僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

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本編

27. 月下の檻

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 しばしの沈黙の後、彼は近くに立てかけられていた訓練用の剣を取り、片手で軽く振ってみせた。
 「せっかくだ、手合わせでもしよう。気を紛らわせたいのだろう?」
 拒む言葉は喉に詰まり、代わりに構え直すしかなかった。
 両の掌に汗が滲み、剣は思った以上に重かった。
 
 リュカ隊長の踏み込みの音が鳴り、剣が横から迫る。
 受け止めた瞬間、腕に痺れるほどの衝撃が走った。
「……っ!」
 咄嗟に受けたが、力の差は歴然だった。息を整える間もなく、上段からの打ち込みが連続で落ちてくる。
 剣を合わせるたびに衝撃が骨まで響き、肩に熱がこもる。額から滴る汗が目に染みた。

「悪くない。だが……まだ硬い」
 耳元で低く囁かれた声が、粘りつくように離れない。
 再び距離をとってから踏み込み、必死に木剣を繰り出す。だが軌道を簡単に逸らされ、体勢を崩すたびに彼の声が追いすがる。
「肩が強張っている……力を抜け」
 剣を押し返す腕に、痺れが増した。
 息を吐きたいのに、連撃が激しく、そんな暇もない。

「息が荒いな。君の鼓動まで、手に取るようにわかる」
 汗が視界を滲ませる。必死に剣を振るが、あっさり逸らされてしまう。
「そうやって必死に抗う君も……悪くない」
 吐息が耳を撫でた。剣を握る指先に力を込めても、震えは隠せない。
 土の上で靴底が滑り、膝が震えた。
 次の瞬間、足を払われる。視界が揺れ、背が地面に叩きつけられた。

「くっ……!」
 乾いた土の匂いが強烈に鼻を刺し、肺の中の空気が一気に抜ける。
 見上げた空には、月を背にしたリュカ隊長の影があった。
 そのまま覆いかぶさり、剣の切っ先が胸をなぞるように止まった。
 その感触がざわりと伝わり、起き上がろうとしても、剣の圧で押しとどめられた。

「はぁっ……はぁっ……」
 土に叩きつけられた背中は痛み、肺はまだ呼吸を取り戻せない。
 リュカ隊長は微動だにせず、僕を見下ろしていた。
 逆光のせいで表情が読めない。
 ただ、口元にかすかな笑みが浮かんでいることだけはわかった。

「……やはり君は鋭い。動きに無駄がない。だが――脆いな」
「……ぁ……っ!」
 切っ先が胸元をかすめる。剣の感触よりも、声の熱の方がなお強く残った
「……千景。あの夜、見ただろう?」
 耳の奥で響く声に、喉が詰まる。
「……何のことでしょうか」
 できる限り平静を装って返す。だが汗が首筋を伝い、土に落ちる音がやけに大きく感じられた。

 彼の口元がゆるむ。
「クロウリーとの行為のことだ」
 ふっと間を置き、わざと声を潜める。
「……性行為、と言った方がいいか?」
 はっきりと口にされ、息が詰まる。頬が熱を帯び、視線を逸らした。
「……任務とは無関係です。隊長の私生活に関わるつもりはありません」
「私生活、か」
 低く笑みを含んだ声が落ちる。
「何度も誘われては断っていたが……だんだん態度が悪くなってな。任務に支障が出る前に、一度だけ、という約束で抱いてやった」
 あまりに生々しい言葉に、視線を逸らした頬が熱をもつのを自覚した。

「……関係ありません」
「君は、わかってくれるだろう? あれは一時の慰めにすぎない。――私が本当に欲しいのは、君だけだ」
 囁きは甘く、胸に当てられた木剣の切っ先が鼓動を測るようにわずかに揺れる。
「ん……っ!」
 その響きが耳の奥を焼き、否定の言葉が出てこなかった。

***
【作者コメント】
 ここまで読んでくださりありがとうございます。
 次話では、千景の危機に、静かな救いの風が吹き抜けます。
***
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