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本編
天城レオニス視点:I. 十年越しの想い
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あの人が、振り返った。
陽に透ける灰色がかった黒髪と、静かな青の瞳。何度も夢に描き続けた面影が、そこにあった。
思っていたよりも近くに立ち、落ち着いた声で応じてくれる。
その声音を胸の奥で抱きとめ、制服の襟元にこもった熱が、外に漏れないよう必死に押しとどめた。
視線は逸らさなかった。十年もの間、夢の中でしか見られなかった距離で目が合った。
その横を迷いなく割って入る影があった。エルダーフレイム隊長、リュカ=ヴァレリウス。
自然な仕草で東雲副隊長の上腕に触れ、指先が線をなぞる。その手が離れるや否や、今度は身を寄せ、耳元へ何かを囁く。
東雲副隊長は、かすかに表情を揺らしながらも、その距離を拒まなかった。
触れることを許されるのは、あの男だけなのか――そう思った刹那、喉の奥に小さな棘が刺さったかのように息が詰まった。
大声で呼びたい衝動を、奥歯をかみしめて押し殺した。
◇
十年前。あの年の冬、俺は故郷の村を襲った盗賊の手で、家族も家も失った。行くあてもなく、隣村の孤児院に収容された。
寝台に案内されたが、独りになりたかった俺は、広間にうずまっていた。
寒さは骨にまで染み込み眠れそうになかったが、それでよいと思った。このまま眠らず、家族を失った悲しみを抱えていたかった。
しばらくそうしていると、硬い足音が近づいてきた。
顔を上げるより早く、ふわりと、肩に温もりが降りた。毛布だった。
鼻先をかすめたのは、冷えた夜気を含む静かな香りと、かすかな苦味を帯びた薬草のような香り。
冬の森に差す朝露のようなその香りは、不思議なほど心を鎮め、強張っていた肩の力をゆっくりとほどいていった。
去ろうとする青年の外套の裾を、思わず掴んだ。離したくない――その思いだけが指先にこもった。
そのとき一瞬だけ見た青年の綺麗な青い瞳が、今に至るまでずっと頭から離れることはなかった。
青年は一瞬、動きを止めたように見えたが、すぐに隣に腰を下ろした。
薄暗い中で、寝たふりをしながら彼の横顔をそっと盗み見る。長いまつげが頬に影を落とし、薄い唇から吐く息は白い。目の下には隈がうっすらと浮いていた。
軍の紋章が入った外套を着てはいるが、軍人にしてはあまりにも線が細いと思った。
やがて、静かな呼吸が耳に届く。眠ってしまったのか。
俺はしばらく青年の呼吸を聞いていた。不思議と鉛のようだった悲しみが和らいでいくように感じた。
『ありがとう』とだけ記した小さな紙片を、外套の胸元にそっと滑り込ませた。
そして、青年の吐息と温もりを感じているうちに、いつのまにか俺も眠ってしまった。
朝になって目を覚ますと、彼の姿はもうなかった。残されていたのは、肩に掛かったままの毛布だけ。
それから十年、あの夜の温もりも、胸の内に忍ばせた思いも、一度だって薄れたことはなかった。
孤児院を出てからは軍に入ることしか考えていなかった。いつかあの日の青年に会えると信じて鍛錬を積んだ。
一般隊員養成所で偶然、彼の姿を見つけたときの衝撃は今も忘れない。
――東雲千景。エルダーフレイムの副隊長。
肩越しに振り返った横顔は、あの日よりもずっと精悍で、けれどその瞳は、十年の歳月を経ても変わらず綺麗だった。
確信を得てからは、ただその隣に立つためだけに、一年間誰よりも訓練を重ねた。
そして今日、優秀な訓練兵として推薦を受け、エルダーフレイムに随行する機会を得た。
彼が今、目の前にいる。
けれど、東雲副副隊長は俺のことなど覚えていないだろう。だから今は、あの日の思い出は胸の奥にしまっておく。
今度は、俺が東雲副隊長に手を差し出す番だ。与えられるだけの存在ではなく、隣に立ち、その背を支える者になりたい。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、冷たい雨が降る中、千景と訓練兵の青年が山小屋で二人きりの夜を過ごします。
***
陽に透ける灰色がかった黒髪と、静かな青の瞳。何度も夢に描き続けた面影が、そこにあった。
思っていたよりも近くに立ち、落ち着いた声で応じてくれる。
その声音を胸の奥で抱きとめ、制服の襟元にこもった熱が、外に漏れないよう必死に押しとどめた。
視線は逸らさなかった。十年もの間、夢の中でしか見られなかった距離で目が合った。
その横を迷いなく割って入る影があった。エルダーフレイム隊長、リュカ=ヴァレリウス。
自然な仕草で東雲副隊長の上腕に触れ、指先が線をなぞる。その手が離れるや否や、今度は身を寄せ、耳元へ何かを囁く。
東雲副隊長は、かすかに表情を揺らしながらも、その距離を拒まなかった。
触れることを許されるのは、あの男だけなのか――そう思った刹那、喉の奥に小さな棘が刺さったかのように息が詰まった。
大声で呼びたい衝動を、奥歯をかみしめて押し殺した。
◇
十年前。あの年の冬、俺は故郷の村を襲った盗賊の手で、家族も家も失った。行くあてもなく、隣村の孤児院に収容された。
寝台に案内されたが、独りになりたかった俺は、広間にうずまっていた。
寒さは骨にまで染み込み眠れそうになかったが、それでよいと思った。このまま眠らず、家族を失った悲しみを抱えていたかった。
しばらくそうしていると、硬い足音が近づいてきた。
顔を上げるより早く、ふわりと、肩に温もりが降りた。毛布だった。
鼻先をかすめたのは、冷えた夜気を含む静かな香りと、かすかな苦味を帯びた薬草のような香り。
冬の森に差す朝露のようなその香りは、不思議なほど心を鎮め、強張っていた肩の力をゆっくりとほどいていった。
去ろうとする青年の外套の裾を、思わず掴んだ。離したくない――その思いだけが指先にこもった。
そのとき一瞬だけ見た青年の綺麗な青い瞳が、今に至るまでずっと頭から離れることはなかった。
青年は一瞬、動きを止めたように見えたが、すぐに隣に腰を下ろした。
薄暗い中で、寝たふりをしながら彼の横顔をそっと盗み見る。長いまつげが頬に影を落とし、薄い唇から吐く息は白い。目の下には隈がうっすらと浮いていた。
軍の紋章が入った外套を着てはいるが、軍人にしてはあまりにも線が細いと思った。
やがて、静かな呼吸が耳に届く。眠ってしまったのか。
俺はしばらく青年の呼吸を聞いていた。不思議と鉛のようだった悲しみが和らいでいくように感じた。
『ありがとう』とだけ記した小さな紙片を、外套の胸元にそっと滑り込ませた。
そして、青年の吐息と温もりを感じているうちに、いつのまにか俺も眠ってしまった。
朝になって目を覚ますと、彼の姿はもうなかった。残されていたのは、肩に掛かったままの毛布だけ。
それから十年、あの夜の温もりも、胸の内に忍ばせた思いも、一度だって薄れたことはなかった。
孤児院を出てからは軍に入ることしか考えていなかった。いつかあの日の青年に会えると信じて鍛錬を積んだ。
一般隊員養成所で偶然、彼の姿を見つけたときの衝撃は今も忘れない。
――東雲千景。エルダーフレイムの副隊長。
肩越しに振り返った横顔は、あの日よりもずっと精悍で、けれどその瞳は、十年の歳月を経ても変わらず綺麗だった。
確信を得てからは、ただその隣に立つためだけに、一年間誰よりも訓練を重ねた。
そして今日、優秀な訓練兵として推薦を受け、エルダーフレイムに随行する機会を得た。
彼が今、目の前にいる。
けれど、東雲副副隊長は俺のことなど覚えていないだろう。だから今は、あの日の思い出は胸の奥にしまっておく。
今度は、俺が東雲副隊長に手を差し出す番だ。与えられるだけの存在ではなく、隣に立ち、その背を支える者になりたい。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、冷たい雨が降る中、千景と訓練兵の青年が山小屋で二人きりの夜を過ごします。
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