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第12話 情報戦略

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 セレーネが月の国ルナリアに保護されてから一週間が過ぎた。初日の絵本の読み聞かせで彼女に懐いた子供達たっての希望によりその子達に教会の片隅で勉強を教えることになり、その教え方の上手さと人当たりの良さですぐさまセレーネは子供達の人気者になってしまった。
 そして、子供達は楽しいことや優しくしてもらった事、更に自分が褒められた事などを親に話したがるものである。そうして子から『教会の学び舎に現れた素敵な女性教師』の話を頻繁に聞かされた親が様子を見に訪れれば、ルナリアでは非常に稀有な白銀の髪に紺碧の双眸を持つ美少女に驚きまたそれが新たな噂を呼ぶ。中には、今にも消えてしまいそうな儚さも相まってか彼女を『妖精』だと評する者も居た。
 それを言い始めたのは噂を聞き興味本位で彼女を見に来た結果一目惚れした大店の次男坊で、店の客に話したことから更に噂に拍車がかかる。

 元々幼い妹を慈しみ、周囲への気配りと思いやりを忘れないセレーネには、他者に安らぎを与えられる優しい雰囲気があった。加えてこの国に保護されてからは栄養状態も回復して長年まとってきた悲壮さも薄れ、持ち前の可憐さが磨かれて来たのだ。この時点でも、司祭様が連れてきた謎の女性は気立てがよく素晴らしい娘だと評判になった。

 更に、シエルから『子供は何かと怪我をしますからね。転んだりした子が出たら治癒術は普通に使用していだいて構いませんよ』と言われていた為にひとりの男子が高台から飛び降りて骨折してしまった足を治せば、それを知ったその子の両親から大層感謝された。
 そこまで他者から慕われる、丁重に扱われる経験の無かったセレーネには今の環境は不慣れで、元からの謙虚さとミーティアでは無償での治療が当たり前だったこともあり謝礼として差し出された金貨を受け取らなかった。その事が更に噂に色をつけ気がつけば、まだ名乗ってもいないにも関わらず……彼女は今、『教会に現れた妖精姫』として、一躍ときの人となっていた……。

「と、以上の旨を報告いたしましたら聖女様がクローゼットに閉じこもってしまわれまして……」

「おやおや、恥ずかしがり屋さんですねぇ。報告ご苦労様でした、彼女は自分がどうにかしますのであなた方は休憩に行ってください」

 部下達を見送ったシエルが改めてクローゼットに手を伸ばすと、掴もうとした取っ手に指先を弾かれた。どうやら弱めの結界が貼られてしまっているようだ。


「失礼いたします、シエルです。昼食をお持ちしたのでご一緒いただけませんでしょうか?」

「ーーっ!いっ、いえ、お腹が空いていないので……」

 と、そこで小さく鳴いたセレーネの腹の虫にはあえて触れずにシエルは続ける。

「そのようなつれないことを仰らずに!やはり食卓に彩りを添えるならば華が必須!ここは男所帯で渇いた自分の為と思って、結界を解除していただきたいですなぁ」

「け、結界…………?」

「ーーっ!(張っている自覚が無いのか……。無自覚に発動しているとしたら、やはり彼女の“悪しきを退ける”資質は相当のようですね)」

 今のセレーネは、これまで搾取され続けていた魔力の全てを自分だけで使用出来るようになった状態だ。有り余った魔力を消費しようと、日常の些細な範囲で無自覚に魔法を発動してしまっているのかもしれない。

「あ、あの………?」

「おっ、ようやく顔を見せて下さいましたね!ではランチに致しましょうか!」

 その後は急に黙り込んだシエルの様子に不安になったセレーネは、顔を覗かせた隙にあれよあれよといつの間にかセッティングされたテーブルに座らされてしまうのだった。


「どうです?少しは今の生活にも慣れて来ましたか?」

「は、はい。皆様優しくしてくださいますし、お仕事も……かわいい子供達と過ごせるのはその、安心しますから……」

 これまで嫌と言うほど周囲の大人から粗末に扱われてきた人だ。子供の相手を任せたのはいきなりまた彼女を大人社会に身を置かせるのは酷であろうと言う気遣いもあったのだが、どうやら正解だったらしい。

「それは何よりです!が、自分より先に子供たちが貴女と親睦を深めているのは妬けてしまいますねぇ」 

「ふぇっ!!?あ、あの……っ」

「貴女の魅力に気づいた男は既に他にも居るようですが、自分ももれなくその一人であることは留意して頂きたいですね!」

 そうシエルに言われたセレーネは一瞬顔を赤くしたものの、すぐに表情が暗くなり俯いてしまう。どうしました?と優しく問われ、ぽつりと本音が漏れた。

「いえ、街の皆様は本当によくしてくださるのですが、私への評価があまりに高すぎるようで……心苦しいです。私は本来、そのように大切にしていただけるような人間ではないのに……」

「あぁ、気にしなくて良いですよ。そうなるように仕向けたのは自分ですので」

 しれっと返され目を見開くセレーネに対し、シエルは悠々と続けた。

「良いですか?子供というのは良い事があったり優しくしてくれる人間に会うとそれを身近な大人、すなわち親に話します。そうすれば当然親は我が子が慕う相手が信頼に値するか己で見に来ますね。そうして対面した親御さんが貴女のお人柄に惹かれれば貴女の前評判が鰻登りになるだろうと踏んだ次第です。ま、パトリック殿が貴女に懸想して想像を上回る程爆発的に広まった事は否めないですが、そこはまぁ嬉しい誤算ということに致しましょう」

「そ、そんな、まるで騙すみたいな……」  

「騙すだなんてとんでもない。事実ですよ、貴女は素敵な女性です」

 一瞬、真剣な色を見せた瞳に射抜かれ心臓が跳ねた。初心なセレーネにはシエルの甘言は刺激が強すぎる、いくらどこまでが本心か分かりづらいとしても。

「それに!これは情報戦略です、必要なことなんですよ!」

「戦略、ですか?」

「えぇ!今はまだ大丈夫でしょうが、万が一ミーティアの連中が貴女を連れ戻したいとなったとき、今のままでは我々は不利です。どんな理由であれ、貴女を正規の手順無しに連れてきたことは事実ですからね」

 本来、他国への移住にはそれ相応の手続きを踏み新たに国籍を得なければならないが、セレーネはその手順は踏めない。だからこそ、周りを味方につけることは必須だとシエルは言う。 
 セレーネがルナリアの民にとってかけがえのない存在となっていれば、ミーティアの人間もそう手酷い扱い仕打ちは出来ないはずだ。

「教会とは本来、民の信仰なくしては成り立たない。故にまずは街の皆様に貴女の良いところを知ってもらうことが重要なんですよ」

「ですが私は、良いところなんて……」  

「今はまだ、心が傷つきすぎてわからないでしょうけれどね。大丈夫です、貴女が知らない貴女の魅力も、自分には見えていますよ」

 そう優しく手をとってもセレーネは握り返しては来ない。が、初日のときのように逃げなくなったし、手を重ねると体の強張りが少し和らぐようになった。今は、これで十分だ。

 それから、シエル曰く国籍に関しても、時間こそかかるが取得する手立てがない訳では無いと聞いて安堵した。流石に神に遣える身として民を導く者が不法滞在はいただけない。

「まぁそんな訳で、国籍取得の第一歩として明日は自分にお付き合い頂けますか?一度行っておきたい場所がありまして」
 
「はい、もちろんです。どちらに行かれるのですか?」

「あ、王宮です」

「………………え?」


 その後、再びクローゼットに引きこもったセレーネを説得するのに3時間を要したと言う。


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