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第5章 青龍
第44話 心残り②
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青い光が差している場所まで、一歩一歩近付いて行く。
その場所までもうあと一歩というところまで来て、私は床に光が当たっている部分に触れようと足を踏み込んだ。
すると、私の体重がかかったからか、メキメキという音と共に突然私の視界がぐらっと揺れる。
(――痛いっ!!)
朽ち果てた木の床が割れ、私の右足が割れた床にはまり込む。折れた木の板の棘が邪魔になって、足を引き上げることも下に降りることもできなくなってしまった。
床下の暗闇の中で、右足の至る場所に傷ができて血が滴り落ちていくのが分かる。
私が立てた大きな音に驚いたのか、外にいた琥珀様が少しずつ殿舎に近付いて来たようだ。琥珀様から発せられる青白い光が、みるみる強くなっていく。
(早く……早く、ここから抜けなきゃ)
右足の周りを囲む床板を外せないかと試行錯誤していると、床下にぶら下がった右足がコツンと何か固いものにぶつかった。穴の隙間から床下を覗くと、月明かりと琥珀様の光を受けて、螺鈿のような模様が輝いている。
(何かの小箱かな?)
板の割れ目から、恐る恐る床下に手を伸ばしてみる。右手を木のささくれが引っ掻いて、私は痛みに顔を歪める。
あともう少しで小箱に手が届くと思ったところで、すぐ側の屋根から瓦礫がボロボロと崩れ落ちた。その穴からは青い光が差し込み、琥珀様が顔を覗かせる。
『――見つけてくれたのね?』
琥珀様が私に向かって安堵の目を向ける。
「あなたはやはり陶妃様なのですか? この小箱の中に、貴女の思い残すことがあるのでは?」
『私は誰なの? 陶妃なの? 琥珀じゃないの?』
陶妃様の低く落ち着いた声と、琥珀様の天真爛漫な明るい声が入り混じる。
私は木の棘が手足に刺さるのを我慢して、一気に床下から小箱を引き上げた。
「陶妃様! この箱に見覚えがありませんか!?」
『……その箱を私に返して頂戴。大切なものなの』
屋根に噛り付いて殿舎の中にいる私を見下ろす琥珀様の顔が、少しずつ崩れていく。
私は痛む足を押さえながら部屋の隅まで転がるようにして避け、急いで螺鈿の小箱の蓋を開けた。
箱の中から出て来たのは、診察記録。
私の前世で言う、病院のカルテのようなものだった。
日付は十五年前のものになっている。私は紙が破れないようにそっとめくりながら、誰の診察記録なのか名前を探した。
「これは、楊淑妃様の診察記録? なぜこれがここに……?」
ここは清翠殿の跡。
ここに暮らしていたのは陛下の母の楊淑妃様ではない。蔡妃様のお母様で、許太医と結ばれた、陶妃様の住まいだったはずだ。
『盗らないで。それは私の大切なものよ』
「大丈夫、ちゃんと読み解きますから!」
どこからどう見ても恐ろしい幽鬼の姿に変わってしまった琥珀様に怯えながら、私は必死で紙をめくる。
そこには、許太医が診察した時の楊淑妃様の病状がつらつらと書かれていた。
「楊淑妃様の体の麻痺が進行、右半身が特に病状が重く、右腕と右手は殆ど動かない……」
楊淑妃様が病を患っていたことは皆知っていたが、体に麻痺がおこるような病気だとは知らなかった。半身が麻痺するということは、前世で言う脳梗塞の類だったのかもしれない。
いずれにしても、楊淑妃様の診察記録がこの場所にあるのはおかしいし、亡くなった宮女や蔡妃様がわざわざ危険をおかしてまで手に入れたかったようなものとは思えない。
「これが何かの証拠になるのかしら」
『――それを返して!』
「琥珀様、いいえ陶妃様。少しお待ちください! 考えますから!」
伸びて来る幽鬼の細長い腕から逃げるように、私はもう一度部屋の反対側の隅に逃げた。まだ抜けきっていない毒のせいで、額の花鈿が燃えるように熱い。傷だらけの右足も思うように動かせない。
幽鬼の死角に入り、私はもう一度診察記録を取り出した。
これはいつのものなのだろうかと、もう一度日付を確認する。
「青龍暦の九七七年、三月一日の早朝。十五年前の三月一日って何の日?」
『――それを返せ!』
ついに殿舎の屋根が大きく崩れ、幽鬼が青い焔と共に部屋の中に降りて来た。目が開けられない程に眩しく焔が一度大きく燃え上がり、その焔を背負った幽鬼が私にぬっと両手を伸ばしてくる。
「きゃあぁっ! 陶妃様、やめて……!」
私が頭を抱えてうずくまった時、動物の雄叫びのような声が突然その場に轟いた。
恐る恐る片目を開いて声の主を確認すると、屋根に開いた穴から見えたのは、巨大な青い龍だった。
「――明凛!」
青龍に気を取られている幽鬼と私の背後から、私を呼ぶ声がする。
その声と共に殿舎に飛び込んで来たのは、あの人だった。
その場所までもうあと一歩というところまで来て、私は床に光が当たっている部分に触れようと足を踏み込んだ。
すると、私の体重がかかったからか、メキメキという音と共に突然私の視界がぐらっと揺れる。
(――痛いっ!!)
朽ち果てた木の床が割れ、私の右足が割れた床にはまり込む。折れた木の板の棘が邪魔になって、足を引き上げることも下に降りることもできなくなってしまった。
床下の暗闇の中で、右足の至る場所に傷ができて血が滴り落ちていくのが分かる。
私が立てた大きな音に驚いたのか、外にいた琥珀様が少しずつ殿舎に近付いて来たようだ。琥珀様から発せられる青白い光が、みるみる強くなっていく。
(早く……早く、ここから抜けなきゃ)
右足の周りを囲む床板を外せないかと試行錯誤していると、床下にぶら下がった右足がコツンと何か固いものにぶつかった。穴の隙間から床下を覗くと、月明かりと琥珀様の光を受けて、螺鈿のような模様が輝いている。
(何かの小箱かな?)
板の割れ目から、恐る恐る床下に手を伸ばしてみる。右手を木のささくれが引っ掻いて、私は痛みに顔を歪める。
あともう少しで小箱に手が届くと思ったところで、すぐ側の屋根から瓦礫がボロボロと崩れ落ちた。その穴からは青い光が差し込み、琥珀様が顔を覗かせる。
『――見つけてくれたのね?』
琥珀様が私に向かって安堵の目を向ける。
「あなたはやはり陶妃様なのですか? この小箱の中に、貴女の思い残すことがあるのでは?」
『私は誰なの? 陶妃なの? 琥珀じゃないの?』
陶妃様の低く落ち着いた声と、琥珀様の天真爛漫な明るい声が入り混じる。
私は木の棘が手足に刺さるのを我慢して、一気に床下から小箱を引き上げた。
「陶妃様! この箱に見覚えがありませんか!?」
『……その箱を私に返して頂戴。大切なものなの』
屋根に噛り付いて殿舎の中にいる私を見下ろす琥珀様の顔が、少しずつ崩れていく。
私は痛む足を押さえながら部屋の隅まで転がるようにして避け、急いで螺鈿の小箱の蓋を開けた。
箱の中から出て来たのは、診察記録。
私の前世で言う、病院のカルテのようなものだった。
日付は十五年前のものになっている。私は紙が破れないようにそっとめくりながら、誰の診察記録なのか名前を探した。
「これは、楊淑妃様の診察記録? なぜこれがここに……?」
ここは清翠殿の跡。
ここに暮らしていたのは陛下の母の楊淑妃様ではない。蔡妃様のお母様で、許太医と結ばれた、陶妃様の住まいだったはずだ。
『盗らないで。それは私の大切なものよ』
「大丈夫、ちゃんと読み解きますから!」
どこからどう見ても恐ろしい幽鬼の姿に変わってしまった琥珀様に怯えながら、私は必死で紙をめくる。
そこには、許太医が診察した時の楊淑妃様の病状がつらつらと書かれていた。
「楊淑妃様の体の麻痺が進行、右半身が特に病状が重く、右腕と右手は殆ど動かない……」
楊淑妃様が病を患っていたことは皆知っていたが、体に麻痺がおこるような病気だとは知らなかった。半身が麻痺するということは、前世で言う脳梗塞の類だったのかもしれない。
いずれにしても、楊淑妃様の診察記録がこの場所にあるのはおかしいし、亡くなった宮女や蔡妃様がわざわざ危険をおかしてまで手に入れたかったようなものとは思えない。
「これが何かの証拠になるのかしら」
『――それを返して!』
「琥珀様、いいえ陶妃様。少しお待ちください! 考えますから!」
伸びて来る幽鬼の細長い腕から逃げるように、私はもう一度部屋の反対側の隅に逃げた。まだ抜けきっていない毒のせいで、額の花鈿が燃えるように熱い。傷だらけの右足も思うように動かせない。
幽鬼の死角に入り、私はもう一度診察記録を取り出した。
これはいつのものなのだろうかと、もう一度日付を確認する。
「青龍暦の九七七年、三月一日の早朝。十五年前の三月一日って何の日?」
『――それを返せ!』
ついに殿舎の屋根が大きく崩れ、幽鬼が青い焔と共に部屋の中に降りて来た。目が開けられない程に眩しく焔が一度大きく燃え上がり、その焔を背負った幽鬼が私にぬっと両手を伸ばしてくる。
「きゃあぁっ! 陶妃様、やめて……!」
私が頭を抱えてうずくまった時、動物の雄叫びのような声が突然その場に轟いた。
恐る恐る片目を開いて声の主を確認すると、屋根に開いた穴から見えたのは、巨大な青い龍だった。
「――明凛!」
青龍に気を取られている幽鬼と私の背後から、私を呼ぶ声がする。
その声と共に殿舎に飛び込んで来たのは、あの人だった。
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