死に戻り令嬢は逃げ出したい ~前世で私を殺した暗殺者が、「一生離しません」と忠犬になって追いかけてきます~

ラム猫

文字の大きさ
51 / 63

第50話 救い

しおりを挟む

 血の匂いと、澱んだ魔力が満ちる深淵の底。死の淵から引き戻されたエルセリアは、かすむ視界の中で、自分を抱きしめるギルベルトの表情を捉えていた。

「……エルセ。……あぁ、エルセリア……! なぜ、こんな無茶を……! 俺が、俺が戻るのを待っていればよかったんです! あなたの身体に傷が付くなど、あってはならないことなのに……俺が、頼りないばかりに……!!」

 ギルベルトの声は震え、その金色の瞳からは後悔と怒りが混ざり合った涙が溢れている。彼は自分の腕の中にいる主の無事を確認しながらも、その無謀さを責めずにはいられないようだった。

 だが、エルセリアもまた、震える手でギルベルトの胸に手を置いた。

「……何を、言っているの……。怒りたいのは、私の方だわ……っ!!」
「え……?」

 エルセリアの大きな瞳から、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。それは痛みによるものではなく、心の奥底で煮え切っていた、彼に対する烈火のような怒りと愛の爆発だった。

「先にいなくなったのは、ギルじゃない……! 信じて待てなんて、一方的に私を置いていって……暗くて冷たい場所に、一人で勝手に行って……! 私がどれだけ、怖かったと思っているの!? あなたが戻ってこない世界なんて、私には……何の価値もないのに……!!」
「……え、エルセ……」
「バカギルベルト! 私を守ると言いながら、私を一番泣かせたのはあなたです! もう、絶対に許しません! ……次に勝手にいなくなったら、私、本当に許さないから……っ!」

 子供のように泣きじゃくりながら怒鳴るエルセリアの姿に、ギルベルトは完全に毒気を抜かれた。彼女がこれほど感情を剥き出しにして自分を求めたことは、かつてなかった。彼は言葉を失い、ただ彼女の涙を汚れた指先で、壊れ物を扱うようにそっと拭った。

「……すみません……。エルセを、これほどまでに悲しませるなど……騎士失格です。……お叱りは、あとでいくらでも。今は、あのおぞましい呪いの核を、俺が壊してきます。エルセはここで——」
「いいえ。一緒に、行きます」

 エルセリアはギルベルトの手を借りて、ふらつきながらも力強く立ち上がった。脇腹の傷は、ギルベルトの必死の魔力供給によって塞がっている。

「私が浄化し、あなたが道を切り拓く。……二人でなければ、精霊王様は救えないわ」

 二人の視線が重なる。アメジストの瞳に見つめられたギルベルトは、負けたとばかりに両手をあげた。

「……御意。エルセの仰せのままに。……この地獄の底に、最高の夜明けを連れてきましょう」

 二人は、巨大な黒い茨の繭——精霊王が囚われた檻へと歩み寄った。茨はエルセリアの魔力を感知し、再び禍々しい殺気を放って襲いかかる。だが、今度は彼女が一人で傷つくことはない。

「邪魔だ」

 ギルベルトが前へ出る。その手には、自らの血を魔力で固めたような、紅黒く輝く双剣が握られている。

 彼は踊るように茨の海へ飛び込んだ。神速の剣筋が、エルセリアを狙う茨を次々と粉砕していく。呪毒の霧が彼を包もうとするが、彼は一瞥するだけで闇を散らした。

「エルセ、今です! あなたの力を!!」
「ええ……! 精霊王様、もう、眠らなくていいのですよ!」

 エルセリアは両手を広げ、自身の魂を歌に乗せるようにして解き放った。
 翡翠の都で聞いた少年の悲しみ。クレイウスの民の渇き。そして、隣で戦うギルベルトへの、熱い信頼。そのすべてが混ざり合った、真珠色と黄金色が混じり合う究極の浄化光。

 光の奔流が、ギルベルトが切り拓いた道を通って繭の中心へと直撃した。茨が悲鳴のような音を立てて燃え上がり、灰となって崩れ落ちていく。その奥に眠っていた、巨大な光の繭が、内側からパキリと音を立てて割れた。

「——っ……!!」

 眩い光が空間を支配した。黒い泥に染まっていた水が、一瞬にしてクリスタルのような輝きを取り戻していく。腐敗臭は消え、代わりに雨上がりの森のような、清廉な香りが満ちた。

 繭の中から現れたのは、クレイウスの歴史そのものとも言える、巨大な翼を持つ美しい王の姿だった。精霊王はゆっくりと目を開け、目の前にいる二人を見つめる。

『……人の子よ。……我が悪夢を、終わらせてくれたのか……』

 その声は、渇ききった大地に染み渡る慈雨のように穏やかだった。精霊王の目覚めと共に、周囲の空間が急速に輝きを増していく。空間は崩壊を始め、現世へと繋がる道が黄金の光の柱となって立ち昇った。

「ギル……やったのね、私たち……」

 力が抜け、倒れそうになるエルセリアを、ギルベルトが横からしっかりと抱き止めた。

「ええ、エルセの勝利です。……さあ、帰りましょう。あなたの帰還を待つ、太陽の下へ」

 二人は光の柱に包まれ、深淵を去る。クレイウスの空には、数ヶ月ぶり、いや、数年ぶりとなる待望の雨が、祝福を込めて降り注ごうとしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

じゃない方の私が何故かヤンデレ騎士団長に囚われたのですが

カレイ
恋愛
 天使な妹。それに纏わりつく金魚のフンがこの私。  両親も妹にしか関心がなく兄からも無視される毎日だけれど、私は別に自分を慕ってくれる妹がいればそれで良かった。  でもある時、私に嫉妬する兄や婚約者に嵌められて、婚約破棄された上、実家を追い出されてしまう。しかしそのことを聞きつけた騎士団長が何故か私の前に現れた。 「ずっと好きでした、もう我慢しません!あぁ、貴方の匂いだけで私は……」  そうして、何故か最強騎士団長に囚われました。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

3回目巻き戻り令嬢ですが、今回はなんだか様子がおかしい

エヌ
恋愛
婚約破棄されて、断罪されて、処刑される。を繰り返して人生3回目。 だけどこの3回目、なんだか様子がおかしい 一部残酷な表現がございますので苦手な方はご注意下さい。

うっかり結婚を承諾したら……。

翠月 瑠々奈
恋愛
「結婚しようよ」 なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。 相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。 白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。 実際は思った感じではなくて──?

村娘あがりの娼婦ですが、身請けされて幸せです

春月もも
恋愛
村を飛び出して王都に来たリリアは、いまは高級娼婦として生きている。 ここは通過点のはずだった。 誰かに選ばれて終わる物語なんて、わたしには関係ないと思っていたのに。 触れない客。 身体ではなく、わたしの話を聞きに来るだけの商人。 「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」 突然の身請け話。 値札のついた自分と向き合う三日間。 選ばれるのではなく選ぶと決めたとき、 通過点は終わりになる。 これは救いではなく対等な恋の話。

一途に愛した1周目は殺されて終わったので、2周目は王子様を嫌いたいのに、なぜか婚約者がヤンデレ化して離してくれません!

夢咲 アメ
恋愛
「君の愛が煩わしいんだ」 婚約者である王太子の冷たい言葉に、私の心は砕け散った。 それから間もなく、私は謎の襲撃者に命を奪われ死んだ――はずだった。 死の間際に見えたのは、絶望に顔を歪ませ、私の名を叫びながら駆け寄る彼の姿。 ​……けれど、次に目を覚ました時、私は18歳の自分に戻っていた。 ​「今世こそ、彼を愛するのを辞めよう」 そう決意して距離を置く私。しかし、1周目であれほど冷酷だった彼は、なぜか焦ったように私を追いかけ、甘い言葉で縛り付けようとしてきて……? ​「どこへ行くつもり? 君が愛してくれるまで、僕は君を離さないよ」 ​不器用すぎて愛を間違えたヤンデレ王子×今世こそ静かに暮らしたい令嬢。 死から始まる、執着愛の二周目が幕を開ける!

どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~

涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!

わんこ系婚約者の大誤算

甘寧
恋愛
女にだらしないワンコ系婚約者と、そんな婚約者を傍で優しく見守る主人公のディアナ。 そんなある日… 「婚約破棄して他の男と婚約!?」 そんな噂が飛び交い、優男の婚約者が豹変。冷たい眼差しで愛する人を見つめ、嫉妬し執着する。 その姿にディアナはゾクゾクしながら頬を染める。 小型犬から猛犬へ矯正完了!?

処理中です...