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竜が住まう山
31 スペリトトの像
しおりを挟むクオラジュは俺を抱き締めたままゆっくりと下降し地面に足をつけた。
「…………ありがとう。」
俺はとりあえず礼を言った。
クオラジュを探しに来たので会えたのは嬉しいが、こんな所で会うとは思っていなかった。
「構いません。少し珍しい景色でしたので、貴方が本体と思い確認の為に助けました。」
本体?
あぁ、確かにそう言われると柊生達は偽物ではある。幻覚というか実在していないというか、あの中では俺が本体なんだろう。
「確認って?」
俺を降ろしたクオラジュは、サッと身体を離した。
その様子に疑問をもつ。クオラジュはこんな感じの奴だっただろうか?一緒にいた期間は短かったが、こんな他人行儀ではなかった。
ああ、そうか。俺の姿が今、元の津々木学だから、ツビィロランの中に入っている人間だとは気付いていないのか。
ツビィロランが別人になっているとは気付いても、まさか中身とこんな形で会うとは思わないだろう。
「ここはスペリトトの術の中です。貴方は術にはまり悪夢を見せられていました。」
クオラジュの氷銀色の瞳が真っ直ぐに俺を見ている。魂の奥の奥まで見通さんと、覗き込んでいるようだった。
「竜の住まう山に入らなければ術は動きません。何故山に入ったのです?」
「………………。」
何故と言われれば、クオラジュの羽が天空白露に届いたからだが、俺は自分がツビィロランの中に入っている人間だと言うべきかどうかを悩んでいた。
クオラジュは俺を殺し天空白露を壊そうと思っていた。まだ殺す気があると困る。ここには護衛もアオガもいないのだ。
クオラジュは俺に一歩近付き上から見下ろす。十四歳の頃の津々木学はそこまでチビではなかったが、クオラジュの背は高い。成長し大人になった時の身長よりも十センチくらい大きそうだ。
氷銀色の瞳を黎明色の長い睫毛が覆っているのを見て、睫毛まで髪と同じ色なんだなと眺める。
「この夢の中は対象者がもつ悪夢を見せる効果があります。貴方は天上人ではなかったから術にかかったのでしょうが、貴方の悪夢は少し他の者と違うようですね。」
俺の前世はこの世界ではない。クオラジュから見れば不思議な光景だったのだろう。
「俺は……、その術については知らない。竜の住まう山に来ただけだ。」
俺はなるべく山の近くに来た人間のフリをした。クオラジュに会うなら、ツビィロランの姿の時がいいかもしれない。今のクオラジュは淡々として冷たく、一人で対応するには怖く感じた。
ジッと見下ろしていたクオラジュは、何かを悟ったのかまた一歩後ろに退がり距離を置いた。毛先の橙色が何も無くなった景色の中にフワリと浮いて、炎の灯りのように見える。
「…………ついて来て下さい。」
クルリと反転してクオラジュは歩き出した。
誤魔化せたのだろうか?
俺は慌ててその後を追う。
薄暗い暗闇の中なのに、クオラジュには行き先が見えているかのように迷わず歩いて行く。
ツビィロランの姿でないと、やっぱり分からないよなと溜息が出る。
クオラジュはツビィロランの漆黒の髪を触り、琥珀の瞳を覗き込んで「綺麗。」と言った。それはツビィロランの容姿を褒めているだけなので津々木学としては複雑な褒め言葉だ。ドキッとはするけど、後からどうしても冷めてしまう。
ツビィロランの身体だから、あの世界でなんとかやれたのだろう。ツビィロランだから大変な思いもしたけど、巨大な神聖力と予言の神子の容姿があるから今がある。
津々木学の姿のままで天空白露に来ていても、何もできなかった。
クオラジュと知り合うことさえなかっただろう。
気付かれたくないという気持ちと、気付いてくれたらいいのにという気持ちが交互に押し寄せ、何を考えているんだと必死に気持ちを切り替えようと努力するのに、目の前にクオラジュが見えるとどうしても考えてしまう。
なんでこんなに迷うのか……。
クオラジュの冷淡な雰囲気に悶々と考えているうちに、どうやら目的地に着いたらしい。
「アレを見て下さい。」
クオラジュの目線の先にはポツンと一体の置物が置かれていた。人の形をしている。透明で若い人間の姿だ。服装はクオラジュ達がよく着ている神官っぽい長い裾の服で、長髪に背には大きな羽が広がっていた。
「天上人?」
「アレはおそらくスペリトトの姿を模したものです。」
予言者スペリトト?
そういえばさっきスペリトトの術の中って言ってたな?
スペリトトの置物は水晶のように透明で、胸の前に手を組んでいた。そういえば天空白露の人達が祈る時、こんな感じで手を組むなと思い出す。
像の胸の辺りが仄かに光り、時折パリパリっと静電気が起きていた。
「あの中の光はなんだ?」
「魂です。」
「え?魂!?スペリトトの!?」
クオラジュから何を言ってるんだとばかりに冷たい視線が流れてきた。いや、わかんねーよ。
「あの置物はスペリトトが竜の魂を集める為に置いた装置です。天空白露創世当初には多くの竜がいたのだと蔵書にありました。竜は転生するとまた竜に生まれ変わると言いますが、竜の個体は減り続け、今や数十体しか残っていません。あの装置が竜の魂を集めている所為だろうと思います。」
そう説明して俺の顔をまたジッと見ている。そしてフルフルとゆっくりと首を振った。
「本当に何もご存知では無さそうですね。何か情報が得られるかと思ったのですが………。たんなる迷い人でしたね。」
何か知りたいことがあったんだろうか。
「ごめん、なんも知らない。」
「そのようですね。」
クオラジュは俺の前に手を翳した。
「早くここから出た方がいいでしょう。あの像は天上人の魂は集めないようになっていますが、その他の魂は悪夢を見せ覚めない夢に溺れさせて殺し、肉体から離れた魂を回収する仕様になっています。山から早く出た方がいいでしょう………。」
俺の顔の前にクオラジュの手のひらが見える。顔を掴んでくる手は大きく指は長い。だからガッチリと掴まれてしまった。見た目から文官にしか見えないのに、指は節くれ立ち皮膚は硬そうに見え、文官の手には見えない。
「え!?ちょっ…………!」
一方的なクオラジュの態度に戸惑ったが、力では敵わない。
グワンと脳が揺さぶられ、視界がブレた。
「………ああ、そうそう、もし天上人以外の者が他にもいるのなら、早く山から出るようお勧めします。」
目の前が暗くなりクオラジュの顔はもう見えない。それでも彼の声が酷く淡々として冷たく感じた。
もうお前には興味がない。
会うこともない。
そういう声だ。
俺がツビィロランの中にいる奴だとは言えずじまいだった。
ハッと目が覚める。
今度こそ現実だ。
目が覚めると、周りは騒然としていた。
「いたか!?」
「いや、…………おかしいな、俺達が見張ってたんですが…。出て来てませんよ?」
俺は酷い倦怠感を覚えながらもなんとか身体を起こした。騒がしい。何か起こったのか?
「どうしたんだ?なんかあったの?」
起きた俺に気付いたヤイネが近寄って来た。
「あ、すみません、騒々しくて。アオガ様がいらっしゃらないのです。外には出ていないと思うのですが、私が起きた時はもういませんでした。しばらく待っても帰ってこないので探したのですが、どこにもいらっしゃいません。」
アオガが?
………さっきの夢が気になる。クオラジュは天上人じゃないやつは早く山から出るように言っていた。スペリトトの術にハマるからってことで。
俺は夢の内容をヤイネ達に説明した。勿論津々木学のことは濁して話す。
「スペリトトの像ですか?クオラジュ様がそう仰るなら可能性は高いですね。」
「連れ去られたってこと?」
でもどうやって?
護衛達とも相談し、元々向かっていた場所へ行こうということになった。サティーカジィの水鏡にはクオラジュの存在がここに感じられると言っていた。ならばその時クオラジュはスペリトトについて、そこで調べていたのではないかと思ったのだ。もしかしたらまだそこにいる可能性もある。
既に日は登り朝になっていた。
「よし、そこに向かおう。」
俺以外は皆天上人だから大丈夫だろう。
「ツビィロラン様は山を下山された方がよくないでしょうか?」
ヤイネが心配そうに尋ねた。俺の背中にはバツ印に大きな傷がある。その所為で開羽することが出来ないので、どんなに神聖力が多くとも天上人とは言えない。
「いや、大丈夫。行こう。」
俺はツビィロランではない。津々木学の魂が失くなったとしても、そこにツビィロランの抜け殻が残ったのだとしても、元の状態に戻るだけだ。
空っぽの身体が生き続けるかどうかは分からないけど、他人が入り続けてもどうしようもないと思っている。俺はツビィロランではないのだ。
夢の中の俺が津々木学の姿だったことと、クオラジュが全く気付かなかったことで、いつもよりもそう思ってしまう。
それでも心配気なヤイネ達には申し訳ないが、俺よりも連れて来てしまったアオガの方が心配だ。アオガはちゃんとこの世界の人間なのだ。助けてやらないと。
ガシガシと漆黒の髪を掻きむしる。
クオラジュは色々な情報をくれたが、多分俺が全く無関係なそこら辺の人間だと思って喋ったのだろうと思う。
スペリトトが魂を集める装置を置いた?なんだそれ。何の為に?その所為で竜がいなくなっていった?クオラジュはそれを知っていてあの像に近付いたけど、目的のものは得られなかった。
「アイツ、全く俺に気づかねーでやんの。」
ボソリと呟く。
好意を感じたと思っていたけど、あれはやっぱりツビィロランの姿だからなのだろう。夜色の髪を持ち琥珀の瞳のツビィロランだから、クオラジュは優しかったのだ。
いや、故意に優しくしていたんだっけか。
少しくらい何か感じてもいいだろうに。
ツビィロランとお前は違うのだと思い知らされたようで、胃がムカムカとしてきた。
クオラジュはフッと目を覚ました。
見知らぬ場所の見知らぬ少年を何となく助けて自分も身体へと帰ってきた。
ヴゥン………ヴ…………ゥン…………。
小さな振動が身体を揺らす。窓の外に目をやると、雲がちょうど切れたところだった。
「目が覚めた?どうする?まだ周回するか?」
クオラジュの瞳が開いたことに気付いたトステニロスが話し掛けてきた。
「…………………もう離れて結構です。向かって下さい。」
山の麓に停めていた飛行船で出発した時、不意に見知った神聖力を感じた。
竜の住まう山は予言者スペリトトが遥か昔に置いた像の所為で、大気の神聖力が乱れ魂を歪められてしまう。
たまたま知り合った竜の所で暫く滞在させてもらい、用が済んだので出るところだった。乱れた神聖力の中では飛行船は飛ばせないし、自身の羽で飛ぶのも危険なので、山には自分達の足で入っていた。
何とも不便な山なのだが、飛び立った時スペリトトの像が動いた気配がして確認をしに行った。
夢の中に入り、捕えられた者の夢を見てみた。
山に住む竜はもう少ない。皆このスペリトトの像に捕らえられぬよう自衛している為、像が発動するところを見るのは初めてだった。
興味とどのように神聖力が動くのかの確認。後は、この捕らえられた者の気配が気になった。
もしツビィロランならば、スペリトトの像はどう動くのか気になった。
確認に入った悪夢の中は、不思議な背の高い建造物が並ぶ街だった。人は多いようだが何かの乗り物に乗って早く移動している光景にクオラジュは目を見開く。
口に軽く握った拳をあてて、ジッと観察する。
規則的に並んだ滑らかな道。神聖力を通してみれば、水が流れる気が、これもまた規則的に無数に走っている。それは建物の中にも伸びて、どこにいても無限に流れる水が使えるようになっていた。
色鮮やかで綺麗な布地で作られた服を誰もが着ている。
貧富の差を感じない。
道端に寝転がる人もいなければ、貴族の館のように道を飾る植木までそこらかしこにある。
クオラジュには見覚えのない景色ながらも、老朽化していると一目でわかる建物から、悪夢の中心点が見えた。
悲鳴と苦痛が繰り返される。
見知らぬ少年が何度も何度も地面に叩きつけられるのを見て、クオラジュは眉を顰めた。
これがあの少年の悪夢なのだろう。
ツビィロランの気配に近いと感じたのだが、少年からは全く神聖力を感じなかった。勘違いしたのだろうか。
人工物ばかりで、同じ服を着た子供達。
争っている夢。
何度も落ちては苦しんでいる悪夢。
助けたのは気まぐれだ。
本当はスペリトトの像が発動し、魂を取り込む場面を見るつもりだったが、涙も流さずに必死に解決策を探そうとする姿に、何となく助けてしまった。
知らない人間だったのに、放っておけなかった。
仕方なく夢から覚ましてやったのだが、ちゃんと出れただろうか。山から出ろとは注意したが、もし他の仲間がいたならば、助けに行くと言いかねない。人とは目の前の脅威がなくなれば善行を語りだし、目の前に敵わない敵が現れると仲間を見捨てて平気で逃げ出す。
見捨てるくらいなら最初から見捨てて逃げればいいのにといつも思うのだが、夢から安全に出れてしまえば助けに行こうと考えるかもしれない。
「…………いえ。…………やはり後一日周回して下さい。」
クオラジュはあの少年が気になりもう少しだけ待つことにしてみた。山を降りる姿を見つけることができたら、そのまま目的地に向かおう。
「なんかあったのか?」
トステニロスは珍しいなと言いながらも、もう一度連峰上空を回るよう切り替えた。
「少し気になるだけです。」
クオラジュはそう言うが、いつも白黒はっきりしているクオラジュにしては珍しいなと、トステニロスは思った。
了解、と返事をしながら燃料に透金英の花を入れる。
その花の色はツビィロランの髪の色をしていた。
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