僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

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本編

03. 救う者と奪う者

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 ――あれから、二年。
 あの日、真冬の森で出会ったかすかな光は、今もふいに現れては、僕の指先や頬を撫で、静かに消えていく。
 触れられるたび、求められているのだと錯覚する。
 応えるようにわずかな魔力を分け与えると、光は少しずつ輪郭を深め、触れる温もりも、確かなものへと変わっていった。

 この二年で、僕はエルダーフレイムの副隊長に、ヴァレリウス殿は隊長に昇格した。
 任務の数も責務も増え、かつてのように現場でのやりとりが少なくなるかと思っていたが、むしろ、行動を共にする機会は以前より多くなった。
 その距離感は、立場ゆえの近さか、それとも別の理由なのか。
 移動中、肩がふと触れるほどの間合いに並ばれると、どうしても身が固くなる。

 今日も、東方の山間にある小さな村で発生した魔力異常の調査にあたった。近頃はこうした案件が目に見えて増えている。
 報告上は「地脈の変動による自然現象」として処理される事例が多いが、偶然にしては多すぎる──そう感じるのは僕だけだろうか。

 任務は滞りなく終わったはずだった。だが、村の空気には言い知れぬ緊張が漂っていた。
 報告に値すると思える細かな所見はいくつもあったが、隊長の報告書は、例によって驚くほど簡潔だ。
 書き上げられた紙面を受け取り、確認済みのサインを記すたび、胸の奥にかすかなざわめきが生まれる。
 ――自分でも、神経質すぎるとはわかっている。
 しかし、二年前から変わらぬその簡潔さが、今もときおり不安を呼び起こすのだ。

 ◇

 夜。任務後に王都の宿舎に戻り、報告と会議を終えたあと、自室の扉を閉めた。
 灯りを灯し、外套を椅子の背にかけた瞬間、窓辺の影がふっと揺れる。
 赤紫の光が、まるで夜風に運ばれるように、静かに部屋へと滑り込んできた。
 「……来たのか」
 光はふわりと近づき、僕の鼻先に降り立つと、ためらいもなく頬へと触れた。
 微かな温もりが、肌の上をゆっくりと移動していく。
 冷たさと熱が混ざり合い、細い神経をじわじわと撫で上げられるようだった。
 触れられるたび、その期待に抗えず、掌を差し出し、無属性の魔力を少しずつ流し込む。
 その度に光は微かに震え、脈打つように明滅しながら僕の指を包み込んだ。
 その震えが、掌の奥から腕へ、さらに心臓の近くまでゆっくりと這い上がってくる。
 喉がかすかに鳴った。熱い息が漏れ、肩がわずかに揺れる。
 ――これ以上は、駄目だ……そう思った瞬間、指先に絡みつく感触が、わずかに強くなった。
 拒む間もなく、魔力を吸い上げられていく。もう遅かった。
 光は指先に絡みつき、離すまいとするように魔力を吸い上げる。そのたび、微かな快感が背筋を這い上がる。
 身体の内側が柔らかくほぐれていくのに、心のどこかが必死に制御しようとしている。その拮抗が、かえって感覚を研ぎ澄ませていった。
 やがて、光は満ち足りたように僕の指先から離れ、ふわりと宙を舞った。
 赤紫の淡い尾を残しながら、窓辺に戻り、夜の静寂へと溶けていく。
 残された掌には、まだ熱が脈打っていた。
 明日、この手が何を奪うことになるのか──考えないように、指先を握りしめた。

 ◇

 翌日。訪れたのは、昨日までの現場から馬で半日ほど離れた廃村にある木造の廃屋だった。
 焦げた匂いが染みつき、時折、梁がきしむ低い音が空気を震わせていた。
 床の中央には、魔力の形を失いかけ、人としての輪郭をかろうじて留めた存在が横たわっている。
 肌には細かな亀裂のような光が走り、呼吸のたびに魔力が漏れて空気を揺らしていた。

 僕は膝をつき、そっとその手を取った。
「……もう大丈夫だ」
 暴れ狂う魔力を、無属性の流れでそっと覆い、静かに鎮めた。
 乱れていた呼吸は徐々に落ち着き、苦痛に歪んだ眉がわずかに緩む。
「……ありがとう」
 それは、かすれるほど弱い声だった。

 そのとき、耳にはめた機器から短い通信音が届く。
「対象、完全排除」
 一瞬、瞼が痙攣したのを自分でも感じた。
 本来なら、ここで治療班を呼び、引き渡すのが正規の手順だ。
 ――だが僕には、別の命令がある。

 手を握ったまま、魔力の流れを反転させる。
 戻りかけた温もりは、指の隙間からこぼれるように消えていった。
 瞳から光が消え、魔力の淡い輝きがはらはらと散る。握っていた手は、もう何の反応も返さない。
 これ以上、長く触れてはいけない――そう自分に言い聞かせ、指をそっと離した。
 そのまま廃屋を後にした僕は、帰路も隊に合流することはなかった。
 今回の出来事は、報告書にも記録されない。

 宿舎に戻ると、机の奥の偽底に指を掛け、薄い紙片を取り出す。
 そこには、今夜の対象と行動指示だけが記されていた。
 差出人も署名もない。だが、この一枚があれば十分だ。
 僕が『アブソーバ』であることを知っている者は、王国でもほんの一握りしかいない。
 紙片を折り、火皿の上で火を点ける。炎はあっけなく文字を飲み込み、灰だけを残した。

 十五のとき、家を出て入隊した。学校に通わなかったのは、家族の中で僕だけだ。
 妹も弟も、親の望む道を歩み、暖かい屋根の下で暮らしている。
 あれから、彼らの笑顔を間近で見たことはない。

 『エルダーフレイム』の副隊長としての僕は、人を救うために動く。
 だが――特殊部隊『アブソーバ』としての僕は、命令があれば、ときには命を奪うことも厭わない。
 どちらが本当の自分なのか、その境はとうに滲んで見えなくなっていた。

***
【作者コメント】
 ここまで読んでくださりありがとうございます。
 次話では、この場面の二年後――不思議な光と上官との出会いから四年後の物語を描きます。
 回想を交えながら、千景が“感謝”を素直に受け取れなくなった心の変化に触れます。
***
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