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第一章 男装姫は孤高の王の夢を視る
第二話 夢見の才
しおりを挟む「……やっぱり雨だ。嵐が来る。どこかの空き家に入るしかない」
「許しなく立ち入ってもいいのですか?」
「誰にも見つからなければいいだけです。さあ、早く!」
立ち上がって手を差し出すが、女はそれ無視して横を向く。卑しい者の手に触れてやるものかという頑なな態度に、久遠は呆れてはあっと息を吐いた。
家と家の間の細い隙間を横歩きで進むと、しばらく行ったところに古い納屋があった。
音を立てないようにそっと戸を開き、そのまま一歩中に入る。そこには、埃をかぶった農具が積み重なって収められていた。
これから嵐が来ようという時に、農具を取りにくる者などいないだろう。この場所なら少々雨宿りに使わせてもらっても、障りはなさそうだ。
「さあ、あなたも入って」
「……」
「じきに嵐が来ます。濡れたくなければ早く」
「でも……」
白藍の袿の女は下を向いたまま、じりじりと後退さる。
何をそんなに躊躇することがあるのかと少し考えて、久遠ははっとした。
(そうか、この格好だからか)
久遠が身に付けているのは男物の覡服だ。彼女にとってみれば、野盗に襲われるのも、久遠に納屋へ連れ込まれるのも、同じくらい恐ろしいこと。
(なんだ、早くそう言えばいいのに)
怯えた態度の理由が分かれば、あとは簡単だ。久遠は納屋の入口近くで俯く彼女の両手を取り、優しい笑みを向けた。
「大丈夫。こんな格好をしていますが、僕は女です」
「……え?」
「どうしたら信じてくれます? 脱いで見せてもいいけど……大人の男にしては小柄だし、高い声も出ます。こんな男、なかなか珍しいでしょう?」
「え、ええ……会った時から、女のような方だなとは思ったけれど……」
「色々と都合があって、こんな格好をしています。ほら、見て下さい。このひょろひょろの手首と腕」
白衣の袖を少しめくって腕を見せると、彼女はようやく安心したようだった。緊張が解けた口元に、ほんのりと安堵の笑みが浮かぶ。
実を言うと、久遠が女であることを知るのは、久遠の父と祖父のみである。一緒に暮らす兄ですら、久遠の正体を知らない。
(本当は女だということを、誰にも言うなと口止めされてはいるけど……)
もう二度と会わない旅人の彼女になら、この秘密を伝えても差し支えないだろう。
久遠は納屋の中に入り、持っていた荷の中から麻の布切れを取り出した。地面に敷いた布の上に二人並んで腰かけ、壁にもたれて身を寄せ合う。
「こんな襤褸の布しかなくてごめんなさい」
「いいえ、ありがとう。いつか必ずお礼をするわ。私は……花緒といいます」
「花緒様? 素敵な名前! それにしても、なぜ一人でいたんですか? まさか女の身で一人旅ではないでしょう?」
「ええ。この十六夜の里で、私を迎えに来る人と落ち合うことにしていたの」
「では、その方もきっと今頃、花緒様を探していますね」
「約束の宿に来ないから、心配しているかもしれないわ」
花緒の言葉が聞き取りづらく感じるほどに、外では雨が激しく降り始めている。
木を雑に打ち付けただけの襤褸納屋は、風を受けて激しくガタガタと音を立てた。約束の宿とやらに連れて行ってあげたい気持ちはあるが、この雨では外にも出られそうもない。
何より久遠は、都からやって来るこの凶兆の嵐が、昔から大の苦手だった。
激しい風雨が里に近付くにつれ、体の奥底から得体の知れない不安と嫌悪感が込み上げてくる。冬でもないのに全身を寒気が襲い、血の気を失った手足は端から見ても分かるほどに小刻みに震える。
何年かに一回程度のことではあるが、凶兆の嵐の日は決まってそうだった。
(今夜はこの納屋で過ごすことになりそうだな)
花緒を不安にさせまいと平然を装うが、それも長くは続かない。久遠の手が震えていることに、花緒はすぐに気が付いた。
「大丈夫? まさかあなたは雷が怖いの?」
「はっ、はい……雷というか、嵐が全部」
「嵐に何か嫌な思い出でもあるのかしら?」
「そういうわけじゃないんですが、理由もなくなぜか恐ろしくて……ぎゃあっ!!」
すぐ近くで、激しい雷鳴。
涙目になった久遠は、思わず花緒の腕にしがみついた。
「嵐なんてじきに通り過ぎるわ。……と言いたいところだけど、さすがにこの風と雨は尋常ではないわね」
「都のほうから来る嵐は、凶兆です。天が綺羅に対してお怒りなのです」
「天のお怒り?」
「はい。僕は十六夜家の覡なので分かります。都で良くないことがあると、決まって天がお怒りになって嵐を起こすんです」
昨年の嵐は特にひどかった。この里でも民家が多く壊れ、家を失った民たちが十六夜家の屋敷に大勢押し寄せた。
(あの日は確か、綺羅ノ王である日紫喜耀様が病に倒れたのだと聞いた気がするな)
天は、綺羅ノ国と五主家の人々をよく見ていらっしゃる。
この国に何か悪いことが起ころうものなら、すぐにでもこうして嵐を起こすのだから。
「都で良くないことって……まさか……」
花緒が眉をひそめた。
「花緒様、何か心当たりでも?」
「え? ああ……そうなのよ。だから急いで都に戻ろうとしたのだけど」
「……あの野盗に出くわしたというわけですね」
花緒が頷く。
急いでいる相手を引き留めたくはないが、今ここを出るのは危ない。嵐が収まるまで待とうと久遠が言うと、花緒は返事をする代わりに久遠の手を握った。
「震えているわ。手を繋いだまま少し休みましょう」
「ありがとうございます。いいのですか……?」
「ええ。そんなに怖がっているあなたを放っておけないわ」
花緒はあくびをすると、久遠の肩に頭を寄せ、目を閉じる。
しばらくして花緒の寝息が聞こえてくると、久遠もそれにつられて急激な眠気に襲われた。
(あっ、まずい……このままでは……)
久遠が握られた手を引くと、花緒は眠ったまま反射的に逃すまいと力を込める。久遠の左手と花緒の右手が、しっかりと合わさった。
その瞬間――。
久遠の耳に轟々と響いていた風雨の音が、ふっと消えた。
目の前が真っ暗になり、星一つない夜空の真ん中に放り出されたような感覚に捉われる。
声を出そうにも、喉が詰まって言葉が出ない。
五感がすべて閉ざされたあと、遠くに一人の女性の影がぼんやりと現れた。
(……夢見の才だ)
十六夜家は五主家には含まれないが、皆、「夢見の才」を持って生まれる。
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久遠は覡としては見習い。才は未熟で、父や兄のように五主家に仕えて夢見をするほどの力はまだない。が、最近ではこうして自らの意思と関係なく、他人の夢の記憶が頭になだれこんでくるように視えることがあった。
十六夜の夢見の才は、先視――つまり、「これから起こること」が見えるはず。
久遠にはまだそれがよく腹落ちしていない。夢見の才を会得したという実感がない。
(だって、僕にとっての夢見は「先視」というより……相手の過去が見える感覚に近いかな。ほら、今も……)
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