呪われた悪女は獣の執愛に囚われる

藤川巴/智江千佳子

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 覆いかぶさる男の瞳がぎらりと光っている。獲物を狙い定めるような瞳だが、ルイスはソフィアの言葉を聞いて、ようやく口づけることをやめた。ソフィアのあごに触れていた指先が柔らかな頬をなぞる。ルイスのその手つきは思わず微睡んでしまいたくなるほどに甘い。

 この男の側に居すぎると、頭がおかしくなる。感覚的に未来を察したソフィアは、努めて甘い声を囁いた。

「ライと、会話ができるの?」

 全てはこの男から、ソフィアの記憶を消すための問いかけだ。頬を撫でてくる手にやんわりと自身の手を重ねたソフィアは、ぴくりと動く手に頬ずりをした。男に触れられているだけでたまらなく気分が良い。身体がおかしくなっていることを自覚しているからこそ、ソフィアは真実を聞き出そうと躍起になっていた。

 ソフィアの声を聞いたルイスは、僅かに眉を顰めて顔をあげた。

「ライ」

 ルイスが声をあげると、彼のシャツを甘噛みしていたらしいライが、ぴたりと動きを止めた。

「行け」

 簡単な言葉を吐いたルイスに従う形で、恨めしそうにルイスを睨んだライが寝室から出て行ってしまう。

 意思の疎通を図ることができるらしい。

 吃驚したソフィアは、その男がなぜこの部屋からライを遠ざけたのか、その理由に気づいていなかった。

 ソフィアは使い魔というものの存在をこの目で見たことがない。古い文献で、魔獣を使役する民族がいることは確認していたが、まさか、自身が生きるうちに出会えるものとは思ってもいなかったのだ。その文献も、ただ下級魔獣を従えられる能力を持った民族がいるという程度にしか記述がなされていなかった。つまりソフィアは、ライとルイスがどのような関係を結んでいるのか見当もついていないのだ。

「ライをどこに……」
「男に組み敷かれているというのに、貴女は魔獣の心配か?」

 嗜虐的な声に囁かれた瞬間、ソフィアはようやく、目の前の男が、己にひどく欲情しているのだということを察した。

 黄金の瞳が妖しく光っている。

 狙いを定めるようなまなざしに突き刺されたソフィアは、ルイス・ブラッドほどの男でも、欲望を感じることがあるのだと呆気に取られてしまった。

 ルイスは高潔な騎士として知られている。呪いに死にかけた女を救うために因縁があっても名誉を汚してソフィアのことを抱いたのだ。ソフィアもその高潔さに気圧されたが——。

「拗ねていらっしゃるの?」

 たっぷりと甘く囁けば、あからさまにルイスの眉が顰められた。図星なのだろうか。

「淫婦のように振る舞うのはやめたほうがいい」

 答えを示そうとしない男が、ソフィアの股下に左足を立てた。無理に開かされた足を見下ろすこともできず、ソフィアはルイスの視線に囚われている。飲み込まれてしまいそうな色だ。

「貴女の本質を曲解する輩から狙われても文句は言えまい」
「曲解ではないかもしれないわ」
「放蕩王子にその身体を差し出していなかったらしい貴女が淫売な女だと?」

 厳しい尋問に、ソフィアの言葉が途切れそうになる。じりじりと焦がすように近距離でソフィアの赤目を見下ろす男は、彼女の瞳にわずかな動揺が浮かぶのを見て、微かに目を細めた。

「……殿下はそのような御方ではないわ」
「そうか。随分と信頼しているな」

 信頼しているのではなく、ただ、共犯関係であるだけだ。怒涛の尋問に思わず本心を吐きそうになって、ソフィアは口を噤んだ。その様は、ルイスの目には恋い慕う者を守るために沈黙を貫く幼気な乙女の姿のように映っていた。

「呪いを移さぬよう、触れあうこともしていなかったのか? 殊勝な心掛けだな」

 ルイスの言葉を聞いたソフィアは、彼が極めてソフィアに好意的な解釈をしていることに気付いた。そういうところが、この男の印象を善良かつ高潔な類のものにしている。

 ソフィアが今、この場で激しく拒絶をすることなくこの男にされるがままになっているのは、この男の本質が善良な性格であることをよく理解しているからだ。もちろん、抵抗が無駄であることも理解している。その男が、ソフィアの献身を皮肉るように、片頬をあげて笑った。

「では、貴女は今後も王子に触れぬほうがいいな。貴女の身体は、呪いに侵されたままだ」

 ソフィアの身体を組み敷く男は、淡々と事実を告げ、ソフィアの目が丸く見開かれる様を見下ろしていた。

「どういう……、こと」

 普段、涼やかな顔をしている女の吃驚の表情は見る機会の多いものではない。瞳から零れ落ちそうなルビーを見下ろしたルイスは、魅入られるようにソフィアに顔を寄せ、静かに囁いた。

「その効果は一時的なものらしい。時間が経過すれば、貴女は一度知り得た獣人の体液を求め、過ぎる欲情に飢え、悶え苦しむ。……そうして貴女の身体はまた俺の精を欲しがる」

 ルイスに触れられてから、身体の調子がおかしい。ソフィアは先ほどから何度も感じている、彼に触れられた瞬間に僅かな飢餓が満たされる心地よさの訳に思い至って、顔色を悪くした。

「貴女にかかっているのは、おそらく獣人の呪いだ。詳しくは知らんが、俺の精で治まったのなら、間違いないだろう。……よほど、獣人嫌いの貴女の一族を、貶めたい輩がいたのだろうな」

 激しく憎みながらも、獣人の体液を求めて欲情するさまなど、見ていて滑稽だっただろう。そうして、フローレンス家の女児には獣人の呪いがかけられたのだ。

「無闇に触れれば、貴女の呪いが、王子に移るかもしれんな」
「……誰にも触れなければ、問題ないということだわ」
「だが、貴女の身体はまた俺を求めるようになる。貴女はもう、人間のものでは満足できない身体に作り替えられた。この俺によって」

 ソフィアは、ルイスに貫かれた瞬間の激しい陶酔感を思い出し、腹の奥にじわりと熱がこみあげた。はしたない反応を示す身体にわずかに狼狽えながら、有無を言わせず顔を寄せてくるルイスの口をもう一度手で塞いだ。

 ルイスに射抜くように見つめられたソフィアは、途轍もない居心地の悪さに逃げ帰りたくなっていた。

 途方に暮れるソフィアの手のひらを、ルイスの舌がれろ、と舐め取り、覚えのない感触に狼狽えたソフィアは、あっけなくルイスの口元から手を放した。

 舐められた手のひらがじんじんと熱を持っている。

「あのような痴態を演じたくなければ、定期的に俺のもとへ通うことだ」
「……貴方、自分が変なことを言っている自覚がないの?」
「ルイスだ」
「……ルイス」

 放っておけばいい相手に、ルイスはわざわざ身を汚してまで気の狂った提案を持ち掛けてきている。

 ソフィアはまごうことなき生娘だ。目立った性技があるわけでもない。ましてや、男を拒絶するような言葉ばかりを吐いていた。好意的に取られる要素など一つもない女を救おうとするルイスの頭の中を理解できず、結局ソフィアは考えることを放棄してしまった。

「貴方……、ルイス以外の方では、いけませんの?」
「俺以外に貴女に触れる男がいるのか?」

 ライから血液を拝借して、こちらで造血することができれば問題は解決するのではないか、と言いかけたそのとき、間髪入れずにルイスの声がソフィアを咎めた。

「もう一度言うが、貴女はすでに俺の精を腹に食らっている。それが貴女の疼きを抑えるのに、最適な方法だからだ。一度獣人の精を呑んだ貴女は、単純な刺激では呪いの効力を抑えきれん。ましてや、呪いに酩酊する貴女は、獣人に抗うこともできない非力な女だ。そのような状態の貴女がフローレンスの者であることを知る獣人が、どのような振る舞いをするか、貴女にもわかるはずだ」

 魔法を行使することもできないほどに熱に浮かされた女など、簡単に手折ることができる儚い花と同じだ。激しく咎める男の目を見たソフィアは、慌てながら唇を開いた。

「わか、って、るわ」
「そうか。では、最低でも週に一度、ここへ来ることだ」
「そんなに、ですの」
「それでも足りないだろうがな」

 悍ましい呪いだ。一週間と持たずに己の身体が動かなくなったことを思い返したソフィアは、恐怖にふるりと身体を震わせた。

 ソフィアの震えを感じ取ったルイスが、真顔のままたびたび拒絶された唇に自身の物を触れ合わせて舌を差し入れた。唾液を含んだ舌に触れられたソフィアは、目立った抵抗もできずに送り込まれた唾液を飲み下す。

 甘い果実の汁を含まされているような感覚に吃驚したソフィアは、間近で瞳を覗き込んでくるルイスの表情を、陶然としながら見上げていた。

「フィア」
「な、」

 ソフィアと呼ぶことを禁じれば、男はあっさりと可愛らしい愛称で悪女の名を囁いた。呼ばれ慣れない呼称にソフィアが吃驚しているうちに、男がうっそりと囁き入れてくる。

「ここへ来る頻度をあげれば、このような簡単な触れあいで済ませられるが、あまり強情にしていれば、その身体の奥に精を放つしかなくなる。フィア、好きなほうを選べ。俺はどちらでも構わない」

 悪役を演じているかのようなあくどい言葉を吐いた男は、ソフィアの滑らかな頬をそっと撫でて、触れるだけの口づけを唇に捧げた。

 ソフィアの計画が崩されて行く。

 悪女の因縁の男の目には、静かな執着の色が揺らめいていた。
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