曇りのち晴れはキャシー日和

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第四章 ノンストップ! キャシー号

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 立石さんを面接してくれる会社に近づいたとき、修太郎さんが疑い深そうな目を辺りに向けた。「今度は近くにパチンコ屋はないだろうな」
「だいじょうぶみたいね」姉貴も四方八方に目を走らせる。「隣はスーパーだから問題なしよ」
 キャシー号をスーパーの駐車場に入れ、僕たちは一斉に外へ出た。大きく背筋を伸ばすと、生き返った気分になるほど気持ちがいい。
 カナさんも同じように伸びをする。吹っ切れたのか、吹っ切ろうとしているのか、あるいは吹っ切れたふりをしているのかは僕にはわからないけれど、さっきまでの思い詰めた表情は、顔からすいぶん逃げ出したみたいだと思う。菜々実もそれに気づいたようで、僕と菜々実は顔を見合わせて微笑んだ。
 ただ、ウエディングドレスでスーパーの駐車場にいるというのは、けっこう人目を引くらしく、行き交う人々が驚きの目で見ていた。何かの撮影と思った人もいて、ちょっと離れた場所に座り込んでこっちをじっと見ているのにはまいった。
 立石さんが間違いなく約束の会社に入ったのを見届けたあと、僕はキャシー号に乗った。ここで立石さんの帰りを待つつもりだ。
 庄三さんと昌枝さんは、立石さんを待つ間にスーパーに買い物に行った。花ちゃんはミニひまわりを車の外に出して太陽の光を与えていた。菜々実は、ちょっとチャッピーを探してみると言って、卓也君と一緒に歩道に出て左右をチェックしていた。昨日の敵は今日の友、でもないだろうけれど、なんとまああっさりと仲よくなったものだ。
 というわけで、キャシー号の中は修太郎さんと姉貴、それにカナさんと僕の四人だけになった。カナさんはもう修太郎さんと打ち解けた様子で、広島のことをいろいろ話していた。姉貴は、彼女にしては珍しく聞き役に徹していた。二人の話にうなずくことも首を振ることもなく、ただじっと耳を傾けている感じだ。
 修太郎さんとカナさんの声だけが往復する車内で、僕が缶コーヒーのプルタブを開けたとき、向こうから立石さんが歩いてくるのが見えた。どうやら面接が終わったらしい。彼に気づいたらしく、花ちゃんがミニひまわりを持って車内に入ってきた。菜々実と卓也君も急いで駆けてくる。
「で、どうだった?」姉貴が立石さんに尋ねる。
 立石さんはゆっくりと座席に着いてから眉を上げた。「まあ、私なりにできるだけのことはやりました」
「なによそれ」姉貴がじれったそうな顔をする。「どうしたのよ。断られたの?」
「はっきり言ってしまえば、そういうことになります」立石さんが頭をかく。
「ええっ、なんでですか?」菜々実が汗ばんだ顔を団扇代わりの手の平であおぐ。「きちんと面接、できたんでしょ? 募集の詳細を見た限りじゃ、そんなに厳しい条件はないように見えたけどなあ」
「ちなみに、立石氏」修太郎さんが疑い深そうな目をする。「あんたのほうから提示した条件もあるんだろ? それ、なんだい?」
「はい、あります。ええと」立石さんがアゴに手を当てて考える。「独身寮は完備だから申し分なかったです。その他、給料は手取りで三十五万円、賞与は五ヶ月分、ただそれだけです。欲を言えばキリがないですから」
 十分、欲を言っているじゃないか、と思ったのは僕だけじゃないだろう。みんなリアクションをすることすら忘れているように、その場の空気と一体化してる。
 でも、さすがに姉貴は我慢ができなかったらしく、深呼吸を一つしてから立石さんに向き直った。
「あなたね、そんな贅沢な条件、実力を示してからのことでしょ? 努力して結果を出してから交渉すればいいじゃない。やる前からあれこれ言わないのよ」
 自分を何だと思っているの、といわんばかりの姉貴。でも僕は、立石さんの社会生活不適格者ぶりよりも、姉貴のリアクションのほうに興味を引かれた。なんだかんだと口うるさく言っているようでも、きっちり立石さんの面倒を見ているような気がする。他人事だからといって手を抜かない。
 そう言えば、と僕が幼稚園のときのことを思い出す。僕と姉は、母に買ってもらったばかりの紙芝居(当時、人気のあったキャラクターの紙芝居が売っていて、それを店先で見た僕が、なぜかものすごく欲しがったと記憶している)を持って家の近くにある公園に行った。姉と僕は、声も高らかに代わる代わる紙芝居屋さんを演じながら遊んでいた。いつの間にか幼稚園の友だちもやってきていて、親共々、僕たちの紙芝居を興味深そうにながめていた。
 そのとき、夕立が僕たちを襲った。友だちはみんな観客の役割を放棄して逃げ去った。僕は顔を雨に打たれながらも、大きな声で紙芝居に書かれた文字をなぞった。
 雨が強くなった。さすがに姉貴が僕の服をひっぱった。雨で紙芝居がダメになる、帰ろう、と僕の読み上げる声を上回る金属的な声で言った。僕はいやだ、もう少し続けたいと首を振った。姉貴は怒った。
 公彦がよくても、あたしはよくないの。公彦の紙芝居はどうでもいいけど、あたしの紙芝居が濡れちゃうのはイヤよ。さあ、はやくしなさい。
 僕は姉貴に引っ張られるままに、紙芝居を箱の中に入れながら、公園を走り出た。走りながらも僕は、紙芝居の文句を暗唱し続けていた。ちょうど好きなキャラクターの有名なセリフだったからだ。僕は、そこまではどうしても演じたかったのだろう。
 家に向かって走っていた僕は、はっとして立ち止まった。箱の軽さに気がついたのだ。抱えていたものを見る。箱の中は空だった。雨がこれでもかと攻撃してくる中で振り返ると、箱からこぼれ落ちた紙芝居の一枚一枚が、僕たちが公園から逃げてきた証拠のように、道に並べられていた。裏返ったもの、表が上になったもの、急ごしらえの水たまりの中で泳いでいるものもあった。
 大好きなキャラクターが、水たまりの底に沈んでいた。水に沈んでさえ、そのキャラクターは笑っていた。
 それを見た僕は、声を上げて泣き出した。雷にも負けないくらいの声で泣いた。
 先を走っていた姉貴が戻ってきた。状況を理解したらしく、自分たちの歩いてきた痕跡を消すかのように、一枚一枚拾い上げながら公園のほうへ戻っていった。
 全部拾い終わった姉貴は、僕のところへ戻ってきて、僕のずぶ濡れの髪の毛をかき上げながら言った。
 全部拾ったから泣かないの。ほら、はやく帰るよ。風邪引くよ。
 さっきまでの姉貴の声とはうって変わって優しい声だった。僕は姉貴の集めてくれた紙芝居を抱えて、それでもまだしゃくり上げながら家を目指して走った。
 家に帰ると、母が姉貴と僕の頭をタオルで拭きながら「そういうときは、雨が止むまで屋根があるところに避難していなさい。夕立はすぐに止むから。お母さんも様子を見に行こうと思っていたところよ」と言った。「紙芝居は乾かしておくわ。ちょっと使いにくいかもしれないけどね」
 姉貴は「ええーっ、そうか避難かあ」と声を裏返した。思いつかなかったと悔しそうな顔をした。
 心の余裕ができた僕は、姉貴の紙芝居に目を向けた。はっとする。僕の紙芝居を一生懸命に集めてきてくれた姉貴。腋の下に強く抱えていたのだろう、彼女の紙芝居は雨に打たれただけでなく紙製の箱が破れて変形していた。あの様子じゃ、中身も無事ではすまないだろう。
 それを見た僕は、また泣き出した。自分の紙芝居が水に濡れたときよりも大きな声で泣いたと思う。さすがに母が呆れたような顔をしたのを覚えている。
 僕が中学生になったとき、小遣いで姉貴に、彼女の好きなアイドルの写真集を買ってあげた。
 なにこれ。なんでくれるの? 姉貴は不審そうな顔をしていたけれど、僕は別に、普段、世話になっているからとだけ言ってその場を去った。
「公ちゃん。さっきからあんた、なにニヤニヤしてんのよ」立石さんに説教をしていた姉貴が、僕の顔を不審そうな目で見る。昔の姉貴の目となんら変わらない。「気持ち悪いわねえ。菜々実ちゃん、気をつけたほうがいいわよ。思春期特有の症状かも。二人きりのとき、モンスターに豹変するかも」
「はい。気をつけます」菜々実が笑いながら僕の背中を叩いた。「モンスターには変身しないでよ。せめてハムスターくらいにしておいて」
 誰がモンスターだ。ハムスターだ。っていうか、なんで菜々実に振る? 現実に戻った僕は、目をぐるりと回した。毒舌も、昔と変わらないな。やっぱり姉貴は姉貴だ。
 僕は、はやく次の会社を探しなさいと立石さんを急かす姉貴の顔を見て、今度はこっそりと笑った。
「そういや、庄三さんたちはどうした?」修太郎さんがスーパーに目を向けた。「まだ戻ってこないぞ」
「あ、そういえばそうね。スーパーに行ったきり、戻ってこないわね」姉貴が僕の顔を見る。「公ちゃん、ちょっと見てきてくれる?」
 はいはい、わかりましたと僕は腰を上げた。一緒に行こうかと言う菜々実を手で制してから、僕はスーパーに向かった。
 庄三さんたちはすぐに見つかった。スーパーの入り口に設置された鏡のところにいたからだ。庄三さんと昌枝さんは、なにやら熱心に鏡を見ていた。いや、鏡に映っている自分の姿を見ていたというほうが正解か。
「どうしたんですか? みんな待っていますよ」僕は鏡に映った庄三さんに話かける。
「君はどう思うかね?」庄三さんが鏡の中の僕に問いかける。「じゃっかん右を向いたほうが、見栄えがすると思わんかね」
「え? 何がですか?」
「わしの横顔だよ。わしは、左より右のほうに自信があるんだが」
 僕は鏡の中から姿を消した。「あの、みんな待っていますから行きましょう」
「ああ、すまんすまん」庄三さんが昌枝さんをうながす。「昌枝、そろそろ行くぞ。ときに、お前は決まったのか?」
 昌枝さんが真剣な顔をして考え込んでいる。
「あの、決まったって、何がですか?」僕は嫌な予感に包まれながら、それでも一応、尋ねてみた。
「湯飲みを持った姿だよ。左斜めと右斜めとでは、どちらが絵になるか決めているんだ」
「左、ですね」昌枝さんがつぶやいた。そして、鏡から外れて庄三さんとともにスーパーを出た。
 僕は鏡をじっとのぞいてため息をついた。が、まあ一応、顔を左右に動かして自分の横顔を確認してから、庄三さん夫妻の後を追った。
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