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第14話 中身が詰まっている総コットンのワンピース
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泊まっているその「別荘」は、わりあい海よりにあった。
フェスティバルの喧噪からは少し離れて。
街中や、住宅地に住んでいると、つい忘れてしまう、空の持つ光はここでは思う存分その手を広げていた。
だがいくらそんな所でも、夜の一人歩きというのは危険である。
それなのにハルときたら、のんびりと海ぞいを歩いている。
まあ彼女の高い身長や、さほど起伏のある訳でもない身体つきは、夜に紛れて彼女が女だということを隠してしまうのだが。長い髪がわずかに主張しているようにも思えるが、今日あたりは、音楽人間が多いので、その限りではない。
夜に見る海というのは、確かに吸い込まれそうだなとハルは思う。別に何かしら思う所があってもなくとも、海の絶え間なく続くその音のうずの中に引き込まれそうな気がしてくるのだ。それは雨の音を聴くときにも似ている。
意図した訳でもないのに、延々と続く音。
それは一定のビートを持っていて、しかも悪いものではない。速すぎず遅すぎず、ただひたすら続いている。
澄んだものでは決してないのに、ノイズでもない。これがもう少しざわつきを増せばただの騒音だし、さらさらと通る音だったら、逆に耳ざわりである。
意味のない繰り返しは、意味もなく時々ヴォリュームを増して、気付かぬうちにその音の中に聴く人を吸い込んでいく。
それはあくまで下で気付かぬ程度に鳴っているものである。
それに近いものをハルは思いだした。弾けなくなったショパンの曲の低音部。メロディを奏でる高音の下で、わさわさと細かい音を走らせている。ゆったりとしたメロディの下で、密かに革命を企んでいるような。
……
何だろう? ハルは片手を頬に当てる。「何か」出てきそうだったのに。
ピアノを放棄してから、こういう感覚が時々やってくる。
それは記憶にない衝動だった。だから、彼女にも「何に」似た衝動なのか、自分自身にさえ説明がつかない。
自分に説明ができないくらいだから、マリコさんに言って「それらしい」ヒントをもらうことなど不可能である。彼女は感覚的な表現という奴はハル以上に苦手な人だったから。
かと言って、ユーキだの、他の者に相談しようという気はそれ以上になかった。正確に言えば、しようと思ったことすらなかったのである。
ざわ、と風が吹いた。長い髪がまき上がって顔全体に絡み付く。煩わしい、とジーンズのポケットからコットンのヘアバンドを出すとざっと一つにまとめる。
と。風を避けてそれまで進んでいた方向にやや背を向けた恰好になったときに、ふと視界に奇妙なものが入ってくるのを感じた。
白いかたまりが、目立たないように岩蔭にちんまりとまとまっている。月の光がちょうどそこだけに集中しているようにも見えた。
何だろう。そう思った時、もう足はその方へと進んでいた。
白っぽいさらさらした砂から、やや重い黒っぽい砂地へと。そしてそのかたまりがはっきりしてくる。
は?
ハルは一瞬混乱した。
昼間、明るい太陽の下なら、それをここで見てもおかしくはない。だが、その時その「白っぽいもの」はもっとひらひらとしているはず。
少なくとも、夜の海辺で、人目につかないように丸まっているものではない、と思う。総コットンのワンピース。フリルとリボンの満載の。そしてそれはどうやらからっぽではないらしい。中身が詰まっているようだ。
どうしたものだろう。
さすがにハルも迷う。
まさか死んでるんじゃないでしょうね。
そこで、とりあえずびっくりしている自分はさておいて、理性をフル動員させる。とにかく、こんな服着ている子がここで丸まっていること自体おかしい。
だいたいいくら初夏だと言っても、夜に、こんな濡れてもおかしくないところで眠っていたら……
眠っているなら、とりあえず起こすしかないのではなかろうか。
つついてみる。まとわりつくワンピースの中の女の子の身体は弾力があって、ハルの指を軽くはじき返す。固くはない。生命のある感触という奴だ。
死体はあの時、さんざん見てきた。それとは全然違う。としたら、とりあえず起こして…… つついていた指を手の平にかえて、優しく背を叩く。
「ん」
声がする。だが起きる気配はない。手に触れる身体は、生きているとはいえ、冷たい。
どうしよう。このまま置いていくのは。とりあえず近いから、「別荘」まで連れていく?
だが誰かの手を借りようと思っても、まわりには誰もいない。いくら自分がわりあい力があると言っても、果たして気を失っている女の子を抱えて行けるだろうか?
以前、授業中に気分の悪くなったクラスメートを保健室まで運んだことがある。かなり苦労した記憶がある。その時は、相手に意識があったに関わらず、だ。
どうしよう。
かと言って、このまま待っていたところでどうにもならない。だが、マリコさんやユーキを待ちかまえるために、もう一度この子を置いていくということも、したくない。
……仕方ない。
よっこいしょ、とかけ声をかけて、とりあえず肩を貸す恰好にする。それでも深い眠りについているのか、一向に女の子は気がつく気配がない。脱力した身体は、ひどく重い。ハルはその白いかたまりをずるずるとひきずっていく恰好になる。
きっと明日は、腕や肩が痛くなるだろーな。奇妙に落ち着いてそんなことを考える自分をおかしく思う。
フェスティバルの喧噪からは少し離れて。
街中や、住宅地に住んでいると、つい忘れてしまう、空の持つ光はここでは思う存分その手を広げていた。
だがいくらそんな所でも、夜の一人歩きというのは危険である。
それなのにハルときたら、のんびりと海ぞいを歩いている。
まあ彼女の高い身長や、さほど起伏のある訳でもない身体つきは、夜に紛れて彼女が女だということを隠してしまうのだが。長い髪がわずかに主張しているようにも思えるが、今日あたりは、音楽人間が多いので、その限りではない。
夜に見る海というのは、確かに吸い込まれそうだなとハルは思う。別に何かしら思う所があってもなくとも、海の絶え間なく続くその音のうずの中に引き込まれそうな気がしてくるのだ。それは雨の音を聴くときにも似ている。
意図した訳でもないのに、延々と続く音。
それは一定のビートを持っていて、しかも悪いものではない。速すぎず遅すぎず、ただひたすら続いている。
澄んだものでは決してないのに、ノイズでもない。これがもう少しざわつきを増せばただの騒音だし、さらさらと通る音だったら、逆に耳ざわりである。
意味のない繰り返しは、意味もなく時々ヴォリュームを増して、気付かぬうちにその音の中に聴く人を吸い込んでいく。
それはあくまで下で気付かぬ程度に鳴っているものである。
それに近いものをハルは思いだした。弾けなくなったショパンの曲の低音部。メロディを奏でる高音の下で、わさわさと細かい音を走らせている。ゆったりとしたメロディの下で、密かに革命を企んでいるような。
……
何だろう? ハルは片手を頬に当てる。「何か」出てきそうだったのに。
ピアノを放棄してから、こういう感覚が時々やってくる。
それは記憶にない衝動だった。だから、彼女にも「何に」似た衝動なのか、自分自身にさえ説明がつかない。
自分に説明ができないくらいだから、マリコさんに言って「それらしい」ヒントをもらうことなど不可能である。彼女は感覚的な表現という奴はハル以上に苦手な人だったから。
かと言って、ユーキだの、他の者に相談しようという気はそれ以上になかった。正確に言えば、しようと思ったことすらなかったのである。
ざわ、と風が吹いた。長い髪がまき上がって顔全体に絡み付く。煩わしい、とジーンズのポケットからコットンのヘアバンドを出すとざっと一つにまとめる。
と。風を避けてそれまで進んでいた方向にやや背を向けた恰好になったときに、ふと視界に奇妙なものが入ってくるのを感じた。
白いかたまりが、目立たないように岩蔭にちんまりとまとまっている。月の光がちょうどそこだけに集中しているようにも見えた。
何だろう。そう思った時、もう足はその方へと進んでいた。
白っぽいさらさらした砂から、やや重い黒っぽい砂地へと。そしてそのかたまりがはっきりしてくる。
は?
ハルは一瞬混乱した。
昼間、明るい太陽の下なら、それをここで見てもおかしくはない。だが、その時その「白っぽいもの」はもっとひらひらとしているはず。
少なくとも、夜の海辺で、人目につかないように丸まっているものではない、と思う。総コットンのワンピース。フリルとリボンの満載の。そしてそれはどうやらからっぽではないらしい。中身が詰まっているようだ。
どうしたものだろう。
さすがにハルも迷う。
まさか死んでるんじゃないでしょうね。
そこで、とりあえずびっくりしている自分はさておいて、理性をフル動員させる。とにかく、こんな服着ている子がここで丸まっていること自体おかしい。
だいたいいくら初夏だと言っても、夜に、こんな濡れてもおかしくないところで眠っていたら……
眠っているなら、とりあえず起こすしかないのではなかろうか。
つついてみる。まとわりつくワンピースの中の女の子の身体は弾力があって、ハルの指を軽くはじき返す。固くはない。生命のある感触という奴だ。
死体はあの時、さんざん見てきた。それとは全然違う。としたら、とりあえず起こして…… つついていた指を手の平にかえて、優しく背を叩く。
「ん」
声がする。だが起きる気配はない。手に触れる身体は、生きているとはいえ、冷たい。
どうしよう。このまま置いていくのは。とりあえず近いから、「別荘」まで連れていく?
だが誰かの手を借りようと思っても、まわりには誰もいない。いくら自分がわりあい力があると言っても、果たして気を失っている女の子を抱えて行けるだろうか?
以前、授業中に気分の悪くなったクラスメートを保健室まで運んだことがある。かなり苦労した記憶がある。その時は、相手に意識があったに関わらず、だ。
どうしよう。
かと言って、このまま待っていたところでどうにもならない。だが、マリコさんやユーキを待ちかまえるために、もう一度この子を置いていくということも、したくない。
……仕方ない。
よっこいしょ、とかけ声をかけて、とりあえず肩を貸す恰好にする。それでも深い眠りについているのか、一向に女の子は気がつく気配がない。脱力した身体は、ひどく重い。ハルはその白いかたまりをずるずるとひきずっていく恰好になる。
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