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第1章 転生

第6話 四龍の統率者 ※永翔視点

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永翔えいしょう様……いいえ、ここでは翔永しょうえい様でしたか。また風邪を引いたのですね」
「……さすがに二度も冷たい川に浸かったからな」


 せっかく止まった鼻水と咳が、今日になってまたぶり返してしまった。
 宿の一室で、ふとんにくるまって震えていると、商儀がそんな私の姿を見てため息をつく。


「この国の皇帝陛下ともあろう御方が、ただの小娘に二度も突き落されるとは笑い話ですね。その気になれば避けることくらいできたでしょうに、油断なさいましたか?」
「すまん……何だか調子が狂って油断した」
「でしょうね。そもそも偽名の付け方から油断しすぎです。文字をひっくり返しただけじゃないですか!」


 側近である商儀しょうぎに説教を受けながら、私は前の日に黄明凛が言ったことを思い出していた。

 不思議な力を持つ、明凛の額の花鈿。
 その花鈿に触れるだけで、体中から毒素が抜けて浄化される感覚。


(あの娘は何者なのだ。四龍しりゅうの王家が持つ力とも違う、不思議な力だった)


 この大陸には青龍国の他に、玄龍国げんりゅうこく赤龍国せきりゅうこく白龍国はくりゅうこくという、龍の加護を受ける四つの国がある。
 この四国をまとめて四龍しりゅうと呼ぶが、この四龍の血を引く王族以外の者が特別な力を持っているなど聞いたことがない。

 かくいう私も青龍帝せいりゅうていの血を受け継いでいる。
 四龍を統べる青龍の力は絶大で、人だけでなく森羅万象、ひいては幽鬼までもが青龍の力の前に服従すると言われている。
 ただ、残念ながら私にはまだこの青龍の力が発現していない。

 それなのに、四龍の血筋と全く関係のない田舎の小娘が、いとも簡単に不思議な力を支配できているとは。


「翔永様、ぼーっとしてどうしました? もしかして、川に落とした昼寝娘ひるねむすめれちゃったんです?」
「……は? 何を言うんだ。その娘が、私の昔の知り合いに似ていたから気になっただけだ」
「でも、同じ娘に二回も川に落とされたくせに、思い出してニヤニヤしたりしますか? 普通は怒りますよね。後宮に無関心な翔永様が、女性に興味を持ったというだけで奇跡だと思うんですが」
「私は今ニヤニヤ……してたのか?」


 自分の顔を触って確かめてみるが、触ったところで自分の表情が分かるわけがない。
 女のことを考えてニヤけるなど、この五年間後宮に一歩たりとも近付かなかった自分らしくもないではないか。

 しかし昨日から、ふと気づけばいつも明凛のことを思い出しているのも事実だ。

 華奢きゃしゃな体つき、それに似合わない力の強さは武道を嗜んでいることを感じさせる。
 くるくると変わる表情や、気さくであるのにどこか品性を感じる話し方。それに、半分結い上げた長い髪は黒瑪瑙くろめのうのようにつややかで美しかった。

 もう二度と会わないから、という理由で自分の秘密を教えてくれた彼女にもう一度会いたいと、心の奥でずっと考えている。

 頭の中のモヤモヤした気持ちを振り払うように、私はぶんぶんと頭を横に振った。


「それにしても、彼女のあの力は四龍の系統ではなさそうだ。だとすると、何かの呪術じゅじゅつの類なのか……」
「翔永様? 呪術がどうかしましたか?」
「あ、いや。何でもない。とにかく、今日は侯遠の元には行けそうにない。其方が様子を見て来てくれないか」
「はいはい、分かりました。一人で曹家に行って参りますよ」
「正式な返事は急がない。だが私は真剣に、侯遠の力を借りたいと思っている。もう一度私の気持ちを伝えて来てくれ」


 人使いの荒い主人ですね、と口を尖らせながら、商儀は一人宿を出て曹家に向かった。

 一人になった宿の部屋の中で、私はもう一度横になる。
 飾り気のない天井をじっと見つめていると、頭によぎるのはまた、あの明凛のことだ。

 数多いる後宮妃たちには興味すら湧かなかったのに、堂々と外で昼寝をするような一人の街娘のことで心乱すとは。
 風邪でぼうっとする頭を冷やしたくて、近くにあった窓を開けた。
 この辺りは皇都中心部の喧騒けんそうが嘘のように穏やかで、時間すらゆっくり流れているような感覚にとらわれる。

 風邪で頭がぼんやりとしながらもなかなか寝付けず、考えごとを始めた。

 少し前のこと。
 皇太后、夏玲玉かれいぎょくが、十五年という歳月をさかのぼって、今は亡き楊淑妃ようしゅくひに罪をかぶせ、皇統から除名しようと言い始めた。
 楊淑妃は私の実母で、前の皇帝から最も寵愛を受けていた妃だ。

 ――あの事件があるまでは。

 夏玲玉かれいぎょくは玄龍国の公主こうしゅで、元々嫁いでくるはずだった姉の代わりに青龍国の前皇帝の後宮に入った。
 前の皇帝の在位中、子のいない玲玉――当時の夏徳妃かとくひは、皇子である私を産んだ楊淑妃ようしゅくひを妬んでいたらしい。

 私の立太子の儀が行われた日、夏徳妃が母に後ろから突き飛ばされ、階段から転げ落ちるという事件があった。その時ちょうど夏徳妃は懐妊中だった。

 皇太后はこの時の一件を理由に、今更になって母を皇統から除名しようと言い始めたのだ。


『――楊淑妃様は、永翔皇太子殿下の地位を脅かされるのではないかと心配し、懐妊した私を妬んでいらっしゃったのです!』

 幼い頃に聞いた、夏徳妃の金切り声が忘れられない。
 階段からの転倒の衝撃で子が流れてしまった夏徳妃は、涙ながらに前皇帝に母の有罪を訴えた。

 流産の事実については太医たいいが診察して確認しているし、母が夏徳妃を押したところを見たという妃嬪ひひんまで現れる始末。
 しかし、その妃の言葉だけを信じて裁くことはできないと、前皇帝は母を公に罰することは避けた。

 前皇帝に守られたことで、母は公には罪には問われない。
 しかし母を待っていたのは、自由に殿舎の外にも出られない実質的な幽閉生活だった。
 母はその後、夫にも子である私にも会えないまま、一人静かに病で息を引き取ったのだった。

(……今更、という言葉しか出て来ない)

 脈を打つようにズキズキと痛む頭に手のひらを当て、私は目を閉じる。

 母を亡くして後ろ盾を失った自分を支えてくれたのは、今まさに官職復帰をするよう口説こうとしている曹侯遠だった。本当の父よりも父のように慕い、全幅の信頼を寄せていた彼に、もう一度自分の傍で働いてもらいたい。
 そう考えて、ひっそりと身を隠して皇都に降りた。


「……侯遠を裏切ったのは私の方なのに、都合のいい話だな」


 口の片端をふっと上げると、私はいつの間にか眠ってしまっていた。
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