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第14話 番犬たちの軍議
しおりを挟む港町セレンの夜は深い。エルセリアとリナが寝静まったバルドス邸の地下、分厚い石壁に囲まれた秘密の書斎には、三人の男女が集まっていた。卓上には、王都周辺の勢力図と、数枚の密書が広げられている。
「——状況を整理しましょう。ヴィンセント王子は完全に正気を失っています」
口火を切ったのは、王都から戻ったばかりのマルタだった。彼女は机を指先で叩き、冷徹な報告を続ける。
「お嬢様がこの街に来てから数年、王都の結界は崩壊の一途を辿っています。作物も育たず、魔物は増え、民の怒りは爆発寸前。ヴィンセントは自らの無能を認める代わりに、『聖女エルセリアの生存』という幻想に縋り始めました。彼は確信しています——お嬢様を檻に戻せば、すべてが元通りになると」
「反吐が出るな」
ギルベルトが吐き捨てるように言った。彼の金色の瞳は、暗がりのなかで獣のように鈍く光っている。机に置かれた彼の指先は、無意識のうちにヴィンセントの名が記された地図の一点を、穴が開くほど強く押さえつけていた。
「エルセリアを汚し、追い込んだ男が、今さら救いを求めて彼女を探すだと? ……殺す。今度こそ、その腐った根性を物理的に叩き切ってやる」
「落ち着きな、若造。殺すだけじゃあ、エルセさんの安全は守りきれねえ」
バルドスが重厚な椅子に深く腰掛け、葉巻の煙を吐き出した。裏社会のボスとしての威厳が、その言葉に重みを与える。
「王子様が直々に動くってこたあ、正規の騎士団もどきがこの街に雪崩れ込んでくるってことだ。セレンは俺の庭だが、王室相手に正面から戦争して、エルセさんを『犯罪者の共犯』にするわけにゃいかねえだろ?」
マルタが頷く。
「その通りです。お嬢様は今、この街で『慈愛の薬師エルセ』として愛されています。彼女の平穏を壊さず、かつヴィンセントを完膚なきまでに叩き潰す。……それには、綿密な計画が必要です」
マルタは一枚の図面を広げた。それは、ヴィンセントたちが港町へ到着した際に利用するであろう、貴族用迎賓館の構造図だった。
「バルドスさん。あなたの商会で、この迎賓館の食糧とワインの納入を独占してください。中身を特製のものに入れ替える必要があります」
「ハッ、お安い御用だ。俺の部下には、姿を消すのが得意な奴らが腐るほどいる。下剤から幻覚剤まで、お好みのコースを用意してやるよ」
「狂犬。あなたは王子の寝所に潜り込みなさい。ただし、殺してはいけません。彼が見る悪夢を演出するのです。……あなたなら、彼が最も恐れているものが何かわかるはずですね?」
ギルベルトの口角が、歪に吊り上がった。
「あぁ。あいつは自分の権威が失われることと、エルセリアに軽蔑されることを何より恐れている。……ようやく、あいつに地獄を見せられるんだ」
「そして私は、王都に残した潜伏員を使い、ヴィンセントが『行方不明の聖女を連れ戻すために、無実の民間人を虐殺しようとしている』という噂を流布します。彼がこの街で暴挙に出れば出るほど、王都での彼の立場は消滅する……。民衆が求めているのは、狂った王子ではなく、新たな秩序ですから」
マルタの計画は完璧だった。ヴィンセントを物理的に殺すのではなく、彼の社会的、精神的な立場を完膚なきまでに破壊し、生きたまま地獄へ突き落とす。
「……エルセリアには、どう伝える?」
ギルベルトが懸念を口にした。エルセリアは、たとえ自分を陥れた相手であっても、過剰な暴力を好まないだろう。
「『街の人々を傷つけようとする鼠が紛れ込んだので、私たちが掃除しておく』。それで十分でしょう。お嬢様には、いつものように薬草の研究に励んでいただくのが一番です」
マルタの言葉に、バルドスとギルベルトが同時に頷いた。
三人の目的は一致している。エルセリアの微笑みを守ること。そして、その微笑みを一度でも曇らせた不逞の輩に、死よりも深い後悔を与えること。
「決まりだな。……おい、若造。しくったら、俺がお前を海の底へ沈めるからな」
「言われるまでもありません、バルドス。触れさせるどころか、あいつがエルセリアの名前を呼ぶたびに、その喉をナイフで撫でてやりますよ」
地下室の灯りが、三人の影を不気味に長く伸ばした。
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