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終章

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 背中に触れる陛下の手の温かさが、薄い寝衣越しに背中に伝わる。
 あまりの緊張に息を止めて体を強張らせていたのに、いつの間にか陛下の腕の中の心地よさに力が抜けていく。

 私の緊張がほぐれて落ち着いたのを感じたのか、陛下は私の耳元に顔を近付けた。


「幼い頃、私は大切な人を目の前で亡くした。その子は私を庇って背中に毒矢を受けたんだ。彼女を守れなかった自分が悔しくて、それからは全てがどうでも良くなった」
「……はい」
「毒見も拒み、人との関わりもできるだけ断った。青龍国の行く末ですら、私には関心が持てなかった」


 私の背中を抱く陛下の腕に力が入る。

 私にとって、小説に出て来る「不憫な皇帝」でしかなかった陛下の存在。
 しかし陛下と過ごすうち、不憫だと思う気持ちが心配に変わり、そして私の中でそれはいつの間にか、陛下への愛情になっていた気がする。

 陛下が背負う辛い過去は、私も一緒に背負ってあげたい。

 耳元で早鐘を打つ陛下の鼓動を感じたくて、私は目を閉じた。


「明凛」
「はい」
「そんな私の前に現れた明凛が、私のことを救ってくれた。母の除名のことだけではない。私の受けた過去の心の傷も明凛に救われた気がするんだ。だから額の花鈿の力も青龍古武道もどうでもいい。ただ明凛が私の側にいてくれたら……」
「え?」


 驚いて顔を上げると、陛下は照れくさそうにははっと笑う。


「いいんですか? 私、ここにいても」
「明凛こそ話を聞いていたのか? 今、明凛に側にいて欲しいと伝えたところじゃないか」
「側にいて欲しいっていうのは、つまり?」
「仮初の妃ではなく、私の本当の妃になって欲しい。駄目か?」


 駄目か? と聞いた陛下の小犬みたいな表情が可愛くて、私は陛下の首に飛びついた。本当の妃になって欲しいと言われて、駄目なんて言うわけがない。
 何と言っても私は、四歳の頃から陛下のことが大好きなのだから。

 これから鄭玉蘭様が現れたとしても、陛下が玉蘭様に心変わりをしたとしても、私だけは絶対に陛下を愛し続ける自信がある。


「陛下、全然駄目じゃないです。私を本当の妃にしてください。お饅頭を食べましょう!」
「……は? 唐突に何だ? 饅頭?」


 先ほど侍女たちが用意してくれた菓子の中に、お饅頭があったはずだ。私は皿に饅頭を準備して、ポカンと口を開けて待つ陛下の隣にいそいそと座る。


「お饅頭を半分こして二人で食べたら、結婚できるんですよ」
「…………明凛、それは」
「大丈夫。もちろん毒見は済んでますから。『せーの!』で食べるんです」


 饅頭を手で半分に割り、片割れを陛下に差し出した。
 陛下は両目いっぱいに涙を溜めて、口元を震わせている。


「明凛……いや、琥珀こはく……琥珀なのか?」
永翔えいしょう様。冗談でこんなこと言えるわけがないでしょう? ずっと記憶を失くしていて申し訳ありません。私は曹琥珀そうこはくです」


 私が名乗り終わらないうちに、陛下の唇が私の唇に重なる。
 そのままの勢いで床に倒れ込んだ私たちは、時を忘れるほど何度も口付けを交わす。そしてお互いに涙でぐちゃぐちゃになった顔を見合わせて、笑いあった。

 いつの間にか部屋の灯りは消え、すっかり夜も更けた頃、馨佳殿の円窓からは明るい月の光が差し込む――。





「みゃ~う」


 馨佳殿の内院には、今朝もいつもの黒猫がやって来る。
 毒見を済ませた食事を少し取り分けて、こうして食べさせてやるのがすっかり私の日課になった。


「にゃあ、にゃあっ!」
「あらら、珠珠じゅじゅ! 今朝のごはんはお気に召さなかったかしら?」


 永翔様のお母様である楊翠珠様のお名前から字を頂いて、この黒猫には『珠珠じゅじゅ』という名前を付けた。生まれたばかりの子猫なのに何だか妙に生意気な子で、気に入らない食事が出るとこうしていつも不機嫌になる。


「生意気な猫ちゃんね。楊淑妃様にちなんで名前を付けちゃったけど、貴女はどちらかというと、幽鬼の琥珀様に似ているわ」
「みゃ~」
「うわ! その顔とか、本当に琥珀様にそっくりよ!」


 珠珠を抱き上げてじゃれていると、殿舎の向こうから私を呼ぶ声が聞こえる。


「明凛お嬢様! 戻って来てください! 猫へのエサやりは、せめて髪を整えてからにしてくださいよぉ」
「はーい! 今戻るわ、子琴」


 私は侍女にエサやりを頼むと、珠珠を下に降ろして頭を撫でる。
 久しぶりに幽鬼の琥珀様のことを思い出したからか、何だか懐かしい気持ちで胸がいっぱいだ。

(琥珀様は陶妃様としての記憶を取り戻したことだし、ちゃんと成仏して生まれ変われたかしら)

 珠珠に「またね」と挨拶して立ち上がると、突然生暖かい風がびゅうっと通り過ぎる。

『玲玉記のストーリーはまだまだ始まったばかりなんだけど、アンタ大丈夫?』

 風に乗ってどこからか、琥珀様の声が聞こえた気がした。


(おわり)
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みんなの感想(5件)

まさひろ
2023.12.02 まさひろ
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秦朱音|はたあかね
2023.12.02 秦朱音|はたあかね

未熟な点も多々あったかと思いますが、最後までお読みいただきありがとうございました😊
ラストシーンで鳥肌立つほど感情移入して頂けたなんて、作者としてとても嬉しいです。

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まるkomaり
2023.03.01 まるkomaり
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秦朱音|はたあかね
2023.03.01 秦朱音|はたあかね

最後までありがとうございました‼︎
何とか2月末の期限までに第1部?完結できてホッとしてます(*^^*)

黒猫ちゃんはきっと、あの人の生まれ変わり…また落ち着いたら続きも考えてみたいと思います!

いつもあたたかい感想ありがとうございます😊

解除
towaka
2023.02.28 towaka
ネタバレ含む
秦朱音|はたあかね
2023.02.28 秦朱音|はたあかね

最後まで読んでいただきありがとうございます!
残念です、と書いて頂いたと言うことは、続きも読みたいと思って頂いたのかな?と思って勝手に喜んでおります
(*´꒳`*)

まだまだ玉蘭も登場させたいし、皇太后のことも何とかしたいし、2人の恋愛模様も描きたいと思っています。

が、今回は恋愛小説大賞の参加作品ですので一旦完結とさせていただきました。

まだ出せていない設定もありますし、第2部もいつかチャレンジしたいと思っています。

またその時には読んでいただけると嬉しいです‼︎

解除
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