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第1章 初恋の彼は、私の運命の人じゃなかった

Ep.92 度重なる誤解

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 翌日の晩。雨風による風化とびっしり生えた苔で最早元の色もわからない石造りの壁。整然と並んだレンガのその下から7つ、右から8つ進んだ一箇所を押し込むとガコンと音がして、真ん中から割れた壁がゆっくりと左右に開いた。
 ガイアの言っていた通りその先に現れた隠し通路に、私とるー君をここまで手引してくれたレオが感心したように声を出す。

「これが緊急時にのみ王家が使っていたとされる隠し通路か。そういうものがあると耳にはしていても、実際見てみると面白いものだな」

「お前、こんな時まで呑気だよねぇ。これだから脳筋は……」

 溜め息混じりにそう空を仰いだるー君に苦笑した。
 現在、私達が居るのは陛下が療養されている離宮の真下。陛下の寝室まで続く隠し通路の入り口だ。
 ナターリエ様達が手を回して下されたガイア達の処刑日は明日。それに伴い陛下の身辺警護に当てられたレオが所属する騎士団が、現在この塔の周りを徹底的に固めている。ガイアが昨晩レオにした交渉は、彼等が警備担当になる今夜を逆手に取り私達が陛下の寝室に侵入するのを手助けして欲しいと言うものだった。強固な警備を掻い潜るには、内通者の協力が不可欠だから。

 そうしてレオの手引の元、彼と同じ制服に身を包んだ私とるー君はこうして無事にここまで来れたと言うわけだ。

 目的はただ一つ。未だに意識が戻らない陛下に、万能解毒剤を飲ませること。

(まさかこれをくれた時は、まさかガイアもこんな事に使うことになるとは思わなかったろうな)

 キラービーの女王の魔石から作った解毒剤がはめ込まれたブローチをぎゅっと握りしめる。そんな私を見て、レオが小さく首を傾いだ。

「それが解毒剤か?随分洒落たものに偽造したもんだな。女性向けの装飾品みたいだ」

 『若い男には似合わねぇな』と笑われギクッと肩が跳ねる。そうだ、結局侵入の為に騎士服着てるから今日も男装中セシルなんだった……!

「あ、えーと先輩、実は……」

「これ、ガイアスからの贈り物なんだよ。あんまり触れてやるなって」

「ちょっとルドルフさん!?」

 肩に腕を回しながらあっけらかんと放たれたるー君の言葉に、薄暗い隠し通路の中でもハッキリわかるくらいにレオが目を見開いた。

「あ、あぁ、そうかぁ。お嬢の誕生日辺りから彼の気持ちが王都から離れていたのは感じていたし他に好い人でも見つけたのだろうとは思っていたが……うん。異同問わず愛されるのは優れた人間性の証だからな!当人達が良いならいいと思うぞ!安心してくれ、言いふらしたりはしないから!!」

 あからさまにドギマギした様子でまくし立てているレオの姿がどんどん離れていくのを見て、私はなんて事をしてくれてるんだと隣で肩を震わせているるー君をひと睨みしてから慌ててレオを追いかけた。

「だからそもそも私の性別から誤解なんですってばーっっ!!」


 





 それから、レオに男装の事や私とガイアの関係についての誤解を解きつつ登った長い長い螺旋階段の先。ようやく突き当たった桐の重たい扉の真下で、レオが束になった鍵を懐から取り出した。

「ここを上がれば陛下の寝室だ。容態を見る為に医師が1時間置きに見回りをしている。今は丁度23時の見回りが済んだばかりだろうが、くれぐれも油断しないように。俺はここからは同行出来ないからな。時間は間に合いそうか?」

「はい、解毒には12時間かかりますが今の時間なら明日の執行時間前に陛下も回復なさるかと。案内もここまでで十分です。ありがとうございました」

 執行は明日の正午。だから夜0時までに間に合えば大丈夫の筈。
 そう鍵を受け取り頭を下げた私を見て、レオがどこか儚げに微笑みを浮かべた。

「健闘を祈る。どうか明日が、妹だけでなく恩人の命日になってしまわないことを願ってるよ」

「はい、絶対、助けてみせます。レミリアさんにも、そう伝えて下さいね」

「……っ!何故、妹の名を……」

 レオの呆然とした呟きと唖然とした表情にハッとなる。しまった!ゲームで出てきて知ってたからつい……!

「あ、えと、い、以前ガイアから聞いたことがあって……!」

 いやぁ、我ながら苦しいよこの言い訳!と思いきや、レオは意外にも淡々と『そうか』と呟いただけだった。

「覚えていてくれたんだな……」

 そう呟いたレオはバシッと私達の背中を叩いて、『時間稼ぎは任せとけ』と笑った。

「ふふ、頼もしいです。そうだ、これよかったら摘んでください。ある方から教わった、悪意ある魔力を弾き返す加護の篭った焼き菓子です」 

「ーっ!?君も魔法使いなのか!?」

「うーん、ノーコメントです。味と安全は保証しますよ?」

 いたずらっぽく笑った私の返しに苦笑して、『まぁ一応貰っとくわ』とレオは今度こそ持ち場に戻って行った。
 その足音が完全に聞こえなくなってから、いよいよ鍵を開け扉に手をかける。二人がかりでようやく開いた隙間からようやく入れた室内の空気は、重たく淀んでいた。

(むせ返るような甘い、でも苦さを含んだ香り……。陛下の身体を蝕んでる毒のせい?) 

 何だか目までシパシパしてきて陛下の寝台がわからず困っていたら、隣からすっと手を引かれた。

「いらっしゃったよ、陛下。窓際だ」

 質の良いシルクに覆われたそこで、血の気を失った陛下が横たわっている。最後にお会いした時から一年しか経っていない事が信じられない程の変わり果てた姿に、使われた毒が如何に強力なものなのかがわかった。

(本当に、ナターリエ様はこの世界の人々を何だと思っているの)

 怒りを押し込めるように一度深呼吸をして、ブローチを取り出す。何かを察しているように、5つの花びらの内解毒剤の位置だけが強く輝いていた。
 桜型の枠から石を外し、指先でぐっと摘む。ピシッと音がしたと思ったら、固形だった解毒剤は液体へと変化した。それを陛下の口元に添えようとした私の手をるー君が掴んで、引き止める。

「……待った。この解毒剤を飲ませた後に陛下の身に万が一があれば、飲ませた者が必ず罪に問われるよ。ここは俺が……」

 そう解毒剤に伸びてきたその手を、やんわりと拒む。それじゃあ駄目だと。

「ううん。ここが今、ガイアや貴方達を縛る下らない運命シナリオを断ち切る分岐点なの。だからこそこれは、部外者モブである私の役割だわ」

「……言ってる意味がよくわからないんだけど」

 憂いを帯びていた表情に更に怪訝な色を重ねたるー君に『そうだね、ごめん』と苦笑して。それから、掴まれていた手を振りほどいた。
 虚を突かれたるー君が怯んでいる隙に寝台に駆け寄り、色の無い陛下の唇から解毒剤を流し込む。意識の無い筈の陛下は、何の抵抗も無くそれを飲み干した。同時に、その身体の上に浮かび上がるようにして時計を模した魔法陣が現れる。
 時計の針は丁度12本。これが全回復までのカウントダウンと言う訳だ。

「言うこと聞かなくてごめんね。でも私、親友だろうが何だろうがガイアを助ける役割を他の人に譲りたくないの」

 空になった解毒剤の容器を握りしめた私の髪が月明かりに一瞬煌めく。るー君は諦めたように頭を抱え、『女って強え』と呟いた。

「そうよ、恋する女は特に強いの。だから私もアイちゃんも、悪女なんかに負けないわ」

「はいはい、頼もしい事ですね。それより早くずらかろう、もうすぐ次の見回りが来る」

 懐中時計をちらっと見てのその言葉に同意して、陛下の枕元にガイアから預かった明日の作戦の記された手紙をひっそりと添えて寝室から脱出した。
 キャンベル公爵家の悪事の証拠は押さえた。ナターリエ様の魅了もほとんど解除して彼女の手駒も極力削った。実家の家族は万が一私達が負けた場合、すぐ国外に発つ手筈をお父様が整えている。アイちゃん、ウィリアム殿下、ガイアの拘束具も偽物にすり替えたし、陛下の解毒も間に合った。
 打てる手は全部打ったわ。あとは明日の正午、処刑の場にて全てが決まる。

(どうか、これ以上彼等が歪んだ運命シナリオ補正なんかに苦しめられませんように……!)










「おかえりなさい、レオ。持ち場を離れてどこへ行っていたの?探してしまいましたわ」

 二人の手引を終えて、無事“交代”の体を取り同僚と持ち場を変わった直後。一人になった自分の後ろから、鈴を転がすような声がした。
 真実を知る前なら聞いただけで浮足立っていたその甘くまとわりつくような声音が、今は気色悪くて仕方がない。だが、それを悟られぬよう微笑みながら振り向いた。

「こんな夜分にどうした?お嬢。夜遊びなんてらしくもない……っ!」

「だって、明日にはガイアスが処刑されてしまうと思うとじっとして居られないのだもの。ねぇ、陛下のご容態はいかがかしら?」

「さぁ、下っ端の若造にはわからないな」

 ずいずいと顔を近づけてくるその異様さにレオは後退る。これ以上会話を続けるべきでは無いと思った。
 そもそも公爵令嬢が真夜中に一人でこんな場所に来たのだ、あからさまにただ事じゃない。

「とにかく、俺は今仕事中なんで!帰りましょうお嬢。今迎えを手配しますから」

 くるりと背を向けもっともらしくそう話を切り上げようとしたレオだったが、ナターリエはそれを許さなかった。彼の腕にまとわりつき、妖艶に微笑む。

「つれないのね。妹君の仇を討って形見を見つけてあげた恩人に対してあんまりなのではなくて?」 

「は?なんの事だ、俺の恩人は……っ!?」

 反論しようとしたレオの体に、ナターリエの手から放たれた黒曜石のような純黒の糸のようなものが無数にまとわりつく。禍々しい力を放つそれは、髪だ。ガイアスが以前、ナターリエの呪縛を乗り越えた時に切り落とした、彼の魔力を帯びたそれを、ナターリエは密かに手下に回収させていた。いざという時の切り札として。

 異変に気づいたレオが片手で自らの口元を覆うが、そんなことで防げはしないとナターリエが鼻で笑う。そうしている間に毒々しい魔力に全身呑み込まれたレオがその場に膝をつき、彼の頬に手を添え光の消えた虚ろな双眸を覗き込みながら、ナターリエは静かに問いかけた。

「さぁ、私の可愛いレオ。妹君を亡くした貴方を救い支えてあげたのは誰だったかしら?」

「それは貴女様です、愛しいナターリエ嬢」 

 マリオネットのような抑揚のないレオの答えに満足気に笑い、ナターリエが命ずる。

「ではそのわたくしの命令ならば喜んで聞くわよね?あの裏切り者と目障りなモブ女が何を企んでいるのか、全て教えなさい!」

 そうして洗脳が不完全なレオが断片的に伝えた情報に、ナターリエは激昂する。

 国の柱足る国王陛下を殺害しようとした前代未聞の事件。非道極まりない犯人の処刑が2時間も早められたと発表されたのは、その当日の朝であった。

    ~Ep.92 度重なる誤解~

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