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建国 編【L.A 2064】
なぞのこどものねらい
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「死ねないことで苦しむことも、まぁ分かる。だけど生きてたおかげで、君は死ななくて済んだし、買われることも無くなった」
二人の間を割って、アオイの黒衣が互いの姿を隠す。震えたまま顔を上げる少女は、今にも泣き出しそうなのに絶対にそうしまいと歯を食いしばっている。
「君のはただの八つ当たりだよ」
彼女は後ずさった。娼館での惨劇を見ていない彼女は、アオイの異様な風貌に恐れを抱く。
「な、なに……あなた……」
「彼女は彼女なりに生きようとしたんだ、何もしなければ買い手がつくか、その商人に殺されただろうね。何もできなかったのは言い訳にならないよ、何もしようとしなかった。彼女は勇気を出して、一人でも生かそうとしていた。あの中で帳簿をちゃんと持ってきてくれたもの」
ハッと少女は腹を覆い隠すように腕で押さえていた。トーマやドレアスも、そこまで気付いてはおらずあの中でよくそんな行動を取れたものだと驚く。少女はゆっくり近付くアオイから目を背けることができないまま、ただ震え続けていた。
「ありがとう、助けられるよう手は尽くすよ」
強張っていた肩からみるみるうちに力が抜けていく。アオイへの恐れが涙と共に削げ落ちていくように、少女はぼろぼろと大粒の涙を溢した。
「マーは……死にたいと思ってるヒトは、助けられなかったのです。死にたがってるヒトを生かして、苦しめたのです……! みんなに、嫌われてるからじゃありません、助けてもらう価値なんてっ、……ないのです!」
「その価値ってなに?人を苦しめたかどうかでその価値が決まるなら……ここにはその価値に見合わない人の方が多くいる、俺も含めてね。君がその価値を基準にするなら、君は良い方にいる。助けるために頑張ったんだもの」
救出された女性の中には、目に生気を宿していない者もいた。ゆえに、アオイに恐れを抱くどころかその目に何も映っていないのか、まるで人形のように呆然としたまま。それを生きていると言えるのか、生かされていると言うべきか。
価値に見合わない者、という言葉にトーマは奥歯をぐっと噛んでいた。
「がん……ばった……?」
「そう、君は頑張ったんだよ」
「マーは……マーは、自分のために、してきて……っ」
ちがう、と言いたげな少女はアオイの言葉を否定するように首を横に振る。自分が悪い、と自らを戒めながら。
「君が頑張ってくれたその結果が、馬車の中にいた彼女たちと今から助けることができるかもしれない帳簿の子たちだ」
「うっ、うぅっ」
やさしく撫でられる手は、少女の知らないものだった。あの惨劇を引き起こした、躊躇いなく他者の命を奪おうとする手は本当なら恐れるもののはずなのに。服の脇から血が染みこんだ帳簿を取り出し、アオイへと手渡す。表情も分からない、言葉もないけれど、少女はなんとなく目の前の男は彼女たちを助けてくれるだろうと信じられた。その方法の残酷さを、分かっているのに。
「オレも行く……っ」
展開された移動魔術にジェイソンが飛び込もうと走り出す。アオイは振り返ることもなく、その場から消えてしまった。たった一人で。
「あいつが一番やべーやつだったか……」
ドレアスはすべてを諦めたようにはぁ、と息をつく。ベネットに頼んでアオイを探すこともできるだろうが、帳簿の中身を知らない自分たちではどこにいるのか見当もつかない。どうしようもないのだ。止めることも、説得することもできない。
「情報収集をデントロータスにお願いしましょう」
その手があったか、と名案と言わんばかりに頷く。
「ヒトノ多イ土地ホド、眠ッテオル同胞ノ方ガ多イ」
「ひえっ!?」
横に生えていたはずの木がいつの間にか後ろにいれば確かに驚いてひっくり返るくらいはするか、としりもちをついたまま立ち上がれない少女にドレアスは手を貸したつもりだったが、キッと睨まれて顔を背けられる。想像もしなかった反応にドレアスはしばらく固まった。
「くそっ……」
「一応聞いておくが、何があったんだい」
苛立ちを隠すこともせず、悪態づくトーマにサイロンは問いかける。
「あいつは……アオイは、私たちより簡単にヒトを殺せます。それに対して、罪悪感もなく……正しいことだと思っている」
「……ベネット様には悟られないように」
「分かっていますよ」
さっきの娼館ではおそらく死者は出ていなかった。けれどそれはトーマがなんとか留めたからこそであって、たった一人で向かったアオイを止めるものはいない。きっとジェイソンも、感付いてはいるのだろう。だから一緒に行こうとしていた。それは叶わなかったけれど。
全員が服を着替え終えたあたりで空間の歪みに気付いたものが声を上げた。その歪みはどんどん広がり、その奥には別の場所の光景が切り取られたように映し出される。そこから女性たちが次々現れ、戸惑いながらあたりを見回す。やはり、魔族が多いようだが獣人やヒト族、トーマとジェイソンと同じエルフ族も混ざっていた。女性だけではなく少年や青年も少なくはない。
それが何度目かになったとき、ようやく最後にアオイが出てきた。真っ黒な外套は血が染み込んでいても目には見えないだろう。けれど長く戦いの中にいた者に分かる血のにおいは残っている。アオイには生き物の気配もなければにおいもなかった。それが、血のにおいだけを纏っているのはあまりに異様すぎてジェイソンすら言葉を失っている。
「……あいつ……おそらくだが、全部殺してきたぞ」
「まったく……」
言葉をかけたそうにしているベネットや獣人の少女に一瞥もくれず、アオイは城の中へ姿を消してしまった。
その頃、アラル国内では騒ぎが国中に広まりつつあり、それは国外にまで伝わり始めていた。
「アラルで貴族たちの大量殺害……だとぉ?」
真っ黒な外套に漆黒の髪は、黒く塗りつぶされた部屋に溶け込んでしまって、蝋燭の火で照らされる白い顔だけがやけに際立っていた。ジェロシアは机に頬杖をついたまま、視線だけを動かして部下の話に耳を傾ける。
「先日、アラル国内ではありますが、ほぼ同時刻に地域問わず発生した模様です。貴族たちの殺害、及び奴隷の強奪とのこと」
「集団での同時多発蜂起か……」
さして興味もなさそうに手元の魔術書に目を滑らせてその話は終わりにしようと部屋から追い出そうとしたが、部下の男は再び口を開く。
「いいえ……不可解なのは殺害されたのは貴族の当主が多く、その妻子や使用人たちは無傷。襲撃したのも一人です。被り物をしていたので人相や特徴などは不明ですが」
「……被り物ぉ?」
ようやく体を動かしたジェロシアの椅子が軋む。頬杖にしていた左手はぐっと震えながら握りしめられていた。
「まさかと思うのですが……例の魔導師……」
「黙ってろ!!」
「も、申し訳ありません……!」
男もまた、精鋭部隊の一員としてあの場にいたのだった。だからこそ、夜更けにも関わらずジェロシアにこの話を伝えにきたのだ。男は生唾を飲み込んで言葉を待った。しかし当の本人は顔を歪めて歯ぎしりをするばかり。
「そ、速達です!! ジェロシア様!!」
「あぁ!?」
部屋に飛び込んできた別の部下に殺気のこもった視線で睨みつけるが、部下もそれどころではないのだろう。ジェロシアもおそろしいが、彼もまたあの場にいて生きて帰った身としてはこの話を伝えなければならないのだ。
「読み上げます! アラル国内の貴族襲撃事件、それが起こる数刻前に奴隷商人の館が襲撃されており、奴隷たちを強奪したと……商人らは大怪我を負っていますがかろうじて生きているそうです」
「同一犯か」
「三人いたそうです、名前は……アオイと、トーマ……と、聞こえたと証言があり……」
派手に大げさな音を立てて椅子が床に倒れる。先に報告していた部下は開いた口が塞がらなかった。
「アオ……イィ……?」
開かれていた本のページがぐしゃりと引きちぎられていく。嫌な汗がこめかみから顎へ伝っていたのはジェロシアだけではない。
「会話の中でベネット、そして……ジェロシア様のお名前もあったと……」
「なァ……ッ!?」
ジェロシアの元へ行く算段でもつけている会話だとしたら、ここに彼らが来ていてもおかしくはない。だが事実、未だここに誰かが来た報告は上がっていなかった。ならどうして自分の名前が出たのだ。握った拳の手の平に、爪が食い込んで血が滲んでいることにもジェロシアは気付いていなかった。
「襲撃された貴族は奴隷をその商人から買い取った情報もあります。ですが、ここにアラルの奴隷はおりません。ミドラス国内にその商人から奴隷を買い取った貴族がいないか即刻調査して……」
「間に合うわけねぇだろ! あいつは移動魔術を使えんだぞ!」
叫んだ次の瞬間、鼓膜をつんざくような爆音と共に部屋中が窓硝子の嵐にのまれる。天井には大きな穴が開き、部屋の半分は完全に吹き飛ばされていた。
「て、敵襲……っ! ひっ、か、被り物……!?」
「馬鹿やろぉッ!! あの魔導師じゃねぇ!!」
ようやく目を開くと、手が届きそうな程まで近付かれていた。その全体像を見る前に、顔を隠したその面だけで部下は慌てふためく。しかし後ろから見ていたジェロシアは襲ってきた何者かの姿をしっかり見ていた。
「お前がジェロシアか」
「赤毛……まさかっ」
「ガキだろうが!! なに怯んでんだクソ雑魚!!」
襲撃者はたった一人の子供だったのだ。ほっそりした肢体と小さな体。被り物に見えてもそれは顔だけを覆っている仮面だけ。頭部全体を覆い、外套ですっぽり全身を隠していたあの魔導師とは似ても似つかない。まったくの別物。だが、纏う異様な気配はどことなく似ていた。
ただ、部下の一人はその『毛色』を見て驚いていたのだ。
「……アオイという名を、知っているか」
「知ってるさぁ……知ってるがなぁ……思い出したくもねぇんだよ!!」
振りかぶったジェロシアの手には武器などなかった。いや、それは武器と呼ぶべきなのか。ペンのように片手で収まるなにか、その先は鋭く尖り切っ先は赤毛の子供の腕に刺さる。
「ッ……?何かしたか」
避けることもしなかった子供はジェロシアに顔も向けず、片腕で弾き飛ばす。壁まで吹っ飛んだジェロシアを、残された部下二人は助けに駆け寄ることもできず目の前の子供の前から動けずに固まっていた。
「お前たちはそいつがどこにいるか知らないか」
「に、西の砂漠を……マーブロスに向かって……っ」
「何を言っている!! 貴様、恥をし……」
余計なことを、と部下の片方が責め立てた。しかし続く言葉も紡げないまま、ずるりと床に倒れ込む。いつの間にか後ろに回り込んでいた子供は、硝子の音も立てないまま近付いてきた。あ、あ、と同じ言葉しか言えなくなった口だけが動いて、体がいう事をきかない。
「ヒイイィィッ!! マーブロスに向かった! 砂漠のド真ん中に城がある! そこで、我々は応戦した!!」
「戦った……それで負けて、思い出したくないと」
そんな単純な理由ではない。あのときはあの面々が他者の命を奪う意志を持っていなかったから、自分たちが生きているのは奇跡でもなく当然のことだと思っていた。それなのに、あの魔導師は別の国で容赦ない殺戮を行ったのだ。それを踏まえれば、自分たちが命あるまま国へ送還されたのはやはり奇跡だったのだろう。
「き、貴様、あの盗賊の一味だろう? この屋敷の品々の多くは呪いをこめられている、持ち出さない方がいい」
男は、その髪色と服装、そして力の強さからこの子供の正体に予想がついていた。だからこそ不可解なのだ。なぜ盗賊であるはずの一員が魔導師のことをわざわざ聞きにきたのかと。実は、この子供は囮で建物内にその一味が盗みに入り込んでいるのではないか。
「盗みに来たんじゃない」
「た、ただ魔導師のことを聞きに……?」
予想が大きく外れたことで、この子供の意図が全く分からなくなってしまった。大体、どこから情報を耳にしたのか。盗賊の耳に入るほど、この話は大きくなってしまっているのか。
「あいつにこれ以上手を出すな、アラルの件がすべてあいつなら……お前たちが戦って死ななかったのは運がいい」
子供は音もなく立ち去る。来るときもそれくらい静かにしてほしかった。夢だったんじゃないかと思いたくても、硝子で切れた皮膚の痛みが現実を冷たく告げている。ようやく警備の兵士が部屋に辿り着き、やはりこの部屋以外に異常はなかったと知る。あの子供が単独で起こした襲撃なのだ。
別室に移動し、程なくしてジェロシアが呻きながら目を覚ます。
「ヒ……ヒヒ……」
「ジェロシア様!」
ゆっくり室内を見回し、ジェロシアは小さく笑う。いつも不気味だが、さらに不気味さが増して思わずたじろいでしまった。
「あいつに……あの赤毛に呪いを打ち込んでやったぁ。何が目的か知らねぇが……ヒヒッ、この屋敷の魔術すらくぐり抜けるやつだ、あいつもかなりの手練れだろうなぁ……」
そもそも外からとはいえこの建物に襲撃などそうそうできるはずはないのだ。あらゆる場所に仕掛けたジェロシアの呪術が発動し、襲撃者は建物内に入ることもかなわず命を落とすはず。魔導師のように呪術そのものを無効にするような術者でない限り辿り着けるわけがなかったのに。
だが、襲撃を受けてしまったことは事実。それを相殺するほどの杭を、ジェロシアは打ち込んでいたのだ。
「だから、ボクの人形になって……あいつを殺しに行け……っ!!」
ジェロシアとてあの赤毛と力を見て気付かなかったわけではない。あの子供が魔導師の……アオイの味方であろうが敵であろうが構わない。黒魔術が効かないなら、別の手を使うまで。
屋敷に響くジェロシアの高笑いに、部下たちは震えるばかりだった。
二人の間を割って、アオイの黒衣が互いの姿を隠す。震えたまま顔を上げる少女は、今にも泣き出しそうなのに絶対にそうしまいと歯を食いしばっている。
「君のはただの八つ当たりだよ」
彼女は後ずさった。娼館での惨劇を見ていない彼女は、アオイの異様な風貌に恐れを抱く。
「な、なに……あなた……」
「彼女は彼女なりに生きようとしたんだ、何もしなければ買い手がつくか、その商人に殺されただろうね。何もできなかったのは言い訳にならないよ、何もしようとしなかった。彼女は勇気を出して、一人でも生かそうとしていた。あの中で帳簿をちゃんと持ってきてくれたもの」
ハッと少女は腹を覆い隠すように腕で押さえていた。トーマやドレアスも、そこまで気付いてはおらずあの中でよくそんな行動を取れたものだと驚く。少女はゆっくり近付くアオイから目を背けることができないまま、ただ震え続けていた。
「ありがとう、助けられるよう手は尽くすよ」
強張っていた肩からみるみるうちに力が抜けていく。アオイへの恐れが涙と共に削げ落ちていくように、少女はぼろぼろと大粒の涙を溢した。
「マーは……死にたいと思ってるヒトは、助けられなかったのです。死にたがってるヒトを生かして、苦しめたのです……! みんなに、嫌われてるからじゃありません、助けてもらう価値なんてっ、……ないのです!」
「その価値ってなに?人を苦しめたかどうかでその価値が決まるなら……ここにはその価値に見合わない人の方が多くいる、俺も含めてね。君がその価値を基準にするなら、君は良い方にいる。助けるために頑張ったんだもの」
救出された女性の中には、目に生気を宿していない者もいた。ゆえに、アオイに恐れを抱くどころかその目に何も映っていないのか、まるで人形のように呆然としたまま。それを生きていると言えるのか、生かされていると言うべきか。
価値に見合わない者、という言葉にトーマは奥歯をぐっと噛んでいた。
「がん……ばった……?」
「そう、君は頑張ったんだよ」
「マーは……マーは、自分のために、してきて……っ」
ちがう、と言いたげな少女はアオイの言葉を否定するように首を横に振る。自分が悪い、と自らを戒めながら。
「君が頑張ってくれたその結果が、馬車の中にいた彼女たちと今から助けることができるかもしれない帳簿の子たちだ」
「うっ、うぅっ」
やさしく撫でられる手は、少女の知らないものだった。あの惨劇を引き起こした、躊躇いなく他者の命を奪おうとする手は本当なら恐れるもののはずなのに。服の脇から血が染みこんだ帳簿を取り出し、アオイへと手渡す。表情も分からない、言葉もないけれど、少女はなんとなく目の前の男は彼女たちを助けてくれるだろうと信じられた。その方法の残酷さを、分かっているのに。
「オレも行く……っ」
展開された移動魔術にジェイソンが飛び込もうと走り出す。アオイは振り返ることもなく、その場から消えてしまった。たった一人で。
「あいつが一番やべーやつだったか……」
ドレアスはすべてを諦めたようにはぁ、と息をつく。ベネットに頼んでアオイを探すこともできるだろうが、帳簿の中身を知らない自分たちではどこにいるのか見当もつかない。どうしようもないのだ。止めることも、説得することもできない。
「情報収集をデントロータスにお願いしましょう」
その手があったか、と名案と言わんばかりに頷く。
「ヒトノ多イ土地ホド、眠ッテオル同胞ノ方ガ多イ」
「ひえっ!?」
横に生えていたはずの木がいつの間にか後ろにいれば確かに驚いてひっくり返るくらいはするか、としりもちをついたまま立ち上がれない少女にドレアスは手を貸したつもりだったが、キッと睨まれて顔を背けられる。想像もしなかった反応にドレアスはしばらく固まった。
「くそっ……」
「一応聞いておくが、何があったんだい」
苛立ちを隠すこともせず、悪態づくトーマにサイロンは問いかける。
「あいつは……アオイは、私たちより簡単にヒトを殺せます。それに対して、罪悪感もなく……正しいことだと思っている」
「……ベネット様には悟られないように」
「分かっていますよ」
さっきの娼館ではおそらく死者は出ていなかった。けれどそれはトーマがなんとか留めたからこそであって、たった一人で向かったアオイを止めるものはいない。きっとジェイソンも、感付いてはいるのだろう。だから一緒に行こうとしていた。それは叶わなかったけれど。
全員が服を着替え終えたあたりで空間の歪みに気付いたものが声を上げた。その歪みはどんどん広がり、その奥には別の場所の光景が切り取られたように映し出される。そこから女性たちが次々現れ、戸惑いながらあたりを見回す。やはり、魔族が多いようだが獣人やヒト族、トーマとジェイソンと同じエルフ族も混ざっていた。女性だけではなく少年や青年も少なくはない。
それが何度目かになったとき、ようやく最後にアオイが出てきた。真っ黒な外套は血が染み込んでいても目には見えないだろう。けれど長く戦いの中にいた者に分かる血のにおいは残っている。アオイには生き物の気配もなければにおいもなかった。それが、血のにおいだけを纏っているのはあまりに異様すぎてジェイソンすら言葉を失っている。
「……あいつ……おそらくだが、全部殺してきたぞ」
「まったく……」
言葉をかけたそうにしているベネットや獣人の少女に一瞥もくれず、アオイは城の中へ姿を消してしまった。
その頃、アラル国内では騒ぎが国中に広まりつつあり、それは国外にまで伝わり始めていた。
「アラルで貴族たちの大量殺害……だとぉ?」
真っ黒な外套に漆黒の髪は、黒く塗りつぶされた部屋に溶け込んでしまって、蝋燭の火で照らされる白い顔だけがやけに際立っていた。ジェロシアは机に頬杖をついたまま、視線だけを動かして部下の話に耳を傾ける。
「先日、アラル国内ではありますが、ほぼ同時刻に地域問わず発生した模様です。貴族たちの殺害、及び奴隷の強奪とのこと」
「集団での同時多発蜂起か……」
さして興味もなさそうに手元の魔術書に目を滑らせてその話は終わりにしようと部屋から追い出そうとしたが、部下の男は再び口を開く。
「いいえ……不可解なのは殺害されたのは貴族の当主が多く、その妻子や使用人たちは無傷。襲撃したのも一人です。被り物をしていたので人相や特徴などは不明ですが」
「……被り物ぉ?」
ようやく体を動かしたジェロシアの椅子が軋む。頬杖にしていた左手はぐっと震えながら握りしめられていた。
「まさかと思うのですが……例の魔導師……」
「黙ってろ!!」
「も、申し訳ありません……!」
男もまた、精鋭部隊の一員としてあの場にいたのだった。だからこそ、夜更けにも関わらずジェロシアにこの話を伝えにきたのだ。男は生唾を飲み込んで言葉を待った。しかし当の本人は顔を歪めて歯ぎしりをするばかり。
「そ、速達です!! ジェロシア様!!」
「あぁ!?」
部屋に飛び込んできた別の部下に殺気のこもった視線で睨みつけるが、部下もそれどころではないのだろう。ジェロシアもおそろしいが、彼もまたあの場にいて生きて帰った身としてはこの話を伝えなければならないのだ。
「読み上げます! アラル国内の貴族襲撃事件、それが起こる数刻前に奴隷商人の館が襲撃されており、奴隷たちを強奪したと……商人らは大怪我を負っていますがかろうじて生きているそうです」
「同一犯か」
「三人いたそうです、名前は……アオイと、トーマ……と、聞こえたと証言があり……」
派手に大げさな音を立てて椅子が床に倒れる。先に報告していた部下は開いた口が塞がらなかった。
「アオ……イィ……?」
開かれていた本のページがぐしゃりと引きちぎられていく。嫌な汗がこめかみから顎へ伝っていたのはジェロシアだけではない。
「会話の中でベネット、そして……ジェロシア様のお名前もあったと……」
「なァ……ッ!?」
ジェロシアの元へ行く算段でもつけている会話だとしたら、ここに彼らが来ていてもおかしくはない。だが事実、未だここに誰かが来た報告は上がっていなかった。ならどうして自分の名前が出たのだ。握った拳の手の平に、爪が食い込んで血が滲んでいることにもジェロシアは気付いていなかった。
「襲撃された貴族は奴隷をその商人から買い取った情報もあります。ですが、ここにアラルの奴隷はおりません。ミドラス国内にその商人から奴隷を買い取った貴族がいないか即刻調査して……」
「間に合うわけねぇだろ! あいつは移動魔術を使えんだぞ!」
叫んだ次の瞬間、鼓膜をつんざくような爆音と共に部屋中が窓硝子の嵐にのまれる。天井には大きな穴が開き、部屋の半分は完全に吹き飛ばされていた。
「て、敵襲……っ! ひっ、か、被り物……!?」
「馬鹿やろぉッ!! あの魔導師じゃねぇ!!」
ようやく目を開くと、手が届きそうな程まで近付かれていた。その全体像を見る前に、顔を隠したその面だけで部下は慌てふためく。しかし後ろから見ていたジェロシアは襲ってきた何者かの姿をしっかり見ていた。
「お前がジェロシアか」
「赤毛……まさかっ」
「ガキだろうが!! なに怯んでんだクソ雑魚!!」
襲撃者はたった一人の子供だったのだ。ほっそりした肢体と小さな体。被り物に見えてもそれは顔だけを覆っている仮面だけ。頭部全体を覆い、外套ですっぽり全身を隠していたあの魔導師とは似ても似つかない。まったくの別物。だが、纏う異様な気配はどことなく似ていた。
ただ、部下の一人はその『毛色』を見て驚いていたのだ。
「……アオイという名を、知っているか」
「知ってるさぁ……知ってるがなぁ……思い出したくもねぇんだよ!!」
振りかぶったジェロシアの手には武器などなかった。いや、それは武器と呼ぶべきなのか。ペンのように片手で収まるなにか、その先は鋭く尖り切っ先は赤毛の子供の腕に刺さる。
「ッ……?何かしたか」
避けることもしなかった子供はジェロシアに顔も向けず、片腕で弾き飛ばす。壁まで吹っ飛んだジェロシアを、残された部下二人は助けに駆け寄ることもできず目の前の子供の前から動けずに固まっていた。
「お前たちはそいつがどこにいるか知らないか」
「に、西の砂漠を……マーブロスに向かって……っ」
「何を言っている!! 貴様、恥をし……」
余計なことを、と部下の片方が責め立てた。しかし続く言葉も紡げないまま、ずるりと床に倒れ込む。いつの間にか後ろに回り込んでいた子供は、硝子の音も立てないまま近付いてきた。あ、あ、と同じ言葉しか言えなくなった口だけが動いて、体がいう事をきかない。
「ヒイイィィッ!! マーブロスに向かった! 砂漠のド真ん中に城がある! そこで、我々は応戦した!!」
「戦った……それで負けて、思い出したくないと」
そんな単純な理由ではない。あのときはあの面々が他者の命を奪う意志を持っていなかったから、自分たちが生きているのは奇跡でもなく当然のことだと思っていた。それなのに、あの魔導師は別の国で容赦ない殺戮を行ったのだ。それを踏まえれば、自分たちが命あるまま国へ送還されたのはやはり奇跡だったのだろう。
「き、貴様、あの盗賊の一味だろう? この屋敷の品々の多くは呪いをこめられている、持ち出さない方がいい」
男は、その髪色と服装、そして力の強さからこの子供の正体に予想がついていた。だからこそ不可解なのだ。なぜ盗賊であるはずの一員が魔導師のことをわざわざ聞きにきたのかと。実は、この子供は囮で建物内にその一味が盗みに入り込んでいるのではないか。
「盗みに来たんじゃない」
「た、ただ魔導師のことを聞きに……?」
予想が大きく外れたことで、この子供の意図が全く分からなくなってしまった。大体、どこから情報を耳にしたのか。盗賊の耳に入るほど、この話は大きくなってしまっているのか。
「あいつにこれ以上手を出すな、アラルの件がすべてあいつなら……お前たちが戦って死ななかったのは運がいい」
子供は音もなく立ち去る。来るときもそれくらい静かにしてほしかった。夢だったんじゃないかと思いたくても、硝子で切れた皮膚の痛みが現実を冷たく告げている。ようやく警備の兵士が部屋に辿り着き、やはりこの部屋以外に異常はなかったと知る。あの子供が単独で起こした襲撃なのだ。
別室に移動し、程なくしてジェロシアが呻きながら目を覚ます。
「ヒ……ヒヒ……」
「ジェロシア様!」
ゆっくり室内を見回し、ジェロシアは小さく笑う。いつも不気味だが、さらに不気味さが増して思わずたじろいでしまった。
「あいつに……あの赤毛に呪いを打ち込んでやったぁ。何が目的か知らねぇが……ヒヒッ、この屋敷の魔術すらくぐり抜けるやつだ、あいつもかなりの手練れだろうなぁ……」
そもそも外からとはいえこの建物に襲撃などそうそうできるはずはないのだ。あらゆる場所に仕掛けたジェロシアの呪術が発動し、襲撃者は建物内に入ることもかなわず命を落とすはず。魔導師のように呪術そのものを無効にするような術者でない限り辿り着けるわけがなかったのに。
だが、襲撃を受けてしまったことは事実。それを相殺するほどの杭を、ジェロシアは打ち込んでいたのだ。
「だから、ボクの人形になって……あいつを殺しに行け……っ!!」
ジェロシアとてあの赤毛と力を見て気付かなかったわけではない。あの子供が魔導師の……アオイの味方であろうが敵であろうが構わない。黒魔術が効かないなら、別の手を使うまで。
屋敷に響くジェロシアの高笑いに、部下たちは震えるばかりだった。
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スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!
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