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第5章 青龍
第47話 再会
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清翠殿の門の向こうには、一人の女性が立っていた。
頭から領巾を被っていて顔は見えないが、侍女も付けずにたった一人、少し離れた場所で不安そうにこちらを見ている。
今晩、後宮内には人影はなかったはずだ。
私が清翠殿に向かうところを誰にも見られないように、蔡妃様が裏で手を回して後宮全体に外出禁止を伝えたから。
(だから、あの方は蔡妃様に違いないわ。きっと私が上手く証拠を取って来られるか気になって、ここまで見に来たのよ)
清翠殿の呪術に触れぬよう、離れた場所にいるのは仕方がない。
陶妃様はここから実の娘の姿が見えるだろうか。
「陶妃様。私と一緒に後宮に来て頂いてから、何度か顔を合わせていらっしゃると思いますが……あの方が貴女の産んだ娘、蔡蓮房様です。どうか思い出してください」
『娘? 私の?』
陶妃様は驚いた様子で、蔡妃様の姿を見つめている。
幽鬼の姿は、憑りつかれた人間以外からは見ることができない。青龍帝の血を継ぐ陛下には幽鬼も見えるようだが、普通の人間には無理だ。
あそこにいる蔡妃様からも、陶妃様の姿は見えていないはずである。
『私は誰なの? なぜ幽鬼になったの?』
「陶妃様、貴女はこの後宮で許陽秀様という太医と出会い、愛し合いました。しかし貴女は前帝の妃。許太医との関係は許されざるものでした。だから許太医との間に生まれた命を守るため、娘の蓮房様を密かに後宮の外に逃がしたのですよね」
少しずつ記憶を取り戻しつつあるのか、動揺した陶妃様の青白い焔が大きく揺れる。
私は門の向こうにいる蔡妃様に向かって叫んだ。
「蔡妃様! こちらに向かってお顔を見せて下さいませんか!」
蔡妃様は私の声を聞き、こちらに向かって一歩踏み出す。そして恐る恐る領巾を頭から外して顔を上げた。
昇ったばかりの太陽の光で、私のいる場所からも蔡妃様の顔はハッキリと見えた。
「陶妃様、さあ。蔡蓮房様です」
「あの子が私の娘……!」
頭を抱えて苦悶の表情を浮かべる陶妃様。
傍にいた陛下はそれを見て、空を旋回していた青龍に向かって手を伸ばす。すると、青龍はゆっくりと陶妃様の元に舞い降りて来た。
陶妃様の青い光ごとすっぽりと抱きかかえるように、青龍は陶妃様の周囲を回った。しばらくすると陶妃様が発していた光はすっかり消え去り、向こう側が透けて見えるほど体が薄くなって消えていく。
「陶妃様、待ってください! 消えないで!」
「明凛、大丈夫だ。きっと彼女は青龍の力を借りて過去の記憶を思い出したんだろう。ほら見て」
陛下が私の両肩に手を置いて、陶妃様の顔を見た。
青龍が陶妃様から離れると、陶妃様の目からは大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
『――ありがとう、ありがとう。娘に会わせてくれてありがとう』
「……っ! 陶妃様!」
陶妃様は涙を袖で拭きながら、清翠殿の門までふんわりと飛んだ。
『私の娘は、蓮房という名なのね。こんなに大きくなって……』
もう体の殆どが消えてしまい、上半身がうっすら見えるような状態で、陶妃様は私に振り返る。風に乗ってゆらゆらとこちらに戻って来る姿は、まるで空に消えていく煙のようだ。
『明凛、本当にありがとう。これでもう心残りはありません。娘に、必ず幸せになるようにと伝えて下さいますか。それと……私がこの世から消えてしまう前に、私が貴女から奪ったものを返します』
「え? 私から奪ったもの? 陶妃様、それはどういう……」
陶妃様はその白い煙のような手で、私の額の花鈿にそっと触れる。そしてそのまま陶妃様は、本当の煙のように空に姿を消した。
白い煙は渦を巻いて、青龍と共に空に昇って行く。
「陶妃様、きっと生まれ変われますよね」
「そうだな。許太医の残したこの記録も、こうして白日のもとに晒されることとなった。そして実の娘の姿も見ることができた。もう思い残すことはないだろう」
陛下は、空を見上げている私をもう一度抱き上げる。
驚いて小さく悲鳴を上げた私は、陛下に抱きかかえられている所を蔡妃様に見られていることが恥ずかしくて、陛下の腕の中でバタバタと暴れた。
「明凛、ちょっと落ち着いてくれ」
「恥ずかしいから自分で歩きます! それに、あの呪術はどうやって越えるんです? いくら私の花鈿で大分毒を浄化できたとは言え、陛下が丸腰であの線を超えたら……」
「いや、ちょっと待て、明凛」
騒ぐ私の言葉を遮り、陛下は私の額をじっと見た。
清翠殿の門の手前で立ち尽くしたまま、怪訝な顔でつぶやく。
「――額の花鈿が、消えている」
頭から領巾を被っていて顔は見えないが、侍女も付けずにたった一人、少し離れた場所で不安そうにこちらを見ている。
今晩、後宮内には人影はなかったはずだ。
私が清翠殿に向かうところを誰にも見られないように、蔡妃様が裏で手を回して後宮全体に外出禁止を伝えたから。
(だから、あの方は蔡妃様に違いないわ。きっと私が上手く証拠を取って来られるか気になって、ここまで見に来たのよ)
清翠殿の呪術に触れぬよう、離れた場所にいるのは仕方がない。
陶妃様はここから実の娘の姿が見えるだろうか。
「陶妃様。私と一緒に後宮に来て頂いてから、何度か顔を合わせていらっしゃると思いますが……あの方が貴女の産んだ娘、蔡蓮房様です。どうか思い出してください」
『娘? 私の?』
陶妃様は驚いた様子で、蔡妃様の姿を見つめている。
幽鬼の姿は、憑りつかれた人間以外からは見ることができない。青龍帝の血を継ぐ陛下には幽鬼も見えるようだが、普通の人間には無理だ。
あそこにいる蔡妃様からも、陶妃様の姿は見えていないはずである。
『私は誰なの? なぜ幽鬼になったの?』
「陶妃様、貴女はこの後宮で許陽秀様という太医と出会い、愛し合いました。しかし貴女は前帝の妃。許太医との関係は許されざるものでした。だから許太医との間に生まれた命を守るため、娘の蓮房様を密かに後宮の外に逃がしたのですよね」
少しずつ記憶を取り戻しつつあるのか、動揺した陶妃様の青白い焔が大きく揺れる。
私は門の向こうにいる蔡妃様に向かって叫んだ。
「蔡妃様! こちらに向かってお顔を見せて下さいませんか!」
蔡妃様は私の声を聞き、こちらに向かって一歩踏み出す。そして恐る恐る領巾を頭から外して顔を上げた。
昇ったばかりの太陽の光で、私のいる場所からも蔡妃様の顔はハッキリと見えた。
「陶妃様、さあ。蔡蓮房様です」
「あの子が私の娘……!」
頭を抱えて苦悶の表情を浮かべる陶妃様。
傍にいた陛下はそれを見て、空を旋回していた青龍に向かって手を伸ばす。すると、青龍はゆっくりと陶妃様の元に舞い降りて来た。
陶妃様の青い光ごとすっぽりと抱きかかえるように、青龍は陶妃様の周囲を回った。しばらくすると陶妃様が発していた光はすっかり消え去り、向こう側が透けて見えるほど体が薄くなって消えていく。
「陶妃様、待ってください! 消えないで!」
「明凛、大丈夫だ。きっと彼女は青龍の力を借りて過去の記憶を思い出したんだろう。ほら見て」
陛下が私の両肩に手を置いて、陶妃様の顔を見た。
青龍が陶妃様から離れると、陶妃様の目からは大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
『――ありがとう、ありがとう。娘に会わせてくれてありがとう』
「……っ! 陶妃様!」
陶妃様は涙を袖で拭きながら、清翠殿の門までふんわりと飛んだ。
『私の娘は、蓮房という名なのね。こんなに大きくなって……』
もう体の殆どが消えてしまい、上半身がうっすら見えるような状態で、陶妃様は私に振り返る。風に乗ってゆらゆらとこちらに戻って来る姿は、まるで空に消えていく煙のようだ。
『明凛、本当にありがとう。これでもう心残りはありません。娘に、必ず幸せになるようにと伝えて下さいますか。それと……私がこの世から消えてしまう前に、私が貴女から奪ったものを返します』
「え? 私から奪ったもの? 陶妃様、それはどういう……」
陶妃様はその白い煙のような手で、私の額の花鈿にそっと触れる。そしてそのまま陶妃様は、本当の煙のように空に姿を消した。
白い煙は渦を巻いて、青龍と共に空に昇って行く。
「陶妃様、きっと生まれ変われますよね」
「そうだな。許太医の残したこの記録も、こうして白日のもとに晒されることとなった。そして実の娘の姿も見ることができた。もう思い残すことはないだろう」
陛下は、空を見上げている私をもう一度抱き上げる。
驚いて小さく悲鳴を上げた私は、陛下に抱きかかえられている所を蔡妃様に見られていることが恥ずかしくて、陛下の腕の中でバタバタと暴れた。
「明凛、ちょっと落ち着いてくれ」
「恥ずかしいから自分で歩きます! それに、あの呪術はどうやって越えるんです? いくら私の花鈿で大分毒を浄化できたとは言え、陛下が丸腰であの線を超えたら……」
「いや、ちょっと待て、明凛」
騒ぐ私の言葉を遮り、陛下は私の額をじっと見た。
清翠殿の門の手前で立ち尽くしたまま、怪訝な顔でつぶやく。
「――額の花鈿が、消えている」
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