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空に浮かぶ国
10 急に現れた探し人
しおりを挟むツビィロランによって湖に落とされたクオラジュは、巨大な神聖力を身体の中に受けてしまい安定するまで安静に過ごすことを余儀なくされた。
それは一緒にあの場にいたサティーカジィも同様だった。
早めに湖から離れたイリダナルは難を逃れたらしく、彼の助けを借りてなんとか天空白露まで戻ることが出来てよかったと思う。
ツビィロランの神聖力は強大だった。
天空白露に戻って来て欲しいが、過去を考えるとそれも難しいだろうか。
次の接触を図りたいと思っていたのだが、肝心のサティーカジィが今不調だった。
サティーカジィの様子を伺いに屋敷を訪問した。クオラジュとサティーカジィはここ数年親交を深めている為、こうやって訪問するのも珍しくなくなっている。
屋敷の人間も簡単に通してくれるようになっていた。
案内を断り勝手知ったる主人の部屋にやって来て、当主に相応しい重厚な扉を叩く。
「私です。様子を伺いに来ました。その後どうでしょうか?」
暫くして扉が開いた。取手に置かれた手を見て、まだ戻っていないのを確認する。
「すみません。体調はもういいのですが、水鏡は使えないままです。」
「そのようですね。」
中に案内されクオラジュは部屋に入った。サティーカジィがお茶の用意を使用人に伝えるのを見て、確かに体調は戻っているのだなと安心する。
お互い対面でソファに座り、出された紅茶に手を伸ばしながら、クオラジュは話し始めた。
サティーカジィの手を見て苦笑する。
「その爪は戻るのでしょうか。」
あの日湖から出てマドナス国の城に帰り着いてから気付いた。サティーカジィの爪が全部真っ黒になっていたのだ。
目が覚めたサティーカジィもショックで真っ青になった。
お互い休息をとると神聖力は安定したのだが、サティーカジィは水鏡が使えなくなってしまった。水に手をつけると水が真っ黒に染まってしまうからだ。
「戻らねば困ります!顔を洗おうと手をつけると、その水も黒に染まるのですよ!?コップの水も飲もうとしたら黒になるのですよ!?」
「…………………それは……。」
お気の毒ですとしか言いようがない。ツビィロランがやったのだろう。思いの外痛い打撃だ。
水鏡を使わせない為にしたのだろうが、サティーカジィは気落ちしてしまった。
「恐らく体内にツビィロランの神聖力が残っているのでしょうから、それが無くなれば元に戻るはずです。」
その期間がどの程度かかるかはサティーカジィの神聖力次第だと思うが、サティーカジィは神聖力が多いので早いと予想している。
「ええ、そうは思うのですが…。」
不便なのだろうと思うがどうすることも出来ない。
サティーカジィがこんな悪戯のような罠に掛かるとは意外だと思う。いくら神聖力の嵐にあったのだとしても、防ごうと思えば出来たはずだ。気を失っていたのも驚いたくらいだ。
「何かに気を取られていましたか?」
そうとしか考えられず尋ねた。
サティーカジィは少し恥ずかしそうに笑っていた。
「はい、実はツビィロランと一緒にいた青年に気を取られてしまいまして。」
ツビィロランの横には確かにもう一人いた。風に煽られて飛んだフードから金髪に赤い瞳の青年だと思ったが、クオラジュからすると特に気にする要素が無かった。
「あの青年がなにか?」
「金髪に赤い瞳だっだもので気になってしまいました。」
「………………許嫁殿と同じ色合いですね。」
クオラジュの指摘に鋭いですねとサティーカジィは苦笑した。
「言われてみれば赤い瞳は予言者の一族の色ですね。もしや一族の者だったのですか?」
それが当主であるサティーカジィにも見たことのない青年だった。
「あの青年はいくつくらいの歳でしょうか。」
「二十歳過ぎ頃に見えましたね。」
そうですねと言ってサティーカジィは考え込んでしまった。これ以上は話すつもりはないのだろうとクオラジュは判断した。
他家の問題には首を突っ込みたくない。
「今日は貴方の様子を見舞いに来ただけです。今から聖王宮殿に行ってきます。」
「聖王陛下から呼ばれたのですか?」
クオラジュは目を伏せた。
「いえ、予言の神子にです。」
サティーカジィは顔を曇らせる。最近聖王陛下ロアートシュエは体調が悪いと表に出てこない。何かあったのではと思うが、王宮の奥にいる為誰も会えずにいた。
聖王陛下の番である予言の神子ホミィセナしか側に近付けない。
そのホミィセナも今では偽物なのではと疑っている為、王宮に行くというならば気を付けなければならなかった。
クオラジュは天空白露で上位二番目にあたる翼主という立場ではあるが、この天空白露の最高権力者は聖王陛下だ。その番であるホミィセナも同列になる。
クオラジュは長年政権争いに巻き込まれぬよう用心していた。臆病なのではない。彼は青の翼主最後の一人としていなくなるわけにはいかなかった。
次期聖王となる翼主は元々三家あったのだが、今や現聖王陛下の一族である緑の翼主しかまともに残っていない。赤は途絶えて久しい。
クオラジュは青の翼主の生き残りとして翼主の役に着いてはいるが、今まで仕事以外は遠巻きに眺めているような人間だった。
天空白露が滅亡するかもしれないという危機になって、漸く重たい腰を上げたくらいだ。
予言の神子ホミィセナにすら近寄らなかった。そしてツビィロランが神子だと言われている時も同じだった。
誰もが予言の神子に取り入ろうとする中、クオラジュは黙々と仕事をするばかりで、二人には話しかけることすらぜずに過ごしていた。
それは今もあまり変わらないのだが、予言の神子ホミィセナは最近やたらとクオラジュを呼び出している。
そのことがサティーカジィは気掛かりだった。
「私も一緒に行きます。」
サティーカジィは心配で申し出たが、クオラジュは断った。
「貴方まで目をつけられては困ります。私に何かあった時は、貴方に頼むしかないのです。」
サティーカジィは顔を曇らせたが、クオラジュは「大丈夫。」としか言わない。
「何かあったら必ず私かイリダナルに言って下さい。」
「…………ええ、心配には及びません。」
いつも通りの返事に、サティーカジィは溜息をついた。
二代前の聖王は元青の翼主だった。
クオラジュはその頃の記憶がない。物心ついた時には青の翼主の一族は自分一人だった。
前々聖王は神聖力が弱くて透金英の花を大量に消費していた。聖王として力量が足りないことを伏せ、シュネイシロ神を仰ぐ人々を騙していたと言われ、背を切られて花守主の牢獄に入れられていた。
親というわけではなかったが、本来なら最も高い神聖力を持って一族に産まれた自分を引き取り、次期青の翼主して育ててくれる予定の人だった。
会えたのは牢で死んで透金英の森に埋められる時だったけれど。
前々聖王が罪人になった時、一族は皆同じように罪人として背を切られ花守主の牢獄に入れられた。
一番長く生きたのは前々聖王だった。最も神聖力が優れていたからだろう。それだけでも神聖力が弱くて透金英の花を一人で使っていたという話しは嘘になる。
だが誰もそのことには触れなかった。
クオラジュは一族の誰にも会うことなく、最後に前々聖王の遺体を見るだけだった。
裏切り者の一族と言われながらも、青の翼主であることに間違いはないので、神の信徒として翼主の地位についている。
古来より受け継がれた習わしのおがけと言われないように、クオラジュは真面目にその役目を遂行してきた。
欲に惑わされず、欲を持たず、ひたすら静かに翼主として働く日々。
そうでなければ、クオラジュの願いは叶わない。クオラジュの思考を理解する者は一人もいない。
「聖王陛下がご病気なのです。王宮にある透金英に神聖力を分けてもらいたいのですが。」
宮殿の兵や文官が見守る中、いつものように予言の神子ホミィセナは厳かに告げた。
透金英の花が天上人にとって唯一効く薬であることに変わりはない。ホミィセナはそういう建前を毎度吐き、クオラジュに透金英の花を強請った。
「はい。では本日もいつものように。」
跪いていたクオラジュを、ホミィセナは立ち上がらせた。
案内される場所はいつもの場所。王宮の奥に作られた温室だった。そこには花守主の屋敷から移植された五本の透金英の樹がある。
今や天空白露にはこの五本の樹しかない。
花守主の屋敷の森は枯れ木になってしまった。
透金英の樹は触れると勝手に神聖力を吸い取ってしまう。だから花守主の屋敷には色無の奴隷が世話係として何人もいたのだが、世話をする樹が失くなったいま、彼等はどうしたのだろうか。
クオラジュは手前にあった透金英の樹一本の幹に手を触れた。
スウウゥと力が抜けていく。透金英の樹に神聖力を吸われていた。
枝にポッポっと花が咲く。青い蕾が出て、徐々に花開き、根元が青で紫から先が橙色に変わる透き通るような黎明色の花が咲いた。
「今日は三つなのですね。」
神聖力を一気に吸われて頭痛がする。グワンと頭が揺れるようだ。
ホミィセナのガッカリした声に我に返った。
「申し訳ありません。地上の捜索で神聖力を使いすぎたようです。」
神聖力が減ったクオラジュの髪色は、薄くなってしまっていた。
本来天空白露を飛行させるのは聖王陛下の役割なのだが、今は代理でクオラジュが動かしていた。巨大な天空白露を動かすのは一筋縄ではいかない。最近忙しくゆっくりと休息を取る暇もなかったので、すっかり神聖力が枯渇してしまった。
「そうなのですね。地上に出回っていた透金英の花については何か分かりましたか?」
「いいえ、マドナスの王に助力を頼んでいるところです。」
「まぁ、イリダナルに?また遊びに来て欲しいわ。」
ホミィセナの表情が輝いた。イリダナルはここに初めて来た時から誰に対しても平等に対応する人間だった。気さくに話し掛けて相手の懐に潜り込むのが上手く、ホミィセナにも上手に取り入っていた。
「伝えておきます。」
「よろしくね。今日はもういいわ。」
ホミィセナの手が透金英の枝に伸びた。咲いたばかりの黎明色の花をポキリとむしり取る。
その目が飢えた獣のように見えて、クオラジュは眉を顰めた。
咲いた花は聖王陛下の治療に使うと言いながら、その黒い目は我先にと透金英の花を求めていた。
「予言の神子様、私はこれで失礼致します。」
「ふふ、相変わらず綺麗な花ね。」
クオラジュが退室を告げてもホミィセナから返事はなかった。もう透金英の花しか見えていないのだ。いつもそうだ。
もう一つの花に手を伸ばすホミィセナをクオラジュは冷めた目で観察し温室から退室した。
自分の長く伸ばした髪色が、薄くなっているのを見て、ふとツビィロランのことを思い出す。
彼に最初あった時、ツビィロランの髪は薄い水色だった。あれは透金英に神聖力を吸わせた後だったのだ。
そして湖にいた彼の髪は黒に近かった。
確実に透金英の樹を持っている。流石に樹を一本持ち歩くことは不可能なので、小さな苗か枝を持っているのではと予想している。
まだまだ透金英の花は必要なのに、減り続ける現実に地上に降りてまで透金英の花を探した。そして透金英ばかりかツビィロランまで見つけた。
地上に出回り出した透金英の花についての情報は、イリダナルから聞いた話だった。地上に探しに行く為にホミィセナには伝えたが、花の色が黒だということは余計な火種となりそうだったので伝えていない。
クオラジュは小さく笑った。思い描く未来が近づいている。
完成させる為にもツビィロランは手元に置いておかなければならない。あの黒の神聖力を放置するのは危険だ。手元に置いて監視し、必要ならばあの強大な神聖力を使いたい。
もう一度会いたい。そして上手く丸め込む。
そう決心したクオラジュの前に、まさかひょっこり現れるとは思っていなかった。
王宮を出る為に羽を出した。神聖力が著しく減っている為身体程度の小さな羽しか出せないが、直ぐそこの屋敷に帰るだけなので十分だと思い飛んで帰っていた。
下の方の住宅街が騒がしい。
兵が出ている?何事かと思い下に降りて着地した。
「助けて!」
「わわ、それ翼主様だよ!?」
ドンっと背中に衝撃を受けた。
「…………………。」
逃げたはずのツビィロランがクオラジュの背中に飛び込んできた。
2,010
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