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しおりを挟む新婚といえど、フェルナンドはたびたび公務で邸を空けた。だが、まじめな彼は私との約束をやぶることなく、一日に一つずつ彼の大切なもの――たとえば本や紅茶、菓子、幼いころから使っている楽器のような――を私に教え、丁寧に説明してくれた。
彼は特に頭を使うことが得意なようで、何度か王城に呼ばれている理由もほとんどは政に関する公務で、有識者との討論や民の嘆願への対応をしているようだ。一方第一王子のディアドレは闘技大会で毎年優勝者となるほど剣術に長けているため、ソードマスターとして国の騎士団の長を務めている。
エズオスパルド王国では慣例的に第一王子を次期国王に任命しているため、フェルナンドは非常に優秀な王子でありながら、幼き頃からディアドレの側近として生きる道を模索してきたはずだ。
そのせいか、彼の人生に触れるたびに細かな違和感を覚えるのだ。
「ユゼフィーナ? あまり気に入らなかったかな」
「あ、ええ、いえ。そのようなことはないわ」
今日は二日前に彼に教わった彼の好きな菓子と紅茶でティータイムに興じることになっていた。
季節はまだ春先ではあるが、この邸ではすでにすべての薔薇が満開を迎えている。桃色の花弁を持つ様々な品種の薔薇が狂い咲いている光景は、王宮の奥にある薔薇庭園によく似た趣がある。
この邸の庭にピンクローズを植えたのは、主人であるフェルナンドの意向だと少し前にアレクに聞いた。この色は、私の髪の色によく似ている。
――本当に、彼の行動はいつも正しい。
「それならいいんだが。……ユゼフィーナの舌に合わないようなら違うものを用意させるから」
「いえ、とっても気に入っております」
フェルナンドを知るたび、胸に不可思議な痛みが走る。しばらくその正体を掴めずにいたが、いくつか彼の大切なものを見せられてようやくこの不可思議な変調の理由に気付いた。
フェルナンドは生まれた瞬間からディアドレのスペアとして生きることを強いられてきた。だからこそ、彼の行動はいつも正しいのだ。それは無論、彼の愛するものにも適応される。
彼が重んじるのは王室が大切にするもの、そして王子に備わっているべき資質に関わるもの。
まるで、彼はそれ以外と触れ合うことを固く禁じられてきたのではないかと察してしまうほどに、それだけなのだ。
その姿がまるで己を映す鏡のようで、どうにも落ち着かない。
強要されたものの数だけ、手に入れられなかった過去が溢れている。
「ユゼフィーナ?」
「……フェルナンド様」
あなたはまるで、罪によって地獄に突き落とされた、以前の私のようだ。
私の言葉を促すように美しく首を傾げたフェルナンドに、しばらくためらってようやく口を開く。
この邸にきてからまだ一週間程度しか過ごしていないが、その中でも一つだけ私は彼の好きなものを見つけ出していた。いつそれを紹介してくれるのかと、どうしてか少し浮ついた心で待ち構えていたのだ。
「フェルナンド様は、やはり薔薇がとてもお好きなのでは?」
「うん?」
「毎朝庭に出て、直接世話をしていらっしゃるでしょう」
庭の世話とは、一般的に平民が行うような労働で、これを趣味とする貴族はいない。だがフェルナンドは早朝のうちに夫婦の寝室をそっと出て、毎日熱心に土に触れ、一つひとつの花弁を検めているのだ。
これを大切なものでないというのならば、彼の手からほとんどの嗜好品が零れ落ちてしまうだろう。そう思うほどに、心を傾けている。
「……まさか、見られていたとは思わなかった」
「毎朝のことですから」
初夜以降私たちは毎晩枕を並べて就寝しているが、フェルナンドは初めのころ、寝室をもう一つ作ってはどうかと言ってきていた。
私の体を気遣っているだろうことは理解できたが、これには頑なに頷かず「毎日でも夜を共にしたい」と主張すると、彼はさんざん考えあぐね、結局「しばらくはただ隣で眠るだけにしよう」と提案してきた。別の部屋で眠ると言っていたフェルナンドにしては大きな譲歩だろう。
そうして毎日床を共にするようになって気が付いたが、フェルナンドは早朝に寝台を抜け出すとき、いつも私を起こさぬようにと細心の注意を払っているのだ。
もしかすると初めに別の部屋を用意すると言った理由の一つに、早朝に私を起こしてしまうかもしれないという懸念があったのかもしれない。そう感じてしまうほど、フェルナンドは毎朝ひっそりと、そして規則的に庭へと足を向けている。
「趣味と呼べるほどのものではないよ」
「わたくしが見る中では、フェルナンド様が一番熱心にされていることのように感じているのだけれど」
些か歯切れの悪いフェルナンドの答えにもう一度言葉を返すと、彼は苦笑のような笑みを飲み込んで、ぽつぽつと語り出した。
「……あなたに隠すつもりはなかったんだが……。うん、まあ……、あまり王族にふさわしい行為ではないからね」
「どなたかがお咎めに?」
「まさか」
「では、どうして堂々となさらないのです?」
「はは、いや。咎められたことがないのは一部の信頼できる人間にしか気づかれていないからだよ。陛下や兄上がお知りになれば……、さぞや驚かれる」
柔らかい表現に変えているが、つまり大目玉を食らってしまうということだろう。現国王もディアドレも武芸に秀でているお方だ。たしかにフェルナンドのこの趣味には到底理解を示すと思えない。
フェルナンドは常に行動を評価され続ける立場にいるのだ。ゆえに、大切なものだと主張するものさえ、正しくなければならない。
「では、わたくしも一部の信頼できる人間になれたと考えてよいのかしら」
「……土で遊ぶ王子に幻滅しないのであれば」
「幻滅?」
「実を言うと、ユゼフィーナに私のことを知りたいと言われたとき、一番に浮かんだのはこれだったんだ。……でもサンクトリウス公爵家で大切に育てられたあなたに、このような趣味は理解されなくともおかしくないだろう。……それで、いつあなたに話すべきか考えあぐねていたんだ。決してあなたが信頼できなかったわけではないよ。ただ、そうだな。……いや、結局私は、美しい妻に嫌われたくなかっただけかもしれない」
ぽつりとつぶやいたフェルナンドはティーカップをそっとテーブルの上に置いて俯き、やがて私の表情を窺うようにゆっくりと顔を上げる。その表情はまるで道に迷い途方に暮れる人のような、もしくは叱られる前の子どものようだった。
「わたくしに嫌われることを恐れて?」
「……私の目に映るあなたは、いつも完璧であろうとしていたから。どれほど苦しくとも、前を見て、くじけることなく正しくあろうとしていた。私はあなたと初めて会話をするその前からずっと、あなたを努力の人だと思っていたんだ」
以前にも一度、フェルナンドからは同じことを言われている。しかしそれが、私と顔を合わせるよりも前から彼が私に抱いていた評価であったとは知りもしない。
「正直に言うと、私は陛下からユゼフィーナが私の妻となると聞いたとき、……あなたを深く失望させるだろうと思っていたよ」
「それは……、どうしてですの」
「あなたが思うほど私はできた人間ではないし、このとおり、あってはならない欠点も多いんだ。だから、常に努力を続けるあなたをがっかりさせてしまいそうだと。……それゆえにあなたは私と関わることなく、自由に暮らしていけばよいのだと考えていた」
自嘲するように言ったフェルナンドが庭の薔薇に視線を向けている。
確かに庭師の真似事のような趣味は、貴族社会には到底受け入れられないだろう。フェルナンドの恐れはまっとうなものだ。自身を客観的に評価できるからこそ、こうして気づかれぬようにとひっそり花を愛でている。たしかに、エズオスパルド王国の王子としては、一つの欠点となりうるのかもしれない。
――でも、少しもがっかりなんてしていないわ。むしろ……。
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