呪われた悪女は獣の執愛に囚われる

藤川巴/智江千佳子

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 帝王に重用される魔術師団は王宮の側に置かれているが、獣軍の軍基地は王都のはずれに位置している。二者が合同訓練を行うのは古くからのしきたりではあるが、最近は行われることもなかった。この訓練の意味合いが、獣人への見せしめにあったからだ。

 合同訓練と言えば聞こえはいいが、この訓練の目的は、獣人の中でも飛びぬけて優れた力を持つ者たちが、魔術師の魔力に捻り潰されるところを民衆に見せるというものだ。

 長身にがっしりとした逞しい体躯を持つ獣人たちは、グランの民よりも身体的に優れている者が多い。ゆえに彼らの大半はその力を活かした肉体労働を得意としているのだが、獣軍はその中でも、最も名誉ある職業とされている。

 獣人の羨望の的である職業を捻り潰すことで、グラン帝国に対する獣人たちの敵意を削ぐのが、この合同訓練の実態であったらしい。

 無論、当時から総司令官はフローレンス家の者と決まっている。しかし、獣人が反抗する意思を全く見せないことを確認した帝王は、この悪しき習慣を一度取りやめた。

 それが今年になって再びこの訓練がはじめられたのは、ユリウスの酔狂な遊び癖のせいだ。

「まあ、そのおかげでここに来ることができたのだけれど……」

 獣軍基地の外れに位置する温室には、多種多様の薬草が栽培されている。

 ソフィアは一つひとつの葉を確認しながら水魔法をあてて、芽を摘んでいく。昼の彼女の態度を知る者がこの姿を見れば、間違いなく毒薬を摘んでいるものと思われてしまいそうだが、彼女はそのようなことなど気にすることもなく薬草に夢中だ。

 ——貴女が出ざるを得ないほどの火急の騒ぎがありましたか。

 彼女はふいに頭に浮かんだ男の声を蹴散らすように作業に集中して、大量に収穫したハーブを入れたかごを見下ろす。

「回復薬くらいにはなるかしら?」

 ソフィアは一人、涼やかな声で呟きながら、爽やかな香りを胸いっぱいに吸い込んで、ゆったりと息を吐いた。

 彼女がユリウスの言葉に従って獣軍との合同訓練に参加することを決めた一番の理由は、やはりこの温室にある。王宮に勤める魔術師団員では邸に帰りつかない理由を作ることができないが、獣軍基地から戻りつくことができないという言い訳は筋が通る。

 実際、合同訓練中の魔術師たちは、獣軍の騎士たちにあてられた寮とは比べ物にならぬほどに豪華な宿舎が与えられている。ソフィアはその中でも最も広い部屋を用意されており、周囲からは、その部屋の中で何一つ役割を全うすることなく無為な時間を優雅に過ごしていると思われていることだろう。

 しかし、本来の彼女は、部屋の中で怠惰な時間を過ごしていることを好まない性質だ。

 まさか、悪逆非道の公爵令嬢の趣味が薬草栽培であるなど許されるはずもないため、今まではユリウスとともにいる時間に王宮の奥にある小さな温室へ足を向けるくらいしかできなかったのだが、フローレンス家の者が寄り付かないこの軍基地は、彼女にとっての最上の地であった。

 グラン帝国の民は、等しく魔力を持つ。その力の大小はあれど、わざわざ手間をかけて薬草栽培をする酔狂な者などいない。日常的な傷を自身で治すことができる程度の魔力は備わっているのだ。

 獣人も、今では大手を振って医院に足を踏み入れることができる時代だ。以前はこの温室のように、獣人が手間をかけて薬草を育てていたようだが、獣人が民に受け入れられ始めている現在、特別な事情がない限り、温室に足を踏み入れる者など現れない。

 そう、特別な事情がなければ。


 ソフィアは半年前に魔法を使って綺麗に磨き上げたチェアに腰かけ、いつものようにハーブティを口に含む。この薬草の爽やかな香りは、気分を落ち着かせる作用を持っている。解毒作用を併せ持つと知ってからは毎日口にするようにしているが、効果が出ているのかは定かではない。

 実のところ、フローレンス家が獣人を嫌う理由は、若き令嬢を失ったという悲劇だけにはとどまらない。

「……あら? 今日は早いのね」

 温室の入り口を何か鋭利なものが甘く引っ掻く音が聞こえる。

 ソフィアは口に含んだハーブティを飲み下しながら立ち上がって、ゆったりと扉に近寄った。ガラスで作られた温室は、室内の様子が見えないよう、ソフィアが目隠しの魔法具を設置しているのだが、何故かこの来訪者は、彼女が温室で過ごしている時間を察することができるらしい。

 ソフィアの表情が柔らかに綻ぶ。

 利口な客人を招き入れようとソフィアが扉を開けば、彼女の腰ほどの背丈の何かがするりと温室へ入り込んでくる。

 彼は招き入れたソフィアを見やって、艶やかな毛並みの尻尾を振り乱している。

「こんばんは。今日はもう会いに来てくれたの?」

 ソフィアの声に応える言葉はない。しかし、その客人はグレイの瞳を緩やかに細めて彼女を見つめ返した。ソフィアは不思議と、この客人と心を通わせることができているような気がしているのだ。

 客人はソフィアが一層嬉しそうに微笑むのを見て、くわえていた何かを地面に落とした。

 黄色に桃色、赤の野花が地面に散らばる。

 その客人は、散らばった花とソフィアの表情を見比べて甘えるように喉を鳴らした。

「ふふ、もしかして、花の贈り物かしら? 素敵だわ」

 ソフィアは思わずその毛を撫でまわしてしまいたくなる衝動を抑えて、魔法で野花を拾い上げ、丹念に水魔法で客人の唾液を洗い流した。丁寧にドライした花をようやく両手に掴んで、優しい匂いを楽しむ。

「——ありがとう。狼さん。今日もお礼にお茶会へご招待するわ」

 ソフィア・フローレンスには秘密の友人がいる。

 稀代の悪女と友好関係を築こうとする変わり者は見たことがない。ソフィアは今後も現れないものと思い込んでいたが、半年前、この温室に薬草を植え付けているときに気まぐれに助けた狼が友人となった。

 この温室は郊外の獣軍基地の外れに位置していることから、稀に賊のような者たちが素通りしていくこともある。

 その日、不審な音に耳を澄ませたソフィアは、破落戸が幼い獣人を追いかけまわしている姿を目撃した。

 獣人は命からがら馬車から逃げおおせたのだろう。泣きながら走る獣人をナイフを持った男が追いかけまわす姿を見て、ソフィアが身体を隠しつつ密かに攻撃魔法を詠唱しようとしたその時、一匹の狼が破落戸の足に噛みついたのだ。

 下級魔獣の類だろう。

 呆気に取られつつも推察したソフィアは、破落戸がナイフの刃先を狼に向けるのを見て、瞬時に魔法を展開し、その手からナイフを取り上げた。その刃先を眼球の寸前に差し向け、腰を抜かした男を深く眠らせる。

 獣人が怪我なく逃げおおせたのを見たソフィアは、気配を隠して温室へと逃げ込んだ。

 稀代の悪女が獣人を助けたとあっては示しがつかない。そうして、ソフィアが密かに悪女らしからぬ行いをして以来、温室の前にグレイの毛並みの狼が、鎮座するようになったのだ。

 不思議なことに、下級魔獣と思しき狼はソフィアが温室に入ってから扉の前に現れ、彼女が退室する頃にふらりと姿を消してしまう。まるで、己の立場をよくわきまえた優秀な騎士のようだ。

 風が吹きすさぶ夜も、大雨の日も大嵐の夜も、変わらず扉を守る騎士のようにどっしりと座り込む狼の姿を温室の中から見たソフィアは、一か月も経たぬうちに根負けして扉を開くようになった。

 彼女が温室への侵入を許すようになってからは、狼も積極的に扉前にたどり着いたことを主張してくるようになり、今日に至る。

 こっそり隠し持ってきたミルクを皿に注いだソフィアは、向かいのテーブルの上にそっと皿を置いた。狼は躊躇うことなくそのミルクに口を寄せている。

 ソフィアはその様子を熱心に見つめ、緩む頬を隠すことなくハーブティで喉を潤した。テーブルの中央に狼から差し出された野花を飾り立てて、幸福なため息を吐く。

「素敵だわ」

 ソフィア自身も悪女らしからぬ発言であることは自覚しているが、この時ばかりは本心が口を突いて出てくる。

 物言わぬ友人は、ソフィアが何者であろうと気にせずこの場へ訪れる。ソフィアがたとえ、彼の血に近しい者たちへ残虐な行いをしていたとしてもだ。

 月明かりに照らされる狼の毛は銀糸のようだ。

 ソフィアが美しく煌めく宝石を眺めるような思いで狼の毛並みを見つめていれば、彼は気恥ずかしそうに顔をあげた。目が合うと、ぷいと顔を逸らされてしまう。

「ふふ、騎士様は恥ずかしがり屋なのね」

 ソフィアは、己の目を見て気恥ずかしそうな表情を浮かべつつ顔を逸らすような、可愛らしい反応を示してくれる者など見たこともないためか、嬉々としてつれない狼の仕草を見つめている。

 彼女は少女のような振る舞いを隠すことなくころころと笑い、何か良いことを思い出したかのようにますます表情を明るくした。

「そうだわ。ねえ、狼さん。お借りしていた物、ようやく完成したから見てほしくて」

 以前、この気高き狼の右腕に、獣人が装着することを義務とされている腕輪によく似たバングルが嵌められているのを見たときは、さすがのソフィアも盛大に眉を顰めた。
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