67 / 74
67
しおりを挟む「治ったようだ」
「……ありがとう、ルイス」
テオドールは獣人が魔力を持ちながら魔法を扱うことのできない存在であると言っていたが、もしかすると、ルイスと同じように力の制御が苦手であるが故に扱う方法がわかっていなかっただけなのかもしれない。よく訓練すれば、ルイスのように強大な力を生み出すこともできるだろう。
ソフィアなど霞むほどの偉大な魔術師となりうる大きな可能性を秘めている。彼はもはや、ソフィアの助けなど必要としない。
ソフィアはひっそりとそのことに思い至り、痛む胸を押し隠した。
——もう、英雄ルイス・ブラッドに、ソフィアの力は必要ない。それどころか、彼の輝かしい未来を脅かす邪魔者にしかならないのだ。
「ルイスはすごいわ」
「……またライと同じ扱いか?」
「そうではないけれど」
時は満ちた。
帝王は死に、テオドール・フローレンスも死を待つばかりだろう。悪しき者は排除され、平和が訪れる。
悪しき時代に甘い蜜を啜り続けた悪党は、全てこの時に葬り去られる。ソフィアもまた、そうして時代に葬り去られる一人だ。
別れが近い。すぐ目の前に迫っている。
しかしこれは、全て初めから定められていた別れだ。
悪女の体調に気遣いながら、ルイスがゆったりと歩いて行く。ソフィアは、いまだに彼女の身体を離そうとしない英雄の姿に胸を引き裂かれるような思いで声をあげた。
「……どこへ向かっているの?」
「貴女を知る者がいないところだ」
「なぜ」
「……フィアの命が狙われるからだ」
聡明な騎士が言った。
ソフィアは、彼がユリウスの命を受けているらしいことを悟り、静かに微笑む。
ユリウスは、初めからこの筋書きには異を唱えていた。
「ユリウス様の入れ知恵かしら」
ソフィア・フローレンスは多くの罪を犯しすぎている。
革命を起こすと決めた当初からユリウスとソフィアは、この筋書きを巡って何度も議論を積み重ねていた。
「……そうだ」
ソフィア・フローレンスは稀代の悪女だ。ユリウスが悪しき帝王を廃するとき、必ずもう一つ、行わなくてはならないことがある。
それは、獣人へ残虐な行動を繰り返してきた悪しき者への処罰だ。フローレンス家の者は、そのシンボルにうってつけだった。
新王は、テオドールをはじめとするフローレンス家の者を公正な場で罰したうえで、獣人と人族の協和の道を目指すべきだ。
しかし、強大な魔力を持つテオドール・フローレンスを矢面に出すのは危険が伴う。彼は秘密裏に粛清し、代わりにソフィアが罰せられる者の象徴として立ち、ユリウスに敗れる。
それがソフィアの思い描く物語の結末だ。
「殿下……、いや、ユリウス陛下は、フィアに汚名を着せることを望んでいない」
ユリウスは初めのころ、たびたびこの計画に疑問を唱えていた。ソフィアは残虐な悪女ではない。それを知る彼は、いかなる方法を使ってでもソフィアの名誉を守るべきだと言っていたのだ。
やはり、彼はまだその未来を諦めていなかったようだ。ソフィアはユリウスの優しさに小さく笑いながら、ルイスの頬に手を添えた。
「ルイス」
「……いい子にできないか?」
この道を行けば、ルイスも泥をかぶることになる。
ソフィアは切なげな瞳を浮かべるルイスを記憶に焼き付けるように見つめ、優しく微笑んだ。
彼との日々は、ソフィアにとって、最も愛おしく美しい記憶となった。ソフィアが息絶えるその時に思い出す最も幸福な奇跡となる。
愛のなんと勝手で気まぐれなことか。
ソフィアは決して結ばれるはずのない男の乞うような瞳をかき消そうと彼の頬に、優しく手を触れさせた。
「好きよ。ルイス」
心から囁いたソフィアは、目を見張ったルイスの唇に自分のものを重ね、彼の頭を撫でる。
彼はソフィアの意思に反することなく静かに瞼を下ろし、口づけを受け入れた。
優しくも甘い、夢のようなひと時だ。——しかし、夢はいずれ醒める。
ソフィアは、ルイス・ブラッドを受け入れると決めたその時から、この未来が来ることを予測していた。
彼女はユリウスが己を逃がそうとすることも、その相手にルイスを選ぶだろうこともよくわかっていた。だが、彼女は初めから、その計画に乗るつもりがなかった。
「フィア」
「ルイス・ブラッド、貴方は私を嫌いになる」
誰よりも近くで囁いたソフィアは、もう一度ルイスの唇に己のものを重ね合わせた。
対象物からの感情を嫌悪に変える魔法は、至って簡単だ。
特に、相手が術師に心を許していればいるほど、術の行使は容易になる。
ルイスの力のおかげでたっぷりと魔力を回復したソフィアは、難なく精神魔法の魔方陣をルイスの後頭部へ刻んだ。
ソフィアには、人の心を操る類の精神魔法は使わないという己の矜持を破ってでも、大切にしたい一つがあった。
——ルイス・ブラッド。
「貴方は私を誰よりも憎しみ、番であることも、これまでの記憶も、忘れてしまうわ。そう。いい子ね。……貴方はルイス・ブラッド。この世で最も……」
虚ろな目をする男の頬を撫でたソフィアは、不自然に己の声が縺れるのを感じ、ゆっくりと呼吸を落ち着けた。
身体が震えている。何かが頬を滑り落ちる感触を味わったソフィアは、それを押し隠すように息を吸い込んだ。
虚ろにソフィアを見つめるルイスが、無意識に手を差し伸べてくる。しかし、その手がソフィアの涙に触れることはなかった。
「……この世で最も、ソフィア・フローレンスを憎んでいる」
最後まで術を吹き込み終えたソフィアは、己を抱え上げていた腕が離されるのを感じ、地面に零れ落ちた。
痛みはない。ただ、空気が凍り付いたのを感じ、ソフィアは無様に倒れ込んだまま、嘲笑を浮かべる。
後悔はしない。
ソフィアの人生には、眩しすぎる光だった。永遠に抱きしめていたいと思えるような優しい記憶を与えられたことだけでも、ソフィアは胸が詰まって泣き出してしまうほどに幸福だったと思える。
冷えきった音が鳴った。
少し前に己の父の胸を貫いた剣がソフィアの首に突き付けられた音だと気づいた彼女は、泣き出しそうな瞳に力をこめて視線を上げる。
「……お前、なぜここにいる」
変わり果てた声を聞いたソフィアは、努めて下卑た笑いを浮かべた。何度も見た兄たちの笑みをやすやすと浮かべられるらしい自身に嫌悪感を抱きながら、ソフィアは吐き捨てるように言う。
「汚らわしい。獣などに答える必要は……」
「それ以上口を開く必要はない。そうか。……そうだ、お前を王宮へ連行する途中であったな。フローレンス」
「……っ、痛」
後ろから両手を掴みあげられたソフィアは、思わず声をあげ、口を噤んだ。
ソフィアの声で怒れる騎士の行動が止まるはずもない。少し前にソフィアの傷を治したルイスは、あっけなくその腕にもう一度傷を作り、彼女の身体を引き摺って行く。
「放しなさ、い」
「殺されたくなければ黙れ」
「何を……っ」
「フローレンス、俺はお前が憎い。うっかり殺されたくなければ口を縫っておけ」
厳しく言い咎めたルイスに、ソフィアはたまらず息をのんだ。
物のようにソフィアを運んだルイスは、簡素な馬車に彼女を投げ入れ、監視するために入り込んできた。彼の指先は常に剣の柄に添えられている。
ルイスはこの馬車でソフィアと、どこか遠く、誰も知らぬ地へ逃げようとしていたのだろうか。
誰一人答えを持たない問いに嘲笑を浮かべたソフィアは、冷たく睨みつけられる痛みをかき消すように拳を握り続けていた。
ユリウスよりも先に大勢の革命軍に顔を見られれば、ユリウスがどれほど拒絶しようとソフィアの断罪は免れられない。
ただ、ルイスの名誉を守るためだけに、彼の人生を幸福のもとに置くためだけに、そして、これまで消えていった命への償いのためだけに、こうして馬鹿馬鹿しくも罰を受けようとするソフィアを、ユリウスはどう思うだろうか。
ユリウスとは、ソフィアの罪を流刑に処することで国民に納得させようと話し合っていた。
「フローレンス、出ろ」
ソフィアは乱雑にとめられた馬車から引き摺るように下ろされ、煌びやかな王宮の地下に投げ込まれる。
冷たく、錆びついた匂いのする牢獄だ。
ソフィアはあの煌びやかな王宮の地下に、このようなおどろおどろしいものがあるとは知りもしなかった。
「……明日、沙汰が言い渡される。それまでお前がおかしな行動を取ろうものなら、真っ先に俺が殺しに来る」
「随分と好かれているようで、うれしいわ」
「ほざいてろ」
はっきりと嫌悪の眼差しを向けられたソフィアは、それ以上悪態をつくこともできず、その場に座り込んでしまった。
「無様だな」
——本当に、その通りだわ。
独り静かに笑ったソフィアは、蠟燭の光だけが映る部屋で自身の身体を抱きしめた。どれほど冷たくなろうと、ソフィアの身体を抱きしめる者はいない。ルイスが今、ソフィアの両腕にくっきりと浮かぶ鬱血に触れ、慈しみながら治そうとすることはない。この先も一生ないだろう。
「でも、それで、いいわ」
流刑を受けた暁には、ソフィアは必ずフェガルシアへ行くことを決めていた。ユリウスにも願い出ていたことだ。ソフィアの願いはただ一つ、ミュリと約束したサクラの木を見に行くことだけだった。それが叶えば、この世界に未練など一つもない。
そうなるはずだった。
——危険があれば必ず呼べ。
——愛している。
——貴女しかいらない。
——貴女のこの先の人生に希望があるのなら、俺はその隣に在りたい。絶望なら、俺が食らい尽くす。フィア。
全て、叶えるにはあまりにも美しすぎる願いだ。
いくつもの死を見た。ソフィアはその死の一つひとつに贖うすべが、ただ一つしか見当たらないのだ。
どこで死んでも構わなかった。死を望んでさえいる。ミュリやあの邸に生きた優しい人たちや、ソフィアの犠牲となって儚く散っていった者たちを思うとき、ソフィアは常に良心の呵責に苛まれ、この道以外を探し当てることができなかった。
フェガルシアの地で眠る。美しいサクラを抱いて、ともに朽ちる。ただ一つ、それだけを願いにして、ソフィアはここまで歩み続けてきた。
誰にも心を許すつもりはなかった。ソフィアは孤独であることを選び続けていた。
己が幸福のうちに生きる事を、自分自身が最も憎んでいたからだ。
「ミュリ……、どうしてこうも、心は難しいのかな」
囁く声は、無様に震えていた。瞼の裏に、美しい思い出ばかりが蘇る。
「私の心に、忘却の魔法をかければよかったわ」
そうすることができない理由には、気付いている。ソフィアは忘れたくなかった。清く優しく温かく、最も愚かしい記憶を、大事に心に抱きしめたまま死に行きたい。
「フローレンスの悪女が、きいて、あきれる」
嘲笑するように囁いたソフィアは、腕に刻まれた鬱血を胸に抱き寄せながら、静かに意識を途切れさせた。
痛みさえ愛おしいのなら、それはもう、ただの愛だろう。
この殺伐とした残酷な世界の片隅に、これほど愛おしいものがある。ソフィアはその奇跡にうっとりと心を癒しながら、優しく温かい夢だけを見続けていた。
11
あなたにおすすめの小説
愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください
無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
勘違い妻は騎士隊長に愛される。
更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。
ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ――
あれ?何か怒ってる?
私が一体何をした…っ!?なお話。
有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。
※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。
悪役皇女は二度目の人生死にたくない〜義弟と婚約者にはもう放っておいて欲しい〜
abang
恋愛
皇女シエラ・ヒペリュアンと皇太子ジェレミア・ヒペリュアンは血が繋がっていない。
シエラは前皇后の不貞によって出来た庶子であったが皇族の醜聞を隠すためにその事実は伏せられた。
元々身体が弱かった前皇后は、名目上の療養中に亡くなる。
現皇后と皇帝の間に生まれたのがジェレミアであった。
"容姿しか取り柄の無い頭の悪い皇女"だと言われ、皇后からは邪険にされる。
皇帝である父に頼んで婚約者となった初恋のリヒト・マッケンゼン公爵には相手にもされない日々。
そして日々違和感を感じるデジャブのような感覚…するとある時……
「私…知っているわ。これが前世というものかしら…、」
突然思い出した自らの未来の展開。
このままではジェレミアに利用され、彼が皇帝となった後、汚れた部分の全ての罪を着せられ処刑される。
「それまでに…家出資金を貯めるのよ!」
全てを思い出したシエラは死亡フラグを回避できるのか!?
「リヒト、婚約を解消しましょう。」
「姉様は僕から逃げられない。」
(お願いだから皆もう放っておいて!)
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる