呪われた悪女は獣の執愛に囚われる

藤川巴/智江千佳子

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 ルイスに身体を暴かれたソフィアは、あの夜、散々ルイスの唇に愛でられ、彼とライの関係性を正しく把握することもできないうちに意識を失くした。

 次に目を覚ましたとき、部屋には陽の光が差し込んできていた。すでに昼過ぎを迎えていたらしいことに気付いたソフィアは慌てて飛び上がった。

 ソフィアを守るように座り込んでいたライをたっぷり撫でたソフィアは、念のため目眩ましの魔法をかけて自室へ戻りつく。

 ルイスは間違いなく任務に出ているのだろう。

 誰に会うこともなく自室に戻ることができたソフィアは、やはり悪女らしからぬ安堵の息を吐いてカウチに倒れ込んだ。身に纏うシャツから、男の匂いが香る。ただそれだけでやたらと胸が騒ぎ始めたことに気付いたソフィアは、疲れきった身体に鞭を打ってバスルームへと足を踏み入れた。

 知られてはならない者に事実を気取られつつある。ソフィアは自分自身の迂闊さを呪いながら、その身体に残された鬱血痕に気付いて、とうとう絶句してしまった。

 何者かに身体を暴かれたことが容易にわかるほど、無数に散りばめられている。その鬱血が内股にも鮮やかに咲き誇っているのを見たソフィアは、赤くなる顔を隠すこともできずに視線を背けた。

 極めて事務的に身体を暴かれたと記憶していたはずが、これほどまでに執着の証ような痕が残されているとは思いもしない。まるで、存在を主張しているかのような痕だ。

 ——ソフィア。フィア。

 耳に囁かれた熱い吐息を思い返したソフィアは、ずくりと腹の奥が熱を持つ感覚を悟って、瞬時に頭を振った。

 直ちにあの男に精神魔法をかける必要がある。しかし、ルイスの言葉が正しければ、ソフィアはまたあの熱病に侵されることになる。

 精神魔法にかけるにしても、記憶を奪いすぎるのは危険だ。重複して魔法をかけようものなら、ルイスの精神衛生をゆがめてしまう可能性もある。ソフィアは精神魔法の類の繊細な術を得意としているが、だからこそ、その危険性も熟知していた。

 ショーンはその危険性を知りながら獣人に重度の精神魔法をかけ、廃人化させることを趣味としている。

 嫌な記憶を思い出してしまったソフィアは、努めて淡々と身体を清め、訓練場に顔を出すこともできずに寝台に寝ころんだ。

 そろそろ出ていかなければ、本格的に計画に狂いが生まれてしまう。

 ソフィアとユリウスには、時間がない。

 己の羞恥心などで曲げてはならない計画なのだ。そのことを思い返したソフィアは、重たい身体に鞭を打ってドレスに着替えた。

 魔術師団には、優秀な魔術師が揃っている。そのすべての動向を、ソフィアは監視する必要があった。リストの名前の中から、オリバー・マクレーンの名を選んだソフィアは、いつもに比べ、襟首が詰まったドレスをひらひらと揺らしながら自室を抜け出した。


 その日の記憶は、散々なものだ。

 オリバー・マクレーンはソフィアが特に動向を注視していた男だ。強い魔力を持ちながら飄々としていて掴みどころがない男なのだ。マクレーンの家は王都からも離れ、帝王とも一定の距離を保っている。いわば、どの派閥に所属しているのか、いまいち掴むことができない家の者なのだ。

 いつも通りにマリアとくだらない会話を繰り広げたソフィアはオリバーが率いる一行の前へと静々と歩き、その男の目の前で立ち止まった。オリバーの周囲に獣人の影はない。

「ごきげんよう。マクレーン様」
「ああ、ソフィア嬢。今日はまた、いつもとは違った趣のドレスですね。美しい」
「ふふ、ありがとう。最近仕立てたばかりのものですの。さすがマクレーン様ですわ」
「やはりそうですか。貴女の美しさに気を取られない者はいないでしょうね。それこそ、目のない者くらいだ」
「まあ。目のないものなんて、いらっしゃるのですか」
「ええ、居るでしょう。そこかしこに。……総司令官の貴女がいらっしゃったと言うのに、声もかけない騎士など軍人の風上にも置けない。まあ盲人だと言うのなら、理解しますがね」

 オリバーの声に、周囲の獣人たちがぴくりと肩を揺らした。あからさまな嫌味を口にした男は、ゆったりと微笑んでいる。果たして、ただソフィアを持ち上げるための言葉であるのか、それとも本心から口にしているのか。

「価値のないものに、目など不要ですわ」
「ソフィア嬢は寛大ですね」
「そうかしら」

 取りようによっては、この場にいる獣人全ての目をくり抜くよう指示したようにも聞こえるが、オリバーはあえてソフィアの言葉の意図を、価値のない者から声を掛けられることを嫌っているものとして受け取ったらしい。

 食えない男の微笑みを見やったソフィアは、その男がふいに目を丸くして、彼女へ近づいてくるのを見た。

「ソフィア嬢、少し頬が赤いようですが」

 ゆったりと微笑んだオリバーが、身に纏っていたマントを脱ぎ、ソフィアの頭上に差し出そうとしたその時だった。

「総司令官殿、少しよろしいか」

 水を打ったような静けさに包まれたその場で、ただ一人、ルイス・ブラッドだけが、颯爽と足を動かしている。

 爵位を持たないルイスからすれば、オリバーは上位の貴族だ。その男の行動を遮るなど、あってはならない振る舞いだ。しかし、この場におけるルイスの立場は副司令官——つまり、ソフィアの副官であり、ソフィアが許すならば、その振る舞いもおのずと認められる。

 ほんの数時間前まで、ソフィアはその男に蹂躙されていた。鮮明に残る記憶を思い返したソフィアは、言葉を紡ぐこともできずにその男が目の前に立つのを見つめていた。

「総司令官殿。調子が悪いのか?」

 ルイスはオリバーと同じようにソフィアの表情を覗き込み、淡々と問いかけてくる。ソフィアは以前の自分自身がこの男とどのように対峙していたのか、思い出すことができずに言葉を失っていた。

 ソフィアの表情を伺うマリアの顔色が青ざめていく。

 その表情を見やったソフィアは、ようやく、己が無表情のまま、ルイスの顔を見つめていたらしいことに気付いた。

「何事ですの」
「ゆ、ユリウス殿下から、お手紙が届いているんです!」

 不穏な空気を察知したのか、ソプラノの声が響き渡った。シェリーの声だ。ソフィアはこの能天気な獣人にたびたび心を焦らされていたが、今ほどそのとぼけた声に救われたことはなかった。

「ユリウス様が?」

 あからさまに媚びるような声をあげたソフィアは、オリバーの反応を見ようとしていたつもりが、ルイスが僅かに顔を顰めていることに気を取られて、それ以上視線を動かすことができなくなってしまった。

「貴女に火急の用があると仰せです」

 いつもと同じく、ぶっきらぼうに声を発するルイスと視線が合った瞬間、ソフィアは慌てて目をそらした。

「ソフィア嬢?」

 オリバーの訝しげな声を聞いたソフィアは、自身の行動が上手く取り繕えていないことに気付き、眩暈を起こしそうになった。

 ルイスは、極めて平静だ。

 一晩中ソフィアの唇を貪っていたとは思えぬほど涼しげな顔をしている。ソフィアの想像通り、この騎士は、すべてを忘れたふりをしてくれているのだ。

「マクレーン様、申し訳ありませんわ。わたくし、ユリウス様のお手紙を確認してきませんと」
「ええ、ですがやはりご体調が」
「このような気分の悪いところに居るからかしら? 今日はもう下がりますわ」
「そのほうが良さそうですね。私がお送りいたしましょうか」

 結構だ。

 ソフィアが口にするよりも先に、ルイスがオリバーとソフィアの間にさりげなく立ち塞がった。

「殿下は急ぎの御用がおありのようです。総司令官殿、お急ぎください」

 ソフィア以外の者の行動を何度も遮るなど、ルイスらしくない振る舞いだ。

 吃驚したソフィアは、信じられない思いでルイスの表情を見上げてしまった。男は苛烈な色を灯した瞳で、ソフィアの目を睨みつけている。

 普段のソフィアなら、ルイスの瞳を見上げるようなことはしない。ソフィアがそのことに気付いたのは、シェリーの声がソフィアを呼びあげた時だ。

「フローレンス総司令官?」

 その声に我に返ったソフィアは、今度こそルイスの瞳から視線をそらし、ゆったりと歩み始めた。

 背後に視線が突き刺さる。その視線を振り払うように場を辞したソフィアは、ユリウスが送ってきた内容のない手紙を見下ろして、1人ため息を吐いた。

 ——もっとうまくやらなくてはならないのに。

 そうしてソフィアは、己の頭に浮かぶ男の獰猛な瞳をかき消して、ますます心を律したつもりだった。

 しかし、ソフィアが正常な判断力を保っていられたのは、たったの二日間のことだった。
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