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第三章 男装姫は言えない秘密を抱く
第二十二話 重なる夢の秘密
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燦の胸の上で、久遠は顔を上げた。
(僕が、身を乗り出し過ぎたから……!)
天禄殿の戸から空を見上げるのに気を取られていた。外に続く階段は数段。あまり高くない場所から落ちたので、燦が大怪我を負うことはないだろうが、心配だ。
しかし燦の様子を確かめようにも、久遠の背中には燦の腕が回されていて、体が動かせない。
本当は女である自分と、大人の男である燦の体は、大きさがまったく違う。
筋肉質でがっちりとした腕や胸を、どうしても意識してしまう。燦に触れていると、自分はやはり男ではない、女なのだ――そう、痛いほど実感する。
わけもなく、涙が出た。
燦に泣き顔を見られたくはない。しかし、抱きかかえられた状態では体を起こせない。どうしたらいいのか、久遠の心を急激に不安と混乱が襲った。
「くっ……」
燦の胸元の衣を握り締めて、負の感情を抑える。すると燦が、久遠が暴れぬようにとますます強く抱き締めた。
「おい、どうした? 落ち着け。怪我はないか?」
「放してください! 僕は女じゃない。男だ! だから、僕をどこにも閉じ込めないで!」
「何を言っている? お前をどこかに閉じ込めるやつなどいない。落ち着いて息をしろ」
「嘘だ! 僕が男じゃないと、また蔵に閉じ込めるくせに!」
燦の胸を拳でどんどんと叩く。一体自分はどうしてしまったのだろう。
感情を上手く支配できない。
燦は何も言わず、泣きじゃくる久遠の背中に手を回し、そっと撫でた。
そうしてどれくらいの時が経っただろうか。小雪がひらひらと舞い、久遠の頬に落ちた。ひんやりとした雪が体温で溶けるのを感じ、久遠は正気を取り戻した。
燦の腕の中、黙って肩で息をする。
「落ち着いたか? 久遠」
「……申し訳……ありません。王に対して……」
「構わん。手を放すが、起きられるか?」
「はい」
燦の温もりが、離れていく。
涙ですっかり化粧が取れたぐちゃぐちゃの顔を、久遠は手の甲で乱暴にこすった。
(僕はどうしてしまったんだろう)
都に来てから、よく理解できないことがたくさん起こる。
存在しているはずなのにどこにもいない燦の母親、燃える屋敷、久遠の男装の理由、威風の才で蘇った過去の記憶、花緒の命を狙う十六夜――謎はたくさんあるのに、断片的すぎて何一つ線で繋がらない。
知らず知らずのうちに、久遠の心の中は混乱して荒れていた。
そんな時に、自分が女であることを思い知らされ、何かの箍が外れてしまった。
女に戻りたい。でも、女に戻れば蔵に閉じ込められる――自分でも気が付いていなかったが、久遠はその葛藤に、がんじがらめにされてきたのだ。
黙り込んだ久遠の手を取って、燦が歩き始める。天禄殿を後にして、久遠は祭祀の衣を着たまま燦の部屋に入った。
力尽きて、そのままへたりこむ。泥だらけになった衣は着崩れてぼろぼろだ。
「久遠。確かめたいことがある」
「はい」
「お前は以前、十六夜家の当主に殴られていたが……幼い頃に、どこかに閉じ込められていたのか?」
「え?」
「先ほど言っていただろう。『また蔵に閉じ込めるくせに!』と」
……燦に真実を伝えていいのだろうか。十六夜の家では、真っ暗な蔵に閉じ込められていたのだ、と。
何日なのか、何か月なのか、何年だったのか分からない。
ただずっとずっと長い間、一人で蔵の中にいた。それが、久遠の覚えている最初の記憶なのだと。
「安心しろ。お前を十六夜に帰すつもりはない。ずっと日紫喜家にいればいい。だから、もう我慢するな」
「燦様」
「十六夜は、お前を閉じ込めたんだな?」
「……はい。僕は小さい頃、真っ暗な蔵の中にいたのです。たった一人で」
――闇に包まれた蔵の中。
覚えているのは、無造作に置かれ埃だらけになった箱や道具、冷たい床、風や雨にギシギシと揺れる壁。時折襲う、ひどい嵐。
天井近くにあった小さな明かり採りの窓だけが、久遠と外の世界を繋ぐ光だった。
日に一度の食事は、いつも久遠が眠っている間に戸の側に置かれている。誰とも顔を合わせたことはないが、どこかに自分と同じような人間が暮らしているのかもしれないと、少しだけ希望を持った。ある日――
『私はお前の祖父だ。お前の名は、今日から十六夜久遠。分かったか?』
初めて会った祖父はそう言った。
(わたしは、男?)
『男の覡服を着ろ。男の言葉を話せ。お前は男だ、いいな?』
(こんなもの着たくない)
『まだ着ていないのか! 死ぬまでこの蔵にいたいのか?』
(いやだ、外に出たい。陽の光の下で走り回りたいの)
ハッとして、目を開ける。
十六夜家にいた頃、久遠のやりたいことはすべて封じられてきた。
里から逃げだしたいと思ったことなど一度もない。
今思えば、逃げれば良かったのだ。成長してからは四六時中見張られてもいなかったのだから、いつでも一人で逃げ出せたはずだ。
……そんな簡単なことにも、久遠は気が付かなかった。
(燦様なら、僕を助けてくれる?)
顔を上げ、燦の顔を見つめる。
「蔵の中とはなんだ? 十六夜はお前を、真っ暗な蔵に閉じ込めていたと?」
「はい。僕の最初の記憶は蔵の中です。祖父が僕を閉じ込めたのだと思います。僕を追い詰めて、十六夜家の意のままに操るために」
燦の顔が曇る。怒りのせいか、唇がわなわなと震えている。
燦は綺羅ノ王だ。十六夜家と縁を切っても、久遠一人くらいなら世話になっても許してもらえるだろうか。
だが、久遠にはまだ燦に隠していることがいくつもある。
(十六夜家が花緒様の命を狙っているかもしれないと知ったら、燦様は十六夜を許さないだろう。僕のことも都から遠ざけるかもしれない)
だが、伝えぬわけにはいかない。
「久遠、お前の祖父の望みはなんだ?」
「僕にも分かりません。なぜ僕を蔵に閉じ込めたのか、なぜ必死に五主家に取り入ろうとするのか。その上、僕は今日、もう一つ恐ろしいことを聞いてしまったのです」
誰にも聞かれないよう、久遠はもう一歩、燦に身を寄せた。
「隠居してほとんど外に出てこない祖父が、都に来ていたのです。父と庭で話していたのを、たまたま通りかかって聞きました。花緒様を消す、と聞こえました」
「花緒を、消す?」
「はい。十六夜の者が本当に申し訳ございません! 花緒様は、僕のような者に対しても親切にしてくださったお優しい方です。しかも今は身重で大切な時。どうか十六夜から、花緒様を守っていただきたいのです」
「もちろんだ。花緒は俺にとっても大事な幼馴染み。花緒とお腹の子を危ない目に遭わせるわけにはいかない。もしも俺の母を殺めたのが花緒の生家である和暮だったとしても、花緒には罪がない」
燦の返答に、久遠は胸を撫でおろした。
一人で抱えていた秘密を、燦と共有できた。これで十六夜も花緒に手を出しづらくなるだろう。
(それに……)
十六夜家の一員である久遠のことも、燦は突き放さず受け入れてくれた。それが心から嬉しい。
「燦様。もう一つお伝えすることがあります。燦様の夢のことで」
確かめたい。燦の夢と、久遠の記憶が重なっている理由を。
「燦様の夢で見た、燃える屋敷と叫ぶ女。実は、その光景を僕も夢に見ました。燦様の夢見をしている時ではありません。僕が一人でいる時に、です」
はっきりと見た。あれは確かに、久遠自身の過去の記憶だ。
「……どういう意味だ? お前も、あの場にいたということか?」
「はい、恐らく。不思議なのですが、花緒様の威風の才を浴びた時に突然記憶が蘇ったんです。僕も昔、燃える屋敷を見たのだということを」
久遠の過去の記憶は、何者かによって意図的に消されているのかもしれない。
そもそも久遠には、蔵に閉じ込められるより以前の記憶がない。
燦の母親が命を落としたのは、十年ほど前。久遠が蔵に閉じ込められていたのも、十年前だ。
(これは、偶然だろうか?)
いや、そうは思えない。十年前にきっと何かがあったはずだ。
燦は一度目を伏せ、一段声を低くして呟いた。
「久遠。主家が持つ才は、互いに優劣が決まっている……というのは知っているか?」
「はい、もちろんです。どれか一つの才が力を持ち過ぎないよう、他主家の才で力を打ち消すことができるとかなんとか」
「お前の記憶が戻ったのは、花緒の威風の才を受けた時。和暮の威風の才によって打ち消される力は――」
「……まさか、雲主・久靄家の才? つまり僕は」
「久靄家の誰かが、霧中の才を使ってお前の記憶を消したのでは」
「でも、僕は久靄家とは縁がありません」
「いや、もしかしたら……」
燦の頭の中で、何か繋がったようだ。
「宝物殿が焼けたあの夜、久靄家の姫が俺の目の前で霧中の才を使ったんだ。確か名前を、香宵と言ったはずだ」
「香宵姫……それは一体誰でしょう」
(僕が、身を乗り出し過ぎたから……!)
天禄殿の戸から空を見上げるのに気を取られていた。外に続く階段は数段。あまり高くない場所から落ちたので、燦が大怪我を負うことはないだろうが、心配だ。
しかし燦の様子を確かめようにも、久遠の背中には燦の腕が回されていて、体が動かせない。
本当は女である自分と、大人の男である燦の体は、大きさがまったく違う。
筋肉質でがっちりとした腕や胸を、どうしても意識してしまう。燦に触れていると、自分はやはり男ではない、女なのだ――そう、痛いほど実感する。
わけもなく、涙が出た。
燦に泣き顔を見られたくはない。しかし、抱きかかえられた状態では体を起こせない。どうしたらいいのか、久遠の心を急激に不安と混乱が襲った。
「くっ……」
燦の胸元の衣を握り締めて、負の感情を抑える。すると燦が、久遠が暴れぬようにとますます強く抱き締めた。
「おい、どうした? 落ち着け。怪我はないか?」
「放してください! 僕は女じゃない。男だ! だから、僕をどこにも閉じ込めないで!」
「何を言っている? お前をどこかに閉じ込めるやつなどいない。落ち着いて息をしろ」
「嘘だ! 僕が男じゃないと、また蔵に閉じ込めるくせに!」
燦の胸を拳でどんどんと叩く。一体自分はどうしてしまったのだろう。
感情を上手く支配できない。
燦は何も言わず、泣きじゃくる久遠の背中に手を回し、そっと撫でた。
そうしてどれくらいの時が経っただろうか。小雪がひらひらと舞い、久遠の頬に落ちた。ひんやりとした雪が体温で溶けるのを感じ、久遠は正気を取り戻した。
燦の腕の中、黙って肩で息をする。
「落ち着いたか? 久遠」
「……申し訳……ありません。王に対して……」
「構わん。手を放すが、起きられるか?」
「はい」
燦の温もりが、離れていく。
涙ですっかり化粧が取れたぐちゃぐちゃの顔を、久遠は手の甲で乱暴にこすった。
(僕はどうしてしまったんだろう)
都に来てから、よく理解できないことがたくさん起こる。
存在しているはずなのにどこにもいない燦の母親、燃える屋敷、久遠の男装の理由、威風の才で蘇った過去の記憶、花緒の命を狙う十六夜――謎はたくさんあるのに、断片的すぎて何一つ線で繋がらない。
知らず知らずのうちに、久遠の心の中は混乱して荒れていた。
そんな時に、自分が女であることを思い知らされ、何かの箍が外れてしまった。
女に戻りたい。でも、女に戻れば蔵に閉じ込められる――自分でも気が付いていなかったが、久遠はその葛藤に、がんじがらめにされてきたのだ。
黙り込んだ久遠の手を取って、燦が歩き始める。天禄殿を後にして、久遠は祭祀の衣を着たまま燦の部屋に入った。
力尽きて、そのままへたりこむ。泥だらけになった衣は着崩れてぼろぼろだ。
「久遠。確かめたいことがある」
「はい」
「お前は以前、十六夜家の当主に殴られていたが……幼い頃に、どこかに閉じ込められていたのか?」
「え?」
「先ほど言っていただろう。『また蔵に閉じ込めるくせに!』と」
……燦に真実を伝えていいのだろうか。十六夜の家では、真っ暗な蔵に閉じ込められていたのだ、と。
何日なのか、何か月なのか、何年だったのか分からない。
ただずっとずっと長い間、一人で蔵の中にいた。それが、久遠の覚えている最初の記憶なのだと。
「安心しろ。お前を十六夜に帰すつもりはない。ずっと日紫喜家にいればいい。だから、もう我慢するな」
「燦様」
「十六夜は、お前を閉じ込めたんだな?」
「……はい。僕は小さい頃、真っ暗な蔵の中にいたのです。たった一人で」
――闇に包まれた蔵の中。
覚えているのは、無造作に置かれ埃だらけになった箱や道具、冷たい床、風や雨にギシギシと揺れる壁。時折襲う、ひどい嵐。
天井近くにあった小さな明かり採りの窓だけが、久遠と外の世界を繋ぐ光だった。
日に一度の食事は、いつも久遠が眠っている間に戸の側に置かれている。誰とも顔を合わせたことはないが、どこかに自分と同じような人間が暮らしているのかもしれないと、少しだけ希望を持った。ある日――
『私はお前の祖父だ。お前の名は、今日から十六夜久遠。分かったか?』
初めて会った祖父はそう言った。
(わたしは、男?)
『男の覡服を着ろ。男の言葉を話せ。お前は男だ、いいな?』
(こんなもの着たくない)
『まだ着ていないのか! 死ぬまでこの蔵にいたいのか?』
(いやだ、外に出たい。陽の光の下で走り回りたいの)
ハッとして、目を開ける。
十六夜家にいた頃、久遠のやりたいことはすべて封じられてきた。
里から逃げだしたいと思ったことなど一度もない。
今思えば、逃げれば良かったのだ。成長してからは四六時中見張られてもいなかったのだから、いつでも一人で逃げ出せたはずだ。
……そんな簡単なことにも、久遠は気が付かなかった。
(燦様なら、僕を助けてくれる?)
顔を上げ、燦の顔を見つめる。
「蔵の中とはなんだ? 十六夜はお前を、真っ暗な蔵に閉じ込めていたと?」
「はい。僕の最初の記憶は蔵の中です。祖父が僕を閉じ込めたのだと思います。僕を追い詰めて、十六夜家の意のままに操るために」
燦の顔が曇る。怒りのせいか、唇がわなわなと震えている。
燦は綺羅ノ王だ。十六夜家と縁を切っても、久遠一人くらいなら世話になっても許してもらえるだろうか。
だが、久遠にはまだ燦に隠していることがいくつもある。
(十六夜家が花緒様の命を狙っているかもしれないと知ったら、燦様は十六夜を許さないだろう。僕のことも都から遠ざけるかもしれない)
だが、伝えぬわけにはいかない。
「久遠、お前の祖父の望みはなんだ?」
「僕にも分かりません。なぜ僕を蔵に閉じ込めたのか、なぜ必死に五主家に取り入ろうとするのか。その上、僕は今日、もう一つ恐ろしいことを聞いてしまったのです」
誰にも聞かれないよう、久遠はもう一歩、燦に身を寄せた。
「隠居してほとんど外に出てこない祖父が、都に来ていたのです。父と庭で話していたのを、たまたま通りかかって聞きました。花緒様を消す、と聞こえました」
「花緒を、消す?」
「はい。十六夜の者が本当に申し訳ございません! 花緒様は、僕のような者に対しても親切にしてくださったお優しい方です。しかも今は身重で大切な時。どうか十六夜から、花緒様を守っていただきたいのです」
「もちろんだ。花緒は俺にとっても大事な幼馴染み。花緒とお腹の子を危ない目に遭わせるわけにはいかない。もしも俺の母を殺めたのが花緒の生家である和暮だったとしても、花緒には罪がない」
燦の返答に、久遠は胸を撫でおろした。
一人で抱えていた秘密を、燦と共有できた。これで十六夜も花緒に手を出しづらくなるだろう。
(それに……)
十六夜家の一員である久遠のことも、燦は突き放さず受け入れてくれた。それが心から嬉しい。
「燦様。もう一つお伝えすることがあります。燦様の夢のことで」
確かめたい。燦の夢と、久遠の記憶が重なっている理由を。
「燦様の夢で見た、燃える屋敷と叫ぶ女。実は、その光景を僕も夢に見ました。燦様の夢見をしている時ではありません。僕が一人でいる時に、です」
はっきりと見た。あれは確かに、久遠自身の過去の記憶だ。
「……どういう意味だ? お前も、あの場にいたということか?」
「はい、恐らく。不思議なのですが、花緒様の威風の才を浴びた時に突然記憶が蘇ったんです。僕も昔、燃える屋敷を見たのだということを」
久遠の過去の記憶は、何者かによって意図的に消されているのかもしれない。
そもそも久遠には、蔵に閉じ込められるより以前の記憶がない。
燦の母親が命を落としたのは、十年ほど前。久遠が蔵に閉じ込められていたのも、十年前だ。
(これは、偶然だろうか?)
いや、そうは思えない。十年前にきっと何かがあったはずだ。
燦は一度目を伏せ、一段声を低くして呟いた。
「久遠。主家が持つ才は、互いに優劣が決まっている……というのは知っているか?」
「はい、もちろんです。どれか一つの才が力を持ち過ぎないよう、他主家の才で力を打ち消すことができるとかなんとか」
「お前の記憶が戻ったのは、花緒の威風の才を受けた時。和暮の威風の才によって打ち消される力は――」
「……まさか、雲主・久靄家の才? つまり僕は」
「久靄家の誰かが、霧中の才を使ってお前の記憶を消したのでは」
「でも、僕は久靄家とは縁がありません」
「いや、もしかしたら……」
燦の頭の中で、何か繋がったようだ。
「宝物殿が焼けたあの夜、久靄家の姫が俺の目の前で霧中の才を使ったんだ。確か名前を、香宵と言ったはずだ」
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