帰り道

かいち

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――――――
ピピピピピピピ……

目を開けると見慣れた天井。
鳴り響く目覚まし代わりのスマホ。

あれから2週間。
日常をこなすうちに複雑な感情の波はなりを潜め、あれはただの悪夢ではないかとすら思えてくる。
音を止めて起き上がると、自分が泣いていたことに気づく。
涙を流したのはいつぶりだろうか。

「あーなんか、すっきりしねぇなぁ……」

寝不足の気だるさと頭痛。
出来ることならこのままもう一度布団に倒れこみたい。
しかしそうも行かないのが社会人というもので。
冷たい水で顔を洗って気合いを入れ直し、俺は会社へ向かう。

「J&C案件のサポート……ですか……?」
「そうそう。急で悪いんだけどね、山下くんの代わりにお願いね。戸川くんも一人じゃ不安だろうし、水坂くん、ちょうど大きいやつ終わったとこでしょ。よろしくねー」

出社早々、上司から呼び出されたのは二重三重に嫌な話だった。
にこやかに、しかし有無を言わさぬ雰囲気をもって、上司は俺にそれだけ告げると、じゃ僕は会議だから、と去っていった。
J&Cといえば外資系の大手製薬会社だ。コンペに参加するだけでも相当ハードルが高いような。そんな大きな仕事に関われるのはなかなかに名誉なことだ。
だが、俺の問題はそこではない。
先日、大きいプロジェクトが一段落したばかりなのにまた大きい案件を振るなんて働かせ過ぎだ。とか、今日から始まる案件に入るよう指示を出すのが当日の今日なんて急すぎる、とか。
どれもこれも大問題ではあるが、しかし、一番の問題はそのどれでもない。

J&Cは、2週間前まで一番の親友だとおもっていたあいつの職場で、この仕事はまさにあいつが関わっているからだ。
もちろん、これから関わるのはあくまで仕事で、ましてや俺はサポートの立場で、だからいつも通り仕事の顔でいればいいだけだ。
そのはずなのに、もやもやとしたなにかが頭に渦巻く。

「はい、これ資料です!まぁでも今日は顔合わせだけなんで、適当にどうぞ!よろしくお願いしまーす!」

一人じゃ不安だろうし……と言われていたメインの担当者である後輩戸川は、どこに不安を抱えているのかわからないほどの軽さで資料を手渡してきた。
貰った資料をパラパラと捲りながら、なるべく仕事のことだけに集中しようとする。

そして迎えた顔合わせ。
先方の立派な自社ビルに乗り込んで珍しく後輩さえも緊張する中、その扉は開いた。
高層28階、都心を眼下に見下ろす会議室。
約束した時間ちょうどに、先方の担当チームが現れた。

「お待たせ致しました。本日はご足労頂きありがとうございます。どうぞ、よろしくお願い致します」

先頭で入ってきた爽やかな男前がにこやかに挨拶をする。おそらくはチームのリーダー。40代半ばだろう。
後ろに3名が続き、総勢4名が今回の相手だ。
もちろん伶人もいた。
さすがに仕事モードの顔つきだ。驚きもないが、ちらりとも目を合わせない。

顔合わせだけと言いいつつ、結局しっかりとした打ち合わせとなったが、概ね問題なく終了し、俺達は会議室を後にした。
一階まで下り、出口が見えたところで後輩が気づく。

「ふぁー緊張しましたね!無事に終わって良かったです!ってあれ、先輩、ペンなくないですか?」

指さした先、俺のジャケットの胸ポケットを見ると、確かにない。
いつものようにポケットに戻したつもりだったが。
ズボンや内ポケット、カバンを探っても出てこない。ということはさっきの会議室だろうか。
颯爽と後にした場所に忘れ物で戻るなんて恥ずかしいことこのうえないが。あれは諦めるわけにはいかないもので。
俺は後輩を先に帰らせ、受付で事情を説明する。先方のリーダーが待っていてくれるというので、会議室へ戻るよう案内された。

ドアは少し開けられていた。プロジェクトリーダーがいるのだろう、とドアを軽くノックして会議室を覗く。

伶人がいた。
俺のペンを手にして。

流れる沈黙。

何も言わない。
俺も、言えない。

本当なら再会することがあれば、一発でも殴って怒鳴り付けてやろうと思っていた。だがそれも、仕事での再会という気を削がれる形だったためにもうそんな勢いはない。
かといって、何もなかったかのように振る舞うこともできない。

重苦しく固まったまま、どれぐらい過ぎたのか。

この空気を壊したのは、伶人だった。

ペンを持ったまま、こちらに近づいたその瞬間。
思わず俺は、ビクッと一歩後ろに下がってしまう。
無意識だった。だが、体が動いたせいで脳も働き始めたのか、あの夜がフラッシュバックする。

「っごめん……」

伶人の消え入るような呟きと傷ついたような泣きそうな表情。
ペンを机の上に置き、自分は2歩3歩と退く。
そんな伶人の様子を見て、
無性に腹が立った。
あの日、目覚めた朝に感じた怒りが甦ったかのように、腹が立った。

「なんっなんだよっ!傷ついた顔してんじゃねぇよ!」

一方的にヤるだけやって大事なことは何も言わず目の前から消えて再会したと思ったら弱いところ見せてくるんじゃねぇよ。

「お前が壊したんだろ!お前が自分で…終わらせたんだろ!なのになんで…っ!」

許したくなんかない。
会いたくなんかなかった。
こんな風に女々しく感情的に怒りたくもなかった。
くっそ、なんで泣きそうなんだ。
お前とはもう会わない。近寄るな。友達でも何でもないからって、冷たくそれだけ言ってここを去ればよかったのに。どうしてこんなに動揺してるんだ。

「裏切ったのは…そっちだろ」

睨み付けて殴ってやろうと思ったのに目を合わすことすらできず。出てきた声が自分でも驚くほど弱弱しくて情けなくなる。

「うん…本当にごめん」

伶人の声だけが頭上から降ってくる。先ほどとは少し違う、諦めたような冷静な声。
何故かとてもいたたまれなくなった俺は、踵を返すと会議室を出た。




やっちまった。
仕事を終え、部屋に戻ると会議室での悪夢がよみがえる。
後悔しかない。
あれほど感情的になるとは思いもよらなかった。
結局なにも吹っ切れていなかったことに気づかされる。
忘れてしまえれば楽なのに。
嫌でも仕事で顔を合わさないといけないから、苦しい。
ていうか、なんで俺がこんなに悩んでるんだ。
忘れられないのは何でだ。
あいつがいなくたって、飲み友達はいるし彼女だって作ろうと思えば簡単だろう。
気にする必要なんてないじゃないか。
すっぱり忘れて終わりにすればいい。
なのにどうして。
あいつの方が泣きそうだったから?
放っておくと失踪でもしかねないから?
そんなの向こうだっていい大人だ。
俺が心配してやることじゃないだろう。
きっとこの仕事が終わればあいつだってすぐに忘れる。
俺がいない日々を普通に過ごすようになるんだ。


「ああーーもうなんなんだっ苛々するっ」

持っていたビールの缶を机にたたきつけて、俺は考えることを放棄した。
仕事しよう。
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