火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね

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第一章 男装姫は孤高の王の夢を視る

第三話 十六夜家の妾の子

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 ぼんやりとした光の中に、女の影が一人。
 その隣にもう一人、二人……と、人のような影がいくつか現れる。
 影が話している言葉は、久遠の耳に直接は聞こえない。が、その中身は久遠の心に直接伝わってくる。

(ああ、そうなんだ。今、花緒様はお腹に――)

 最も鮮明に見える人影は、きっと花緒のものだろう。その影から伸びた手が、まだ大きくは膨らんでいない腹に優しく触れた。

(花緒様、だから眠かったのか。先に教えてくれればよかったのに――)

 どれくらいの時が経っただろうか。
 久遠が重たい瞼を上げると、明るい光が目に入る。昨夜、花緒と共に潜んだ納屋の壁の隙間から、朝日が細く差し込んでいた。

「あれ? もう朝……?」

 隣を見ると、ちょうど花緒も目を覚ましたようだった。眠そうな顔のまま半身を起こす。
 いつの間にか二人して麻布の上に横になり、並んで眠っていたようだ。

「……おはよう。もう嵐は去ったみたいね」
「はい、そのようです。お体が大丈夫そうなら、外に出ましょう」

 久遠が手を差し出すと、花緒は素直にその手を取って立ち上がった。
 雨上がり、道にできた水たまりに朝日が反射して眩しい。
 昨日の嵐で民家が壊れるほどの被害は出ていないようだが、道のあちらこちらには、木の枝や大きな石が転がっている。花緒の美しい衣が汚れないように、手をとってゆっくり歩いていると、背後から誰かが呼ぶ声がした。

「……花緒!」

 久遠と花緒が振り向く。
 するとそこには、一人の男が立っていた。花緒の名を呼んだということは、彼女の顔見知りなのであろう。
 年の頃は二十歳前後だろうか。背が高く、花緒と同じく質の良さそうな袍を身に着けている。高く結った黒髪は、光の加減で赤味を帯びているようにも見えた。

さん!」

 久遠の手を放し、花緒が男に駆け寄る。あの男、燦という名らしい。

「どこにいたんだ!? 一晩中探した」
「嵐の中を? ごめんなさい。野盗に絡まれたところを、あの方に助けていただいたの」

 二人が久遠を振り向いた。目が合って、久遠は小さく頭を下げる。
 男が久遠の前に近付いてきた。目の前に立たれると、ますます背の高さが際立つ。恐る恐る男の顔を見上げると、鋭く冷たい視線が久遠を刺した。

「……花緒が世話になった。どこの者だ? 後日礼をしよう」
「いえ、礼には及びません。旅の方が困っているのを、放ってはおけませんから」

 高貴な方と深く関わったと父や兄に知られたら、後々面倒なことになりそうだ。久遠は一歩ずつ後退り、花緒と燦から離れる。

「あなたのおかげで助かりました。本当にありがとう。またどこかで会えたら嬉しいわ」
「花緒様、僕のほうこそありがとうございました!」

 嵐の中、あの納屋で一人過ごしていたら、久遠は恐怖でどうにかなっていたかもしれない。手を握って一緒に眠ってくれた花緒には、感謝しかない。

(あ、そうだ。夢見の結果を……)

 花緒の手を握って眠ったことで、久遠は図らずも彼女の夢見をしてしまった。
 夢の中で見た光景、人影たちの間で交わされた言葉――それを聞いた久遠は察した。花緒の腹には今、赤子が宿っているはずだ。

「花緒様!」

 背を向けて歩き始めた花緒を呼び止める。顔だけ振り向いた彼女に向けて、久遠は大きく手を振った。

「お気をつけて! 元気な御子が生まれますように!」

 そう言うと、久遠はくるっと振り向いて、十六夜の屋敷に向かって走り始めた。
 水たまりのしぶきが袴に飛んでいる。が、そんなことに構っている余裕はない。十六夜の屋敷での朝のお勤めに遅れてしまう。

(まだ日が昇ったばかりだから、走れば間に合う!)

 少しでも遅れれば、久遠を嫌う父や兄から、また折檻を受けるだろう。
 久遠は全力で里を走った。


   ◇


「久遠のばかやろ! あっちいけ!」

 三歳になる甥っ子からの罵声を聞き流し、久遠は石畳の落ち葉を黙って箒で掃き続けた。
 袴を掴んで引っ張る甥のほかにも、久遠の背中には生まれたばかりの赤子も負ぶわれている。こんな赤子ですら、久遠に恨みがあるのだろうか。おんぶ紐の中でぎゃあぎゃあと激しく暴れていた。
 おまけに、すぐ側にある木の上からは、五歳の甥っ子が久遠を睨みつけている。

 三人の甥っ子の世話をしながらの朝のお勤めは、もはや苦行である。門前の掃除が終われば、このあとは洗濯に取り掛からねばならないというのに。

(せめて一人でも女の子がいればなあ)

 姪っ子ならば、ままごと遊びなどをして穏やかに過ごせるのだろうかと、想像を巡らせた。しかし、この十六夜家に生まれたのは、三人続けて男児である。
 こんな時は、自分が体力のない女の体であることが嫌になる。久遠は肩をがっくり落としてため息をついた。

「久遠! 何を偉そうにため息なんかついてるんだよ! 父上に言いつけるぞ!」

 木の上から、五歳の甥が久遠に唾を吐いた。

「十六夜家の跡取りともあろう御方が、品のないことをしないでください」
「なんだと? お前なんかに指図される覚えはない!」

 この甥は、父や兄がいつも久遠を好き勝手に罵倒しているのを、傍で聞いている。だから、相手が久遠であれば何を言っても問題ないと思っているのだ。

 久遠は妾の子である。
 実母が亡くなった後に十六夜家に引き取られたらしい。正妻や兄だけでなく、血の繋がっているはずの父からも疎まれ、こき使われている。
 十年近くこんな暮らしをしているから、小間使いとしての扱いには慣れた。とはいえ、辛く思うこともなくはない。

 久遠はいつも懐に忍ばせている小袋に手を伸ばし、ぎゅっと握った。小袋の中には、母の形見である小さな石が入っている。
 母の記憶など一つも残っていないのだが、「この石を絶対になくしてはいけない」と言った母の言葉だけは、なぜか忘れられず頭の片隅に刻まれている。

 なんの変哲もない、ゴツゴツとした、ただの石ころ。
 ただ、久遠にとってはこの石だけが、家族の愛情を感じられる唯一の拠り所だった。

「久遠! 掃除は終わったのか?」

 屋敷のほうから大声で呼ぶ声がした。兄の匠人たくとだ。

「もう終わります!」
「父上がお呼びだ! 早く来い」
「はい、ただいま!」

(ああもう……勝手だなあ)

 父の呼び出しはいつも突然だ。用事を切り上げて早く行かなければ、また叱られる。
 久遠は急いで甥っ子たちと手を繋ぎ、屋敷に戻った。
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