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第4章 幽鬼
第34話 お毒見係は後宮を去る①
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「明凛、明凛……!」
うっすらとした意識の向こう側で、聞き慣れた低い声が聞こえる。
「目が覚めたか? 明凛」
その声に引かれるように意識が戻ると、目を開いた先に皇帝陛下の焦った表情が目に入った。
「あれ、陛下……これは夢ですかね?」
「明凛、何を呑気なことを言っているのだ。どこか痛むところはないか? とにかく、目を覚ましてくれて良かった……」
そう言うと陛下は、私の右手を取ってそっと口付けた。
仮初の夫婦らしからぬ行動に驚いた私は陛下の手をはねのけようとするが、目を覚ましたばかりの私にその力はない。
代わりに夜衾を目の下まで引き上げて、動揺で赤くなった顔を隠す。
(何がどうなって、陛下が私を心配しているんだっけ)
私は朧げになっていた今日の出来事を順に思い出そうと、ぼうっとした頭を何とか働かせる。
確か白い蝶を追いかけているうちに清翠殿にたどり着き、そこで幽鬼の姿を見た。清翠殿の木の下で振り返ったのは、青白い頬をした琥珀様だった。
私の体は再びガタガタと震え始めた。
私が驚いたのは琥珀様のことだけではない。殿舎の石塀の周りに現れたあの青白い光。
(あれは間違いなく……)
「陛下、あの幽鬼がいた清翠殿は……」
「大丈夫だ、ここには幽鬼なんていないから怖がらなくて良い。すぐに太医を呼ぶから、少しだけ我慢してくれ」
「いいえ、大丈夫です。体がどこか悪いわけではなく、ただ清翠殿で見たことをご報告したくて」
「そんなに震えているのに?」
握っていた私の右手が、陛下の両手で包まれた。すると、不思議とむずがゆかった額の花鈿が落ち着いて心も静まっていく。肩に入っていた力が、すっと抜けていく。
「……陛下、ありがとうございます。子琴は無事でしょうか」
「子琴はこの通り、いつも通りだ」
陛下のうしろから明凛の顔を覗き込んだ子琴は、泣きそうな顔でこくりと頷いて見せる。安心した私は陛下に人払いをするように頼み、子琴は陛下の目配せで房から下がった。
「陛下、清翠殿で幽鬼を見たんです」
「子琴から聞いている。幽鬼など怖がらなくともよい。もう忘れろ」
「それだけではないんです。あの清翠殿の石塀の周りには……呪術が施されていました」
「……呪術だと?」
琥珀様の現れた場所の少し手前、朽ちた石塀に沿って線のように発した青白い光。
あれは幽鬼の光と色こそ似ているけれど、全く別の種の力だった。その証拠に、私の額の花鈿が赤く反応したのだから。
――確実に、あれは毒だ。
それに、呪術は人の為す技。
幽鬼の仕業ではないはずだ。
「まるで幽鬼を閉じ込めるかのように、周囲を取り囲んで施された呪術です。もし人間があの光を踏めば、きっと何らかの毒に犯されると思います。幽鬼を閉じ込めるためなのか、もしくは清翠殿の中に誰も立ち入らないようにするためのものなのか」
「…………」
陛下は何も言わず、握っていた私の右手を離す。
急に熱を失った右手をどこに置いたらよいか分からず、そっと夜衾の中に隠した。
清翠殿の幽鬼を見た数日後に亡くなったという宮女の死因は、もしかすると石塀の周りの呪術による毒の影響ではないだろうか。
四龍の中でも、呪術に長けているのは玄龍国だ。
しかし玄龍出身の人間は官職には多くいても、後宮には多くない。
「呪術を施したのは、皇太后様かもしれませんね……」
うっすらとした意識の向こう側で、聞き慣れた低い声が聞こえる。
「目が覚めたか? 明凛」
その声に引かれるように意識が戻ると、目を開いた先に皇帝陛下の焦った表情が目に入った。
「あれ、陛下……これは夢ですかね?」
「明凛、何を呑気なことを言っているのだ。どこか痛むところはないか? とにかく、目を覚ましてくれて良かった……」
そう言うと陛下は、私の右手を取ってそっと口付けた。
仮初の夫婦らしからぬ行動に驚いた私は陛下の手をはねのけようとするが、目を覚ましたばかりの私にその力はない。
代わりに夜衾を目の下まで引き上げて、動揺で赤くなった顔を隠す。
(何がどうなって、陛下が私を心配しているんだっけ)
私は朧げになっていた今日の出来事を順に思い出そうと、ぼうっとした頭を何とか働かせる。
確か白い蝶を追いかけているうちに清翠殿にたどり着き、そこで幽鬼の姿を見た。清翠殿の木の下で振り返ったのは、青白い頬をした琥珀様だった。
私の体は再びガタガタと震え始めた。
私が驚いたのは琥珀様のことだけではない。殿舎の石塀の周りに現れたあの青白い光。
(あれは間違いなく……)
「陛下、あの幽鬼がいた清翠殿は……」
「大丈夫だ、ここには幽鬼なんていないから怖がらなくて良い。すぐに太医を呼ぶから、少しだけ我慢してくれ」
「いいえ、大丈夫です。体がどこか悪いわけではなく、ただ清翠殿で見たことをご報告したくて」
「そんなに震えているのに?」
握っていた私の右手が、陛下の両手で包まれた。すると、不思議とむずがゆかった額の花鈿が落ち着いて心も静まっていく。肩に入っていた力が、すっと抜けていく。
「……陛下、ありがとうございます。子琴は無事でしょうか」
「子琴はこの通り、いつも通りだ」
陛下のうしろから明凛の顔を覗き込んだ子琴は、泣きそうな顔でこくりと頷いて見せる。安心した私は陛下に人払いをするように頼み、子琴は陛下の目配せで房から下がった。
「陛下、清翠殿で幽鬼を見たんです」
「子琴から聞いている。幽鬼など怖がらなくともよい。もう忘れろ」
「それだけではないんです。あの清翠殿の石塀の周りには……呪術が施されていました」
「……呪術だと?」
琥珀様の現れた場所の少し手前、朽ちた石塀に沿って線のように発した青白い光。
あれは幽鬼の光と色こそ似ているけれど、全く別の種の力だった。その証拠に、私の額の花鈿が赤く反応したのだから。
――確実に、あれは毒だ。
それに、呪術は人の為す技。
幽鬼の仕業ではないはずだ。
「まるで幽鬼を閉じ込めるかのように、周囲を取り囲んで施された呪術です。もし人間があの光を踏めば、きっと何らかの毒に犯されると思います。幽鬼を閉じ込めるためなのか、もしくは清翠殿の中に誰も立ち入らないようにするためのものなのか」
「…………」
陛下は何も言わず、握っていた私の右手を離す。
急に熱を失った右手をどこに置いたらよいか分からず、そっと夜衾の中に隠した。
清翠殿の幽鬼を見た数日後に亡くなったという宮女の死因は、もしかすると石塀の周りの呪術による毒の影響ではないだろうか。
四龍の中でも、呪術に長けているのは玄龍国だ。
しかし玄龍出身の人間は官職には多くいても、後宮には多くない。
「呪術を施したのは、皇太后様かもしれませんね……」
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