曇りのち晴れはキャシー日和

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第四章 ノンストップ! キャシー号

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 コンビニを出たキャシー号を、修太郎さんはゆっくりと走らせた。ルームミラーで立石さんの顔をチラ見できる程度のスピードで。
「それで? 次のあては見つかったのかい、立石氏?」修太郎さんがハンドルをゆっくりと切った。見通しのいい交差点に出る。気持ちのいいくらい真っ直ぐの道路が街路樹をその両側に従えて伸びている。この辺りが、卓也君の言っていたチャッピーの散歩コースらしい。
「ええと」立石さんが就職情報誌に顔を近づけた。「あ、ちょうどこの道路沿いにある会社が求人広告を出しています。文房具屋さんみたいです。地図によると、三つめの信号を越えた辺りですね」
「了解。じゃあ、そこへ行ってみるか」修太郎さんがキャシー号のスピードを上げた。並木が徐々に勢いを増して後方へ流れ去っていく。
 その間に立石さんは、面接の約束を電話でとりつけた。
「今度はがんばってよお」姉貴が若干責めるような目を立石さんに向ける。「今、あなたが置かれている状況を、片時も忘れないように面接に臨んでね」
「はい、わかっています」立石さんが力強くうなずく。「真剣勝負です。一瞬で相手に惚れさせてみせます」
 なんか不安になってきたな、と思ったのは、僕だけじゃないと思う。間違いなく。
「おいおい、ありゃなんだ?」修太郎さんが上ずった声を上げた。「最近の結婚式は、花嫁がマラソンをするのが流行っているのか?」
 修太郎さんの声に、僕は窓の外に目を向けた。街路樹に飾られた道路を、純白のウエディングドレスを着た女の人が走ってる。
「はあ? なんなのよあれ」姉貴も息を飲んで、走る花嫁を見つめている。「少なくとも、あたしが使った結婚式場では、そんなイベントはやってなかったわ」
 修太郎さんと姉貴以外の人は、驚きのあまり声を出せずにいる。僕も同じだ。
「ほう。面白そうだな」修太郎さんがニヤリとした。「見ろよ。向こうから走ってくるやつらを。いかにも結婚式の関係者って感じだろ」
 走る花嫁からの距離は二十メートルくらいか、これまた一生懸命に走る二人の男が目に入った。どうやら花嫁を追っているらしい。
 僕は嫌な予感がした。嫌な予感というのは、走る花嫁に対してではない。修太郎さんの不気味な笑いに対してだ。まいったな、勘弁してくださいよ、と祈るような気持ちで修太郎さんの後頭部を凝視する。手も合わせていたかもしれない。が、その祈りはあっさりと裏切られた。
 修太郎さんがキャシー号を停めた。助手席の窓ガラスを下ろす。真横に来た花嫁に向かって叫んだ。「おい、はやく乗れ!」
 花嫁はぎょっとした顔で立ち止まった。修太郎さんの顔を探るように見る。
「はやくしろ! 追いつかれるぞ」修太郎さんが、急速に距離を縮めてくる男たちを指さす。「捕まってもいいのか?」
 花嫁は、ちらと男たちのほうを見た。その視線をすぐに修太郎さんに戻す。両者を天秤にかけた彼女は、今、ものすごい速さで決断を下そうとしているのだろう。
 花嫁がガードレールの切れ目から車道に出た。修太郎さんの合図により、僕はキャシー号のドアを開けた。同時に、花嫁が乗り込んできた。修太郎さんがキャシー号を発車させた。後方で、男たちの叫び声が聞こえた。
 空きシートに収まった彼女は、胸に手を当てて荒い息を抑えることに一生懸命だった。彼女が話せる状況になるまで、誰も話しかけなかった。無言の空間が道路を移動して行く。
 やがて息が整ってきた花嫁は、キャシー号の乗客一人一人に目を向ける余裕ができた。一通り見終えると、彼女は微笑みとも苦笑ともつかない微妙な表情で口を開いた。
「逃げてきたんです。式場から」
「まあ、そんなところだろうな」修太郎さんがハンドルを操作しながらうなずく。「で、その理由は?」
「私がいけないんです」ドレスに身を包んだ女性は、足元に目を落とした。まるでそこにいけない理由があるかのように。「大切なことを、式の前に親に伝えられなかったから」
「大切なこと?」姉貴が、花嫁のドレスの裾についた泥汚れに目を向ける。「大切なことってなに? 結婚したらどこに住むとか? 相手が実は無職だったとか?」
 無職という言葉に、立石さんが反応した。背筋をぐっと伸ばして花嫁を見る。「でも、そんなことくらい、どうとでもなるじゃないですか。なんですか、たかが無職くらいで。あ、ちょうどよかった。私は今、就活中なんです。無職です。花婿さんと一緒に職探しをしましょう。善は急げだ。はやく花婿さんを呼んできてください」
「だから、花婿さんが無職と決まったわけじゃないでしょ」姉貴が立石さんをにらむ。「立石さんは黙って今から行く会社の面接のシミュレーションでもしてなさい」
 はい、と小さな声を絞り出す立石さん。素直に目を閉じて口の中で自己アピールの内容を反芻し始めた。
「無職なら、まだいいんですけど」と花嫁は姉貴にすがるような目を向ける。「彼、多額の借金があるんです」
「なんだ、そんなことか」庄三さんが明るい声を出す。「よくある話じゃないか。わしだって若い頃は途方に暮れるほどの借金地獄に陥ったことがあったよ。ま、そのほとんどが女関係だったんだ。それを内緒にして昌枝と付き合い始めたから、バレたときには地獄だった。それはもう、鉈を持って家中追いかけ回されたな。わはははは」
 昌枝さんのお茶のぶっかけ一発で、庄三さんは沈黙した。
「で? その借金とやらで、彼への熱が冷めたのか?」と修太郎さん。
「いえ、そういうわけじゃないんですけど。でも、彼が借金のことを私に打ち明けてくれたのは、結婚式の前日なんです。それでもうびっくりしてしまって。天国から地獄へ真っ逆さまという感じです」
「式の前日かあ」姉貴がため息をつく。「それはキツいわねえ。幸せ一杯で盛り上がっているときなのにね」
「はい。当然、親には言えませんでした。うれしそうな父と母の顔を見ていると、とてもじゃないけれどそんなことは言い出せるはずがありません。私の幸せを祈って送り出してくれる両親のことを思うと、式の時間が近づくにつれて笑顔さえまともにできないほど辛くなってきたんです。両親を裏切っているような気がして泣きそうになるのを我慢するのが精一杯でした。両親は私のそんな様子を見ても、幸せからくる感激だと思っていたみたいです」
「まあ、そうだろうな」修太郎さんがハンドルを切る。道路を曲がって車を停めた。もう追ってくる男たちは見えない。「で、その借金、どのくらいあったんだ?」
「六千万円です」花嫁が消え入りそうな声で答える。
「六千万円! ほんとなの?」姉貴の声が裏返った。「あたしたちの町じゃ豪邸が建つわ」
「招福堂のミルフィーユが十万個買えます」どこから取り出したのか、立石さんが電卓をはじきながら言う。「あ、税抜き計算ですけど」
「立石さん!」姉貴が声を荒げた。立石さんはあわてて情報誌に目を落とした。
「まあ、そりゃあ親に言えないわな」修太郎さんが花嫁に目を向けた。「六千万かあ。半端ない金額だなあ。彼、なんでそんな借金を作ったんだ?」
「私と出会う前に、事業に失敗したみたいです。そのときの借金です」
「そんな状況で、その彼、よくもあなたと結婚する気になったわね。しかも借金があることを内緒にしてまで」
「それで、花婿殿は、なんて言い訳したんだい? その借金に対してじゃなく、借金をあんたに内緒にしていたことに対して」
「どうしても言えなかった、と」花嫁は泣きそうになった。「でも、カナなら一緒に借金を返すためにがんばってくれると思った、って。でも……私はいいんですけど、両親の気持ちを思うと、どうしても耐えきれなくて。それで、気がつけば式場を逃げ出していて」
 カナという名前の花嫁は、ハンカチで目を押さえた。
「ひどい」菜々実がつぶやいた。「そんなひどい話ってない」
「式場から逃げたことですか?」立石さんが口を挟んだ。でも、姉貴の鋭い視線に合い、急いで目を伏せた。
「違うわよ、その男に決まってるでしょ!」ほとんど叫びのような菜々実の大声に、全員が身を引いた。卓也君が飲みかけのジュースをひっくり返して庄三さんがその犠牲になる。
「冗談じゃない。結婚を、女を何だと思ってるのよ。一緒にがんばってくれると思った? ふざけんじゃないわよ。それを結婚式の前日まで内緒にしていたくせに、甘えたこと言うんじゃないわよ!」
 菜々実の目に涙が溜まっていた。僕は菜々実の肩を抱いて、「わかった、わかったからもういいって」と言いながら、ハンカチを差し出した。菜々実はハンカチを目に当てながら、「そんな男、ぶっ飛ばしてやれ」とつぶやいて、僕の胸に顔をうずめた。
 十数秒の沈黙を破ったのは、修太郎さんだ。
「金は大切だ。極論すれば、金がすべてといってもいい。金は裏切らないからな」何か言いたそうな姉貴を手で制し、修太郎さんは続ける。「だが、金に裏切られるやつもいる。金をなめてかかった人間だ。そんなやつに寄り添った女には幸せは訪れない。夢は夢のままで終わっちまうんだ。カナちゃんだっけ? あんた逃げてきて正解だったよ。こっそり女の肩に重りを乗せるような男は、あんたを幸せにはできない」修太郎さんが姉貴を見た。「静香、お前はそう思わないか?」
 姉貴はしばらく修太郎さんの顔をじっと見つめていたけれど、やがてふっと息を吐いた。「答えないでおくわ。あたしの答えは、このタイミングにはふさわしくないような気がするから」
「私もそう思います」姉貴の代わりにカナさんが答えた。「あんな男を好きになった私がバカでした」
「そうか」修太郎さんがうなずく。「で、どうする? 式場を逃げ出したという突拍子もない事態の収拾をどうつけるつもりだい?」
 カナさんはしばらく考えていたようだったけど、決心した顔を修太郎さんに向けた。
「式場を逃げ出すなんて不祥事を起こしたことで、みなさんにご迷惑をおかけしたし、結果的には私の両親にも言葉では言い表せないくらい迷惑をかけてしまいました。もう両親にも顔向けできません」カナさんが一呼吸置いて続ける。「だから、一緒に連れて行ってください。ここ以外なら、どこでもかまいません」
「連れて行ってと言われてもねえ」姉貴が困惑する。「あたしたちは広島から来たのよねえ。花火を見るためにね。だから、帰るのは広島ってことになるんだけど」
「それでいいです。私、広島で新しい生活を見つけます。広島、一度行ってみたかったんです。がんばります」
「私、やっぱり広島で職探しをするほうがいいのかもしれません」立石さんがボソリと言った。「お互いに支え合う仲間がいたほうが、成果が出やすいような気がします」
「いいから、あなたは次の面接のことだけを考えていなさい」姉貴が一喝する。
「ま、話はわかった」修太郎さんがハンドルをにぎった。「とりあえず、予定をこなそうぜ。立石氏、まもなく面接の時間だろ?」
「はい──ですが、私はやはり広島向きの人間で」
「広島向きも広島焼きもないわよ」姉貴が首をかたむけて立石さんを見る。「とにかく、あなたははやく職を見つけなさい。でないと、住むところもないんでしょ? 面接のチャンスを活かさなきゃ」
 立石さんが渋々うなずいた。
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