曇りのち晴れはキャシー日和

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第六章 スタンバイ! キャシー号

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 窓の外では、過ぎゆく夏を引き戻したいかのような蝉の大合唱が鳴り響いている。暑さはいったんはなりをひそめたものの、八月の終わりにきて未練を感じたらしく、再び熱風を窓に吹きつけてくる。僕の部屋の古いエアコンは一生懸命に働いてくれてはいるものの、この暑さのぶり返しは予想外だったらしく、悲鳴を上げながらフル回転している。来年はもう引退させてあげなければならないかもしれない。
 夏休みももうすぐ終わり、新学期が始まる。とりあえず体裁だけでも取り繕おうと、僕は机に向かっている。一応、人並みには新学期の好スタートを切りたいという、平均的高校生のカタログにでも載りそうな僕である。
 松山での花火大会ツアーが終わり、無事に、あはは、本当に無事に広島に戻ってきてから一か月近くが経つけれど、感覚的にはつい昨日のことのように思える。
 もとはと言えば、僕の計画した『プチ家出』から始まったツアーだった。だけど、あんなに大仰なことになるなんて、ほんと思い出しただけでも冷や汗ものだ。いや、今となっては、腹を抱えて笑える余裕ができたかもしれない。とんでもツアーがうまい具合に発酵して、いい思い出となったからだろう。
 いい思い出。そう、今ではそう思える。昨日、姉貴にチラリとそう漏らすと、下着姿で廊下を歩く悪いクセ全開の姉貴は「それは公ちゃんが成長したからでしょ」と言って笑った。それから鼻歌交じりに冷蔵庫の牛乳を取り出しコップに注いだ。その余裕、修太郎さんとの交際が始まったからか。
 そう。あのツアー一日でそんな変化があったのは、僕や姉貴だけじゃない。というか、みんな大きな変化があった。まったく、一日限定のツアーだったのに、なんという影響力だ。
 でも、よくよく考えてみると、あの濃いキャラたちが集まった車の中だ、いかなる化学変化が起こっても不思議じゃないとは思うけれど。
 そんなわけで、勉強の手休めに花火大会ツアーのことを振り返っているのは、キャシー号のクルー全員のその後を、僕の知る限りで話してみようと思ったからだ。
 だって、僕のことばかりしゃべって他の連中を放っておいたのでは、僕がみんなから吊し上げられるだろうから。
 さて、じゃあ立石さんのその後からいこうかな。

 立石さんは、広島に戻ってからすぐに就職した。僕が思うに、彼にとって最適な職に就いたと思う。つまり、ウチのお隣さん──庄三さんの家で働くことになったのだ。
 立石さんは、一人暮らしで身につけた料理(意外に上手らしい)や雑事の腕を買われて、庄三さんのヘルパー兼雑用係として住み込みで働くことになった。僕たちはそれを聞いて、万歳三唱をしたものだ。姉貴なんか、本当に立石さんのことを心配していたんだろうな、よかったよかったと言いながら泣いていた。修太郎さんは立石さんに就職祝いにと言って新しいスーツをプレゼントしたらしい。
 この仕事、本当に立石さんに向いていたのだと思う。最近の立石さんの顔は、前のおどおどしたものと違って自信に満ちあふれているからだ。そのおかげか、持病のナルコレプシーの症状も、ほとんど出なくなったらしい。いいことずくめだ。
 あとはお嫁さんね、と姉貴が笑っていた。まあ、これについては後ほど。

 庄三さんは広島に戻ってからまた検査入院した。とは言っても、別に倒れたからとかじゃなく、昌枝さんが強引に手続したらしい。検査の結果、医者から「あなたは百歳まで生きるんじゃないか」というお墨付きをもらったとのこと。病は気から、って言うけれど、このところの庄三さんはエネルギーに満ちあふれている。わしは不老不死だ、なんて豪快に笑う姿もなぜか憎めない人だ。
 昌枝さんは、相変わらずお茶ばかり飲んでいるけれど、庄三さんが健康なのがわかって、とっても喜んでいる。前にも増して庄三さんと仲よく手をつないで出かけているのを見かける。笑顔の二人を見たとき、本当にお年寄りの鏡だな、って生意気な高校生の分際で僕は思う。

 花ちゃんは、花屋さんの仕事に力を注いでいるようだ。近々、現店長が引退するので、店長を引き継ぐらしい。僕が店の前を通りかかったとき、花ちゃんがハミングしながら花に水をやっているのをよく見かける。その姿、めっちゃ可愛いので、相変わらず町の「男たち」の憧れの的になっっている。まあ……そういうのもアリなんじゃないかと僕は最近思うようになった。
 でも、ひまわりの贈り物には、ちょっと戸惑った。というのは、例のミニひまわり、ツアー中に出会った人たちにあげた残りの五個を、修太郎さん、姉貴、立石さん、庄三さん夫妻、それに菜々実にあげたら、僕の分がなくなった。僕はいいって言ったんだけれど、花ちゃんは頑として聞き入れてくれなかった。後日配達させますと言うから、僕は了承した。
 で、配達されたのが、僕の背丈よりもはるかにノッポのひまわり。そう、ミニひまわりじゃなく普通のひまわりだった。花ちゃんからの伝言で「お部屋に飾ってください」とのこと。無理でしょ、それ。玄関にデンと腰を据えているひまわりを見て、僕以外の家族は腰を抜かしそうだった。ソッコーで庭に植えさせてもらったけれど。
 ちなみに、ひまわりを配達してくれたのは、広誠連合のリーダーの渋谷さんだ。ときどき花ちゃんの仕事を手伝っているそうだ。最初、花屋さんにふさわしくない服装で来た渋谷さんを花ちゃんが追い返したら、次はチノパンにダンガリーシャツといった装いでやってきたらしい。髪は相変わらずリーゼントだったらしいけれど。
 手伝ってくれなくてもいいです、と花ちゃんが言っても、三代目のお役に立ちたいんですと言って、勝手に来るらしい。仕方なく花ちゃんが用事を頼むと、張り切って走り回るらしい。僕の家にひまわりを配達してくれたときも、渋谷さん、生き生きとした表情をしていた。
 ま、それはそれでよろしいんじゃないでしょうか──と、部外者の僕は安易に考える次第である。
 ところで、ビッグニュースでありながら、今はまだトップシークレットな話題がある。この前、立石さんに「花ちゃん、お相手にどうですか」と冗談半分に言ったら、立石さん、茹でダコかと思うほど、顔を真っ赤にしていた。
 うーむ、おかしい、これはなんかあると思って、僕は夏休みのとある一日を費やして、探偵の真似事をしたのだ。というか、ほんとはそんなにたいしたことじゃなくて、僕の部屋からなにげなく窓の外をながめていたら、そわそわと出かける立石さんを見かけたのだ。ちょうどコンビニに行きたかった僕も外に出た。偶然にも立石さんと歩く方向が同じで、でも、彼よりも五十メートルほど後方を歩いてたんだけど、突然、横道から女の人が出てきて、立石さんと並んで歩き始めたのだ。二人はすぐに手をつないだ。
 え、もしかして立石さん、彼女ができた? と思い、好奇心から距離を縮めて見ると。
 なんと、その女の人(と言っていいのかどうか)は、ジャーン! 花ちゃんだったのである!
 立石さんと花ちゃんは付き合っていたのか。僕はコンビニに行くのも忘れて、混乱し続ける頭で家に帰ったのが、つい三日前のことだ。
 そんなわけで、この極上ネタは、当分、僕だけの秘密だ。特に姉貴には内緒にしとかなきゃ。でないと、大変な騒ぎになる気がする。なにせ、僕の姉貴殿、恋のバカ騒ぎには、ありったけのエネルギーを使う人だから。

 姉貴と言えば、修太郎さんとはうまくやっているようだ。奇人同士、案外、波長が合うのかもしれない。
 今、姉貴は修太郎さんの本職であるネットビジネスを手伝っているようだ。修太郎さんも姉貴のビジネスセンスを認めているようで、熱心に話し込んでいるのをよく見かける。
 修太郎さんは僕に「大学生になったらバイトとして雇ってやるから来なよ」と言う。それはいいけれど、なんかあの二人に洗脳されそうで恐い気もするかな。ま、そのときになったら考えよう。
 ついでに言うけど、修太郎さんと姉貴、ところかまわず急にキスするのはやめてほしい。びっくりするじゃないか。目のやり場にも困るし。
 僕が姉貴に抗議すると、姉貴は「どうしてよ。外国じゃ、当たり前のことよ」と平然としている。「ここは日本だよ、そして、僕たちは日本人だ」と叫びたい僕は心が狭いのだろうか。
 そうそう。僕は姉貴の秘密を少しばかり握っているのだ。先日、姉貴の留守中のことだ。姉貴の部屋のドアが開いていたので、なにげなく中へ目を向けると、床に雑誌が置いてあった。広げたままで。
 なんの雑誌だろうと思って、思い切って部屋の中に入って雑誌を確認したところ、なんとそれは結婚情報誌だったのだ。そして、最大の秘密は、なんと、なんと、いくつかの結婚式場の公告ページに折り目がついていたのだ。それを発見したときの僕は、修太郎さんと姉貴にも劣らないほどの悪魔的表情をしていたかもしれない。けけけ。
 いざとなれば、このネタ、姉貴を冷やかすために使えるかもしれない。あ、でも、二人の話がまとまるまでの期限付きアイテムだけれど。

 最後になったけれど、僕と菜々実に関しては、一応、付き合ってはいるもののママゴトみたいな恋愛関係だ。その原因は、姉貴に言わせると「菜々実ちゃんに比べてあんたの精神年齢が低いのよ」ってことらしい。ほっといてくれ、成熟姉貴。
 そういえば、広島に戻ってから気がついたこと。菜々実の笑顔って、ひまわりに似ているということに気がついた。キャシー号に描かれたひまわりじゃなく、本物のひまわりだ。それは、単に見た目だけじゃなく、太陽の光を浴びてうれしそうに輝くひまわりに、雰囲気が似ているのだ。菜々実は笑顔が似合う女の子なんだなと改めて思った。姉貴に言わせれば「いくらなんでも鈍感すぎない? 何を今さら」ってことになるんだろうけれど。
 あのとき──松山行きのフェリーのデッキで、菜々実が僕に尋ねたこと。「あたしと付き合ってても、物足りない?」と、菜々実は悲しそうな目で僕に尋ねた。その返事を、僕は広島に戻ってすぐにした。「これからも菜々実と一緒にいたい」と。
 菜々実は僕の目を真正面から見て、うんとうなずいた。しばらくして、またうんとうなずいた。すぐに後ろを向いた菜々実の肩が震えていた。僕は、僕にしてはものすごくがんばったと思う。菜々実を後ろから抱きしめたんだから。そのとき、なんて細い肩なんだと思った。
 菜々実は僕の両腕を思い切りつかんで大声を上げて泣いた。あんなに泣きじゃくる菜々実を見たのは初めてだった。ちょっと照れくさいけれど正直に言うと、そのとき、菜々実をものすごく愛おしいと思った。
 それから? それから、どうしたって? いや、それは僕のトップシークレットということで勘弁してほしい。
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