた―――
それが初めて口をつけた酒のせいでもあることには、気付いていなかったが。案外口当たりの良いこの飲み物に、ついつい彼は、少しづつだが、杯の中身を空けつつあったのである。
「そのことか。それで、わざわざここに」
「こればかりは、地元の人々に聞かないと、判りません。地元の人々に直接聞いた方が早く、確実だと思いましたから。何せ学都でもこの話は一度も聞いたことは無かった訳ですから」
「それは当然であろう。イラ・ナギ。我々もそれを書き記すことは無い。書き記し残すことが危険となることもあり得る。いや、実際に、遠い昔において、我々の先祖は、それで多くの者が命を落とした。三代の陛下の代において、それはひどく激しく、そして、徹底していた」
「それも、学校という中では隠された歴史ですね」
ナギは苦笑する。
「それ故我々は、移動する民となった。かつてはあの男も、我々の部族とひどく近しい所から出たというのに、皇帝という地位についたことで、それまでの自分を消そうとしたのか、それとも、自分が皇帝となった経緯を消そうとでもするのか」
記憶とも歴史ともつかない口調で族長は言う。ナギはそれに黙ってうなづいた。
「単刀直入に言ってしまうのなら、イラ・ナギ、この辺りにはそなたの探している『落ちてきた場所』は既に無い」
「だろうと思っていました」
腕を組み、重々しく答える族長の声に、ナギは乳茶を口にしながら答える。
「あの平地を見た時、そうであるとは思っていました。そう、かつてはあそこにあったのでしょう?」
「かつては。我々の世代がこの地に戻った時には、既にその姿は無かった」
「ではいつ頃消えてしまったのでしょう」
「イラ・ナギ、そなたこの地に鉄道が通り、駅舎が出来たのはいつの時代と思う?」
「六代の方の頃でしょう。ですから、せいぜいがところ、百年かそこらでは」
「そう。それまでは、確かにそこに居ったのだ」
居った。
その言葉はユカリの中でぼんやりと響いた。それはまるで、何かしら生きたものに対してつかう言葉ではないか。
「我々もずっとここに居る訳ではなく、時々思い出した様に、この祖先の地に引き返す、という習慣であったから、正確な時は判らないが。先々代の族長が、まだ若い頃であったか。子供の頃はあったはずだった『それ』が、長じて後戻ってみると、あの平地を残して跡形も無かったことに衝撃を受けた、という話は聞いておる」
「……」
ナギは黙って杯を床に置いた。
「あんなものが、どう移動したのか、など我々には想像もできないのだ」
「なるほど」
「しかしイラ・ナギ、今その存在を確かめて、あの方は一体何をなさろうとするのだ? そなたは聞いているのか?」
「聞いてはいます」
彼女は目を伏せた。
「しかし、それをどうするか、は私の判断に委ねられたのです。それを現在その身体でもって探すのも意志を確かめるのも、今となっては、私とあの方しかできないことなのです。本当は私の様な者を使うよりは、ご自分で探したかったのでしょう、あの方は」
ちょっと待て、とユカリは思わずナギの方を向いた。だがその言葉は、族長の側に控える青年の鋭い視線によって遮られた。そしてその男は、穏やかに笑みを浮かべると、彼の半ば空になっている杯を見ると、つぼを取り、近づいた。
「おや、もう無くなっているではないですか」
「いや、私は……」
「そうは言わずに」
青年はユカリの手に杯を取らせると、その中に馬乳酒をなみなみと注ぎ込んだ。
「今年は、結構な草の地が多かったせいか、馬の乳も濃いものが採れたことですし」
だからと言って。ユカリは再びゆっくりと口をつける。次第に身体が暖かくなって来るのが判るのだが、何故なのか彼にはさっぱり判らない。
「無くなった訳では、ないだろう。何処かには居るはずだ。イラ・ナギ、探すのかね?」
「仕方ないでしょう」
彼女は本当に仕方なさそうに答える。
「それを何とかしないことには、私は私を待つ人の所へは戻れないのですから」
「それは、あのカラ・ハンの人々の所かね?」
カラ・ハン?
ユカリはかなりぼんやりとしてきた頭で、それでも記憶をひっくり返す。確かそれは、かなり国境も近い草原に住む部族だ。やはりこのホノヘツ同様、草原を遊牧によって移動し、生活する部族の一つだった。
「いえ」
彼女は首を横に振る。
「あれはもう、昔のこと。それにあそこでは、私は私ではないでしょう。私は、私を私としてだけ見てくれるひとの所へ帰りたいだけです」
「そういう人が、居るのかね?」
低い声で、族長は訊ねた。ナギはうなづいた。
「ごくたまには、居るのですね。信じてはなかったけど」
あ、と杯を置いて、ユカリは思わず目を見張っていた。ひどく穏やかな表情が、そう言うナギの顔の上にはあった。
「だからさっさと私はこの『お願い』を片付けなくてはならないのです」
「と言うことは、結末を、そなたは知っているのだな?」
「……」
ナギは何も言わず、目を伏せた。族長はまあいいだろう、とつぶやいた。
「どんな道をこの帝国が進もうと、それはいつかそうなるべきものなのだ。そなたが何を選び、何をするか、我々には判らぬが、我々に出来ることは、その時その時の風を読み、空を読み、星を読み、それで生きていくことのみ。そなたがどんな道を選ぼうと、この時の中で生きていくのみの我々が何も言う筋合いはあるまい」
「ありがとうございます」
「それにしても。何故にそなたたった一人に、そんな役を天は負わせるのであろうな」
「さて」
ナギは口元を上げた。
「それもまた、世界の面白きということ」
「なるほどな」
はっはっは、と声を立てて、族長は笑った。
しかしその声も既に、ユカリの耳には遠かった。杯は置いていたが、既に回った酒のせいで、ひどい眠気が迫っていた―――
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
汚部屋女神に無茶振りされたアラサー清掃員、チートな浄化スキルで魔境ダンジョンを快適ソロライフ聖域に変えます!
虹湖🌈
ファンタジー
女神様、さては…汚部屋の住人ですね? もう足の踏み場がありませーん><
面倒な人間関係はゼロ! 掃除で稼いで推し活に生きる! そんな快適ソロライフを夢見るオタク清掃員が、ダメ女神に振り回されながらも、世界一汚いダンジョンを自分だけの楽園に作り変えていく、異世界お掃除ファンタジー。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
現代にダンジョンが現れたので、異世界人とパーティ組んでみた
立風館幻夢/夜野一海
ファンタジー
世界を研究する「普通」の女子大学院生、「猪飼瑠璃(いかいるり)」、彼女は異世界人と友達になることを夢見て、日々研究に勤しんでいた。
ある日、いつものように大学院に向かっている最中、大地震に巻き込まれる。
……揺れが収まり、辺りを見ると、得体のしれないモンスターと猫獣人が現れた!?
あたふたしているうちに、瑠璃はダンジョンの中へと迷い込んでしまう。
その中で、エルフの少女、吸血鬼の少女、サキュバスの女性、ドワーフの男性と出会い、彼らとパーティを組むことになり……。
※男性キャラも数人登場しますが、主人公及びヒロインに恋愛感情はありません。
※小説家になろう、カクヨムでも更新中
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
ファンタジー
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる