死に戻り令嬢は逃げ出したい ~前世で私を殺した暗殺者が、「一生離しません」と忠犬になって追いかけてきます~

ラム猫

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第15話 嵐の前の厨房

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 エルセリアは、何やら物々しい作戦会議が行われていることは察していた。マルタの瞳はいつにもまして鋭いし、バルドスは頻繁に荒事の専門家のような部下たちと会話している。そして何より、ギルベルトだ。彼はエルセリアが視界から外れるたびに、まるで戦場に赴く騎士のような、獲物を屠る直前の獣のような、張り詰めた殺気を漂わせている。

(……きっと、また私の知らないところで、私のために戦おうとしてくれているのね)

 彼らが何を隠しているのか、彼女にはなんとなく想像がつく。王都の影が、この港町まで伸びてきているのだろう。

 前世の彼女なら、ただ怯えて守られるだけだった。けれど、今の彼女にできることは、彼らが帰ってくる場所を、温かく整えておくことだ。

「よし、今日は腕によりをかけて作りましょう。……リナちゃん、お手伝いしてくれるかしら?」
「うん! エルセ様のお料理、大好き!」

 エルセリアはバルドスに許可をもらい、屋敷の大きな厨房を借りることにした。

 献立は、港町ならではの新鮮な魚介をふんだんに使った具沢山のパエリアと、じっくり煮込んだ牛脛肉の赤ワイン煮。それから、ギルベルトが以前「お嬢様の作るこれが、世界で一番好きだ」と言ってくれた、自家製ハーブをたっぷり練り込んだフォカッチャだ。

 パエリアの鍋からは、サフランと魚介の芳醇な香りが立ち上る。赤ワイン煮は、マルタが教えてくれた隠し味——少量のカカオを加えて、コクを深める。

 パンが焼き上がる香ばしい匂いが厨房いっぱいに広がった頃、ちょうど「会議」を終えた三人が、疲労の色を隠せない様子で戻ってきた。

「……あら、いい匂いですね。お嬢様、厨房で何を?」

 真っ先に現れたマルタが、鼻先をひくつかせた。冷徹な侍女の仮面が、美味しそうな匂いの前で一瞬だけ緩む。

「お疲れ様、マルタ。皆さんお疲れのようだから、晩餐を用意したのよ。バルドスさんも、今日はリナちゃんと一緒に食べていってくださいね」
「おう、そりゃありがてえ……。なんだ、このいい匂いは。腹の虫が暴れ出しそうだぜ」

 バルドスが笑い、リナがその足元に駆け寄る。
 そして最後に入ってきたギルベルトは、厨房の中央に立つエルセリアを見た瞬間、その場に釘付けになった。

「……俺のために、エルセが……料理を……?」
「ええ、ギルの好きなフォカッチャも焼いたわよ。さあ、冷めないうちに座って」

 食卓に並べられた料理を見た瞬間、ギルベルトの様子がおかしくなった。彼は震える手でフォカッチャを一切れ手に取り、まるで聖遺物でも拝むかのように、じっと見つめた。そして一口食べると、金色の瞳にみるみるうちに涙が溜まっていく。

「……あぁ、これだ。この味だ。……エルセの慈愛が、五臓六腑に染み渡っていく……。俺は、これを食べるために生まれてきたのかもしれない……」
「大袈裟よ、ギル。ただのパンだから」
「いいえ! これはただのパンではありません! 聖なる恵みです! ……あぁ、死ねない。この味を知っている間は、地獄の底からでも這い上がって、エルセの元へ戻らなければならない……!」

 ギルベルトは、まるで憑き物が落ちたような、それでいて新たな感情に火がついたような表情で、パエリアを口に運ぶ。マルタは「不潔ですよ、泣きながら食べないでください」と冷たく言い放ちつつも、自分も赤ワイン煮を口にし、満足げに目を細めていた。

「……お嬢様。これなら、明日の『大掃除』も、いつもより三割増しの速度で終わりそうです。やはり、良質な燃料は重要ですね」
「マルタまで……。掃除なんて、ほどほどにしておいてくださいね」

 エルセリアが苦笑しながらお辞儀をすると、バルドスがワイングラスを掲げた。

「エルセさん。あんたのこの料理があれば、俺の部下たちも無敵になれるぜ。……あぁ、決めた。この街を、何があっても守り抜く。こんなうまいもんを作る聖女様を泣かせる奴ぁ、俺が地の果てまで追い詰めてやる」

 賑やかな食卓。 外では不穏な嵐が近づいているのかもしれない。けれど、温かい湯気と、美味しい料理を囲む笑い声がある限り、この場所は誰にも壊せない。

 食後、少しだけ落ち着いたギルベルトが、片付けを手伝うエルセリアの隣で、消え入りそうな声で囁いた。

「エルセ。……俺は、あなたが笑っている世界を守るためなら、本当に何だってします。……だから、信じていてください。明日、何が起きても、あなたはただ、人を助ける薬を作って待っていてくれればいい」

 その瞳には、先ほどまでの狂気ではなく、静かなで、決して揺るがない誓いが宿っていた。

「ええ、信じているわ。……私の自慢の騎士様ギル?」

 彼女がそう言って彼の髪を撫でると、彼は幸せそうに目を細め、彼女の指先にそっと唇を寄せた。
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