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3章 集うは激突する拳と思惑

6 潜入調査

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 受付の目の前でポンと金貨を出すというわけにもいかなかったので、ジロウさんと二人でせかせかと闘技場の端っこで持っていた巾着袋に金貨を詰める。
 パンパンに膨らんでもう全部入りきらないそれを抱えて石段をえっちらおっちら降りながら持って行くと、係員たちに目を丸くして驚かれた。

 数えると二百枚近くてそんな大金を賭けに来る人はさすがに滅多にいないし、持ってきたのが十代の少年少女ということもあってかなり怪しまれたのだが、お金には違いなくベットは成立。
 ちなみに金貨の上に白金貨という金貨百枚分の貨幣も存在するらしい。
 お札でも一億円とかになるとアタッシュケースとか必要なのに、金貨だと持ち運びがもっと大変になるからね。
 今度からそれにしてねと数えるのも大変なので嫌味半分でたしなめられた。

 ともかく賭け札を買い意気揚々と私たちは観戦席に戻ってきたのだった。


「嬢ちゃんたち金持ちだったんだなぁ……」


 隣に座るおじさんはすっかり意気消沈というか、半分呆れ気味でこんな賭け方をする私たちとの接し方を考え直し中のようだ。
 結局、私たちに押されて彼もファングに金貨一枚だけ賭けたんだとか。


「まぁ勝つだろ」


 膝に肘を突いて手の平に顎を乗せたジロウさん仏頂面で呟く。

 プレイヤーであるという以外何の根拠も無さそうな発言だけど、当の本人があのサンドサーペントを見ても余裕ぶって壁にもたれながら腕組んで鼻を歌ってるっぽいし私も大丈夫だと思う。
 プレイヤーの情報を知らない人たちからすれば単なる強がりに見えてしまっているのかなぁ。
 未だにこれまで最強と信じてきたチャンピオンが引き裂かれるんじゃないかと戦々恐々としていて、会場はどこも若干のお通夜モードだもの。

 でもその見立ても間違ってはない。
 たぶんレベルアップをした今のアレンですら一人じゃあ無理だ。数人いたら倒せるだろうけどね。
 それぐらいの怪物だよきっと。 


「一応、巾着袋が一つしか無かったのもあって全額は賭けてないですけど、負けたらライラさんの家に泊めてもらおうかしら」

「そうなったら儂は焙烙玉でも売るか」

「ちょっと、勘弁してくださいよー」

「冗談だ」


 意地悪そうな笑みで返された。
 あれ一発で死ぬことはないけども、たぶん食らったら死ぬほど痛そうだし横流しするのやめてよね。

 冗談を言いやってるともう試合の時間になった。
 大きな銅鑼が再び鳴らされ観客のざわついたおしゃべりが止み、意識が自然と司会へと集まる。
 サンドサーペントはその音でもまだ寝たままだ。相当に強力な薬を使っているみたいだね。


「大変お待たせ致しましたー! トイレと心の準備はお済みですか? 本日ご来場頂きましたお客様は非常に幸運です。この記憶にも言の葉にも残る空前絶後のバトルを生で見られるのですから! さぁ我らが闘技場の歴代最強チャンピオンファングが勝つのか、はたまた砂漠の暴君サンドサーペント大砂蛇が勝つのか、生き残るのはどちらでしょうか?」


 司会が全員に言い聞かせるように語りかけていき、その間に、スタッフが三人掛かりで大きな水が入ったタライを運んできた。
 ファングもその間に舞台に上がる。
 様子は全然余裕そう。これは賭けに期待が持てる。
 
 今回は場外は無しということだけど、闘技場のど真ん中に舞台があるのでそこで待機するしかないようだ。
 客たちはとにかく彼を囃し立てるような言葉を思い思いに掛けていき、冷めた空気が徐々に熱気に包まれていく。
 それらを見届けて司会が続ける。


「準備が整ったようです。ファングも待ち遠しいことでしょう! それではさっそく……始めぇぇ!!!」


 一際大きな開始の合図と同時にスタッフたちがタライを腕いっぱいに振りかぶった。
 そしてそこに汲まれた大量の水は行き場を失くしスヤスヤと眠るサンドサーペントの顔に浴びせられる。
 
 反応は素早かった。
 砂漠に生息するから水に敏感なのだろうか。濡れたと思った瞬間に目を覚まし、とぐろ状態を解除して辺りをきょろきょろと見回す。
 寝て起きたら知らない場所で困惑しているのは伝わってきた。


『……』


 と言ってもほとんど見えなさそうな目よりも頬から生えている触覚の方が頼りになるようで、すぐに腹ばいになってその触覚を地面に付ける。
 そこからの動きはあっという間だった。


「「「ひゃぁあああああ――」」」


 無理やり起こされ機嫌の悪い竜の標的はファングではなく――忍び足で離れようとするスタッフ三人。
 自分の何倍もあろうかという怪物に察知されたことに気付いた彼らは慌てて逃げようとするが、しかし振動か音かどちらかを探知し、無常にもその巨大な顎がぱくっと一呑みにする。

 血液すらも凝固しそうな間の刹那。
 走り去りながら上げていた悲鳴がサンドサーペントが口を閉じた瞬間にかき消え、それが彼らの断末魔となった。
 喉に引っかかって膨らみができてそれが人間の形をしていて生々しい。

 司会の男性はそのあまりにも無残な仲間の死に動揺して逃げることすら忘れてしまっている。
 会場中が水を打ったかのように静まり返りその光景を呆気に取られ見ているだけしかできなかった。
 これだけ人がいるのにあまりにも密やかで、隣にいる人間の息遣いすらも聞こえるような静寂な間が開始数秒で訪れる。

 だが、一人だけその時間が止まったかのような空間を駆ける人物がいた。
 ――ファングだ。


「おい、俺は無視されるのが死ぬほど大嫌いなんだ。こっち向け」


 初めて聞いた彼の声はややおかんむりだった。
 速攻で舞台のヘリから大跳躍をしてサンドサーペントの胴体にブーツで蹴りを放つ。

 単純な体重や体の大きさからすればファングの方が逆に弾き飛ばされてしまうのは誰の目にも明らかだった。
 なのに結果は何倍も質量を持つサンドサーペントの方が闘技場の奥へと吹き飛ばされることとなる。

 魔物の巨体が宙に浮く。
 壁に頭部が当たり、それだけで石壁は粉々に砕けた。

 けれど破壊されたのは壁だけ。
 サンドサーペントの方はその固い甲殻に覆われているおかげかほとんどダメージを見せずに起き上がり、むしろ勘気を漲らせファングを威嚇する。


『シャァァァァァァァァァッ!!!』


 尻尾を垂直に立て、耳を塞ぎたくなるような不快な高い超高音の唸りが一帯に響き渡った。
 

「ひぃっ!」


 隣のおじさんが恐怖に釣られて叫び声を上げる。
 彼だけじゃない。その場にいたほとんどの人たちがその最大最強の捕食者の怒りに自分たちが食われる側だと思い知ったようで顔面を蒼白にして怯えていた。
 
 かま首を上げ自身を大きく見せるように直立して恫喝するその高さはやはり四~五メートルはある。
 つまり三メートルほどしかない壁など乗り越えいつでもこちら側にまでやってこれるのだ。
 あれを連れて来たやつはお馬鹿過ぎやしないか。もしファングが負けたら次の餌食は自分たちかもしれないってのに誰も思わなかったのだろうか。
 猛獣と同じ檻に入れられているのと何ら変わりがなく、すでにこのコロシアムの観覧席は安全圏などではない。サンドサーペントのテリトリーと化していた。
 少しでも動けばそこに反応して食われるのではないかという危機感に誰もが硬直を解けないでいる。


「いいから掛かって来いよ」


 人差し指をくいっと曲げてファングが挑発した。
 その仕草が伝わるべくはないのだけど、自分を攻撃した人物にヘイトが溜まるのは無理からぬことらしく、サンドサーペントは彼を第一の獲物と決め攻撃のタイミングを見計らう。

 蛇の噛み付く速度は圧倒的に速い。間合いにいる獲物に喰らいついて歯を立てるまで0.1秒以下だったはずだ。
 あの巨体でその速度が出るかどうかは分からないけど、それに近い神速はさっき拝見したばかり。
 人では見てから避けることなど不可能な瞬発力を保持していた。
 確か人間の数十倍もの筋肉があるからそれが出せるんだとか聞いたことがある。


『シィィィィィィァァァァッ!!』


 歯を剥き、音が最高潮に達したところでサンドサーベントが一瞬だけ反動を付けるように顔を引き、そして動いた。
 大の男を三人丸呑みするほどに開けられた大口が一直線に最短距離でファングに向かう。
 目にも止まらぬ加速は、途中で回転し地面と平行になりながら彼に迫り、そしてそのまま何の抵抗もなく彼を口に収めることに成功した。
 軍配は魔物側に上がる。


「「「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」」」


 観客は一様に絶望を嘆いた。
 唯一の救いはブリッツがどうにかすることだけだったからだ。
 あとはもう自分が狙われないように闘技場から去るしか望みは残っていない。
 誰もが恐怖に怯えた足を叱咤して逃げようとした瞬間、それは起こった。  


「お、おいあれ……」


 閉じたはずのサンドサーペントの口が徐々に開いていくのだ。
 尻尾は乱れ暴れてそれがあの魔物の意志でないことを示していた。


「俺が食われたかと思ったか? お披露目も兼ねてのエンターテイメントってやつだよ。そらよっ!」


 その口から覗けたのは片手で中からアギトをこじ開けるファング。
 彼は空いた右手でサンドサーベントの牙を握り力任せにぶち抜いた。
 そして体液が飛び散る。


『シャァァァァァァァァァ!!!』


 突然、麻酔も無く牙を根本から抜歯されたサンドサーペントは苦しみ悶えて大暴れし、あれを運んできた台車や石で造られた舞台上は体に当たった瞬間に粉々に破砕していった。
 ファングはいつの間にかすでに口の外に出てのんきそうに肩を回している。


「さぁさぁお前の歯はここだぞ? 取り返してみろよ」


 乳白色の抱えて持たないといけない大きさの牙を、彼はこれみよがしに地面に突き刺しその上に足を置く。
 あまりにもな挑発だ。
 しかし砂漠最強と謳われたサンドサーベントはいかに成体でなかろうと、その遺伝子は脈々と受け継がれてきている。
 ファングの行った尊大な行為をギョロついた目で収め、すぐさま体制を整えて二撃目の行動に移した。
 
 魔物の知恵でここまで考えていないだろうけど、顎の力では負けてもスピードなら一度勝っている。
 なら今度は丸呑みしようとせずに、その象ですら仕留められそうな鋭利な牙をファングに突き立てればいいだろう。
 噛み付きでもう一回狙うのはそう間違ってはいない。


「ふんっ!!」


 だが、結果はさっきと同じにはならなかった。
 先程は一歩も動かなかったファングが今度は一早く反応する。
 事もなげに軽く数メートルを跳び空中で横回転の機動。

 そこから――


「―【仏気術】地天じてん脚絆きゃはん―!」


 ファングが宣言すると同時に彼の脚に硬質的な岩が生まれ絡み付き、それは一瞬でトゲトゲが突き出たプロテクターのようになる。
 そして回転の反動のまま強烈な回し蹴りを叩き込む。

 ドゴっと擬音でも現れそうな鈍く大きな打撃音はサンドサーペントが地面に激突する音だ。
 土が破砕してめり込み、鼻から赤黒い血が噴出する。
 まさしく瞬きする間の攻防がそこにあった。

 わぁっ、と危機を脱したこととファングのその華麗な技に、氷が解けていくかのごとく止まっていた客たちから一斉に称賛と礼が投げかけられていく。


「残念だったな。一発目はわざと食われたんだ。これでもスポンサーたちにアピールしないといけない身でね」


 僅かに彼が目線をやった方角には、屈強な護衛のような者たちに囲まれ高そうな服を身に纏った男たちが座っている。
 そこだけ隔離スペースのようになっていて、明らかに貴賓席のようだった。
 一様にそいつらはファングの実力に驚きつつも満足げな表情を浮かべて笑い合っている。

 だがファングがそちらへ気を向けた瞬間、サンドサーペントが復活した。
 パラパラと瓦礫を顔を振って落とし、動きに精彩は欠くものの長い体をくねらせ移動する。

 ただし方向は観客席へと向かっていた。
 予備動作を感じさせない自然な行動にファングの反応も遅れ、壁に到達したそいつは自分の血を滴らせながら真っ直ぐに逃げ込もうとする。

 近くの人たちがまるでホラー映画のワンシーンみたいに顔を引きつらせ絶叫をしながら逃げ惑う。
 中には腰が抜けていて恐怖に呆然と椅子に座ったまま石のように固まった人もちらほらといた。
 助けるべきか迷いつつも焦ってほんのちょっとだけ私は腰を浮かせる。


「おい、寂しいことするなよ」


 けれどすでにファングが追っていた。
 サンドサーペントからするとあまりにも細い腕。なのに尻尾の先を掴んで離さない。
 サンドサーベントはこの地方にいる捕食者の頂点に君臨する種族としての威厳などお構いなしに、無我夢中で拘束を外そうと体を振るものの、一向に力勝負で勝てないことにパニックになって慄いていた。
 
 やがてファングが冗談のようにあの巨蛇を力任せに空中に投げ飛ばし 巨体が再び空に舞う。


「―【仏気術】風天ふうてん鎌鼬かまいたち―!」


 大きな影が闘技場に落ち、身動きが取れない虚空にファングが繰り出すのは手刀。
 そこから風の刃が生まれそれはサンドサーペントの分厚く鉄よりも固いと称される身を一刀両断した。
 真っ二つになって地面に転がる死体は気持ちの悪いことにその状態でもビクビクと体を震わせる。

 蛇の活造りだ。
 確か魚とかもそうだけど筋肉とか神経がまだ生きていて反射で動くんだったっけ。
 そうしたおそましい蛇の切断ショーが行われ、舞台はもう何がなにやらと放心しきっていた。

 だがファングはその死体に恐れずに近付いていき服の袖を捲りあげて自分が切断した部分に手を突っ込んだ。
 真っ赤な鮮血が手に付くのもお構いなしに中から物体を取り上げる。
 
 それは人だった。
 飲み込まれた人たちだ。三人分。
 意識は無く、服や肌、それに髪の毛なども胃酸と毒により解けかけているが、しかしながらそんな状態でも彼らは僅かに胸が上下しておりまだ生きていた。

 これに気付いた観客たちはさっきよりももっと盛大に湧いた。
 人の身で数倍以上ある魔物を倒した快挙ばかりではなく、憐れにも犠牲となったスタッフまでも彼は助けたのだ。
 強さと気高さを合わせ持つ男に誰もが心酔した。


「「「ファ・ン・グ!! ファ・ン・グ!! ファ・ン・グ!! ファ・ン・グ!!」」」


 誰が始めたのか唐突なファングコールに会場中が乗り、熱気が沸騰する。
 頭が割れるんじゃないかというぐらいの大合唱される声援。
 ファングも手を振りそれに応え、伝説の一ページを今この場にいた自分たちは目撃したんだという高揚感が伝搬して一つになっていった。


「うおおおおおお!!! ファング!! 俺はお前を信じて良かったぜ!!!」


 隣のおじさんなんて目から鼻から洪水を出してスタンディングオベーションで体いっぱい使って感動を表現している。
 賭けに勝ったとか負けたとかはもう超越して胸を打たれているようだ。

 けどさ、


「なーんかね」


 私はあんまり納得していない。それどころかむしろ冷めていた。
 客たちが命が懸かった緊張と安堵からの緩和で色々と感情の振れ幅が大きくなっているのは分かる。
 でもある程度その舞台裏というか能力を知っていて正しく判断できる私から言わせると――これは茶番だ。

 二撃で倒したということはレベル制限を解除していただろうと予測が付く。
 ならば最初の段階でスタッフの人たちを助けようと思えばできたはずだ。
 百歩譲って戦闘に関しては口を噤んだとしても、途中のあの台詞がもうダメだよ。
 私たち以外の人には聞こえてないだろうけど、私の高性能な耳にはバッチリ届いていた。
 わざと食われた? スポンサー? アピール?
 もうね、にしか思えなかった。

 正確に言うならスタッフの命などお構いなしにわざとピンチを演出した。
 それだけで悪人とか善人とかの選別は難しいが、見た目以上にしたたかな食わせ者だというのは知れたね。


「今のうちに換金しに行くぞ」


 この大歓声にも興味が無さそうに立ち上がりジロウさんが促してくる。
 まぁ私もこれに混ざる気はないのでそれでいっか。

 熱狂に酔っているおじさんたちを置いて一階の受付まで階段を降りて行ってすぐさま換金の手続きをする。


「いや~ボロ儲けってこのことですねぇ」


 賭け札を扱うところは仕切りがあって、誰がどれだけのお金を換金したかなどは伏せられるような造りになっている。
 今回のように金貨百枚を超える場合は白金貨ってやつで交換になり、なかなかの小金持ちとなってしまった。
 端数もあったので誰も見ていない内にぱぱっとウィンドウに収めてジロウさんと合流。


「胴元には悪いが結果が見えている試合だったからな。それよりこの奥、何があるか知っているか?」

「この奥?」


 円の形をしている闘技場では通路の奥は曲がっていて見えない。
 大体一階の半分ぐらいがエントランスとなっていて、そこにグッズのようなものを売っている売り場や、賭けの札が購入できるスペースなどもあるがもう半分は特に気にしていなかった。
 

「闘技者たちの控室や関係者の部屋があるらしい。あいつファングの部屋もあるだろうよ。どうだ、潜入してみないか? 虎穴に入らずんば虎子を得ずってやつだ。戦いだけじゃ判断が付かなかったが、あいつがどういうやつか分かるかもしれないぞ」


 確かに現状、彼の性格が掴めないままなので正面から会いに行っても大丈夫だという保証が無い。
 最悪、その場でバトルが勃発することすらあり得る。
 なら部屋で寛いでいるところを隣の部屋で聞き耳を立てるなりして情報を収集できるなら、それは良い判断材料になるかもしれないね。
 それに乗ることにする。


「やりますか」

「OKだ。なら行くぞ」


 そのまま奥まで行くと扉があり、その前に二人ほど鎧を着た警備員のような男が二人立っていた。
 さすがに立っているだけでは暇なのか、ここまで壁を通して聞こえてくるファングコールについて雑談に興じている。

 おそらくここからは立入禁止ってことなんだろう。
 ただ向こう側に行くためには彼らをどうにかしないといけない。


「当たり前ですけど見張りがいますね」

「厄介だな。大きな音を出すのもダメだが、認識できないほどの速度で倒そうとすると気絶どころか殺してしまうかもしれない」


 少々トーン抑えめのヒソヒソ声でジロウさんとやり取りしている。


「なら静かに眠らせるのは?」

「できるか?」

「もちろん忍者なので。ここは任せて下さい」


 普段ならここも客が立って雑談したりして人の視線がある場所のはずだ。
 でも今はほぼ全ての観客は熱狂中で席から離れていない。
 つまり今がチャンスというわけだ。多少無理をしてでも進みたい。

 壁の影に隠れてウィンドウから『吹き矢』を出現させる。
 この世界に来る前にお城の天守閣で使ったやつだ。
 殴っての強引な潜入は後々騒ぎになるかもしれないけど、眠りであれば誤魔化せることもできそうだし、これが適しているだろう。
 久々に戦闘以外の【忍者】をやっている気がする。

 そうっと顔を出して筒の狙いを付け、吸い込んだ息を力強く吹く。
 勢いに乗った眠り針はそのまま真っすぐに飛んで警備員の首筋にヒットした。
 

「痛っ! あれ? なんだ……急に眠……」


 そいつはガクンと力を失くしそのまま地べたへと倒れていく。
 某探偵も真っ青な眠り針の効果はばつぐんだ!
 

「お、おい、どうしたんだ? しっかりしろ!」


 いきなり同僚がそんな不可解な動きをしたことにもう一人の男は訝しがって膝を曲げて肩を掴もうとした。
 横を向いて首がバッチリ見えたところに第二射発射!
 吸い込まれるように今度も正確に私の眠り針はミッションを達成し、二人目の男は覆いかぶさるようにうつ伏せに昏倒した。


「良い仕事だ」


 褒められ今のうちに彼らが守っていた扉を開ける。
 単なる一般人用の通路と闘技者用の部屋を別けるためのものらしく、幸いなことに鍵などは掛かっていなかった。
 
 そのドアの向こう側の通路は代わり映えはあまりしない。
 ただ建物の内側にはかなり大きなサイズの扉があって、おそらく闘技場の舞台への通用口っぽかった。
 それ以外はまたずっと続く廊下、そして等間隔で選手の控室用と思われる部屋が並んでいっている。


「このどれかがファングの部屋ってことですかね? でもさすがに多すぎてどれか分からないんですが」


 ざっくり見える範囲でも四つぐらいは見える。
 楕円になっている会場の奥まで続くなら十数個ぐらいは部屋数がありそうで、ここからどれがファングの控室かを特定するのは無理目だった。


「しまったな。そこまでは考えていなかった。てっきり楽屋みたいに部屋の前に名札でも提げられていると思ってたんだが」


 この人も意外と行き当たりばったりだったー!
 

「えぇ。もうちょっと調査とか無かったんですかー」

「知るか。来たらVIP用のそれっぽい部屋があると思ったんだよ。しかもこの分だと隠れるところも無いな」

「もう帰ります?」

「さすがにここまでやっといてそれはなぁ? もうちょっと探ってみようか。まだ誰も来ないだろ」


 ジロウさんは内側の両開きになっている大きな扉に顎をしゃくってみせる。
 そこからは未だに扉の隙間から闘技場の歓声がもれてきていた。


「まぁいいですけど。とりあえず適当に開けてみますか。このいっぱいある部屋の中、一つもまだ把握していない状態ですし」

「それしかないよなぁ」


 とりあえず一番手前で近くにある部屋を調べようと体を向ける。
 その時、ぎぃ、とドアの開く音が鳴った。
 ただしそれは私たちの後ろ、通路からやってきた扉だった。


「「!!!」」


 こんな遮蔽物も何も無く隠れられない場所で潜入早々にバレてしまうことに、二人して体を固く竦ませ大きく目を見開く。
 やっばいよこれ。トイレ探して迷ってしまったんですぅ~って誤魔化して通じないかな?


「お前たち、こんなところで何をしている!?」


 咎める声でビクっと肩が強ばる。
 その台詞は予想通りの第一声だった。ややハスキーだが女性っぽい。だったら泣き真似して謝ったら許してくれるかもしれない。

 そういう期待を込めて恐る恐る振り向くと、そこにいたのは昨日いくら捜しても見つからなかった『玄武』だった。

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