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おさとうろくさじ
3.
しおりを挟む左右を探っていた手が誰かに掴まれた感触があった。思わず声をあげて倒れかけたら、つよい力で抱き起される。
遼雅さん、じゃない。
ただそれだけが頭にある。喫驚して喉が悲鳴を上げた。
「ひっ……」
ほとんど視界が良くない中で、誰なのかもわからない人に抱きしめられている。ぞっとして手を突っぱねようとしたら、よく通る男声が耳に響いた。
「おい、落ち着け!?」
すこし焦ったような声だ。
じたばたと動きかけている背中を等間隔で叩かれて、ようやく縺れかけていた呼吸が落ち着いてくる。聞いたことのある声だ。
ずっと前から、よく知っている声。
「そう、くん?」
「そうだよ、あほ! 何ビビってんだ!?」
「う、わ、ごめん。び、びっくりして」
「いや、俺も悪かったけどなあ、そんなにこえーなら呼べよ!?」
ついさっき電話で聞いた声に安堵して、力が抜けてしまった。
壮亮はわかっていたみたいにもう一度抱き起してくれて、「あほ、のろま」といつものように罵声を浴びせてくる。その罵声ですこし落ち着いてしまうから、今の精神状態はかなり異常だ。
「び、っくりしたの……、もしかして」
——渡部長かと思った。
脳裏に浮かんだ言葉を飲み込んでいた。
あまりにも失礼な考えだ。口を噤んでいる間に、横のあたりから、パチパチと音が聞こえてくる。
「あ? 電気つかねーけど」
「え、ええ? それはこまる……」
何度か試しているらしいけれど、まったく反応する様子がない。5度試した壮亮が、すぐに諦めて舌打ちをしているのが聞こえた。
「そうくん、舌打ちはだめだよ」
「うるせー」
私と二人の時にはいつも暴君っぷりを発揮しているのに、バリバリの営業マンとしてめきめき頭角を現しているらしい。
まさか大人になっても一緒にいられるとは思っていなかったけれど、今でも根はやさしい大切な幼馴染だ。
「渡は?」
「ええと、まだ来てないみたい」
「ああ? こっちは昼返上してるっつうのに、クソ野郎」
「そうくん」
「はいはい、ブチョーな。ブチョー。んで? 何しろって?」
「周年記念のリーフレット作るのに、設立からの資料が欲しいって」
「はあ? 昼に?」
不機嫌をまったく隠すつもりがない。
すこし笑えて、肩の力が抜けてしまった。お昼休みを返上することになった壮亮には申し訳がないけれど、ここに渡部長と二人は心が折れそうだ。
いまだに力の入らない体にまた笑ってしまう。
「ごめん、そうくん、まだ力入んない」
「どんだけビビったんだよ。あのな?」
「――何をしている?」
壮亮が声をあげる前に、後ろから音が鳴った。
崩れかけている私を抱き起しているのは壮亮で、暗がりの中で、倉庫に男女がいること自体があまりいい印象ではない。
良い印象ではない男女が抱き合っていたら、想像することはただ一つだ。
「あ、渡部長、これは」
「珍しく昼の時間に、こっちにくる同期を見つけたので、事情があるのかと思って追いかけただけです。後ろから声かけたら、佐藤が腰抜かしちゃって。佐藤、大丈夫か? 手え放すぞ?」
「え、あ、うん……、峯田くん、ありがとう」
「いーえ」
営業マンよろしく、ぺらぺらとしゃべりだした壮亮に呆気に取られてしまった。
ふらつきかけた体で何とか立ち上がって、入り口からこちらを見つめているらしい人と目が合ってしまった。
さっきの微笑みなんて、完全に削ぎ落とした顔だ。落差を見ているだけで、指先が震えてしまいそうになる。
「渡部長、資料整理なら俺も手伝いましょうか。同期のよしみもありますし。ただ、ここの電気、何でか壊れてるんですよね」
壮亮も顔は笑っているのに、声が淡々としている。私と話すときの声とは違う。事実を確認するような声色で、次から次へと口から流れ出てきていた。
「管理の管轄は総務部だと思うんですけど、総務部長、何か知りませんか? ——例えばここだけ、前から壊れてて、使えないとか」
「……資料を探せる状態でないのなら、また今度依頼する」
「そうですか。佐藤、よかったな。このまま探すんなら、俺らとっくに塵まみれになるとこだったじゃん」
「そう、だね……。渡部長、ご配慮ありがとうございます。また時間を見て作業しますので」
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