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Ep.5 諦めの悪い男

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 朝、イグニスがカナリアの元へ押し掛けてから丸一日。勉学、音楽、芸術、魔術に運動に遊戯。全100回にも及ぶ勝負の結果は……

「チェックメイト。またわたくしの勝ちですわね」

「なん……だと……!?」

「様を見なさい、わたくしが本気を出せばざっとこんなものですわ!!」

 100戦100勝。つまり、正真正銘カナリアの圧勝であった。

 今まさに勝負のついたチェス盤の前で、イグニスが床に項垂れる。

「お前……全ての分野において強すぎだろ!!!俺だって十分過ぎる教育は受けてきてる筈なのに!!!!」

「あら、お褒めに預り光栄ですわ」

 悔しさのあまりかカナリアへの呼び名が“お前”、一人称が“俺”と完全に素になって床をダンダンと叩いているイグニスの姿を見て、カナリアは肩を竦めた。

(でもこの人、馬鹿だけど実力は確かなのよね。実際かなりギリギリで勝った種目も多かったし……。ただ、全部において戦い方が真っ直ぐすぎてフェイントも何もないから裏をかかれると弱いってだけで)

 自信満々だっただけあり、イグニスの実力はカナリアも舌を巻く位には高かった。彼の持参したノートは余白が0どころかマイナスなのではないかと言うくらいぎっしり書き込みがされて真っ黒になりボロボロに摩り切れていたし、少年から青年に変わる途中のその手には、剣や楽器の鍛練による豆がたくさん出来ていた。
 自分も同じくたくさんの努力を重ねてきたからこそ、カナリアにはイグニスの努力と実力が本物なことは十分に伝わった。
 まぁ、言ったら調子に乗ってまたこちらを馬鹿にしてきそうなので死んでも言ってやるものかとも思うが。

 マーガレットが淹れ直してくれた紅茶をひとすすりし、カナリアは優雅に微笑む。

「まぁなんにせよこれで決着は着きましたわね。わたくしの勝ちですわ!」

「ぐぅっ……!」

 正しく『ぐぅの音も出ない』とはこの事で、令嬢らしく高らかな勝利の笑い声を上げるカナリアをイグニスは反論出来ずに悔しげに睨み付ける。
 ようやく昨日の罵倒と今朝の無礼(私室に押し掛けられた一件)の溜飲も下がったカナリアが、パンパンと手を叩いて使用人を呼ぶ。

「さぁ、イグニス殿下がお帰りです、お見送りの支度を!」

「はい、お嬢様!」

 直ぐ様イグニスの帰宅を整える為にバタバタと動き出すバーナード家の使用人達。それを横目で見ながら、イグニスがなにかをポツリと呟いた。

「……だだ」

「あら、何かおっしゃいまして?」

「『まだだ』と言ったんだ!こんな敗北、俺は認めない!見ていろ、こうなったら勝つまで徹底的にやってやる!これから毎日勝負にくるからな!!」

「何ですって!!?お話が違います!わたくしが勝ったら夕べの件は不問にしてくださるんじゃなかったんですの!?」

「やかましい、問答無用!少なくともこの痕が消えるまでは毎日相手をしてもらうからな!拒否したら夕べ俺の顔をひっぱたいた件をリヒトと父上に報告してやる!!」

「そんな迷惑な……っ、勝手に押し掛けられても困ります!イグニス様、ちょっと!!」

 『今日のところはこの辺りにしておいてやる!』とテンプレートな負け犬の遠吠えをすると、イグニスは反論の間もなく馬車に乗って帰って行ってしまった。

「まさか、本気で毎日うちに来る気じゃないでしょうね……!」












ーーーーーーーーーーーーーーー

「さぁ来たぞカナリア嬢、勝負だ!!」

「あらイグニス、また来たの?懲りないわね~貴方も」

「無論だ、勝つまでやると言っただろ!」

「そう言うの、馬鹿のひとつ覚えって言うのよ」

「うるさい!俺が負けを認めない限り負けしまゃないんだ!というかお前、俺だってリヒトと同じ王子だぞ。敬語くらい使え!」

「あら、この間の勝負の条件で負けたら私にどんな態度を取られても許すって言ったのは貴方でしょ?それに、敬意って本来尊敬をするだけの価値がある人間にのみ払うべきものだと思うの」

「よーし良いだろう、そのケンカ勝った!!」

 まるでコントのようなイグニスとカナリアのやり取りに、マーガレットを始めとするバーナード家の使用人はまたやってると苦笑をこぼしつつイグニスの好む菓子と紅茶の用意に当たった。

 あれから数ヶ月、イグニスは宣言通り毎日のようにカナリアのもとに勝負を挑みに来ている。
 はじめはカナリアも困って、唯一イグニスを止められるであろうリヒトにどうにかならないかと相談したが……。『その内飽きるだろうからしばらく相手してあげて』とキラキラスマイルで言われてしまったので、仕方なくイグニスの挑戦を受け入れることとなったのだ。
 今やリヒトよりイグニスの方が、バーナード家にしっくり馴染んでいる程である。

「ったく……、ほら、今日の土産だ」

「やった!今日はチョコレートなのね、ありがとう!イグニスの手土産は珍しいお店のスイーツばかりだから嬉しいわ」

「お前……、自分から『傷が治った以上わたくしがイグニス様の勝負を受ける義理は本来ないのですから、相手をしてほしければ手土産のひとつ位持参してくださいな』とか自分で言った癖に白々しい……!」

 じと目でぼやくイグニスの手から高級そうなデザインの紙袋を受け取ってカナリアがクスクスと笑う。
 そう、この手土産は、カナリアが勝負に勝った勝者の特権としてイグニスに命じたものなのだ。

「だーって、わざわざ他のお友だちからのお茶会の誘いとかも断って毎回貴方との勝負の時間作ってるんだから、私にもちょっと位うま味がないとね。さぁ、今日は何をして貰おうかな~」

「おい、まだ勝負すらしてないだろうが!今日こそはお前のその鼻へし折ってやるからな!」












「で、誰の鼻をへし折ってやるって?」

「うるさい、黙ってろ……!」

 一時間後、いつも通りに勝負をし、いつも通りにカナリアに敗北したイグニスはがっくりと机に突っ伏した。
 『今日こそいけると思ったのに……!』と嘆くイグニスの口元に、カナリアがチョコレートを近づける。

「まあまあ、甘いものでも食べて元気出してよ」

「あぁ、ありが……いや待て。それは俺が持ってきたチョコレートだし、第一俺が落ち込んでいるのは他ならぬお前のせいなんだが!?」

 鋭いノリツッコミに思わずカナリアが吹き出すと、イグニスは仏頂面のままチョコレートを自分の口に放り込んだ。
 それを見て、カナリアも一番いい香りがする紅茶のチョコレートを口に運ぶ。頬を綻ばせると、イグニスが『いい味だろう』と笑った。

 こうして勝負の後には、イグニスのくれた菓子をつまみながら二人で互いの知識を深めたりするちょっとしたお茶会をするのもいつの間にか定番になってしまった。
 見かけによらず、イグニスは甘いものが好きらしい。カナリアも甘党なので、一番始めに彼がくれたクッキーについてで意外と話が弾んだことがこの二人だけのお茶会のきっかけだった。

 高等科への進学。つまり、ゲーム開始まで、あと僅か。
 まだ見ぬヒロインが現れるまでは、もう少しだけ彼のライバルで居てあげてもいいかもねと思いながら、三つ目のチョコレートに指を伸ばした。

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