400年後の貴方へ

椎茸

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400年後へ

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 赤い煉瓦で作られた20畳ほどの空間。その地面には足の踏み場のないほど細かく刻まれた巨大な魔法陣が描かれ、そのすぐ側には老いたローブ姿の男が立っていた。
 男は魔法陣に右手で触れる。

「【時空よスパージオテンポ】」
 
 その瞬間、描かれた魔法陣は眩いほどに蒼く輝いた。最終調整の魔素の充填が終わった証である。
 その様子を見て男はうなづき、後ろを見た。
 
「準備はいいな」
 
「勿論ですわ」
 
「…はい」
 
 男の問いに答えたのは、ローブ姿の少女二人。一人は赤髪で肩まで伸びた髪が、蒼の魔素の輝きにより神秘的な色へと輝かせている。目もぱっちりで赤眼。自信に溢れているのが赤眼の奥から垣間見えた。
 もう一人は腰上まで伸びた癖のない黒髪に、可愛らしい猫目からは翡翠色の美しい瞳が輝く魔法陣を見つめていた。一言で返事はしたものの瞳の奥には不安が見え隠れしている。
 
「よろしい。では二人とも、中へ」
 
 蒼く輝く魔素の中を二人は歩み、魔法陣の中心で立ち止まった。
 
「よいかカリーナ、ダーナ。これは国命である。必ずや400年前の大賢者クレイ=セロスから黒壁の解除方法を聞き出すのじゃ。これにはこの国の未来がかかっていると心得よ」
 
 真顔にしがれた声で念を押すように話す男、エーヴェルに向かって二人は大きく頷いた。
 更に魔素の輝きが増していき、二人を包み込むように動いていく。
 
 姿が見えなくなる瞬間、カリーナが不安を抱えたままの翡翠の目をエーヴェルに合わせた。
 
「必ず無事に帰ってみせます。師匠」
 
 輝きがさらに増し、蒼から白に塗りつぶされた。その瞬間、あれほどまでにあった高密度の魔素が消え、まるで雪のように残留した魔素が部屋に降り注いでいた。
 
「…生きて帰ってくるのじゃぞ、二人とも。」
 
 その部屋に取り残されたエーヴェル=アーノルドはただ静かに、その光景を眺めていた。
 



  
 ◆◆◆◆







 

どすん、と言う音が鳴り響いた。私達がお尻から落ちた音である。
 
「いたたたぁ…」
 
 ズキズキと痛むお尻をさすりながらあたりを見渡す。木箱や布で綺麗に包まれた芸術作品の様なものまで所狭しと置かれていた。その中に私が時空間転移魔術に必要な魔素を取り出した魔導器具も置いてあった。どうやら無事にどこかの倉庫へと落ちたらしい。
 私、カリーナ=エヴァットが新しく開発した時空間転移魔術は成功したようである。そのことに安堵していると背後から同じような布を叩く音が聞こえた。
 
「のんびりしていられません。早く拠点にする宿でも探しにいきましょう」
 
 今回、国の未来を背負う事となった重大任務を共に来てくれた親友、ダーナ=リルバーン。軽く乱れた赤髪を整えながら不機嫌そうな声と顔でこちらを見ていた。浮遊感に襲われたと思えば急に落下してお尻を打ったのだ。貴族の彼女が不機嫌になるのも仕方ないと思える。

 
「そうですね。とりあえず周囲の状況を確認しましょう」

 
 手のひらに半透明で白く輝く魔素が凝縮された瞬間、音もなく一気に周囲へと拡散した。
 【感知魔法ペルチェツォーネ】。生物から危険な罠などの存在まで事細かく教えてくれる魔法である。
 一つ一つの魔素に術者の五感の一部、聴覚、視覚を付与させる事により詳細な情報を獲得することができる。あたりの人口密度は400年後と比べても遜色はなく、建物の多さも然程大きな差は無いようだ。人の数や話の内容から街中であることは間違いなさそうである。
 
 半径5キロ程の小さな町程度に規模を拡大。歩いている人の身長から建物の造形、部屋の間取りまで感知していく。大勢の人が行き交う街道沿いに建っている宿の中を感知するが、どうやらまだ部屋数に余裕がありそうだった。

 
「……扉を出て左、まっすぐ歩いた所に宿屋があるみたい。そこに向かいましょう」
 

「分かりました」

 
 ダーナは即答すると警戒することもなく部屋の扉を勢いよく開けた。明るい日差しが部屋に差し込み思わず目を細めた。無警戒にも程がある。

 
「だ、ダーナ?少しは警戒を…」
 

「はい?カリーナが魔法で失敗するわけ無いじゃないですか」
 

「……あ、あはは」
 

私の言葉に対して何を当たり前のことを言っているのかこの子はみたいな声と表情で返された。こちらの魔法を信頼してくれている証でもあるが、少しの危機感はないのだろうかと心の中で苦笑いしたが多分顔に出ていたな、これ。私は感情を隠すのが苦手なのだ。

 後に続いて部屋から出ると街の大通りに出た。辺りには大勢の人が行き交い、商人の大きな馬車が走っていた。建物の雰囲気は400年後と変わらないようだが、人の服装や髪型で過去の世界へと来たのだと思わせられる。

 
「早くこの時代の賢者様とやらに会いにいきましょう」
 

 ダーナが街の様子を眺めながら呟く。たしかに400年後を観光する目的できたわけでは無いのだからと思い直してダーナと共に拠点とする宿へと歩き出した。
ここは商店と客が行き交う街並みの様子を見る限りここは、というか400年後もほとんど変わらない西街道だ。
こうして歩いてみると、やはり400年という時の壁は厚いものだったのだと思わせられる光景が広がっている。ルーン文字を魔鉱石に刻む事によって火系統魔術を発動させている屋台など、皆似たような方法で店の商品をより魅力的に見せている。普通の火よりも10倍の熱量を発生させることができる火魔術で豪快に焼いた焼き肉はとても美味しそうだ。後で買いに行こう。

 そんなこんなで街中を歩いている時、何かしらの違和感があった。それがなんなのか考えながら宿まで歩いているとその違和感の正体に気づいた。
 
 黒壁がないのだ。
 
 この国から西に空高くまであった黒壁が無く、西へと続く大空がそこには広がっていた。
黒壁とは、今私たちがいるこの時代の初代賢者が災いから国民達を守る為に己を犠牲にして発動させたとされる不朽の黒壁である。触れるものは全て弾き飛ばし一切ものを通すことのない黒壁は逆に私達を苦しめる負の遺産となってしまう事となった。
私達が解除方法を知る為に来たのはその為である。


 そんな事情で見た空は、とても美しく感じた。資料でしか知らなかった西側にある大きな山脈も見え、しかしさらに向こう側まで続く空というのはこんなに広いものなのかと思わせられる光景だ。ダーナも同様のことを思っているのか、私たちは西の空を眺めながら街を歩いた。
 
 程なく宿へと到着する。この国のお金は400年経っても変わっていないので問題なく支払いを終えると二人部屋へと入り、ベットへと腰を下ろした。
 
「とりあえず情報を集めましょう。動くのはそれからですわ」
 
「そうですね。この時代の街は伝えられた昔話の通りなら、原因不明の災いが蔓延っているはずですから」
 
 昔話として語り継がれた始まりの賢者の偉業。そのきっかけとなった災いとやらは原因不明のままで語り継がれているため、こちらがそれに巻き込まれる事態は避けるべきで、情報を集めるのが何よりの優先であった。
 
 私は首都に常時発動されてるはずの感知魔法に引っかからないよう細心の注意を払いながら自身の感知魔法で街の全体を覆った。
 
 
 私達がいるこの国はデミマーレ魔導国といい、拠点にしているこの街はノプポラテスと言う首都である。私達が生まれる400年後の世界では魔術の研究が進んでいて、どんな一般人でも初級魔法は扱えるほどの魔術国だった。
 感知魔法のエリアを首都全体へと拡大し、人達の動きから会話の内容まで知覚していくと、どうやら400年前のこの世界もレベルは落ちるが変わらず魔術の研究は盛んのようだ。
 
 感知エリアに王城を入れて目的である賢者を探していく。術者自身の魔素を大量に分散させて行うこの魔法はある一定の魔術師レベルになると逆感知されてしまうことがあるので、ここからは王城のみへと感知エリアを絞り、集中する。
 
 王城は400年後も同じものなので間取りは知り尽くしている。正面の巨大な城門から入り、王城の南側にある建物を目指していく。なぜならそこには私がいつも入り浸っている賢者専用の研究室があるからだ。大体賢者ともなればそれは研究バカであるはずとこの国では決まっている事なので、ほぼ確実にいるはずである。
 
 そう期待しながら研究室を感知していくと、明らかにこの首都で感知した他の魔術師を遥かに凌駕する魔素量を感知した。
 その瞬間、王城からその者の魔素によって私の魔素が弾かれていく。無系統魔法の中でも上級である【阻害魔法イニビジォーネ】なのは確実であった。
  
「……見つけた」
 
 向こうも私の存在に気づいた。警戒はされるだろうが会う方法などいくらでもある。初日の成果として幸先がいいと言えるものだろう。
 400年前の魔法技術と言えば発動までに時間がかかるのが当たり前の筈なので、ほぼノータイムで阻害魔法を発動させる事ができた賢者は間違いなくこの時代の国で賢者足りうる存在と言える。
 
「終わりました?夜ご飯買ってきたから晩御飯にしましょう。夜には早速王城に侵入しましょうか」
 
 買い出しに出かけていたダーナが椅子に腰掛けながら牛肉を豪快に焼いた物をナイフとフォークで丁寧に口へと運んでいた。王城に集中し始めた辺りに帰ってきたらしい。その肉の香ばしい匂いに腹が鳴った。どうやら魔法行使に随分と体力を奪われていたみたいだ。
 私はダーナの意見を肯定しながら同じテーブルの椅子へと座った。
 
 
 
 
 食事を終えた頃、まだ明るい窓に違和感を覚えた。私たちの時代では黒壁の向こう側に太陽が沈む為、既に夜のように暗くなる時間であったからだ。そういえば黒壁無いのかと思いながら窓を開けて、私は息を呑んだ。西に沈む太陽は、大きな山脈に沈む所で、橙色に輝く太陽と、それに照らされて赤くなっている雲が絶景を作り出していた。



「………綺麗」




無意識に溢れた声に、ハッとする。私は魔術の研究に没頭はすれど、自然が作り出す光景に心から感動するなど、今までなかったからだ。
 カタンと音がした。振り向くとダーナがもう一つの窓を開けた音だった。ダーナも私と同じように大きく目を見開くと、寂しそうに目を細めた。






「……本当に、綺麗ですわね」






 
 ◆◆◆
 
 
 様々な機材が並び、至る所に魔導書が山のように重なり合っている。片付けようにも一冊取れば雪崩のように崩れるだろう。
 その部屋の中で黒色のローブ姿の老人、クレイ=セロスは顔を険しくさせていた。
 
「今のは【感知魔法ペルチェツォーネ】だな。わしがここまで侵入を許すとは、かなりの使い手じゃ」
 
 この国の初代賢者として、日々研究室で新たなる魔法の研究を行なっている。しかし勿論この王宮の守護も抜かりなくいつでも状況が分かる様に自身の阻害魔法で包み込み、他の魔素が介入すればすぐ感知できるようにしていたが、今の魔法の使い手はそれを掻い潜り、この研究室まで入り込んできた。それが出来る魔術師が世界に一体何人いるだろうか。
 
 敵か、味方か。
 
 その判別はまだできない。少なくとも敵意のような魔素の雰囲気ではなかったし、興味本位でやっただけの可能性もある。しかし確実に言えることもあった。
 
「わしと同等か、それ以上…か」
 
 敵なら勿論容赦はしない。だがもし話しができるようなら……。
 そう思考した所でふと窓の外をみると、首都が夜になって家の明かりがついていくのが見えていた。
 
 まだ民達には公にしていないが、この国の各所で不可解な災いで民が命を落としている。領主が有する騎士団や魔術師が対応しているが、人手が足りてこなくなるのも見えている。
 
 鬼が出るか蛇が出るか。
 
 クレイは敵でないことを祈りながら、今の出来事を王へ報告するために研究室を後にするのだった。
 
    
 
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