僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

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本編

04. ありがとうの代償

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 あれは、僕が十五歳の冬だった。
 入隊したばかりで、まだ真っ直ぐな正義感しか持ち合わせていなかった頃。
 その日はアブソーバの秘密任務を終えて、単独で帰途についていた。
 本来であれば許されない現地の人との接触だが、どうしても気になってしまい、今回の被害者が身を寄せているという孤児院に独断で立ち寄った。

 暖もろくにない広間の隅で、小さくうずくまり震えていた少年がいた。このままでは眠れぬほど冷えるだろう。
 野営用に携行していた薄い毛布を、無言でかけて立ち去ろうとしたとき、服の裾を小さな手が掴んだ。
 弱い力なのに、不思議と離れない。その温もりが伝わってくる。
 仕方なく、隣に腰を下ろし、少年が眠りに落ちるまで静かに座っていた。

 明け方、身体の冷えで目が覚めた。いつのまにか僕も眠ってしまっていたようだ。
 そっと立ち上がり、少年に気づかれぬように孤児院を後にした。
 懐中時計を確かめようと外套の胸元に手を入れたとき、小さく折られた紙切れが指先に触れた。
 拙い文字で、ただひとこと――『ありがとう』。
 その紙切れは、今でも自室の机の引き出しに大切にしまってある。

 ◇

 それから九年。僕は二十四歳、エルダーフレイムの副隊長になってから二年が経っていた。
 とある任務で立ち寄った、静かな村の外れの小さな家の前。
 十五のときのように、ただ純粋な気持ちで手を差し伸べることはできない。そう自然に悟るほどに、任務を重ねてきた。
 泣きじゃくる子どもの声と、うろたえる母親の姿が見えた。小さな体がぐったりと母親にしがみつき、顔は赤く火照っている。
「熱か」
 僕は腰の薬箱から、紙に包んだ薬草茶を一包取り出す。煎じやすいよう細かく砕いてあり、湯を注ぐだけで飲める。
「湯に溶かして飲ませて」
 一言伝えて、その場を離れた。
 もっと何か言葉をかけるべきか――そう思う前に、足が自然と動いていた。

 この村は補給経路の途中にあり、次の任務地へ急ぎ向かわねばならない。けれどそれ以上に、僕は感謝されることが、どうしても苦手だった。
 “ありがとう”という言葉が、時々痛い。
 まるで、自分が何か特別なことをしたように思えてしまうから。ただ、僕ができる最低限のことをしただけなのに。全然足りていない。もっともっと何かできたかもしれないのに。

 すれ違いざま、こちらの様子をうかがっている村の女たちの声が耳に入った。
「また無表情でさ、すっと来てすっと去るのよ……怖くない?」
「感情がないみたい。機械みたいだよね。あれ、本当に人?」
「あれも本当に薬なのかしら?」
「いやだわ、毒ってこと……?」
 僕のことを話しているとすぐに分かった。表情を変えず、そのまま歩みを進めようとしたそのとき、不意に風が吹き抜けた。どこかの物干しから、白い布がふわりと舞い上がる。
「きゃっ!? な、なんで下着が……!」
 巨大なズロースが、ひとりの女の顔にぴたりと張り付く。
 その直後、上空から落ちてきたカラスの糞が、もう一人の頭に直撃した。
「きゃっ……なにこれ、最悪!」
「ちょっと、それ私の下着よ!? 拭かないでよ、それで!」
 突然の騒ぎに思わず振り返った僕は、ふっと息を漏らしてから、肩を震わせて笑ってしまった。堪えようとしても、どうしてもこみ上げてくる。
 ほんの一瞬だけ、冷たく固まっていた指先がほどけるように緩んだ。

 ◇

 任務を終えたその夜。
 村の外れに設営された宿営地では、簡素なテントが並び、夜番の兵の足音だけが響いていた。
 僕は人気のない湖のほとりで、ひとり月を眺めていた。
 水面に映る光の揺らめきをぼんやりと見つめていると、足元の草がさわりと揺れる。
 気配を感じて振り返る前に、背後から低く柔らかな声が届いた。
「……笑っていたな、昼間」
 その声に、僕は目を伏せ、少しだけ口元をゆるめる。
「……あれ、あなたの仕業でしょう?」
「気づいていたか。あれは……最高に傑作だった」
 くっくっ、と喉の奥で笑う気配が近づく。
 黒髪に夜の深さを宿した、浮遊するような静かな立ち姿。
 その瞳は一見黒にも見えるが、湖面の月光に照らされたとき、赤紫にかすかに揺らめいた。

 ふと背中に柔らかな布の感触。彼はそっと僕を抱きしめた。
 香煙のような香りが風に溶ける。どこか懐かしく、温かい。
「冷えるぞ」
「……うん」
 しばらく沈黙が流れた。
 やがて、彼はぽつりと呟くように言った。
「……お前は、感謝されると自分を責めてしまうようだな」
「……」
「だが、笑ったお前の顔を見れて嬉しかった」
「……あれは、ただ、あまりにも……」
「おかしかったから笑った。そうだろう?」
「……そう、ですね」
 何か言いかけて、僕は静かに目を閉じた。
 言葉より先に、彼の指先がそっと頬に触れる。ひやりとした魔力の気配。けれど、それは決して冷たくはなかった。

 四年ほど前、ヴァレリウス隊長との初任務の冬の森で出会い、僕の指先にふれては離れていった、かすかな光。それが、彼の元の姿だった。
 与え続けた魔力の蓄積によって、今ではこうして人の姿をとれるほどになっている。もう、“光”と呼ぶには、あまりに輪郭がはっきりしすぎていた。

 指先が髪をかき上げ、耳元にそっと唇が触れる。
「もう少し……温めてもいいか?」
 僕は、黙ってうなずき、彼の唇が耳朶に静かに重なる。呼吸が揺れるたび、魔力が体内をゆるやかに巡っていく。
 魔力交歓マナ・ブレンド――僕にとっては代償であり、赦しでもある能力。
 風が髪を揺らし、あらわになったうなじに、彼の吐息がかかる。
「んっ……」
 何度もされている行為なのに、触れられるたびに感じてしまう快感に慣れる日はくるのだろうか。
 彼の手が僕をより強く抱きしめた。冷え切った身体が、芯から温もりに包まれていく。
 ただの熱ではない柔らかさが、皮膚を越えて胸の奥まで染みてくる。
「……お前が笑っていると、安心する。私も少しだけ、世界に許されている気がする」
 僕は、何も言わずにその手に身を預けた。互いの魔力が静かに混ざり合っていく。
 それは、孤独を少しだけ溶かす“光”だった。

***
【作者コメント】
 ここまで読んでくださりありがとうございます。
 次話では、任務に一人の訓練兵が加わります。
 彼の眼差しに宿る熱が、千景の心に静かな波紋を広げていきます。
***
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