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空に浮かぶ国
16 透金英の親樹
しおりを挟む聖王宮殿は天空白露の中央に位置する。磨かれた乳白色の石を積み上げた、神殿を思わせる造りだ。
お飾りのような城壁が囲んではいるが、それは本当に飾りであって意味はない。特殊な防護壁がある為、宮殿には本来不要な物だった。
天空白露の中央には浮島の軸ともいうべき岩が存在する。その岩には一本の樹が巻きつき、大きく幹を伸ばし、いく本も腕のように枝を広げている。本来植物にあるはずの葉っぱは一つもなくまるで枯れ木のようだが、岩に巻き付く幹は力強く存在感を放つ為、まだ生きている樹なのだと理解できた。
この巻き付く木こそ透金英の親樹であり、岩は平に削られ文字が刻まれた石碑だった。この木の幹から切り取られた枝が根をつけたのが、花守主の屋敷にあった透金英の森だった。
透金英が枯れた今、再度森を作ろうと枝を折り地面に植えても、もう根付いてはくれない。それは天空白露に養分となる神聖力が溢れてこそ出来ることだった。
花守主リョギエンはその透金英の親樹をジッと見上げていた。
透金英の親樹は花を咲かせたことがない。石碑に書かれた言葉には、予言の神子の神聖力でのみ花を咲かせるのだという。
「たとえ聖王に選ばれる天上人であろうと咲かない…………。」
今日は雲が多い。辺りは白く霧が立ち込め、数歩先すら見えなくなっていた。
「リョギエンは透金英が本当に大好きね。」
コロコロと笑いながら近付く存在がいた。軽い足取りにフワフワとした長いドレスを纏い、美しく着飾ったホミィセナだった。
「皮肉ですか?」
リョギエンはそちらに目もくれず目の前に聳える石碑と透金英の大木を見上げていた。
石碑の側には石を組み上げて出来た入り口が有り、その先には地下が続くのだが、今は花守主リョギエンしか入ることが出来ない。
石碑と透金英の親樹は聖王の管轄であり、誰も近付けない場所のはずなのだが、その聖王ロアートシュエはここ数ヶ月誰も会えていなかった。
会っているのはリョギエンだけだ。
身の回りの世話を誰にも任せられないので、その役がリョギエンに回ってきた。
地下に続く扉をリョギエンは陰鬱に見る。
いくら天空白露の為とはいえ、もう出してやらねば聖王陛下の身が危なく感じていた。
「私は大好きよ?私に素晴らしい力を与えてくれる大切な物ですもの。でも足りないわね。」
花守主の屋敷にある透金英を枯れさせても、天空白露の神聖力はどんどん減り続けている。予言の通り神聖力の枯渇が進んでいた。
「………………全ての透金英を枯らすことは出来ません。」
「勿論よ。私も貴方も透金英の花が無ければ維持できないんですもの。色々言いくるめて信徒達に神聖力を吸わせてはいるけど、このままでは疑念を抱かれてしまうわ。」
リョギエンとしては別に透金英の花はなくてもいいのだが、花守主として透金英の親樹を守りたいだけだ。
最近では神聖軍主アゼディムも御しきれなくなってきている。ロアートシュエを人質に、いうことを聞かせ続けるのが困難になりつつあった。
そう考えているであろうホミィセナを、リョギエンは喉の奥で笑う。とうの昔に疑われているというのに、何を呑気なと思うのだが、リョギエンが出来ることはほぼやり尽くしたので、今後どうするかを考えていた。
ホミィセナが天空白露に来た当初こそ、リョギエンもホミィセナのことを予言の神子と信じていたのだが、時が経つにつれその浅ましい欲に嫌気がさしてきた。
側にいるのは透金英の親樹を管理する為。それだけだ。
リョギエンは何しにきたのか分からないホミィセナのことなど放って、また自分の思考に耽った。
それにしても先日透金英の森に現れた二人組が気になる。あの後ずっと捜索させているのに見つからない。
青い髪の方が投げた物が透金英の花に見えた。炎で見えにくかったが花弁が黒に見えた。
見失った地点が予言者サティーカジィの屋敷に近いことも気になる。
それをこの女に言うかどうかを悩んでいた。
言えば目の色変えてあの青年を探し出そうとするだろう。
ホミィセナは神聖力が多い人間を集めている。
聖王陛下ロアートシュエの名を使い地上にまで手を伸ばしている。イリダナルが既に疑いをもっていた。
「ならば一つ気になる人間がいるのですが。」
リョギエンはホミィセナへ青い髪の青年の話をした。
黒い透金英の花を持つ青年の話に、目を輝かせてホミィセナは興味を持った。
「……そう!黒い神聖力を持つ者がいると言うのね!?」
黒は予言の神子の色。予言の神子であるホミィセナ以外に存在してはいけないはずなのに、ホミィセナはそのことを喜んだ。
「捕まえますか?」
「ええっ!勿論よ。アゼディムを呼んでちょうだい。」
リョギエンは笑うホミィセナをチラリと見た。美しい顔を醜く歪める姿が、リョギエンの藤色の瞳の中に暗く写り、眉を顰める。
とりあえず最近意識が混濁している聖王陛下を救う必要があるだろう。
リョギエン自身はあまり力がない。イリダナルは一国の王ではあるが天空白露での地位はないに等しい。ならば、神聖軍主が動ける様にすればいいはずだ。後は勝手にやるだろう。
翼主クオラジュはダメだろう…。イリダナルは信用している様だが、リョギエンはあの男が苦手だった。
聖王宮殿にやって来た翼主三名と予言者サティーカジィは、客間に通され待たされていた。指定された時間通りに入ったと言うのにかれこれ一時間待たされている。
翼主クオラジュはソファにゆったりと座り無表情に構えているが、こんなことなら後三時間遅くくればよかったと考えていた。
予言者サティーカジィは申し訳なさそうに対応する侍従へ笑いかけているが、内心は呼び出しを無視すればよかったと思っている。
翼主トステニロスとテトゥーミは二人でグチグチと文句を言い続けていた。
「うう、俺まだノルマ終わってないのにいつまで待たせるんだよ。」
「僕もだよ?今日も残業。」
二人は仲良くクオラジュにこき使われる身だ。毎日これだけ、と渡される仕事を熟しても熟しても終わらない。
「同時進行で終わらせれば可能ですよ。」
クオラジュが横槍を入れた。
「クオラジュ殿の同時進行と、僕達の一個が同じ速さなんですよ!?」
「なんで今度の創世祭の進行を俺達がやらなきゃ?」
クオラジュは「そうですか…。」と生返事だ。二人の愚痴は今に始まった事ではない。とりあえず仕事を渡しておけば進むのでやらせていた。
「創世祭も翼主に回しているのですか?聖王陛下の体調はいつになったら戻るのでしょうか。」
サティーカジィも憂い顔で心配だとばかりに顔を曇らせたが、どこか白々しい。
創世祭とはシュネイシロ神が天空白露を想像した日とされている。その日は天空白露で神事を行い祭りのように祝い合うのだが、神聖力が薄まり下降し続ける中、無事に終わらせれるかわからない。
神事には勿論サティーカジィが主体となるので翼主達が動いていることは百も承知だ。周りに聖王宮殿の使用人達がいると分かってて態と言っている。
クオラジュはいつもは待ってましたとばかりに出てくる人間がやって来ないことに違和感を覚えていた。
予言の神子ホミィセナは神聖力を求めている。
「偽物が…………。何をやっているのでしょう…?」
ボソリと低く呟いた声は一緒にテーブルを囲むサティーカジィ達にしか聞こえなかったが、騒いでいたトステニロスとテトゥーミは押し黙った。怖い怖いと抱き合っている。
サティーカジィも屋敷に残して来たイツズ達が心配になってきたので、そろそろ先に帰ろうかと立ち上がった時、漸く呼び出した人間がやって来た。
「予言の神子ホミィセナ様がいらっしゃいました。」
扉を開けて侍従が安堵の声を上げた。
護衛を従えやって来たホミィセナは、立ち上がる四人に鷹揚に頷いた。
クオラジュは相変わらず無表情だが、サティーカジィの柔らかな微笑みが固まっている。
「お待たせして申し訳ありません。支度に手間取ってしまいました。」
クオラジュが前へ出る。本日は公式な場ではないので首を垂れ簡単な挨拶で済ませた。
「本日はどのようなご用件でしょうか。」
「そんな堅苦しくしなくていいのよ。さぁ、席に戻ってお話ししましょう。」
どうぞと促しながらホミィセナは先に座った。
時間稼ぎをしている………。そう感じたクオラジュはトステニロスに目配せした。
「申し訳ございません。少々時間が経ち過ぎてしまいましたのでトステニロスだけ退室させても宜しいでしょうか?予定していた業務がございますので。」
クオラジュはトステニロスのみ退室の許可を求めた。この四人の中で、ホミィセナにとって一番重要でないのはトステニロスだ。
赤の翼主はとうの昔に滅んで今はない。だがその椅子は今なお健在だ。座るべき主人を失った椅子には、当主交代時にその当時の青と緑の翼主が最も相応しいと見込んだ者を赤の翼主に据えることになっていた。
トステニロスは前青の翼主の推薦で選ばれた翼主だ。地上から一人やって来たトステニロスを世話してくれたのは前青の翼主だった。だからトステニロスは何があろうと現青の翼主クオラジュの側にしかつかない。
緑の翼主テトゥーミは現聖王陛下と同じ一族だ。テトゥーミ自身は聖王陛下ロアートシュエとの交流は一切ない。だが緑の翼主の一族というだけで何かとテトゥーミは動きづらい位置にいる。
細々とした裏工作はトステニロスの方が適任だった。
「……………そう、是非赤の翼主にもお茶を振る舞いたかったのだけど…。どうしてもなのかしら?」
トステニロスは、にこーと笑う。
トステニロスは十年前にも既に赤の翼主だったのだが、当時からホミィセナには相手にされていない。されたくもなかったのでそれで良かったのだが、今更お茶を一緒にと言われても困ると内心嫌がっていた。
後ろ盾も何もない人間には興味もないだろうにと鳥肌を立てる。
「申し訳ございません。地上での捜索も担っておりまして、早く現地に向かいたいのです。」
透金英の花を探すという名目を思い出し、それを口実に嘘をついた。
捜索対象は予言者の屋敷にいるのだが。
「そうなのね。その為に天空白露の進路を委任したのですもの。何か分かったのかしら。」
地上に透金英の花があるかもしれないと捜索を始めて、ツビィロランとイツズを見つけ匿っていることは秘密にしている。
「はい、所有者の身元を突き止め安否を確認するばかりです。」
スラスラと答える。今からサティーカジィの屋敷に行って安否確認するのだから嘘ではない。
「わかったわ。報告を忘れないようにね。」
同立場ながらクオラジュの腹心になっているトステニロスを引き留めたかったのだろうが、のらりくらりと話す相手に諦めたようだ。
トステニロスは丁寧に挨拶をして去って行った。
とりあえずトステニロスが確認しに行ったのでクオラジュとサティーカジィは安堵する。
「ねぇ、クオラジュと先程トステニロスが言っていた捜索について、もっとお話ししたいのだけど。」
こちらに座ってとホミィセナはクオラジュにソファの隣を手で促してきた。
普段のクオラジュなら断るのだが、トステニロスが確認に出た今、ホミィセナが何をしようとしているのか探る必要がある。
暫くはこちら側もホミィセナを足止めすることにした。
立ち上がりホミィセナの隣に移動する。
ホミィセナが嬉しそうにクオラジュの腕にもたれかかってきた。
「それで、透金英の花は手に入りそうなのかしら?」
その黒い瞳の中には様々な欲が垣間見えた。
真っ直ぐな黒い髪はよく手入れされ綺麗なのだが、ツビィロランとは全く違う。
ツビィロランの髪はボサボサだ。適当に切った短い髪には色気もへったくれもない。なのにその隙間から見える琥珀の瞳は綺麗で、神聖力が増した時に輝く夜色の髪は美しかった。黒に近い紺色の隙間から神聖力の粒が瞬くのだ。
全然、違う。
そう思いながらもクオラジュは作り笑いをした。
サティーカジィから見れば態々ホミィセナを魅了しにいっているとしか思えない笑顔だ。
「イリダナル王の助力により後一歩のところまで追い詰めたのですが………。」
真実と嘘を織り交ぜてホミィセナに教えてやる。
適当な嘘をつきながら、クオラジュの頭の片隅にはチラチラと星の瞬きがチラついていた。
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