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番外編
97 親の心子知らず②
あの日のシェラージェ様の姿は今でも忘れられない。
シルバーアッシュの髪は少し伸ばされ斜めに横髪を髪留めで留めていた。漆黒の瞳は闇よりも夜空のようで綺麗だった。スラリと高い背に少女の様な顔立ち。
天から降りてきたのだと思った。
長い睫毛が動くたびに、僕の目は吸い寄せられるようだった。
遊び相手としてやって来たシェラージェ様は、その日僕と本を読んでくれた。まだ文字の練習中だった僕に、ゆっくりと教えながら読んでくれたのだ。
後から知ったけど、シェラージェ様の家は騎士としても有名な家門で、室内で本を読むような方ではなかった。
幼い僕に合わせてくれたのだ。
なんて優しいんだろう。
僕はすっかりシェラージェ様に恋をした。
両親にそれを伝えると複雑な顔をした。何故なら僕の家は父上が黒銀副団長という地位ではあるものの平民だからだ。
でも平民でもスキル持ちなら貴族の家に嫁ぐことはある。
僕はシェラージェ様に纏わりつくようになった。
今日もやってきたラニナトリアに、シェラージェは苦い顔をした。
ラニナトリアとはもう二年の付き合いになる。
シェラージェはノルゼ兄様と同じ時期に学院に通いたかった為、十五歳で入学した。
俺の我儘に他の三人も合わせてくれて、リカーノルエ殿下とラグィン、ヨアーチェも入学してきた。
ラグィンは相変わらず女装しているが、それがまた似合っていて、制服も女性用を着用している。ヨアーチェとはいつも手を繋ぐか腕を組んで歩いているので友達同士に見えるが、あの二人は婚約者同士だ。
よく分からない奴らだなと思う。
「シェラージェはいつ婚約するの?」
ラグィンが唐突に尋ねてきた。
「は?んな予定はない。」
俺はすかさず返事をした。言いたいことを理解したからだ。
「今日も来てるな。」
リカーノルエが窓の外を見る。
教室の外の木の枝に、子供が一人チョコンと座ってこちらを見ていた。
オレンジ色の髪に紫の瞳。
あれからラニナトリアとは親交を深めたと思う。我ながら最大限に気を遣って相手をした。それが幸か不幸かラニナトリアに執着心を抱かせたらしい。
ラニナトリアは気難しい性格をしていた。可愛い容姿には似つかわしくない気の強さと、少し歪んだ性格だ。
人の好意は嫌がるのに、好意を抱いた人間への執着は酷い。
それに気付いたのはつい最近だった。
入学式を見てみたいというから、家族としてならいいかとユンネ父様に一緒に連れて来てもらうように頼んだ。
最近は癇癪を起こして人を危険な場所に飛ばすこともなくなっていたので、大丈夫だと思っていたのに、その日ラニナトリアは俺に挨拶してきた人間全てを学院の外に飛ばしてしまった。
対抗できたのはリカーノルエとラグィン、ラグィンに庇われたヨアーチェと、各それぞれの親家族だけだった。
ソマルデ黒銀騎士団長がラニナトリアを捕まえ、来ていた陛下がとりなしてくれたので大事にはならなかったけど、ラニナトリアのこの極端な性格が浮き彫りになった。
「ラグィンはラニナトリアの性格知ってて俺に世話を勧めたのか?」
俺の非難がましい声に、ラグィンは首を傾げる。
「いや?知りはしない。でもあの両親の子供だし、やっぱり親を見て育つだろうし、ね?」
ね?じゃない。
「困ってるならラニナトリアに他にもお友達を作ってやればいいんじゃないかしら?」
今はシェラージェしかいないからダメなのよ、とヨアーチェがポンと手を叩いて提案した。
お前のせいだぞとラグィンを見る。ラグィンは仕方ないなと溜息を吐いた。
「じゃあ弟に合わせてみるね。」
その日のラグィンの提案は、意外と功を奏していたのか、ラニナトリアは来なくなった。
排除だけではダメなんだよ。
そう言ってラニナトリアに話し掛けてきたのは同じ歳のセファンテ・ローティエルだった。父の上司であるソマルデ黒銀騎士団長の次男だったはずだけど、何故かドレスを着ていた。まぁ、そんなことは些細なことだよね。問題は彼の発言だ。
「なんで?邪魔なやつは消したほうが良くない?」
セファンテはダメダメと首を振る。金の髪がふわふわと揺れた。
「いい?好かれたいならどうすればいいのかよく考えないと。シェラージェ様はファバーリア侯爵家を継ぐ方なのだから様々な繋がりがあるんだよ?手当たり次第攻撃してシェラージェ様が困ることになったら嫌われてしまうんだ。誰だって自分に有益な存在の方が好感を持つ。君は嫌われたいの?」
僕はハッとした。それは困る!
「でも、誰にもシェラージェ様に近付いて欲しくない。」
「そうだね、だから君はいろんなことを学び、シェラージェ様に好かれなくてはいけない。」
「勉強したら好かれる?」
「勉強だけではないけど、好かれて君がいないとダメなくらい好きになってもらわないと。」
キラキラと綺麗な青い瞳がラニナトリアを見つめた。
ラニナトリアと知り合って、ラニナトリアがこんなに長く現れなくなったのは初めてだった。
飼っていた猫が行方不明になった気分だ。
「どうしよう…。病気じゃないよな?」
気になってきた。
「………はぁ。ラグィンの狙いに気付いてしまったよ。」
リカーノルエが忌々しそうに呟いた。
狙い?ラグィンになんの関係が?
「狙いって?」
今、俺たちは北離宮にいた。いつもは四人で集まるのに、今日はシェラージェだけリカーノルエに呼び出された。この北離宮は警護も厳重で子供達だけで会うのにはうってつけだった。外は雨なので俺達は室内の客間で話していた。
いつもは程よく距離を取るリカーノルエが、ソファに座っていた俺の隣に座ってきた。
珍しいなと思う。
リカーノルエはあまり人を側に置かない。俺達三人は特別だけど、それでも一線引いている感じは常にある。
「シェラージェの兄離れをさせる為に子守をさせてみたらどうかと言われたから連れていったのに。」
「ん?そう言ってたな。」
シェラージェは、それが?と首を傾げた。
シェラージェの兄離れをさせたかった。幼い頃から四人でいつも遊んでいたけど、ノルゼ兄様だけはこの輪の中に入れる人だった。
それでもノルゼ兄様はサノビィス様の婚約者だし、年も離れているので徐々に離れていった。
ラグィンとヨアーチェはいつもお揃いの服を着て二人の世界を作ってしまう。
必然的にシェラージェとリカーノルエが二人でいることが多くなっていった。
リカーノルエは寂しがり屋というわけではない。両親は仲がいいし、陛下は絶対に側室は作らないと公言している。リカーノルエの下には弟が一人いるし、どちらもスキルを持って生まれたので後継には問題ない。
何も不安要素はないのに、リカーノルエには不安がある。
それが何かは分からなくて学問に武術に仕事にと打ち込んではみたが、特に解消された感じもない。
じゃあ、なんだろう?
ずっと分からなかった。
でも最近これかなと思うことがある。
側に誰かがいるという安心感。最近皆んなそれぞれの世界を作りつつある。一緒にいた人間が特定の誰かといるようになる。
リカーノルエにはそれがまだない。
父上は幼少期に父様と会ったのだと聞いている。それはとても特別な関係で、父上にとって父様でしかあり得ないのだそうだ。
リカーノルエにはそれがない。
今後現れるか分からない。
既に会っているのか、未来に会えるのか、会わないのか…………。
シェラージェは最側近だ。護衛も兼ねていつも側にいる。頭も悪くない。強いて言えば裏表がないのが困るくらいだけど、汚いことを嫌うわけでもない。
シェラージェも離れていくんだろうか。
特定の誰かの所に行ってしまう?
側近として仕事はするだろうけど、常にリカーノルエだけを見ているわけではなくなる。
シェラージェが兄離れをしたら、リカーノルエだけを見るのだろうかと思っていた。
そう思っていたのに、ラグィンはシェラージェに特別を作ろうとしたのだ。
何の為に?
「シェラージェはラニナトリアのことが気になるんだね。」
シェラージェが首を傾げた。
「そりゃ……、あんだけ来てたのに急に来なくなれば。」
私もいないようになれば気にするのかな?いや、するしかない。護衛なのだから、主人がいなくなったら探すしかない。
それではダメだなぁ。
窓の外の雨を眺めながら暗く考える。
リカーノルエには特別がいない。
ポンと頭に重みが乗った。
見上げるとシェラージェの手が乗っていた。
「どうしたんだ?元気ないな。雨のせいか?」
リカーノルエはシェラージェの伸びた腕を見上げて、シェラージェの顔を見た。
綺麗な顔だ。小さい頃は少女にしか見えなかったのに、今は男らしさも混ざってきた。体格だって骨格がハッキリしてきて筋肉が付き出した。ファバーリア侯爵に似ているから、今は同じくらいでもきっと背も高く逞しくなるだろう。
リカーノルエは顔を歪ませた。
シェラージェをドンっと押し倒す。長椅子に倒されたシェラージェがポカンとリカーノルエを見上げていた。
「………ムカつくな。ラグィンの思惑通りか?」
「??本当にどうした?何怒ってるんだ?」
リカーノルエが感情を表に出すことは珍しい。いつも完璧な王太子には隙が一つもないのだが、今日のリカーノルエはちょっとおかしい。
「綺麗な顔だ。」
黒銀副団長の息子が夢中になるのもわかる。紹介しなければよかった。おそらくラグィンの父親が何か助言したか命じたか…。
何の為に?
シェラージェの唇を指でなぞって考える。
黒銀騎士団長が副団長の為にやった事ではないはずだ。部下の子供の成長にまで干渉するような心の温かい人間ではない。
ならば?
唇に這わせた指を首から降りて襟に流していき、襟のボタンをプツンと外す。プツン、プツンと二つ目三つ目と外していき、シェラージェの胸元を出した。鍛えられた滑らかな肌が出てくる。
ソマルデ黒銀騎士団長は命じられたのか?
命じるならば父上からだろう。
となると私がらみだ。
「…………………婚約者か?」
ポツリと呟いた声はシェラージェに届いた。
シェラージェはバカではない。リカーノルエのポツポツと紡がれる独り言を辿り、ハッと気付いた。
「まさか俺がリカーノルエから離れれば婚約者が決まるのか?」
そんなバカなとシェラージェは驚いていた。
でもリカーノルエはそうかもしれないと納得していた。リカーノルエが友人だけがいる空間を大切にしていることを父上は知っている。
数年前だが婚約者に相応しいと思う人間がいたら教えるようにと言われていた。王族の婚約者はスキル持ちでなければならない。スキルを持つ者は早く婚約し結婚していく為、婚約者にするなら早い方がいい。だから早いうちから言われていた。
でもリカーノルエにはピンとこなかったのだ。
シェラージェとラグィンとヨアーチェの四人でいつまでも居たかった。
たがラグィンとヨアーチェは恋仲になり早くから婚約した。
その後に良い人がいたら教えろと言われたのだ。
その時は特にいないと答えた。そしてそれは今も変わらなかった。いや、そう思っていたのだけど、そうじゃなかった。
シェラージェがラニナトリアにとられてしまうかもしれないと思うと、居ても立っても居られなくなる。
「でも俺が離れる必要あるのか?護衛だよな?」
不思議そうにシェラージェが考えている。
「あったんだよ。シェラージェは次期ファバーリア侯爵で俺の護衛だったから。」
リカーノルエの特別ではいけなかったのだ。
でも、そんなの親が勝手に危惧した話だ。
「………シェラージェは私の側にずっといるよな?」
リカーノルエの問い掛けに、シェラージェは目を見開いた。
返事はなかったけどリカーノルエはシェラージェにキスをした。
そろそろ閨教育をと言われていたけど、赤の他人とはやりたくない。シェラージェが相手をしたらいい。
「リカ、それ以上やったら戻れなくなる。」
「ダメなの?」
「俺はファバーリア侯爵家の跡取りだ。」
「下がいるだろ?ユンネ様ならまだ産めるよ。」
「あのな……。」
胸を舐め出したリカーノルエを手で抑えてきたので、リカーノルエはその手首を掴んで上にあげた。
「邪魔しないで。」
「………んっ、……そこ、吸うなっ。いや、待て待て、俺はやるなら上がいい!」
「やること自体は嫌じゃないんだ?でも私は王族だからそこは却下。」
「えっ!」
「私を拒否したら許さない。」
静かに告げるリカーノルエを見上げて、シェラージェは押し黙った。
『絶海』の中から取り出されるいくつかの瓶を見て、シェラージェは不安になる。お互い初心者同士のはずだ。シェラージェも知識はあるけどどちらの経験もない。
見上げたリカーノルエは本気のようだ。
ほとほと困ってしまった。
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