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人の輪
しおりを挟む午後の中庭は、ティータイムの準備で静かに賑わっていた。銀のトレイを抱えた侍女が、少し強張った表情で近づいてくる。
「……お、お待たせいたしました、リズ様」
「ルーナさん、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
ぴくりと、彼女の肩が揺れる。
「いつも丁寧なあなたのことをとても信頼してるの」
その言葉に、ルーナは一瞬きょとんとしてから、ぱっと頬を赤らめた。
「……ありがとうございます。あの、頑張ります」
「うん、よろしくね」
声は柔らかいのに、場の空気がふっと緩むのが分かる。
「リズ様、こっちも見てくれ」
低い声に振り向けば、フェルナンドが剪定ばさみを肩に担いで立っていた。
「この前言ってた花、日当たりを少し変えたんだ」
「ほんとだ、葉の色が全然違う」
私は屈んで覗き込みながら言う。
「水、朝だけにしたんでしょ?」
「よく見てるな」
フェルナンドは満足そうに笑った。
「この調子なら、来月には見頃だ」
「楽しみにしてるね」
すると次は少し離れた回廊から、
「リズ様ー! 昨日の焼き菓子、甘さ大丈夫でしたかー?」
料理長の補佐をしている青年が、盆を抱えたまま顔を出す。
「オスカーさん、すごく美味しかったです。あれ、蜂蜜変えました?」
「……分かります?」
「ちょっとだけ香りが違いました」
「料理長が聞いたら喜びますよ、それ」
そんなやり取りの合間に中庭の端、鍛錬場から騒がしい声が響いた。
「昨日のは派手にやられましたよ~」
笑い混じりにそう言ったのは、ルーカスの部下の騎士だ。
「でも、あと一歩だった気がするんですけどね」
私は少し考えてから口を挟む。
「重心、右にずれてたからだと思う」
場が一瞬、静まる。
「踏み込みの瞬間、そこ直せてたら、いいとこいってたかも。ね?」
そう言ってルーカスを見る。
彼は目を細め、ふっと息を吐いた。
「……いい目をお持ちだ」
周囲の騎士たちが、どよめいた。
「隊長にそう言わせるなんて」
私は少しだけ肩をすくめる。
「昨日、覗いてただけだから」
その様子を、少し離れた場所から見ていた殿下は、言葉を失っていた。
誰か一人に特別扱いされているわけではない。
誰かに取り入っているわけでもない。
ただ、自然に名前を呼び、自然に相手を見て、自然に場をつないでいる。
(……これが)
王宮に人は多い。
だが、ここまで無意識に“人の輪”を作れる者は稀だ。
「殿下」
私が気づいて手を振ると、周囲の視線が集まる。
殿下は一瞬躊躇し、それから歩み寄った。
「随分賑やかだな」
「はい、楽しいです」
即答だった。
殿下は、また少し驚いたように目を伏せる。
(知らないうちに、こんな場所を作っていたのか)
中庭には、午後の穏やかな光と、人の気配と、静かな温度が満ちていた。
そしてその中心に、小さな婚約者が当たり前のように立っていた。
日が傾き始め、中庭に落ちる影が長くなったころ。
「そろそろ戻るぞ」
殿下の一言で、賑やかだった空気がゆっくりと落ち着いていく。
庭師たちは礼をして持ち場へ戻り、騎士たちもそれぞれ解散していった。
回廊を抜け、内廷の分かれ道まで来たところで、足が止まる。
「今日は……ありがとうございました」
自然とそんな言葉が口をついた。
「案内も、色々と」
殿下は一瞬だけ私を見て、それから視線を前に戻す。
「礼を言われるほどのことはしていない」
淡々とした声。
けれど、その声音は朝よりもわずかに柔らかい。
「だが――」
短く間を置いて、続ける。
「今日は、悪くなかった」
それだけ言って、背を向けかけた殿下が、ふと思い出したように振り返る。
「疲れは出ていないか」
「大丈夫です」
即答すると、殿下は少しだけ眉をひそめたが、それ以上は言わなかった。
「無理はするな。約束だ」
「はい」
そのやり取りに、なぜか少し胸が温かくなる。
「では、また明日」
「はい。殿下も、お疲れ様でした」
その言葉に、殿下はほんの一瞬だけ目を細めた。
「……ああ」
それだけ残して、殿下はノアと共に去っていく。
背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
長い一日だった。
けれど、不思議と疲れよりも、満たされた感覚の方が大きい。
エマとルーカスに付き添われ、部屋へと戻る廊下。
「それでね――」
扉を閉めるなり、私はつい声が弾んだ。
「魔導エレベーターに乗って、模擬演習用の魔道人形を見せてもらって……それで、こう、魔力を流したら――」
身振り手振りが大きくなる。
「殿下が案内してくださって、実務棟にも行って、中庭では皆さんとお話して……」
一気に話し終えると、エマがくすっと笑った。
「とても楽しそうですね」
「……そ、そう?」
急に恥ずかしくなって、視線を逸らす。
「ちょっとテンション上がりすぎたかも……」
「いいえ」
エマは即答だった。
「とても可愛らしいです」
「っ――」
ぱっと頬が熱くなる。
「そ、そういうの、やめて……!」
「ふふ、ですが本当ですよ」
そう言って微笑むエマの横で、ルーカスが静かに視線を逸らした。
「……」
「ルーカス、どうしたの?」
「見ておりません」
即答。
「……?」
何事かと思っていると、ルーカスは真面目な顔のまま続けた。
「そのような表情を、殿下以外の男性が見る訳にはいきませんので」
「……え?」
一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
「えっと、どういう……?」
「護衛としての判断です」
きっぱり。
「……?」
首を傾げる私を見て、エマがこらえきれずに笑い出す。
「もう、ルーカス。そんな真顔で言うものではありません」
「冗談ではありません」
なおも真剣なルーカス。
「つまり、愛らしい表情のリズ様を殿下以外の男性が見て、殿下を嫉妬させてしまうのは困ると言ったことですわ」
そう言うとエマが柔らかく言った。
その言葉に、また少しだけ胸がくすぐったくなる。
そんなことで殿下は嫉妬なんてしないと思うけど、二人の気遣いが嬉しかった。
「……今日は、いい一日だった」
ぽつりと呟くと二人は何も言わず、けれど確かに頷いてくれた。
穏やかな夜が、静かに始まろうとしていた。
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