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第6章 記憶

第59話 大切な話

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 私が立ち上がって房の扉を開くと、ちょうど向かい側から入ってきた人の胸に思い切りぶつかった。


「ぶへっ」
「明凛」
「あ、陛下……」


 少し外で涼もうと思っていたのに、もう陛下が馨佳殿きょうかでんに着いてしまった。大切な話をどう切り出そうかを考えていなかった私は、焦っておろおろしながら下を向く。

(とりあえず、私のこの赤くなった顔を見られたくない。何だか変に期待していたみたいじゃないの!)

 しかし、いつまで経っても何も言わない陛下の様子が気になって、そっと陛下の顔を見上げてみる。


「どうした、明凛めいりん
「いいえ、ちょっと涼もうかと……」
「そうか。しかしそんな薄着では風邪をひく」


 陛下に言われて自分の寝衣に目をやると、確かに異様に薄い生地でできている。青龍殿で私が陛下から紫色の衣をもらったことがどこかから伝わり、蔡妃様や侍女たちがおかしな気を遣ったらしい。
 私は「ひっ」と小さく悲鳴を上げて、房の中にそそくさと戻った。

 私が腰を降ろしたすぐ後ろに、陛下の気配を感じる。
 背を向けたまま後ろを振り向くと、陛下は穏やかな顔で待っていた。


「……あの、陛下」
「何だ」
「私、陛下に大切なお話があってですね」
「ああ」
「私の話、ちゃんと聞いてます?」
「ああ」
「いや、聞いてないですよね。私のこと見てばっかり」
「聞いているよ。明凛が何をそわそわしているのかは知らないが、挙動不審な仕草を見ていると飽きなくてね」


 全てを包み込むような温かくて穏やかな笑顔に、私の胸はぎゅうっと締め付けられたように苦しくなる。
 私が今から話す事実を聞いて、陛下はどう思うだろう。
 不安と期待が入り混じった気持ちで、私は口を開いた。


「あの……何からお話したらうまく伝わるのか分からないのですが」
「うん」
「まずは、楊淑妃様の除名を阻止できて本当に良かったです」
「それはとても嬉しい気持ちだが、もったいぶった割に随分と色気のない話題なんだな」


 私はどうやら、話の切り出し方をしくじったらしい。
 頭の整理をつけながら、何とか次の言葉をひねり出す。


「楊淑妃様の除名を阻止できて、陛下には青龍の力が現れて。何だか全て上手く行っているように見えますが、実はまだまだ残課題があります」
「……まるで仕事のようだな。これは夫婦のねやでする話だろうか」
「閨ッ! 陛下! 私は真面目にお話しているのですよ!」


 順を追って話をするのって、こんなに難しいことだっただろうか。


「とにかく、皇太后様はまだまだ帝位を諦めていないと思います。これからも陛下のお命を狙うかも。毒を仕掛けてくるだけでなく、今日みたいに直接的に刺客を使ってくるかもしれません」
「……刺客か」


 陛下の脳裏に過去の出来事がよぎったのか、穏やかだった笑顔に影が差す。


「皇太后様と戦うためには、陛下にも味方がいた方がいいと思うんです! 商儀しょうぎさんは何だか頼りないし、曹侯遠そうこうえん先生は頼りになるけどいいお年だし。そこでご提案なんですが」


 私は薄い寝衣の襟元をギュッと閉めて、陛下の目の前に座って姿勢を正す。真正面で視線を合わせた私たちは、どちらからともなく距離を詰め、膝が触れるほどの距離で見つめ合った。


「私をまた後宮妃にして頂くっていうのは如何でしょう!? 今日見て頂いた通り、私には曹侯遠先生から仕込まれた青龍古武道の嗜みもありますし、ちょっとした予知能力みたいな力もあるんですよ!」


(予知能力と言っても、『玲玉記』のストーリーを知っているってだけなんだけど)


「毒を浄化する力はなくなってしまったから、お毒見係としてはスキル不足かもしれないですが、でもお毒見はこれまで通り続けるつもりでいます!」
とは何だ?」
「あっ、それはまあ、特殊技能みたいなものですかね。それはさておき、私が一番言いたかったことはですね……」


 そこまで口にして、私は急に不安に襲われて口を噤んだ。
 陛下の心を救いたい一心でここに来たつもりだった。でも、私が本当は曹琥珀そうこはくなのだと陛下に伝えたところで、陛下の心は救えたとしても、私をずっと側に置いてもらえる理由にはならないのではないだろうか。

 陛下の側に置いて下さいと必死でお願いをしている自分がやけに恥ずかしくなって、言葉が口から出て来ない。

 永翔様と琥珀の物語は、一旦途切れてしまっている。
 もしこれからも私が陛下と一緒にいたいと願うなら、明凛としての私をどう思っているのかを聞かなければ。


「あの……」


 口籠る私の様子を見かねてか、陛下の腕がすっと私の方に伸びて来る。そして体を強張らせて俯いていた私の腕を引き、その胸にぎゅうっと抱き締められた。


「明凛が言いたいことを整理している間に、私からも話がある」
「な、なんでしょうか」


 私の黒髪を撫でる陛下の手が、髪の間をすり抜けて私の背中をさする。ぞわっとした感覚に、せっかく落ち着いていた頬の熱が再び上がっていくのが分かった。
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