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第21話 合わせた視線が離せない。

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「別にそんな」
「そういう意味で女の子好きって訳じゃないって安心した?」
「いや、別に」
「確かに女の子が特別って訳じゃないよ」
「うん」

 何となく相手が前ノリになってきているような気がする。FAVはさりげなく後ずさりする。

「要は女の子だ男だじゃなくて、誰が特別かってことなんだから」
「確かにそうだけど」
「だからFAVさんは特別なのよ」

 FAVはぴくりと身体を震わせる。

「……特別って…… TEARあんた酔ってる―――」
「酔ってません」

 きっぱりとTEARは言う。認めざるを得ない。目が全くの素面だ。確かめるために合わせた視線が離せない。どうしよう。

「酔うと決めた日はほんの少しでも酔えるし、酔わないと決めた日は全く酔わないの」
「何よそりゃ」

 そして今度は明らかに近づく。FAVはまた後ずさる。TEARは手に持っていた缶をテーブルに置く。

「酔ってちゃあんたは本気にしてくれない」
「酔ってなくたって本気にできるかってゆーの!」
「本気だったらどうするの? 逃げる?」

 FAVは混乱していた。
 背中より少し後ろに置いていた手が壁に当たる感触がする。行き止まりだ。
 体育座りのような恰好のまま、FAVはやがて背中を壁にぴったりとつけていた。

「あ、あの二人が好きだって言ってたじゃない」
「次元が違うでしょう」

 ああそうよね。そんなことFAVだって判っている。だけどここで何か言わないと、自分は逃げられないまま何が起こるか判らない。
 いや、そうではない。自分は判っている。
 それでいて逃げられないのだ。この女のまっすぐすぎる視線に捕らえられている。何故なのか、FAVには判らなかった。これまでこんなことはなかった。
 いや、まだ「めいこちゃん」だった頃なら、イキにもしそうされたら、自分はやっぱり逃げられなかったかもしれない。
 いやそれとも違う。だって、自分は彼にはあっさり身体を開いたではないの。ではどうして。

「HISAKAとMAVOはそういう関係あるよ」
「そんな気はしていたけど」
「でもあれは恋愛じゃあないよ」
「何それ」

 せめて喋っていれば時間が稼げる。

「ひどく辛そうな契約関係」
「契約?」
「いや違うな」

 TEARは首を横に振る。

「好きは好きなんだ、あの二人。好き同士なんだ。だけど全然二人ともそれを信じてない」
「何でよ」
「知らない。あたしはあいつらじゃない」

 さらにTEARは近づく。FAVは体育座りの軽く曲げた足を伸ばす。TEARはその横に次第に近づく。

「結構見てると辛いもんがあるよ」
「だったらどうして言わないのよ」
「言って判るもんと判らんものがあるでしょうに」
「そりゃそうだけど」
「現にあんたは全然判ってない」
「だから言われたからってどうしてそれをすぐに信じられるってゆーの!」
「だからあの連中だってそうなんだってば」

 そう言われればそうかもしれない。

「でもだからあたしは余計にあの二人も愛しいのかもしれないけど」
「あんた変だ」
「変だと思うよ」
「それでいいの?」
「あたしはそれで幸せだからいーの」
「HISAKAとMAVOは幸せなの?」
「今のままじゃどっかで破綻するね」
「だけど言えないの?」
「言っても判らない相手には行動で示すしかないでしょ」

 TEARは片手をFAVの身体の向こう側に置く。
 本当に逃れられないのをFAVは感じる。
 体温まで伝わってくる。視線が外せない。いけない。何か言わなくちゃ。そうでなくても絡めとられそうなのに――― 少しでも―――

「あんたは」

 ようやくそれだけ言葉を絞り出す。

「ん?」
「あたしのこと好きだって言うの?」
「前々から言ってたでしょ?」
「言ってたわよ、でも」

 そんな軽口が本気に取れる訳ない。だいたいそれでも自分とは無縁な事柄だと思っていたから。
 そのつもりでいたから、認めたくなかった。

「本気ですってば。ずっと」
「ずっと? どーせフラットの頃からでしょ」
「いえいえ」

 にっ、とTEARは笑った。

「横浜駅、十年前」
「え」
「話の続きをしようか。横浜駅で赤い靴をはいていた子のこと」 

 え? 

 FAVはいきなり出された話題になかなか頭が追いつかない自分に困惑する。
 だがTEARは続ける。彼女が判っていようが判ってなかろうか、関係ないとばかりに。

「あの子はあの後、母親に連れられて母親の再婚相手に会いに言ったんだ」
「TEAR?」
「再婚相手はいい人だった。その時母親に思いっきり飾られた女の子を一目で気にいってしまった。で、その子をその時のイメージ通り『可愛い女の子』の型にはめようって人だった。だけど女の子はその頃から実にすくすくと成長してしまって、彼の思惑とは違う方へ行ったんよ」

 まさか。

「何でだと思う?」
「何でって」
「頭の中であれからずっと声が鳴り響いてたからさ。特別響く訳ではもいい声でもないけど、『印象的な』『七色の』声でいつも『思った通りに行きな』」
「あ」

 そうだ。

 FAVは思い出した。

 あの時自分はそう言ったんだ。

 人生が変わった言葉、とかいうのは、意外と言った本人は忘れている。
 何故ならそれはその本人にとっては当たり前の真理だから。
 わざわざいつ誰に言ったか、なんて思い出さなくてはならないような借り物の言葉ではなく、自分の中にいつも無意識のうちに繰り返される言葉だから。

 ―――でもそれじゃ。

 FAVは血の気が引くのを覚える。

「あんたが、あの時の」
「……」

 TEARは答えなかった。ただにっと笑っただけだった。

 こいつはあたしのあの頃の姿を知っている。

 FAVは当時の自分の姿は思い出したくもなかった。
 だからアルバムの写真は捨ててしまったし、中学の卒業アルバムは自分の所を切り抜いてあるくらいだ。
 それこそ中学の友人なぞ、自分を今見ても絶対に判らないだろう。なのに。

「横浜のライヴハウスで初めてフラットを拝んだ時、なんでこの声がするんだって思った」
「あたしは歌ってなかったじゃない」
「叫んでただろ」
「それだけで」
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