《R18》春告と紫に染まる庭《セクサロイド・SM習作》

サクラハルカ

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第11話

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 昼から、雪はどんどん酷くなった。
 ここは私が住んでいたところより北に位置するくせに、ほんの少し雪が積もっただけで、人の往来が急激に減る。外に出ることは滅多にない私だけど、この家の敷地より外の音は良く聞こえる。車の音だとか、通学中の子供の声だとか。
 今日はそういう音の代わりに、時折りビュウッとキツく風が鳴った。

 祖母はこういう風の吹く日は、その音に耳を傾けて、誰ぞ泣いとる、と言っていた。

 都市部から少し離れているここは、家の周りにまだ広大な畑が残る。その畑に積もっているであろう雪を想像する。人も歩かないそこは綺麗なまま積もってゆく。畑の片隅に植えられポツリポツリと咲いた梅に雪が被ってる様を想像すると、外に出たくなる。
 でも、見に行きたいと言ったら木蓮に止められるような気がした、なんとなくだけれど。

 私は、ぬくぬくとコタツで足を温めながら手を動かした。
 降雪とは全く違う景色が、私の手元の布の中に現れている。
 ツバメが飛び交う姿を刺しながら想いを馳せるのは雪のこと。

 私が住んでいたところは、雪が綺麗に積もるなどということは、ほとんどなかった。
 たくさん降ったその日と次の日くらいまでは綺麗なのだけれど、三日目くらいから、溶けてぐしゃぐしゃになっている。
 そのせいか分からないけれど、雪が降り出したら早く外に見に行かなくては、と野次馬のような心境になる。
 雪国の人に言ったら何を馬鹿なことを、と思われそうだけれど、それくらい自分にとって降雪は、心が浮き立つ出来事。
 そわそわしながら、外に行く用事を考えていたけれど。
 わざわざ畑に行かなくても、家の庭を見ればいいではないか。

 なんで思いつかなかったのだろう、と作業途中の針を針山に戻し、刺繍枠をコタツのテーブルに置いた。それから、居間と縁の間にある障子をそっと開けた。
 縁の先についたガラス窓の向こうに、一面真っ白になった庭が見える。

 その光景に心が鳴って、私は縁に踏み出した。

 ガラス越しに冷気が伝わって、私の頬をひゅるりと撫でる。吐く息が白くて、薄っすらとガラスが曇った。
 庭の木蓮の枝にも雪が積もっていた。風に煽られて、枝の雪が舞っている。
 外に出て見てみたいと思った雪かぶりの梅はないけれど、一本の格好のいい木蓮の木が、白くなった世界で、すっと背筋を伸ばして立っていた。
 春になったら、紫木蓮が咲く。そして、玄関を埋め尽くしている紫蘭の鉢を外に出し、我が家の庭は束の間、紫色に染まる。

 雪がかぶる椿や梅の花も好きだけれど、この庭は、春を待つ植物が越冬する姿で雪を被っている。そういう姿も好きだ。

 周りが桜だ、ハナミズキだ、ツツジだと言っている頃、この庭では先ず木蓮が咲いて、次に紫蘭が開花する。紫蘭の鉢は蘭が株分けして増やしたとかで、私がここにきたときは三十を越える鉢があり、玄関に入りきらない分は軒下の雪が被らないところに並べてある。 
 蘭が居なくなって三年。今年はそろそろ株分けしてやったほうがいいかな、と思う。

 紫に染まる春の庭を思い浮かべる私の目の前で、季節外れの大雪がトサトサと降り続いていた。 

 真っ白の雪は木蓮の髪の色。
 その髪の間から覗く紫の瞳。

 蘭が居なくなってからも、木蓮は美しい瞳で私をずっと見てくれている。
 その事にいつまでも甘えていていいのか、実は最近迷っていた。

 蘭が亡くなってから、 木蓮の所有権は私に移っている。
 その私のところに、優秀な技術者が作ったアンドロイドだから是非譲って欲しいと持ちかけてくる人は後を絶たない。
 直接訪ねて来る人もあれば、手紙で依頼してくる人もいる。
 その全てにノーを突きつけているのは私でなく、木蓮本人なのだけれど。

 私は蘭に、木蓮以外の彼が作ったアンドロイドについては彼は一切関知しないが、木蓮は誰にも渡してはいけない、と遺言でもそして、死ぬ間際にもキツく言われていた。
 それから、彼が亡くなった後の諸々の手続きの処理をしてくれたのはやっぱり木蓮で。私はようやく夫の本名を知ることになったくらいで、後の知識はそれ以前も以降も、ほとんど変わりがなかった。
 私が知っているよりも、彼はかなり優秀なのではないかと思うのだけれど、その全容すら蘭も木蓮も、私には明かしてくれていない。

 アンドロイドに本人が抱く自発的な意思はないと知っていても、木蓮は本当に私のところにいていいのかな、と三年経って、だんだん蘭の輪郭がぼやけてきて、私は不安になっていた。
 その不安を、木蓮に嗅ぎつけられたくなくて、できるだけ彼と距離を空けていたい、とさえ思う。

 あの時、お寺の市でさえ会わなければ、私たちの人生は交差しなかったはずなのだ。
 あそこで、急に寂しくなって手を伸ばした私を拾い上げてくれた蘭。彼のいないここに私が居続けていいのか、その資格はあるのだろうか、と降りしきる雪に心の中で問うても、勿論答えは返ってこない。

 私はそっと瞼を閉じた。
 今まで見ていた真っ白な世界が、閉じた瞼の裏に映っている。

 全部、真っ白に戻してしまおうかしら。

 そんなことを思わされる景色だった。
 木蓮に言ったらどんな反応をするだろう。彼の中では今でも一番は蘭なのだ。
 彼がいなくなってしまった今も、木蓮の行動規範は蘭によって縛られ、私が言ったことでも蘭の考えに反するようであれば、素気無く断られる。

 あの遺言が生きていれば、私は木蓮を手放させてはもらえないだろう。
 それは死んでなお、蘭がここに息づいている証明のようなものだから。

 だから木蓮が後ろから、何やってるの、と声をかけてきた時に、ポツンと不安を漏らしそうになって、慌てて口をつぐんだ。

 何のせいにしても一番は、自分の気持ちが少し弱っていたのかもしれないと思う。
 雪の白さは格別で、真っ白な紙も布もそれには敵わず、ずっと見ていると泣きたくなる。
 二重ばきした靴下のガードなど物ともせず、板張りの縁から冷たい空気が上がってきて、足にまとわりつく。五指に分かれたつま先が一番先に冷やされて、そこからかかとや足の甲まで冷えてくる。
 そうなれば後は早い。
 冷たさが血液に乗って私の心臓に届く。溶けきらぬ氷を受け取る度に心が鳴く。冷たさに扮したそれは、どんどんと心に降り積もっていく。それこそ眼前の雪のように。

「春告、なんか変」

「そう?」

 訝しむように細められた紫をかいくぐり、私は何てことない風を装って首を傾げてみせた。

 私の手を握った木蓮は、冷えてるじゃない、と顔をしかめた。そのまま強引に手を引いて居間へ戻り、コタツに入っているように言った。もう少し見ていたいと思っていたのに、雪の積もる庭に続く障子は、木蓮によってピシャリと閉められてしまった。

 障子が閉まりきった時の音が、水に小石を投げ入れた時にできる波紋のように、長く耳に残っていた。
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