15 / 26
第15話 夏休み、向こう側の都市、ギョーザ屋
しおりを挟む
確かにニケが居た。
エントランスの高い天井を見上げて、ワタシは一瞬くらりと眩暈がする。
言われた通りの赤いラインのバス、言われた通りの道順で、ワタシは夏休みのある日、そこに来て居た。
近くには医大。この街には結構大学が多い。
数年前に改築された駅はまだ小綺麗だった。そこからやや混み合った道をバスに乗った。途中で、電話で聞いた繁華街を抜けていく。坂を上り下りして、もう夕暮れも近い時間、逆光でずいぶんと古めかしい建物が見えた。
大きいが、軽いバッグを一つしか持っていないのに、妙に足が重い。
バス停の近くから、彼の携帯に掛けると、このエントランスまでの道を説明された。そして少し待っていてくれ、と言われた。作業をきりにするからと。
ワタシはニケにほど近いあたりの壁にもたれて、辺りをぐるりと見渡した。そこには幾つかの出入り口があり、その何処から彼が出てくるのかはワタシには予想がつかなかった。
とりあえず大きく息をつく。とにかくここまで来てしまったのだ。
十分くらい待っただろうか。明るいオレンジ色の髪が揺れるのが見えた。
タンクトップに大きめのシャツを羽織って、下ときたら、ジーンズを半分に裂いたような五分丈のズボンもどきになっている。それでもってサンダル。一体ここは何処だ、と一瞬ワタシは疑った。
だがナオキ先輩は、やはりナオキ先輩だった。
「お久しぶりヤナセ。あれ、何か、痩せた?」
「別に痩せてませんよ」
「ふうん? 気のせい?」
「気のせいですってば」
まあいいさ、と彼は幾つもシミのついた手で、短いワタシの髪をかき回した。
何するんですか、と言っても、なかなかそれは止まない。そしてようやく手を伸ばすと、彼はそれを止めた。
「どうせかき回しても大して変わらないだろうに」
「そういう問題じゃあないですよ。何かずいぶん凄いことなってますね。何やってんですか? 今」
ワタシは取った手を見ながら訊ねる。
「ん? 授業ではまだ大したことやってないよ。平面構成の課題が結構たくさん出たけどさ。これは写真に今はまってるから」
「写真?」
「同じ科の先輩が一式いきなりくれたんだよ。一眼レフのカメラから、現像の道具まで」
「それは太っ腹ですね」
「や、結構そういう奴居るよ。この学校にも。ところでヤナセ、腹減ってない?」
え、とワタシは問い返す。
そういえば、減っていた。時計はもう六時近かったし、ワタシは途中の駅の連絡待ちの時にファーストフードの店に飛び込んだきりだ。
「減ってる」
「じゃメシ食わない? 近くのギョーザ屋が安いのよ」
先輩がずんずんと先に立って連れて行ってくれたのは、入った途端、ぐるりと大きなカウンターだけがある店だった。
正方形のカウンターの真ん中が厨房になっていて、そこに数人の調理人が居て、ぐるりと座る客に次々とギョーザを焼いて出している。
そういう作りだし、どうも辺りにべたべたと貼られたメニューは、ギョーザとごはん、その程度しかないらしい。
焼きギョーザと水ギョーザとかそういう製法の違いや、中に入れる具の違いはあっても、ものそのものは皆ギョーザだった。
先輩は空いてるとこにさっさと座ると、ワタシを手招きする。そして近くのセルフサービスの水をざっと汲むと、ワタシの前に置いた。
「ホワイトギョーザ定食を二人前ね」
カウンターの中で返事の声が飛び交う。
油を引いて熱した鍋に水が入る時のじゃっ、という音。水蒸気。特有の匂い。客の立った後の、コップを片づける音。
次第に学生達がやってくる。ぐるりと大きなカウンターは、だんだん人で埋められていく。確かに夕食時だったのだ。
「ここのギョーザ、美味いんだ」
「先輩のおすすめ?」
「そ」
そう言うと彼は、水に口をつける。クーラーは店内にきいていない。開け放した窓と、扇風機だけだ。黙っていても、じっとりと汗が吹き出してくる。
「けど先輩、普通の女の子をいきなり連れてくるとこじゃないですよ」
「あれお前、普通の女の子だっけ」
ワタシは何も言わずに、眉だけ上げてみせる。
「ま、いいけどさ。あーそうそう。家には何って言ってきたの?」
「別に。―――市に行くって言ったら、泊まるとこくらいは教えてって言うから、先輩の名を出したら、ふうん判った何かあったらここに連絡すればいいのね、とそれだけ」
「俺の名前出したの?」
「名字だけですけどね」
そうこう言っているうちに、目の前にとん、とごはんとみそ汁が置かれた。どちらかというとワタシの方が手が届く位置にあったから、彼の分も取ってやる。
「お前ずいぶん信用されてんのね」
「別にそういう訳じゃないですよ。うちの常識はちょっとずれてんです」
「―――ああ」
彼はうなづいた。一応このひとは、ワタシの母親の職業を知っている。別に言ったことはないが、知っていた。だがそれでどうだということはない。
やがて、とん、とカウンターの一段高いところにギョーザの皿が置かれた。
「あ、可愛い」
やや普通のギョーザより丸っこい、という印象があった。できたてで、ひどく熱いので、ふうふうと冷ましながら口に入れると、思わず美味し、と声が出た。
「だろ?」
「うん。初めて」
「奴もそう言ったよ」
口に一つを放り込みながら、彼は名前を出さない人の事を口にした。
「よく来るんですか? イクノ先輩と」
「よく、じゃないな。向こうは向こうで、授業やサークルや…… 彼女やら忙しいし。俺は俺で、課題に追われてる状況だし。あれはなー、いい時はちゃっちゃと行くけど、いざいい構図とか浮かばない時には、地獄を見るぞ」
ワタシは肩をすくめる。皿の上のギョーザは半分無くなっていた。ごはんと交互に食べながらでも。
「忙しすぎたなら、ワタシ来てはまずかったですかね」
「お前はいいの」
「いいんですか」
「俺もお前には会いたかったし。電話は遠いし」
「ふうん。ワタシも先輩にすごく会いたかったんですよ」
「だろうな」
「ええ」
そう、嘘ではない。
エントランスの高い天井を見上げて、ワタシは一瞬くらりと眩暈がする。
言われた通りの赤いラインのバス、言われた通りの道順で、ワタシは夏休みのある日、そこに来て居た。
近くには医大。この街には結構大学が多い。
数年前に改築された駅はまだ小綺麗だった。そこからやや混み合った道をバスに乗った。途中で、電話で聞いた繁華街を抜けていく。坂を上り下りして、もう夕暮れも近い時間、逆光でずいぶんと古めかしい建物が見えた。
大きいが、軽いバッグを一つしか持っていないのに、妙に足が重い。
バス停の近くから、彼の携帯に掛けると、このエントランスまでの道を説明された。そして少し待っていてくれ、と言われた。作業をきりにするからと。
ワタシはニケにほど近いあたりの壁にもたれて、辺りをぐるりと見渡した。そこには幾つかの出入り口があり、その何処から彼が出てくるのかはワタシには予想がつかなかった。
とりあえず大きく息をつく。とにかくここまで来てしまったのだ。
十分くらい待っただろうか。明るいオレンジ色の髪が揺れるのが見えた。
タンクトップに大きめのシャツを羽織って、下ときたら、ジーンズを半分に裂いたような五分丈のズボンもどきになっている。それでもってサンダル。一体ここは何処だ、と一瞬ワタシは疑った。
だがナオキ先輩は、やはりナオキ先輩だった。
「お久しぶりヤナセ。あれ、何か、痩せた?」
「別に痩せてませんよ」
「ふうん? 気のせい?」
「気のせいですってば」
まあいいさ、と彼は幾つもシミのついた手で、短いワタシの髪をかき回した。
何するんですか、と言っても、なかなかそれは止まない。そしてようやく手を伸ばすと、彼はそれを止めた。
「どうせかき回しても大して変わらないだろうに」
「そういう問題じゃあないですよ。何かずいぶん凄いことなってますね。何やってんですか? 今」
ワタシは取った手を見ながら訊ねる。
「ん? 授業ではまだ大したことやってないよ。平面構成の課題が結構たくさん出たけどさ。これは写真に今はまってるから」
「写真?」
「同じ科の先輩が一式いきなりくれたんだよ。一眼レフのカメラから、現像の道具まで」
「それは太っ腹ですね」
「や、結構そういう奴居るよ。この学校にも。ところでヤナセ、腹減ってない?」
え、とワタシは問い返す。
そういえば、減っていた。時計はもう六時近かったし、ワタシは途中の駅の連絡待ちの時にファーストフードの店に飛び込んだきりだ。
「減ってる」
「じゃメシ食わない? 近くのギョーザ屋が安いのよ」
先輩がずんずんと先に立って連れて行ってくれたのは、入った途端、ぐるりと大きなカウンターだけがある店だった。
正方形のカウンターの真ん中が厨房になっていて、そこに数人の調理人が居て、ぐるりと座る客に次々とギョーザを焼いて出している。
そういう作りだし、どうも辺りにべたべたと貼られたメニューは、ギョーザとごはん、その程度しかないらしい。
焼きギョーザと水ギョーザとかそういう製法の違いや、中に入れる具の違いはあっても、ものそのものは皆ギョーザだった。
先輩は空いてるとこにさっさと座ると、ワタシを手招きする。そして近くのセルフサービスの水をざっと汲むと、ワタシの前に置いた。
「ホワイトギョーザ定食を二人前ね」
カウンターの中で返事の声が飛び交う。
油を引いて熱した鍋に水が入る時のじゃっ、という音。水蒸気。特有の匂い。客の立った後の、コップを片づける音。
次第に学生達がやってくる。ぐるりと大きなカウンターは、だんだん人で埋められていく。確かに夕食時だったのだ。
「ここのギョーザ、美味いんだ」
「先輩のおすすめ?」
「そ」
そう言うと彼は、水に口をつける。クーラーは店内にきいていない。開け放した窓と、扇風機だけだ。黙っていても、じっとりと汗が吹き出してくる。
「けど先輩、普通の女の子をいきなり連れてくるとこじゃないですよ」
「あれお前、普通の女の子だっけ」
ワタシは何も言わずに、眉だけ上げてみせる。
「ま、いいけどさ。あーそうそう。家には何って言ってきたの?」
「別に。―――市に行くって言ったら、泊まるとこくらいは教えてって言うから、先輩の名を出したら、ふうん判った何かあったらここに連絡すればいいのね、とそれだけ」
「俺の名前出したの?」
「名字だけですけどね」
そうこう言っているうちに、目の前にとん、とごはんとみそ汁が置かれた。どちらかというとワタシの方が手が届く位置にあったから、彼の分も取ってやる。
「お前ずいぶん信用されてんのね」
「別にそういう訳じゃないですよ。うちの常識はちょっとずれてんです」
「―――ああ」
彼はうなづいた。一応このひとは、ワタシの母親の職業を知っている。別に言ったことはないが、知っていた。だがそれでどうだということはない。
やがて、とん、とカウンターの一段高いところにギョーザの皿が置かれた。
「あ、可愛い」
やや普通のギョーザより丸っこい、という印象があった。できたてで、ひどく熱いので、ふうふうと冷ましながら口に入れると、思わず美味し、と声が出た。
「だろ?」
「うん。初めて」
「奴もそう言ったよ」
口に一つを放り込みながら、彼は名前を出さない人の事を口にした。
「よく来るんですか? イクノ先輩と」
「よく、じゃないな。向こうは向こうで、授業やサークルや…… 彼女やら忙しいし。俺は俺で、課題に追われてる状況だし。あれはなー、いい時はちゃっちゃと行くけど、いざいい構図とか浮かばない時には、地獄を見るぞ」
ワタシは肩をすくめる。皿の上のギョーザは半分無くなっていた。ごはんと交互に食べながらでも。
「忙しすぎたなら、ワタシ来てはまずかったですかね」
「お前はいいの」
「いいんですか」
「俺もお前には会いたかったし。電話は遠いし」
「ふうん。ワタシも先輩にすごく会いたかったんですよ」
「だろうな」
「ええ」
そう、嘘ではない。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。
たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる