曇りのち晴れはキャシー日和

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第四章 ノンストップ! キャシー号

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 立石さんは携帯電話を持っていなかったので、僕のスマホを貸してあげた。目星をつけたスーパーに電話をかける。ありきたりのやり取りを十数秒で終えた立石さんは、僕にスマホを返しながら力強くうなずいた。
「今から面接をしてくれるそうです」立石さんがデイパックの口を開けた。「一発目で引っかかりました。ラッキーです。幸運を独り占めした気分です」
 立石さんが、デイパックの中から束になった履歴書を取り出す。それを得意げに掲げた。「準備は完璧に整っています」
「あの、立石さん」僕は遠慮がちに尋ねる。「その履歴書の束、何通くらいあるんですか?」
「ええと、四十通までは数えたのですが」立石さんがゴムバンドの中で窮屈そうな履歴書の束をパンパンと叩く。「現在の数は不明です。数えるのが面倒になりましたので」
「……数えるより、そんなにたくさん書くほうが面倒じゃありませんか?」菜々実の手のひらからポップコーンがこぼれ落ちたけれど、彼女はそれに気づかない。
「いえいえ、面倒なんてまったく」立石さんが顔の前で手を激しく振る。「私はこれといった趣味はありませんが、履歴書を書くのが趣味なんです。ほら、ここを見てください」
 立石さんが履歴書を一通取り出して開いた。彼の指さすところを、みんなが身を乗り出してながめる。それは「趣味・特技」の欄だった。数行あるその箇所に、ポツンと小さな文字で「履歴書を書くこと」と書かれてあった。菜々実の手から、またポップコーンがこぼれ落ちた。

 スーパーの横がちょうどパチンコ屋さんになっていたので、キャシー号をそこの駐車場に停める。立石さんがデイパックを抱えて下車した。
「じゃあ、行ってきます」立石さんが深々と一礼する。
「がんばってねえ」姉貴が手を小刻みに振る。「ちゃんと自己アピールをするのよお」
 立石さんはうなずき、スーパーの建物のほうへ消えた。
 僕たちはお菓子を食べ飲み物を飲みながら世間話に花を咲かせていた。とは言っても、途中で僕と菜々実の仲について修太郎さんがしつこく尋ねるので困った。
 菜々実は尋ねられるのがうれしいのか、照れながらもポテトチップスをせわしく口に運んでいた。あんなにお菓子を食べるのに、なぜ彼女は太らないのか不思議だ。
 お菓子がエネルギーになっているのかと前に尋ねたことがあったのだけれど、普通の食事は食事で、きっちり食べているらしい。たぶん、体の中にブラックホールを宿しているのだろう、というのが、現時点で僕が下した判断だ。
 ふと時計を見る。立石さんが面接に行ってから四十五分が過ぎていた。飛び込みの面接にしては時間がかかりすぎじゃないかな、と思った。
「きっと実地訓練を行っているのよ」姉貴が知ったかぶりをする。「つまり、職が決まったってことね」
「それはよかった。働き盛りの独身だから雇う側にとっても都合がよかったということだろう」庄三さんが車に備え付けの冷蔵庫からアイスモナカを取り出した。袋を裂いた瞬間、アイスモナカが飛びはねて床に落ちた。ち、と舌打ちしてからそれを拾い上げ、昌枝さんに差し出す。「昌枝はアイスモナカが好きだったな。ほら食べなさい」
 再びお茶をかけられた庄三さんを横目で見てから、僕は修太郎さんに向き直った。
「もしかしたら立石さん、今日はこのまま働くことになるのかもしれないですね」
「ああ。そうかもな」修太郎さんが頭の後ろで腕を組んだ。「だが、それはそれでいいんじゃないか。彼の成功を祝ってやらなきゃな」
「じゃあ、立石さんはもう花火を見に行けないかもね。っていうか、このままお別れになっちゃうかも」姉貴がちょっぴり寂しそうな声を出す。「変わった人だったけど、もう一度会いたかったな」
「いや、このまま行くわけにはいかないだろう」修太郎さんがスーパーのほうへ目を向けた。「立石氏の就職を確認したのち、俺たちが出発することを伝えなきゃな」
「じゃあ、僕が行ってきます」僕は座席から体を起こした。「立石さんの就職の確認と、僕たちの出発を伝えればいいんですね?」
「頼んだわよ」姉貴が手を上げた。「立石さんによろしくねえ」
 僕はキャシー号を下りてスーパーに向かった。パチンコ屋さんの建物を回り込むと小さなスーパーがあった。入り口が見えたので、入ろうと思ったとき、急に尿意をもよおした。車を下りて動いたので血液が循環し、腎臓が働きを強めたのかもしれない。まずは用を足そうと思い、パチンコ屋さんに入った。
 すっきりしたあと、立ち並ぶパチンコ台の間を歩きながら立石さんのことを考えた。短い間だったけど、なぜか親近感のわく人だった。一緒に花火を見たかったなと思った。打ち上げ花火が上がったときの立石さんのリアクションが見たかったな。きっとまたおかしなことを言うんだろうな。そんなことを考えて、思わず口元が弛んだ。
 が、緩んだのは一瞬で、僕の表情は凍り付いた。床に根が生えたように足が止まった。信じられない光景に、瞬きすることすら忘れていた。
 立ち並ぶパチンコ台。小さな椅子。その一つに座っていたのだ。立石さんが。

「で、スーパーの面接をすっぽかして、パチンコをやっていたというわけか」修太郎さんが大きなため息をつく。「やってくれるねえ、あんたも」
「なによ、どういうことよ」姉貴が立石さんに食ってかかる。「時間がかかっているから、みんな喜んでいたのよ。あなたの就職が決まったんだって」
「申し訳ありません」立石さんは体を二回りほど小さくしてキャシー号の座席に座っている。
 パチンコ屋さんで僕と目が合った立石さんは、紙のように白い顔になった。緊張で持病が出たらしく、そのまま眠り込んでしまった。係員が飛んできて真っ青な顔になる。立石さんの白さと係員の青さが対照的だな──などと考えている暇はない。僕は係員に、だいじょうぶです、駐車場に車がありますので一緒に運んでくださいと言った。
 キャシー号に担ぎ込まれた立石さんを見たみんなの顔は、もう二度と見ることのできないほどの驚きを浮かべていた。
「申し訳ありません」立石さんがもう一度言った。「実は、何を隠そう、私はパチンコ依存症なんです。パチンコを目にしたら最後、いてもたってもいられなくなるのです」
「あ。もしかして、立石さんがリストラされた本当の理由って」菜々実が横から声をかける。「パチンコとか?」
「正直に言うと、そのとおりです」立石さんがますます小さくなってうつむく。「やはり履歴書の趣味欄には、正直にパチンコと書いておいたほうがよかったのでしょうか」
「そういう問題じゃないでしょ。まったくもう」姉貴がダッシュボードをバンと叩いた。「みんな、あなたの職が決まったって喜んでいたのよ。それなのに、こんな。腹が立って当然でしょ」
「申し訳ありません」謝りの言葉も三度目になると、立石さんはもうそれ以上小さくなることができないのか、今度は座席から下りて車の床に正座した。頭を床に擦りつけるように下げる。「依存症ゆえ、普段はパチンコ店には近づかないようにしているのです。でも、さっきは目の前に店があって。パチンコ台の甘いささやきが聞こえてきたときにはもう、足が勝手に中へ」
「まあ、いいだろうよ。スーパーがパチンコ屋の隣りにあったと言うのが不運だったな」修太郎さんが苦笑する。「どのみち、あのスーパーへ就職しても、隣りにパチンコ屋があったんじゃ、同じことの繰り返しになったに違いない。生き地獄を味わうくらいなら、これでよかったのかもしれないな」
「でも、なんかスッキリしないなあ」姉貴はまだ割り切れない様子だ。「じゃあ、こうしましょう。立石さんは、スーパーに謝りの電話を入れること。面接をすっぽかしたんだから、人として当然でしょ。それで今回のことは忘れてあげる」
「わかりました。ちゃんと電話で謝罪します」
 僕のスマホで立石さんはスーパーに電話をかけた。車の床に正座したまま謝る立石さんの姿は真に迫っていて、その真摯な姿を見た姉貴は納得したのか、満足そうにうなずいていた。
 でも、立石さんが約束をすっぽかした理由を話すのを聞いた姉貴は、再び険しい顔つきになっていた。姉貴だけじゃない、他のみんなも顔が引きつっていた。
 たしかに隣りでパチンコをやっていたとは言えないにしても、いくらなんでも面接に来る途中に交通事故に遭って救急車で運ばれたっていうのはないだろう。今、病院のベッドからなんですと話す立石さんの淡々とした表情を見ていると、この人は案外、何をしても生きていけるんじゃないかと思えてきた。
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