命の質屋

たかつき

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余韻

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 アイススケートの日から数日経った中、非日常を過ごした余韻は残っている。
 非日常というのはもちろん天啓の事ではない。
 まぁ、一応も非日常ではあるけど。

 日課に筋トレが追加された僕が何をしているのかと言うと、鏡の前に立ち、映った自分をじっと見ている。

 ゆるりとした柔らかい生地のベージュの長袖。

 うん、良いじゃん。

 古着屋で購入した黒系のジーンズ。
 雑誌には、タイトな物が流行りだと書いてあったけど、試着してみると僕には似合わなかったので、ジーンズもピチッとしない大きさを選んだ。

 これも良い。

 肌寒いのは嫌だから、軽く羽織れるウインドパーカーも用意した。何色にも合わせやすい明るめのグレーだ。

 素晴らしい。本当に僕か? モデルさんじゃないよね?
 ね。
 ま、上出来でしょ。

 前までの僕なら、友達との飲み会にお洒落を気にする事なんて無かった。
 上下ジャージでも余裕で行けた。でも今は違う。
 普段の服装が巡り巡って朋美ちゃんの目に入るかもしれない。そう思った時、いつでも最低限のお洒落くらいはしておこう、という気持ちが芽生えたのだ。

 今日は涼太含め、気の許せる大学の同級生三人との飲み会だ。卒業論文を提出した途端に鬼のようにバイトに明け暮れていた【小野おの浩司こうじ)】から『卒業論文に苦戦していた【ショーダイ(前田まえだ将大まさひろ)】がようやく提出を終えたので、久しぶりに四人で集まろう』と連絡が来たのだ。
 
 墨田区のチェーン居酒屋に現地集合、小野が明日もバイトらしく、少し早めの午後六時半開始と言っていた。
 徒歩と電車で小一時間あれば着く場所だが、僕は例によって早めに到着したい気質ゆえ。

「そろそろ向かうか」

 十分ほどの距離にあるいつもの駅に着くも、何やらいつにも増して人が混んでいる。
 周りの声に耳を傾けると、どうやら別の駅で人身事故があったようだ。

 若い女性らしい。

 どうしてそんな事を。率直な疑問が浮かぶ。
 全てを投げ出したくなるほど追い込まれて、救いを探しても見つけられなくて、歩む先に光を見出せなくて、遂にこの世の全てが嫌になって。そして自ら……。

 理屈は分かる。僕には想像も出来ない辛いことがあったのだろう事も分かる。でも、どうして。
 鬱という病気の可能性もあるし、どんなに強そうに見える人でも、その中身は実はそれほど強くない事も分かる。

 それでも、生きていれば楽しみを見つけるチャンスだってある筈なのに。
 これほど娯楽に溢れた世の中なのだから、例え友人や家族に恵まれなかったとしても、趣味やネットで繋がれる可能性だってあるのに。
 
 こんな言葉を伝えたとしても、当人達には『あなたには分からない』と一蹴されて終わるのだろう。

 複雑な気持ちになる。
 
――ポンッ。
▶中西がいつも使ってる電車、人身事故あったらしいけど大丈夫か?

 小野からだ。情報が早い。

◀ね。もう家は出たところだったから、別の駅に行けば間に合うと思う。
アゴブリンの『マル!』スタンプ。

▶家出るの早くね? りょ。

 一旦嫌な気持ちを振り払い、移動する事にした。

 小野まで嫌な気持ちにさせたくないので、既に駅に居た事は伏せておこう。

 バス停に着くと、やはり混んでいたが、丁度のタイミングでバスが来たので乗り込み、発車を待つ。

 手摺に掴まり立ち乗りしていると、ふと斜め前に『あなたの優しさが命を救います。ドナー登録にご協力下さい』という小さな広告が目に入った。

 思わず、ため息が出る。
 
 余裕を持って家を出たおかげで集合時間に間に合うのは幸いだったが、早くに家を出た所為せいで、僕の心には嫌な余韻が残っていた。
 
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