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10 お世話されるビチュテ
しおりを挟む抱え上げられたビチュテは、ゆっくりと元のベットに寝かせられた。
傭兵業をしているうちに、どんな奇襲攻撃を受けても動揺しなくなったのだが、今のビチュテの心臓はバクバクと激しく鳴っている。
負傷時に一時的に仲間になった奴でも肩を貸して助けてくれることはあるが、こんな大切なものを扱うように優しくベットに寝かせられたことはない。精々がベットとは名ばかりの治療用のシーツの上に放り投げられるくらいだ。
「お前………、傷だらけだ………。」
アルエンツは無表情にビチュテの身体を見ていた。ビチュテは今上半身裸なのだが、ほとんどの部分に包帯が巻かれている。
「………何日くらい寝てましたか?」
アルエンツは溜息をついて一週間くらいと答えた。
一週間か……、とビチュテも溜息をつく。そうなるとあそこで出来上がったばかりの死体を使って敵に報復するのも無理そうだ。
死ぬまで苦しむ呪いでもかけてあげようと思ったのに。
死んだばかりの人間なら、それはそれは激しい苦痛を与えることが出来ただろうに。
「……なんか物騒なこと考えてるだろ?」
「……………。」
ビチュテは返事をしなかった。
精霊術とは祝福を与えることも出来れば、呪いを与えることも出来る。どう使うかは精霊術師次第だ。
「なぁ、その手袋だけ外せなかったんだが、外せないのか?」
ああ、とビチュテは寝転がったまま右手を上げる。
「取れないよう保護してますので……。足枷を外してくれたらこの手袋も取ることが出来ますが?」
足枷に掛けてある精霊術封じの所為で、手袋の精霊術を解術出来ないのだ。
アルエンツは難しい顔で考え込んだ。
「足枷解いたら逃げるよな?」
ビチュテはプルプルと首を振る。
「この怪我で?」
アルエンツは疑わしそうな顔でビチュテの足を拘束する足枷を触った。
カチンと留金が外れた音がする。
と同時にビチュテはアルエンツを攻撃した。空気の圧を叩きつけようとしたのだが、アルエンツは予測していたのか身を屈めて空気圧を避け、ビチュテの右腕を掴んで背中に回して拘束した。
ビチュテも身長はあるが体格でアルエンツには遥かに負ける。うつ伏せにされ上に乗られて身動きが出来なくなった。激しく動いたので傷が痛むが、拘束するアルエンツも容赦がない。
「ビチュテ手袋を解術しろ。」
アルエンツのやや怒りを孕んだ声に、諦めて手袋を解術した。
「しましたよ。」
「怪我も治せるか?」
それもそうかとビチュテは頷いた。ビチュテは自分の精霊術で怪我を治すことが出来る。
「運んで、優しき精霊達よ、我が身を癒して。」
包帯で見えないが先程まであった痛みが遠のいていく。ビチュテの上に乗ったアルエンツがピクリと動いた気がするが、傷が癒えるまで何も言わなかった。
そして終わったと同時にガチャンと足枷が再び足首に戻った。
「あ。」
「逃げるだろうからな。」
逃げ、逃げ、逃げるけども……。逃げ損なった……。なんたる不覚。知った顔の所為か気が緩みすぎだった。アルエンツはあの時ビチュテを捕まえようとした人間なのに。今では英雄と謳われる人物なのに。
しょぼんと力無く寝転がるビチュテを置いて、アルエンツは一度部屋を出て行った。
暫くして戻ったと思ったら、洗面器とタオルを持ってきた。
「身体なら自分で拭きます。」
そう言ったが、アルエンツはベッドの脇にある棚に洗面器を置くと、ビチュテの右腕の手袋をとった。
う………。
ビチュテ本人でもちょっと臭いなと思ってしまった。戦闘時からずっとこの手袋はつけっぱなしだった。外せなかったのだ。そして負傷して連れて来られ、一週間この状態だったのだろうから、数週間は手袋を外して手を洗うことが出来なかった。
「洗ってやる。」
「いい、自分で、やるっ。」
ビチュテは急いで断った。
「この部屋洗面台も風呂場もないんだ。これでここら辺で一番の宿って言うんだからな。」
アルエンツは話を聞いていない。
グイっとビチュテの右腕を引っ張り、勝手に手を洗い出した。洗面器の中には石鹸が入れてあり、フワリと良い匂いがする。ビチュテの右腕がこんな臭い状態になってると予想していたのだろうか。
垢がボロボロと取れて水が濁っていくのも構わずに、アルエンツは丁寧に洗っていった。
「湯が足らないな。」
石鹸まみれの右腕をタオルで拭くと、アルエンツは洗面器とタオルを持ってまた出ていく。
新しいお湯とタオル何枚か用意し、今度はお湯入りのバケツと空のバケツを持ってきて、何度もお湯を入れ替えながらビチュテの右腕を洗い続けた。
右腕がふやけてしまった頃に漸くその作業が終わった。
ビチュテの右腕には、星の花が咲いている。銀の大輪の花は徐々に増え、今では指先から肘の上あたりまで花と蔓と葉の模様が、肌の上に絵画のように広がっていた。
その星の花を、アルエンツはソッと撫でた。
元々星の花が最初にあった場所だ。ラエリーネにあげてからは、枯れた星の花が三つあった場所。
アルエンツの親指が皮膚の上を撫でるたびに、なんとも居た堪れない気持ちになったのだが、琥珀の瞳がいつもよりも優しくて、何も言えずに我慢してしまった。
その日は夕食を持ってきてくれて、風呂場は一階に共同しかないからとアルエンツは入りに行ってしまった。
ビチュテも入りたいと言ったが、足枷があるからダメだと断られてしまった。
じゃあ外してよと文句を言いたい。
結局またもやアルエンツに身体を拭かれてしまった。傷は治したので包帯も取ってしまい、今は普通のシャツを着ている。
とりあえずアルエンツがいない間にと、ビチュテは考えることにした。
右腕を洗われた後、アルエンツはずっと部屋にいて出て行かないし、何か仕事を抱えているのか、通信機と書類を手に忙しそうにしていたので、ビチュテは何もすることがなかったのだが落ち着けずに考え事も出来なかった。
さて、アルエンツは何故ビチュテを捕まえにきたのか。
星殿がビチュテを探しているということは、これからビチュテは星殿に連れて行かれるということか?
それは嫌だ。
だけど逃げるのは困難そうだ。一時的に足枷が外れた時、ここの宿周辺を探ってみたが、統率された気配を感じた。
アルエンツは自分の専属部隊を持っているという噂だ。おそらく部下がこの宿周辺を警護しているのだろう。ここが紛争地域で危険だという意味と、ビチュテが逃亡しないようにという二重の意味があるのだと思う。
アルエンツの部隊は規模が明かされていない。王宮騎士団に属してはいるが、部隊はアルエンツの命令でしか動かないし、国王陛下の許可の下、独自の権限が許されている。それを考えると、アルエンツの部隊の統率力は高いのだと窺い知れる。そこら辺の傭兵の寄せ集め集団とは訳が違うだろう。それを掻い潜るのは困難そうだ。
うーーーん、逃げるの難しい…?
ビチュテは頭を抱えた。なにしろこの足枷が全く外れる気配がない。この紛争地域では精霊術封じの道具なんてよく使われるし、その度にビチュテは精霊術封じを壊してきた。この足枷も簡単に壊れるかと思ったのだが、華奢な作りのわりに頑丈だし、その足枷の精霊術封じの術は固くて解術できる代物ではなかった。
これはきっと国宝級だ。
なんでそんなものをアルエンツが持っているのだろうか。
少し気掛かりがあってすぐにここを離れたいのに、この状況ではビチュテは動くことが出来ない。頼めば動いてくれるだろうか。
アルエンツが戻ってきたら頼んでみることにした。
この部屋にはベッドが一つしかない。
二人で寝ても十分なくらいの大きさはではあるが、まさか一緒じゃないよね?………と思っていたら、なんとアルエンツと同部屋で同じベッドを使うらしい。ビチュテが怪我をして寝ていた一週間も、看病をする必要があった為一緒に寝ていたのだと教えられた。
「とりあえず確認させに行ったからお前は寝ろ。」
「そんな離れた場所じゃないから帰ってくるのすぐですよね?」
待っていると言っているのだが、アルエンツはなんとしてでもビチュテをベッドに寝かせようとしてくる。
「怪我が治ったと言っても体力まで戻ったわけではないだろう?よく寝てよく食べてゆっくり休め。」
「……………言い方がお母さん?」
「…………どういう意味だ。」
純粋な感想を言ったら険しい顔をされてしまった。アルエンツってこんな世話好きだったっけ?
二人で寝る寝ないを繰り返していると、部屋のドアがノックされた。
外からノックした人物が声を掛けてくる。
「起きているようなので、ちょっといいかなぁ?」
話し方からしてアルエンツと親しいようだ。アルエンツの部隊の人間ならば、アルエンツの部下ということになるので、こんな親しげに話しかけてくるのは誰だろうと思った。
アルエンツは返事もなくドアを開ける。
「なんだ。」
相手を部屋にも入れずに無愛想に問い掛けている。
「いやいや、ビチュテ君起きてるなら入れてよ。」
渋々とアルエンツが招き入れたのはイデェ・ドゥアルだった。モスグリーンの髪に若草色の瞳をした、アルエンツと同程度の逞しい姿には見覚えがある。
イデェ・ドゥアルは元々ラエリーネの護衛騎士だった。ラエリーネが世間から国一番の聖女と言われるようになった頃から、星殿からイデェが護衛騎士としてつくよう派遣されていた。
時々ラエリーネの後ろに控えている姿を見たことがあるし、ビチュテが処刑されそうになった時もビチュテを捕えようと攻撃してきた騎士だ。
喋っている姿を見たことがなかったので、てっきり寡黙な人間なのかと思っていたが、喋り方は寡黙そうではない。
「それで、行ってきたのか?」
ビチュテの代わりにアルエンツが問い掛けた。
ビチュテがアルエンツに頼んだのは、この町でビチュテが一緒に暮らしている人達が無事かどうかを確かめてもらうことだった。
「………うーん、それがねぇ。」
チラッとイデェはビチュテを見る。嫌な予感がした。
「死んでました?」
率直に聞いたらイデェはゲホッと咳き込んだ。
「どーいうこと?発想が飛躍してる。」
ビチュテは首を振る。この町は傭兵達が集まる町だ。集まる傭兵相手に商売を始める者、おこぼれに預かろうとする者達が住む町なので、死んだ傭兵が出たと聞けば、その傭兵が拠点としていた場所を荒らし盗みを働く者は後を絶たない。
ビチュテがいた傭兵部隊はほぼ壊滅状態になったので、帰ってこないビチュテを死んだと思う人間はいるだろうと思うのだ。
それを説明すると、イデェは成程ねと納得した。
「つまりビチュテ君の家を荒らした奴が、君と一緒に暮らしていた人達にも危害を加えたんじゃないかと思ったんだね?」
ビチュテは頷く。
「やっぱり荒らされてましたか?僕と暮らしていたのは親子ですが、いましたか?」
「親子?まさか……、結婚して子供が!?」
誰のだよ。とビチュテは驚くアルエンツを冷静に見つめ返した。
ビチュテと一緒に暮らしていたのは親子なのだが、結婚しているわけがない。
アルエンツはブルブルと震え出した。
どうした?
イデェがあちゃーと自分の口を塞いでいる。
「その、まさか………、家族なのか?」
「違います。僕はアルエンツと同じ歳ですよ?十八歳です。十歳の子供がいるわけないでしょう?」
違うと聞いてアルエンツはホッと安堵していた。
「多分攫われただけで殺されてはいなさそうだよ?家は荒らされてたけど血の後もないし。殆ど無抵抗で連れて行かれた感じがしたけど。」
それはそうだろう。あの二人は全く戦えないのだから。正確には戦えるが自分達では制御できない精霊術しか使えないので戦力にはならない。
「助けに行きます。」
「待てっ、助けがいるのか?」
「僕もここでの生活を助けてもらいました。」
ここに早く馴染めたのもあの親子のおかげだった。来てすぐに受けた傭兵の仕事で出会ってからずっと共に生活してきた仲間なのだ。
アルエンツは俯いて何か言いたそうにしたが、仕方ないと顔を上げた。
「俺が行ってくる。」
え?でも……。
ビチュテが何かを言う前に、イデェがアルエンツに忠告した。
「ルツが行くと聖星国ダネトの侵略と思われるぞ。その所為で国の境界線増え続けたんだからな。こんな紛争地域手に入れたって手間しかかからない。」
イデェはアルエンツのことをルツと呼んでいるらしい。イデェはアルエンツの部隊に所属していると聞いているが、単なる上司と部下ではないのかもしれない。
「分かってる。顔は隠して行こう。」
アルエンツはそう言うと、備え付けのタンスからマントを取り出した。そして鼻から下に布を巻く。長い赤毛は後ろで一つに結び、マントを被って誰か分からない怪しい大男になった。
「僕も……。」
一緒にと思ったがアルエンツはダメだと拒否した。
「じゃあついて行くだけでもダメですか?」
ジッとアルエンツの琥珀の瞳を見て訴える。アルエンツもビチュテを見返していたが表情は読めない。昔のアルエンツは感情が表に出て気性も荒い方だと思っていたのに、随分と大人びたなと思う。
「………分かった。足枷は外せないからイデェといてくれ。」
譲歩してくれたようだ。
「分かりました。」
イデェも顔を隠して三人で宿を出ることになった。
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