碧眼の暗殺者

冬木水奈

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第一章 成り上がりゲーム

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 翌朝、佑磨は包丁の音で目を覚ました。軽快にまな板を打つ音がやむと、今度は何かを炒める音がし出す。それとほぼ同時にいい香りが漂ってきた。
 佑磨は体にかけられていた毛布を引きはがし、起き上がった。

「あ、おはようございます。あと五、六分でできますので。あと翔太郎さんがちょっと寄るそうです」

 紺のエプロン姿の同居人がさわやかにそう言った直後に玄関扉が閉まる音がした。

「おはよー、佑磨、信。朝ごはん一緒に食べよーぜ」
「おはようございます。ちょっとこれ運んでもらえる?」
「はいよ」

 森は信から受け取ったものをお盆にのせて奥の食卓に運んだ。採光面である南側の明るい空間だ。
 ここの東側にテレビや飾り棚、ソファ、ローテーブルなどがある居間があり、佑磨はそこにいた。

「おっ佑磨、おはよ」
「おはようございます」

 初めて彼の存在に気づいたらしい森が足を止め、こちらを見る。美形とはいえないが愛嬌のあるクマのような顔がくしゃりと潰れた。

「寝ぐせ、ついてるぞ」

 その言葉に佑磨は慌てて頭を押さえた。そして、着替えてきます、と呟くとリビングをあとにした。
 洗面台の鏡で確認してみると、言われた通り側頭部がはねていた。
 佑磨は恥ずかしい思いをしながらフェイスタオルを濡らして頭にのせ、髪が落ち着くのを待つ間に歯磨きをした。
 そして寝癖が直ると頭を洗い、洋服に着替えて居間に戻った。

「ちょうどできましたよ~」

 食卓にはいつも通り豪華な朝食が並んでいた。
 ご飯、味噌汁、各種漬け物と大根おろし、焼き魚、とろろ、卵焼き、きんぴら、煮豆、ほうれん草のおひたし、肉野菜炒め、そして大根と鶏と卵の煮物――まるで旅館の朝食だ。
 森がわざわざ食べに寄るのも頷ける内容だった。味も申し分ない。

「よし、食べよーぜ。いただきます」

 そう言って手を合わせた森に倣って佑磨と信も手を合わせた。

「「いただきます」」
「んー、やっぱ朝は和食に限るな。信、コレ美味い」
「よかった。炒め物もまだまだあるから好きなだけ食べてね。今日は何か予定あるの?」
「おー。海でも行こうかと。天気もいいし気持ちーぜ。一緒に行こう。佑磨も」

 確かに天気は快晴だった。しかし受験間近の信にもちろんそんな暇はない。

「ごめん、今日はちょっと……」
「ちょっとくらい休んだって大丈夫だろ?」
「でも試験も近いし……」
「平気だって! なあー、行こうよー。面白そうな洞窟発見したから探検しようぜ」

 食い下がる森を見かねて、それまで黙ってやりとりを傍観していた佑磨は口を開いた。

「翔太郎さん、私ではいけませんか?」
「え?」
「私がお伴します。信さんは今お忙しい時期なので、次の機会にして頂けると」

 すると森は卵焼きを箸でつまんだまま意外そうにこちらを見た。

「佑磨、来てくれんの?」
「少し海風に当たるのもいいかと……」

 その言葉に相手が納得しきったかどうかはわからないが、とりあえず相手は承諾した。

「そうだな、ちょっとは日に当たらないとって白さだもんな、お前。じゃあはい、あーん」

 森はそこで話を切り上げると持っていた卵焼きを信の口元に運んだ。佑磨は思わず目を逸らし、自分の食事に集中した。
 朝っぱらからこういうことはできれば控えてほしいというのが本音だったが、立場上言えるわけもなく、佑磨は黙って食事を進めた。
 森は、信にはよくこういうちょっかいをかける。今だって、どんなに見ないようにしても腰や下半身に伸びた手がゴソゴソやっているのがチラチラ見えている。

「食事中、だって……」

 そして信も意外と嫌がらない。朝食を食べに来たはずがいつの間にか行為になだれこんでいる、ということも一度や二度ではなかった。
 信の立場上あまり森を無碍にできないのはわかるが、もう少しうまくあしらえそうなのに、と佑磨はずっと疑問に思っていた。
 彼が何を思って森の誘いを断らないのかはいまだわからない。しかし今は、寝室に信を連れていかれる前に伝えなければならないことがあった。

「ちょうどいい機会なので少しお話いいでしょうか?」
「ん、なに?」

 森は信の体をまさぐりながら、目だけこっちによこした。信は既に食事を断念して目を伏せている。

「これからのことなのですが……今後、信さんとの接触は控えていただきたいんです」
「……どういうこと?」

 森の動きが止まった。
 佑磨は息をはき出し、静かに説得を始めた。

「古賀先生との繋がりを利用して政治の世界で名を挙げよ。あなたは信さんにこうおっしゃいましたよね?」
「まあ、正確には、『成り上がりゲーム』に誘ったんだけど」
「ええ。それで信さんはその『ゲーム』をするために先生のもとで働き始めた。ゆくゆくは秘書となり、それが次のステップへの布石となるでしょう」
「うーん、まあ別に絶対政治家になってほしいとかは思ってないけど」
「それではお望みの結果にはならないと思います」
「どういうこと?」

 首を傾げた森に、佑磨は丁寧に説明した。

「古賀先生はお元気ですが、政界でご活躍できるのはあとせいぜい十年。その間ずっと寵を受けられるとしても側仕えの身ではできることは限られています。
 それに、欲を介した繋がりというのは脆いもの……いつ切れぬとも限りません。ですから、信さんはできるだけ早く独り立ちする必要があります」
「政治家にするってことか……」
「はい。もし翔太郎さんが本気で『ゲーム』をされるつもりならば」
「で、君が参謀になってくれるってわけ?」
「そうです」
「どこまでいけんの? 正直」
「時間をかければ党幹事長、あるいは閣僚まではいけるかと。総理はわかりません」

 その言葉に信はあからさまに怯んだような表情をした。

「えっと……そんなに大きい話だったんですか?」
「一介の議員程度では政治は動かせませんよ。やるなら上を目指さないと」
「ハハッ、佑磨、乗り気だな。なんか色々楽しそうじゃん?」

 そう嬉しそうにこちらを見つめる森に、佑磨は返した。

「お望みのショーをお見せできると思います。まあそこまでやる必要がないなら私は身を引きますが」
「いや、やろーぜ。やるならとことんやろう」

 よし、言質を取り付けたぞ、と内心思いながら佑磨は続けた。

「それでは今後のために、いろいろとやらなければならないことがあります。信さんが『ゲーム』をするにあたって必要なことです。
 まずは我々の同居を解消していただきたい。私たちが親密だと思われるのは好ましくありません」
「わかった」
「翔太郎さんと我々の関係はあくまで友人同士ということに。それから、信さんには新しい人生を歩んでいただきます。ピッタリの人を見つけました。高校卒業後に留学し、その後帰国して働き始めた、信さんにソックリの方――芦屋新くんです。彼とそのご家族とは話がついていますので、これからは彼――『芦屋新』として動けるようになります。
 経歴はクリーンで申し分ない。彼として大学に入学し、事務所に入っていただくことになります。古賀先生もすべてご承知です」
「『ご承知』というか、先生のご提案なんだろ?」

 森の問いに、佑磨は用意していた答えを言った。

「客観的に見ても妥当かと。政界に出たその瞬間から――おそらくは古賀先生と接触をもったその瞬間から――信さんの素性は徹底的に調べられます。その際に絶対に埃が出ないようにするにはこれが最善です」
「なるほど。しかしよく見つけたなあ、そんな人。似てるヤツなんてそういるもんかね?」
「ええ、幸運にも。いかがですか?」
「いいんじゃない。じゃそのへんは任せていいのね?」
「はい。すぐに進めます」
「サンキューな。金の心配はしなくていいから」

 佑磨は頷き、それから、と慎重に切りだした。

「これからは、信さんにお会いになりたいときは事前に私にご連絡ください。こちらで日程を調整し、指定した場所で会っていただきます」

 そこで森が初めて不満げな顔になった。

「つまり気軽~に遊びにいけない、と」
「政治家にとってクリーンなイメージは絶対です。信さんの過去に繋がるような交友関係は極力排除するにこしたことはない。もし本気で政界中枢、すなわち与党幹部や入閣を目指すのであれば、過去は知られるべきではありません。
 それから私との接触も控えていただきます。また、替え玉も用意しますので、信さんの部屋に住まわせてください。ずっと置いておく必要はありません。二、三年で手放していただいて結構です。あとはこちらでやります」
「……お前、どんな人脈持ってんの?」
「まあいろいろと」
「コワいから詳しいことはいいや。なるほど……で、信は? 佑磨はこう言ってるけど、どう?」
「そうですね……。なんだか話が壮大でなんとも……」

 明らかに及び腰になった信に、佑磨は内心マズいな、と思った。
 確かに信は有能で弁が立つ。そして相手を懐柔する術を知り尽くし、見場もよく、多数の政治家の弱みを握っている。間違いなく政治家の資質はある。

 しかし絶対的に足りないものがある。
 野心だ。
 男として何かを成しとげたい、何者かになりたい、という欲がこの男には微塵もないのだ。
 それは彼が人間的に成熟しきっており、世間に認められることを必要としていないからだ。

 信は森にある程度の恩返しができればそれでいいと思っている。
 あとは空想の美しい世界に引きこもってそこで心地よくたゆたっていられればいい。佑磨のみたところ、そういうタイプなのだ。
 こういう人間は概して政治家や官僚にはむかない。しかしどうしても担ぎ上げたいときに取れる作戦はあった。

「信さんがあまり乗り気でないのはわかっています。ここまでやる必要があるのかと思いますよね。
 もし玉東やその他さまざまな場所で放置されている人身取引について、踏み込む必要性がないとお考えなら、ここまでする必要はありません。先生の側仕えで十分でしょう。
 しかしあそこに捜査の手を入れようと思うのならば、独り立ちする必要があります。なぜかというとあそこは政治家が手を出したがらない領域だからです。
 犯罪組織と利権を共有している警察組織を敵に回せば足元をすくわれる――議員たちはそれをよくわかっています。だから手を出さない。これまで玉東の摘発へと動いた政治家はことごとく潰されてきましたから。
 古賀先生もそこには触れないと思います。今後ずっと」
「だから、議員にならなければならない、と?」

 ためらいがちに聞いた信に、佑磨は頷いてみせた。

「そうです。もしそこまで望まないというのであれば、政治家になる必要は全くない。むしろ事務所で働くくらいの方がいろいろと身軽に行動できて良いでしょう。
 私は、強制するつもりはありません」

 そう、この手の人間を説得するときに一番効果的なのは「大義」だ。大義のため、人のためなら彼らは動く。これは古賀から教えられたことだ。
 その読み通り、信は流されかけていた。

「でも……あそこを変えるためにはもっと権力が必要……そういうことですよね?」
「ええ。完全に足場を固めたのちに一気に勝負をかける。それしかありません」

 そう諭して、森に目配せをする。当たり前だが、玉東を遊び場にしている彼にはこの話が説得のためだと事前に伝えてある。そうでもしなければ賛成してもらえないだろう。

 しかし、この計画を実行に移すかどうか、最終的な判断は佑磨がする。信が仕えるに値する人物かどうかを見極めてからでも、決断するのは遅くない。
 もし信が本物の政治家に育てばその望みをかなえるべく全力を尽くす。そうならなければ佑磨の目的のために利用させてもらう。
 彼が本物かどうかはいずれわかるだろう。

 さて、信は最初の一歩を踏み出すか?
 そう思って答えを待っていると、やがて相手が口を開いた。

「お二人に協力していただけるなら、やりたいです。もう他の誰にも……私のような目に遭ってほしくない……」
「いいよ。やれるだけやってみな。三人で天下獲ろうぜえ」

 森の承諾を得た信はこちらを見た。

「協力していただけますか?」
「もちろんです。一緒にがんばっていきましょう」

 真に彼に仕える日が来たら辞表を渡そう。佑磨はそう決めて、さしだされた手を握った。
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